名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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エアシャカールのイメージビジュアル
エアシャカールAir Shakur
Air Shakur

エアシャカール

通算成績20戦4勝

獲得賞金54,505万円

生年月日 1997.02.26(平成9年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
エアシャカールの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
9 GI有馬記念 中山 芝2500 7人気 横山典弘 2:34.1 上り36.0映像
12 GIジャパンカップ 中山 芝2200 7人気 田中勝春 2:13.4 上り36.2映像
4 GI天皇賞(秋) 中山 芝2000 6人気 武豊 1:58.8 上り34.2映像
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 K.デザーモ 2:13.2 上り35.2映像
2 GII金鯱賞 中京 芝2000 1人気 武豊 1:58.5 上り35.5
2 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 3人気 M.デムーロ 1:59.5 上り35.2
5 GI宝塚記念 阪神 芝2200 3人気 蛯名正義 2:12.3 上り35.3映像
8 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 4人気 蛯名正義 3:17.9 上り37.0映像
2 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 4人気 蛯名正義 1:58.5 上り35.2
14 GIジャパンカップ 東京 芝2400 3人気 武豊 2:28.2 上り37.2映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 武豊 3:04.7 上り35.7映像
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:02.0 上り34.9
5 GIキングジョージ6世 イギリス 芝2400 武豊 映像
2 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 武豊 2:26.2 上り35.6映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 2人気 武豊 2:01.8 上り35.0映像
2 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 4人気 武豊 2:02.5 上り35.3
1 OPホープフルS 中山 芝2000 1人気 武豊 2:05.9 上り36.1
2 3歳500万下 阪神 芝1600 1人気 M.デムーロ 1:36.7 上り35.6
1 3歳未勝利 京都 芝1600 1人気 武豊 1:36.4 上り36.5
5 3歳新馬 東京 芝2000 2人気 武豊 2:04.3 上り35.3

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
エアシャカールの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
アイドリームドアドリームI Dreamed a DreamWell DecoratedRaja Baba
Paris Breeze
Hidden TrailGleaming
Tobacco Trail
STORY

旅程 — この馬の物語

1997年生まれの黒鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母アイドリームドアドリーム。主な勝ち鞍は皐月賞・菊花賞。

エアスクデット

1997年2月26日、北海道千歳市の社台ファームで黒鹿毛の牡馬が生まれた。父はサンデーサイレンス。母はアメリカ産のアイドリームドアドリームで、その父はウェルデコレイテッドという。 母はすでに走る仔を出していた。二つ上の半姉エアデジャヴーである。1998年、桜花賞三着、優駿牝馬(オークス)二着、秋華賞三着。牝馬クラシックを三度走って、一度も勝てなかった。重賞は、秋のクイーンステークスを一つ勝っている。 馬主はラッキーフィールド。この馬主の持ち馬は「エア」の二文字から始まる。最初に登録された名は、エアシャカールではない。エアスクデットだった。のちに改名され、シャカールという音が与えられる。アメリカのラッパー、2パックの本名から採ったものである。デビューしたころは、エアシャガールと呼び間違えられることが多かった。

担当を、なくす

預かったのは栗東の森秀行だった。 森は戸山為夫の調教助手を務め、1993年に自分の厩舎を開いた人である。戸山からは、先駆者になれ、パイオニアになれ、ただし失敗したら必ず叩かれるからその覚悟だけはしておけ、と繰り返し言われていたという。実際に森は外へ出ていった。1995年、フジヤマケンザンで香港国際カップを勝ち、日本馬として三十六年ぶりの国外重賞制覇。1998年にはシーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ゲスト賞を勝ち、日本で調教された馬として初めてヨーロッパのGIを獲った。 その厩舎に入ったこの馬は、とにかく物見をした。何かを見つけては気を取られ、真っ直ぐ歩かない。当時は厩務員一人が二頭を持つのが常識だったが、森はこの馬を厩舎の全員で世話することにし、担当制そのものをなくしたと語っている。1999年の秋のことだ。おかげで放馬の事故は一度も起きなかったという。 デビューは1999年10月31日、東京の芝2000メートル。武豊が乗って二番人気の五着だった。武豊は新馬戦の前の調教で跨った時点から、この馬は将来重賞を勝つと思っていたという。雰囲気はスペシャルウィークを小ぶりにした感じだ、とも評している。 三週間後、京都の芝1600メートルで初めて勝った。暮れの阪神で二着を挟み、12月26日、中山のホープフルステークスを勝つ。当時はまだオープン特別だった一戦である。年が明ける前に、この馬はクラシックの有力候補に数えられていた。

