名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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エアグルーヴのイメージビジュアル
エアグルーヴAir Groove
Air Groove

エアグルーヴ

通算成績19戦9勝

獲得賞金82,196万円

生年月日 1993.04.06(平成5年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
エアグルーヴの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
5 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 武豊 2:32.9 上り36.0映像
2 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 横山典弘 2:26.3 上り35.1映像
3 GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 1人気 横山典弘 2:13.1 上り33.8映像
1 GII札幌記念 札幌 芝2000 1人気 武豊 1:59.5 上り34.2
3 GI宝塚記念 阪神 芝2200 3人気 武豊 2:12.1 上り35.1映像
2 GII鳴尾記念 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:04.1 上り37.1
1 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:01.3 上り34.2
3 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 O.ペリエ 2:34.9 上り37.4映像
2 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 武豊 2:25.8 上り34.8映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 武豊 1:59.0 上り34.7映像
1 GII札幌記念 札幌 芝2000 1人気 武豊 2:00.2 上り35.5
1 GIIIマーメイドS 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:02.6 上り36.5
10 GI秋華賞 京都 芝2000 1人気 武豊 1:59.8 上り37.3映像
1 GI優駿牝馬 東京 芝2400 1人気 武豊 2:29.1 上り34.8映像
1 GIIIチューリップ賞 阪神 芝1600 2人気 O.ペリエ 1:34.2 上り35.0
2 GI阪神3歳牝馬S 阪神 芝1600 3人気 M.キネーン 1:35.4 上り34.1映像
1 OPいちょうS 東京 芝1600 1人気 武豊 1:35.8 上り36.0
1 3歳新馬 札幌 芝1200 1人気 武豊 1:12.0 上り36.4
2 3歳新馬 札幌 芝1200 1人気 武豊 1:12.1 上り36.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
エアグルーヴの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
トニービンTony BinカンパラKampalaKalamoun
State Pension
Severn BridgeHornbeam
Priddy Fair
ダイナカールノーザンテーストNorthern TasteNorthern Dancer
Lady Victoria
シャダイフェザーガーサント
パロクサイド
STORY

旅程 — この馬の物語

1993年生まれの鹿毛の牝馬。父トニービン、母ダイナカール。主な勝ち鞍は優駿牝馬・天皇賞(秋)・チューリップ賞。

早来の、生まれた翌日

1993年4月6日、北海道早来町の社台ファームで、鹿毛の牝馬が生まれた。父は1988年の凱旋門賞を勝ったトニービン。母は1983年の優駿牝馬(オークス)を勝ったダイナカールで、この仔は四番仔にあたる。 知らせを受けた栗東の調教師・伊藤雄二は、翌日にはもう牧場に立っていた。仔馬を一目見て強い衝撃を受け、そのまま一時間以上も眺めていたという。場長の吉田勝己には、牡だったらダービー馬なんだが、という意味のことを漏らした。 その日、牧場にはもう一人の来客がいた。野平祐二である。伊藤は野平をつかまえて「凄い馬になりますから覚えておいてくださいよ」[^1]と念を押し、はあ、という顔をされた、とのちに笑って振り返っている。 名は、馬主・吉原毎文の冠名「エア」に、グルーヴを継いだもの。冠名のほうはバスケットボール選手の愛称に由来し、グルーヴは「快調に運ぶ」という意味のくだけた英語だと、馬名の由来欄は説明している。 栗東の伊藤厩舎に入ったのは1995年の五月。伊藤はスタッフに、この馬の完成期はまだ先で古馬になってからだから、そこまでは目一杯やるな、と厳命した。 その厩舎で彼女の馬房を受け持つことになったのは、田中一征という厩務員である。前に担当していたのはマチカネリハクだった。サクラバクシンオーの半弟で、走る馬だと思っていたのにゲート試験に受からず、デビューできないまま引退している。担当を外れ、代わりに回ってきたワコーチカコが古馬になって京都記念を勝つまで大成し、その馬が引退した。空いた手に、この牝馬が入った。

出典:ウィキペディア日本語版「エアグルーヴ」(伊藤雄二の回想として記載、『優駿』2013年6月号に基づく)、https://ja.wikipedia.org/wiki/エアグルーヴ 、閲覧日:2026年8月3日。

