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アドマイヤベガ
通算成績8戦4勝
獲得賞金2億9,060万円
生年月日 1996.03.12(平成8年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 6 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 1人気 | 武豊 | 3:08.2 | 上り34.4 | 映像 | |
| 1 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 武豊 | 2:12.3 | 上り34.6 | — | |
| 1 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 2人気 | 武豊 | 2:25.3 | 上り34.4 | 映像 | |
| 6 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:01.3 | 上り35.9 | 映像 | |
| 2 | GII報知杯弥生賞 | 中山 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:03.7 | 上り35.0 | — | |
| 1 | GIIIラジオたんぱ杯3歳S | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:04.1 | 上り34.8 | — | |
| 1 | エリカ賞 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:06.1 | 上り35.9 | — | |
| 4(降) | 3歳新馬 | 京都 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:35.1 | 上り34.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父サンデーサイレンスSunday Silence | Halo | Hail to Reason |
| Cosmah | ||
| Wishing Well | Understanding | |
| Mountain Flower | ||
| 母ベガ | トニービンTony Bin | カンパラKampala |
| Severn Bridge | ||
| アンティックヴァリューAntique Value | Northern Dancer | |
| Moonscape |
旅程 — この馬の物語
1996年生まれの鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母ベガ。主な勝ち鞍は東京優駿・ラジオたんぱ杯3歳S・京都新聞杯。
パドックの約束
1993年4月11日、阪神競馬場。桜花賞に出走する一頭の牝馬をめぐって、馬主の近藤利一が生産牧場側の吉田勝己に話を持ちかけていた。いま、レース前に一億円で譲ってくれませんか。断られた。母の馬ですから、と勝己は答える。その牝馬の名義は、勝己の母である吉田和子だった。 それでも近藤は引き下がらない。それなら、この馬の仔を売ってほしい。約束ですよ、と食い下がった。 牝馬の名はベガ。顔の白斑のなかにある斑点を、和子の孫が星に見立てて、織姫星の名をつけた。母から受け継いだ内向、つまり前脚が内側に曲がる特徴を抱えて生まれ、牧場では競走馬になれれば御の字とまで言われた馬である。その脚で、ベガはその日の桜花賞を勝った。五月には優駿牝馬(オークス)も勝ち、史上九頭目の牝馬二冠になる。鞍上は武豊だった。 パドックで交わされた口約束が形を持つのは、六年後の東京競馬場である。
平凡な仔
1996年3月12日、北海道早来町のノーザンファーム。ベガの初仔が生まれた。鹿毛の牡。受胎したときは双子で、生まれてくるまでに片方が取り除かれている。 体は小さかった。橋田満はのちに、サンデーサイレンスの仔は骨太には出ないが、それにしても小ぶりで華奢だったと語っている。前脚は、母ほどではないにせよ、やはり少し内に曲がっていた。ただ、小柄であることはその脚には都合がよかった。馬体が軽ければ、曲がった脚にかかる負担も小さい。母が苦しんだ自らとの戦いを、この仔はせずに済んだ。 名は、近藤の冠名に母の名をそのまま繋いでアドマイヤベガ。約束は守られ、栗東の橋田厩舎に入ることも早くに決まった。 評判は、血統ほどには高くない。生後一か月の仔を見に来た橋田の見立ては、ごく普通の馬、というものだった。ベガに会いに牧場を訪れた武豊も、ついでに見たその仔を、犬か鹿のようだと感じたという。牧場長も、とにかく平凡な馬だったと振り返っている。 変わったのは育成に入ってからだ。担当した日下和博は、初めて跨った日の乗り味を、軽自動車と最高級車ほどの違いだと言った。1998年9月5日、栗東へ。橋田厩舎がサンデーサイレンス産駒を預かるのは、サイレンススズカに次いで二頭目だった。 母はこのあと、同じ父との間に全弟アドマイヤボスを、ティンバーカントリーとの間に半弟アドマイヤドンを産む。前者はセントライト記念を勝ち、後者はGI級競走を七つ勝つ。
一位入線、四着
1998年11月1日、天皇賞(秋)。橋田と武豊はサイレンススズカを喪う。その六日後の11月7日、京都の芝1600メートルが、アドマイヤベガのデビュー戦だった。単勝1.7倍。 最内枠から馬群の内で好位を取り、直線は外へ出そうとして塞がれ、内へ切り返した。空いていた最内を突いて先頭を争う二頭をかわすと、あとは独走になる。二馬身半差、先頭で決勝線を通過。時計は1分35秒1だった。 だが審議になった。最内へ入るとき、うしろにいたフロンタルアタックの前に接触し、この馬を躓かせていた。進路妨害が認められ、アドマイヤベガは被害を受けた馬の直後、四着に降着する。武には騎乗停止が科された。先頭でゴール板を過ぎながら、自分の走り方で勝ちを手放したデビュー戦である。掲示された1分35秒1は、勝ち馬より0.4秒速い。 陣営はその日のうちに次を決めた。未勝利戦へは回らない。予定どおり12月5日のエリカ賞へ行く。すでに勝ち上がった馬たちの中に未勝利のまま混じり、それでも1.2倍に推され、スリリングサンデーをクビ差退けて初勝利。暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークスでは最終コーナーで大外へ持ち出し、先行勢をまとめて差し切って重賞を獲った。 その年のJRA賞で世代の最優秀牡馬に選ばれたのは、同じ馬主・同じ厩舎のアドマイヤコジーンだった。二百四票。アドマイヤベガに投じられた票は、三票である。
食欲の落ちた春
1999年、初めての関東遠征。中山に着いてから食欲が落ちた。弥生賞は1.5倍の1番人気に応えられない。三コーナーから馬場の良い外へ持ち出して追い上げたが、先に抜け出したナリタトップロードに一馬身届かず2着。皐月賞の優先出走権だけは得た。 問題はそのあとだった。本拠地の栗東に戻っても食欲不振が続く。輸送のせいにはできない。体温も安定しない。最終追い切りを水曜から木曜へずらしても変わらず、回避まで話し合った末に、陣営は出走を選んだ。 4月18日、中山。馬体重は弥生賞から12キロ減って444キロ。それでも単勝2.7倍の1番人気だった。1枠2番。発走の直前に隣の1番が立ち上がって負傷し、競走から除外され、最内枠からの発走になる。 道中は十二番手。三コーナーで前のナリタトップロードとオースミブライトが動き、武は前走と同じく大外から追い上げるつもりでいた。そこへ後方からテイエムオペラオーが先に上がってきて、進路が消える。急いで内へ切り返し、直線で脚は使ったが、馬群を抜け出すだけで精一杯だった。先頭を争う二頭を、大外からテイエムオペラオーがまとめて差し切っていく。アドマイヤベガは0.6秒差の6着。 皐月賞を勝ったテイエムオペラオー、三着のナリタトップロード、そして敗れたアドマイヤベガ。この三頭を、人は三強と呼んだ。
府中の、最後の二百メートル
6月6日、東京優駿。ゲートを出たアドマイヤベガは、内ラチ沿いにすっと下げた。うしろから二、三頭目。前の集団は、ずいぶん遠い。 逃げ馬と後方の間が開いた縦長の隊列のまま、ハロンごとの時計は12秒台の前半で淡々と刻まれていく。三コーナー、前でテイエムオペラオーが動いた。それをナリタトップロードが外から捕まえにいく。アドマイヤベガはまだ内にいた。武は動かない。 四コーナー、最内から一番外まで。持ち出してから、ようやく追い出す。 残り四百メートルからの二百メートルが、10秒9まで速まる。先に抜け出したテイエムオペラオーの脚が鈍り、代わってナリタトップロードが単独の先頭に立ち、そのナリタトップロードもほどなく鈍った。内から二頭、いちばん外にアドマイヤベガ。三頭が雁行して、外の一頭だけが伸びている。ナリタトップロードの鞍上・渡辺薫彦は、この直線を「とてつもなく長かった」[^1]と振り返っている。 クビ差だった。