二度目の新馬戦

1995年7月8日、札幌の芝1200メートル。武豊を背にした新馬戦で一番人気に推されたが、マイネルランサムにクビ差だけ届かず二着に敗れた。伊藤はのちに、競馬とは苦しいものではないと最初に教える必要があった、という意味のことを語っている。追わせなかったのである。 三週間後、同じ札幌の同じ距離でもう一度新馬戦に出て、二着に0秒8の差をつけて勝った。 秋、東京のいちょうステークス。直線の半ばで前を塞がれ、武が鞍の上で大きく立ち上がるほどの不利を受けた。それでも体勢を立て直し、差し切ってしまう。武はこの勝負根性に驚き、普通の馬にできることではない、と後年まで言い続けた。伊藤のほうは、ただの牝馬ではない、牡馬にも勝てる牝馬だと確信したのはあの日だ、と振り返っている。 十二月三日、阪神3歳牝馬ステークス。この日、武豊は何頭もいた持ち馬のなかからイブキパーシヴを選び、エアグルーヴの鞍上はマイケル・キネーンになった。マイル戦でありながら前半1000メートルの通過が61秒1という異様な緩さで、逃げたビワハイジを最後まで捉えきれない。0秒1差の二着だった。伊藤は敗因を自分に引き受け、「勝てたのに、勝たせてあげられなかった」[^1]と悔いた。 この馬に誰が乗るかは、このあとも何度か、彼女の力とは関係のないところで決まっていく。

出典:ウィキペディア日本語版「エアグルーヴ」(伊藤雄二の回想として記載、『優駿』2013年6月号に基づく)、https://ja.wikipedia.org/wiki/エアグルーヴ 、閲覧日:2026年8月3日。

熱、そして四十二年ぶり

明けて1996年3月2日、チューリップ賞。短期免許で乗っていたオリビエ・ペリエが手綱を取り、暮れに先着を許したビワハイジに五馬身の差をつけた。伊藤の頭には、桜花賞もオークスも秋華賞も全部勝つという絵が浮かんだという。 ところが桜花賞へ向けた調整の途中で熱が出た。上がったといっても二、三分。その夜のうちに下がっている。だが情報のほうが先に出回ってしまっていた。「無理をして出走してもいいことは一つもありません」[^1]。伊藤は回避を決めた。その春の栗東では風邪が流行っていて、皐月賞に向かうはずだったダンスインザダークも同じ理由で使えなくなっている。 五月二十六日、東京、芝2400メートル、十八頭。一番人気。 この日のオークスは道中がひどく緩んだ。五ハロン目から七ハロン目にかけて13秒台が三つ並び、隊列は詰まったまま長い距離を運ばれていく。勝負は最後の800メートルに丸ごと持ち越された。エアグルーヴは中団の外を回り、三コーナーで四番手あたり、四コーナーでは先頭を射程に入れている。直線を向くと早めに抜け出し、桜花賞馬ファイトガリバーの追撃を一馬身半で封じた。2分29秒1、上がり三ハロン(最後の600メートル)は34秒8。 十三年前、母ダイナカールも同じ舞台に立っていた。二十八頭立て、五頭が横一線でゴール板に雪崩れ込み、長い写真判定の末にハナ差で勝ちを拾っている。娘のほうは、追われる側のまま危なげなく勝った。母と娘によるオークス制覇は史上二例目、四十二年ぶりだった。

出典:ウィキペディア日本語版「エアグルーヴ」(伊藤雄二の回想として記載、『優駿』2013年6月号に基づく)、https://ja.wikipedia.org/wiki/エアグルーヴ 、閲覧日:2026年8月3日。

京都の秋、右前脚

牝馬三冠の最終戦・秋華賞へは、ステップを踏まずに直行した。単勝1.7倍。 伊藤はのちに、あのときは人間の側に負けられないという気持ちが強すぎた、と認めている。仕上げすぎていた。パドックではカメラのフラッシュに過敏に反応し、返し馬に出ても昂ぶりは収まらなかった。 レースでは七、八番手につけた。だがラップは11秒台と12秒台の境目で刻まれ続け、息の入る区間がない。三コーナーで彼女の位置は下がりはじめる。四コーナーの手前で、武は鞭を入れざるを得なくなっていた。ファビラスラフインから1秒7も離された十着である。 引き上げてきたあと、右前脚の骨折が判明した。北海道の牧場で手術を受け、年内には栗東へ戻っている。 桜花賞は熱で走れず、秋華賞は自分の脚を傷めて終わった。三冠のうち、彼女がまともに走れたのは真ん中の一つだけだった。

ジェニュインという物差し

復帰は1997年6月のマーメイドステークス。八か月ぶりの実戦を、一番人気で0秒1差だけ抜け出して勝った。 次に伊藤が選んだのは、この年からGIIに格上げされた札幌記念だった。狙いはひとつ、皐月賞馬ジェニュインである。勝っても負けてもジェニュインと何馬身の競馬ができるか、それで秋の天皇賞に通用するかどうかが測れる——物差しとしての一戦だった。二頭の対決は評判を呼び、当日の札幌競馬場には五万人近くが詰めかけている。 中団から進んで直線で抜け出し、エリモシックの追撃を0秒4振り切った。物差しに立てたジェニュインは四着。まだ目一杯には仕上げていない状態でこれなら本番も勝てる、と伊藤は確信を得た。

府中、二千メートル、クビ

1997年10月26日の東京は晴れ。芝は良。十六頭がゲートに納まった。 ゲートが開くと、一頭だけがまったく違う速度で出て行った。サイレンススズカである。二ハロン目に10秒9が刻まれ、一コーナーを回るころには、二番手以下との間にぽっかりと空白ができている。前半1000メートルは58秒5。逃げ馬だけが別の競馬をしていた。 エアグルーヴは、残された集団のなかにいた。一、二コーナーでは四頭が横に並ぶかたまりの一角。先頭から数えて六番手以下で、内にも外にも馬がいる。急ぐ理由はどこにもなかった。 向正面で流れが変わる。12秒4、12秒4と続けて息が入り、間延びしていた隊列が前へ詰まっていく。逃げ馬の貯金が目に見えて減っていく。三コーナー、彼女は七番手。四コーナーは、内の二頭と横に並んだまま回ってきた。 直線を向いて、三番手をずっと守っていた馬が先に動いた。バブルガムフェロー。前年のこのレースを勝ち、この日も一番人気に推されていた牡馬である。前をとらえ、抜け出そうとしていた。 外から、一頭だけが伸びてきた。 残り200メートルを切ってからは、二頭のほかに何も入ってこない競馬になる。最後の二ハロンのラップは12秒0、11秒6。その加速のなかを、エアグルーヴは34秒7で上がってきた。並びかけ、鼻面をそろえ、そのままゴール板を通過する。 クビ差。1分59秒0。 三着に入ったジェニュインは、二着から五馬身も後ろにいた。あの二百メートルは、二頭だけのものだった。 牝馬が天皇賞(秋)を勝つのは1980年以来、十七年ぶりのことである。秋の天皇賞が2000メートルで行われるようになってからは、初めてだった。

牡馬の中の秋

一か月後のジャパンカップは、海外馬を含む十四頭立てだった。先行集団のなかを四番手前後で運び、直線で抜け出そうとしたところを、内から追い込んできたピルサドスキーにクビ差だけかわされる。二着。 暮れの有馬記念では、武豊がマーベラスサンデーを選んだため、鞍上にペリエが戻ってきた。直線、手応えは抜群で、早めに先頭に立っている。それでも最後にマーベラスサンデーとシルクジャスティスに交わされ、0秒1差の三着に終わった。 秋の中長距離GIを三つ、牡馬に混じって使い、一着、二着、三着。この一年の走りが評価され、彼女は年度代表馬に選ばれた。牝馬がその座に就くのは、1971年のトウメイ以来二十六年ぶりだった。 生まれた翌日の牧場で、この馬を覚えておいてくれと念を押された男がいた。あの言葉は、四年半かかって裏書きされたことになる。