出典:Number Web「最後の直線の攻防だけで「150秒」…渡辺薫彦「とてつもなく長かった」を再現、アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年ダービーをどう描いたか?」2023年5月21日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/857498、閲覧日:2026年8月2日。
最悪の上を行く最悪
走破時計の2分25秒3は、1990年にアイネスフウジンが記録したレースレコードに並ぶものだった。武豊は前年のスペシャルウィークに続き、騎手として史上初めてダービーを連覇する。母もクラシックを勝っていた馬としては、ダイナカールとエアグルーヴの母娘以来、史上七頭目だった。橋田にとっても近藤にとっても、初めてのダービーだった。武はのちに、母にオークスを勝たせてもらい、その息子にダービーを勝たせてもらった、と語っている。 夏を北海道で過ごし、秋は10月17日の京都新聞杯から始めた。道中は後方。三コーナーから馬群に入ろうとしたが進路がなく、やむなく大外へ回して、いちばん長い距離を走らされる。それでも直線でナリタトップロードを外から捕まえ、ゴール前では武が手綱を緩めるほどの余裕でクビ差先着した。ダービーの一着と二着が、同じ順で並んだ。武は、最悪といえる展開でも余裕を持って差せたのは自信になる、菊花賞でこれ以上悪い形になることはないだろう、と話している。 11月7日、京都。菊花賞。逃げ馬が次々に回避し、先頭を引っ張る馬のいない超スローペースになると見られていた。追い込む脚を武器にする馬には、最も歓迎できない条件である。それでも京都新聞杯の走りが支持され、単勝2.3倍の1番人気に推された。八枠十四番。 ハロンタイムは道中で13秒台まで落ち、最後の四ハロンでいきなり11秒台へ跳ね上がる。三千メートルを走りながら、決着は短い上がり勝負になった。外を回らされ、進路を探しては塞がれ、最終コーナーでは最内を突こうとしてそこも塞がれ、また大外へ。前では、ナリタトップロード、テイエムオペラオー、そして同じ橋田厩舎のラスカルスズカが、クビ、クビの差で決着をつけていた。アドマイヤベガは0.6秒差の6着。 これ以上悪い形はないと言った男が、その上を行く最悪を引かされた。三強はクラシックを一つずつ分け合って、その一年を終える。
天国へのキス
菊花賞が、最後のレースになった。休養を挟んで2000年秋のオールカマーから復帰する予定だったが、7月31日、函館での調教中に左前脚の繋靭帯炎、脚元の靭帯の炎症を発症する。引退はその日のうちに決まった。八戦四勝。府中の一勝が、生涯でただ一つのGIになった。 総額十二億円のシンジケートが組まれ、2001年から社台スタリオンステーションで種牡馬になる。初年度から百四十五頭の繁殖牝馬が集まった。2004年の夏に初年度産駒がデビューすると、ストーミーカフェが札幌2歳ステークスを勝って産駒の重賞初勝利。新種牡馬のランキングは三位。飽和していたサンデーサイレンスの後継争いに、ようやく名乗りを上げたところだった。 10月28日、疝痛を発症する。苫小牧の病院へ運ばれたが、翌29日に力尽きた。八歳。死因は偶発性胃破裂だった。十一月の告別式で、近藤利一は弔辞に、自分に夢と希望を与えてくれた馬だ、と述べている。墓は、父サンデーサイレンスと同じ場所に立てられた。 遺した産駒は四世代しかない。それでもマイルチャンピオンシップのブルーメンブラット、中山大障害のテイエムドラゴン、中山グランドジャンプのメルシーモンサンが出て、母の父としてはジャパンカップダートのニホンピロアワーズが出た。そして二世代目に、父の急死のあとで名づけられた牝馬がいる。キストゥヘヴン。天国へのキス、という意味である。2006年4月、その馬は阪神の芝1600メートルで桜花賞を勝った。十三年前、祖母が同じレースを勝った日に、近藤が仔を売ってくれと食い下がった、あの桜花賞である。ベガ、アドマイヤベガ、キストゥヘヴン。三代続けてのクラシック制覇だった。 あの日、近藤が買おうとしたのは一頭の牝馬だった。断られて手に入れたのは、仔を一頭という口約束だけである。約束は、一頭では終わらなかった。 その年の八月十六日、ベガが死んだ。夜間放牧中の事故によるものと見られている。孫娘の桜花賞から、四か月後だった。遺体は、父トニービンと、初仔の眠る墓地へ運ばれた。織姫星の名を持つ母と、その名をそのまま継いだ仔が、いま同じ一角に並んでいる。
産駒 — 旅を継ぐ馬
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