もう一年

当初の予定では、1997年限りで引退するはずだった。生まれた牧場との約束がそうなっていた。ところが馬主の吉原毎文が、怪我で走れなかった時期があるぶんもう少し走らせたいと望み、伊藤も無事に牧場へ返す自信がある、と応じる。現役は一年延びた。 四月の産経大阪杯は単勝1.2倍。四コーナーで前をうかがう位置につけ、ひとつ下の世代のメジロドーベルを0秒1抑えた。六月の鳴尾記念は不良馬場に脚を取られて二着。七月の宝塚記念では、牝馬として史上初めてファン投票の一位に選ばれている。ただし調整は遅れていた。前を行くサイレンススズカの逃げ足は最後まで鈍らず、三着。 八月の札幌記念は58キロを背負っての一戦になった。四コーナーでは二、三番手。前を行く逃げ馬とはまだ差があったが、直線でそれを捉え、二着に三馬身をつけた。グレード制が導入されてから、このレースを連覇した最初の馬になった。 秋は天皇賞(秋)を使わなかった。調整の遅れ、サイレンススズカと鞍上の兼ね合い、複数のタイトルを狙うという方針——いくつかの事情が重なって、エリザベス女王杯からジャパンカップという組み立てになる。そのエリザベス女王杯の一週前、武豊が京都の新馬戦で進路妨害を取られて騎乗停止となり、鞍上は急遽、横山典弘に替わった。 単勝1.4倍で迎えた京都は、下り坂を使った異様に速い上がりの競馬になった。エアグルーヴ自身も33秒8で上がっている。それでもメジロドーベルの脚が一枚上で、ランフォザドリームにも遅れて三着。牝馬に先着を許すのは、二年一か月ぶりのことだった。 中一週のジャパンカップでは、直線で先に抜け出したエルコンドルパサーに二馬身半。引退レースとなった有馬記念は武豊が戻ってきたが、レースの途中で落鉄し、グラスワンダーの五着で終わった。 この年、GIはひとつも勝てていない。それでも彼女は、最後まで牡馬の一線と同じレースを走った。

連鎖

1999年、エアグルーヴは故郷のノーザンファームで繁殖牝馬になった。初年度の相手はサンデーサイレンス。翌年に生まれた初仔アドマイヤグルーヴは、セレクトセールで近藤利一が2億3000万円で競り落とし、2003年と2004年のエリザベス女王杯を連覇する。ダイナカール、エアグルーヴ、アドマイヤグルーヴ——親子三代でのGI制覇だった。 同じ1999年の春、母ダイナカールが死んでいる。種付け中の事故で、相手はトニービンだった。娘に父を与えた種牡馬が、母にとって最後の相手になった。 血のほうは伸び続けた。八番仔ルーラーシップは2012年に香港のクイーンエリザベス2世カップを勝ち、半姉カーリーエンジェルの仔からは高松宮記念のオレハマッテルゼが出た。アドマイヤグルーヴの最後の産駒ドゥラメンテは2015年の皐月賞と東京優駿を勝ち、そのドゥラメンテの産駒タイトルホルダーが2021年の菊花賞を勝って、この牝系は五代続けてGIを手にしている。 2013年4月23日、エアグルーヴは早来の牧場で十一番仔を産んだあと、内出血で死んだ。二十歳だった。前の年に、アドマイヤグルーヴが先に逝っている。 彼女の馬房の前に立っていた田中一征は、2025年7月に六十五歳の定年を迎えた。名牝を二頭も担当できた理由を訊かれて、彼はそれを運だと言う。「エアグルーヴを担当できたのも運でした」[^1]。ゲート試験に受からなかった馬がいて、担当が替わり、次の馬が古馬になって大成し、その馬が引退したから、この牝馬が回ってきた。連鎖なんです、と彼は言った。 けれど連鎖は、受け取る手がなければそこで切れる。毎朝その馬房の前に立ち続けた人間がいたから、鎖は次の環へ渡った。 1998年の宝塚記念のファン投票で人々が彼女を一位に選んだとき、その年の彼女はまだGIを勝っていなかった。そして結局、最後まで勝てなかった。人が票を投じたのは勝ち鞍にではない。牡馬の輪の真ん中に、当たり前の顔で立っている一頭の牝馬に、である。 生まれた翌日にその仔馬を一時間も眺めた男は、牡だったらダービー馬なのに、と言った。牝のままで、彼女は牡馬の頂に立った。早来に生まれ、早来へ帰り、早来で死んだ牝馬が遺した鎖は、いまも次の手へ渡り続けている。

出典:中日スポーツ・東京中日スポーツ「愛情注いだ馬たちと歩んだ日々…65歳の定年迎える厩務員の田中一征さん」2025年6月10日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/1079316 、閲覧日:2026年8月3日。

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