八枠十六番

2000年3月5日、中山の弥生賞。四番人気で、フサイチゼノンの二着だった。 4月16日、皐月賞。空は曇り、馬場は稍重。十八頭立ての八枠十六番、いちばん外の枠を引いた。二番人気である。 流れは速かった。二ハロン目に11秒0が刻まれ、千メートルの通過は1分00秒2。エアシャカールは後ろのほう、十五番手にいた。三コーナーを回っても順位は動かない。 動いたのは、そこからだった。外へ持ち出して四コーナーで八番手まで上がり、直線で先行勢に並びかける。ただし、真っ直ぐは走らない。内へもたれながら、一番人気のダイタクリーヴァを競り落とした。着差はクビ。2分01秒8だった。 器用な勝ち方ではなかった。だからこそ、直線の長い東京へ替わるのは好材料と見られた。六週間後のダービーで、この馬は一番人気に推される。

七センチ

五月二十八日、東京、芝2400メートル。晴れ、良馬場。 スタートしてまもなく、エアシャカールは後方にいた。一コーナーの通過は十五番手あたり。二ハロン目のラップが10秒6で、前を行く馬たちは相当に速い。その速さには乗らず、後ろで息を溜める。皐月賞と同じ組み立てだった。 中ほどで時計が緩んだ。十三秒台が二つ続く。隊列が固まり、みなが息を入れる。三コーナーの入口で、この馬はまだ十三番手あたりにいた。 そこで外へ出した。四コーナーを回っても、前にはまだ十頭ほどが残っている。 府中の直線には坂がある。その坂を上がりきるまでに、エアシャカールは前にいた馬を全部抜いた。残り四百メートルからの一ハロンが11秒7。先行勢が次々に脱落し、坂の上で、この馬は一頭だけになった。 そして、最後の二百メートルが12秒4に落ちる。 前に一頭もいなくなると、この馬は遊ぶ。脚色が鈍った。その隙に、外から一頭が届いてきていた。アグネスフライトである。鞍上は河内洋。武豊の兄弟子で、ダービーはこれが十七回目の騎乗だった。 残り百メートルで二頭が並ぶ。エアシャカールは外へよれ、アグネスフライトの進路を塞いだ。それでも外の馬は下がらない。二頭はほとんど同時に決勝線を通過した。 写真判定になった。差は、七センチ。 武豊はこの年、ダービー三連覇がかかっていた。それも同じ七センチの向こう側へ消えた。エアシャカールは、自分が抜いた馬すべての前で、ただ一頭にだけ抜かれたことになる。

アスコットの七頭

皐月賞を勝った直後、陣営はひとつの予定を公表していた。七月にアスコットで行われるキングジョージ六世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ向かう、というものである。ダービーのハナ差は、その予定を変えなかった。 七月二十九日、アスコット。出走は七頭。勝ったのはモンジューで、二着に一馬身四分の三をつける楽勝だった。ファンタスティックライト、ダリアプール、ビートオールと続き、エアシャカールは五着に終わる。 日本のクラシックを勝ったばかりの若駒を、その年の夏にヨーロッパの中距離チャンピオン決定戦へ送り込む。当時それをやる厩舎は多くない。先駆者になれ、ただし叩かれる覚悟はしておけ——師の言葉のとおりに、森は出ていく側に立ち続けていた。 帰国初戦は九月二十四日の神戸新聞杯。一番人気に推されたが、内へ突っ込んでしまい、直線では追うこともできずに三着。勝ったのはフサイチソニックで、二着はアグネスフライトだった。武豊はレース後、気性の面で成長が見られないと述べている。府中のハナ差以来、この馬から勢いが落ちていた。

内ラチ沿い

10月22日、京都、芝3000メートル。晴れ、良馬場。 この日、エアシャカールの口にはリングハミが入っていた。内へよれる癖を出させないための馬具である。 乗り方も変えた。春の二戦はどちらも後方から大外を回っている。菊花賞の武豊は、道中を好位で運び、外へ出さずに内ラチ沿いを通した。 一コーナーで八番手。二コーナーで十番手あたり。三コーナーでは十一番手あたりまで下げている。四コーナー、外から進出したアグネスフライトが前へ出て、エアシャカールは馬群の中に埋まっていた。策は外れたように見えた。 直線を向いて、形勢が入れ替わる。アグネスフライトの伸びが止まり、エアシャカールは馬と馬のあいだを割って出た。残り八百メートルからのラップは11秒9、11秒9、12秒1、12秒1。三千メートルを走ったあとで、最後まで一度も緩まない四ハロンだった。その中で、トーホウシデンとの叩き合いをクビ差で制する。3分04秒7。 二冠目だった。この年のJRA賞最優秀四歳牡馬——当時の馬齢表記によるもので、いまでいう最優秀三歳牡馬に選ばれている。一番人気だったアグネスフライトは五着に終わった。

勝てないまま

11月26日のジャパンカップは、六連勝中だったテイエムオペラオーとの対決として語られた。エアシャカールは三番人気。馬体重は菊花賞から十四キロ減っていた。結果は十四着である。ダービー馬アグネスフライトが十三着、NHKマイルカップを勝ったイーグルカフェが十五着、優駿牝馬を勝ったシルクプリマドンナが最下位。その年のクラシックを勝った馬たちが、揃って府中で沈んだ。 年が明けて、武豊が騎乗の拠点を海外へ移す。主戦は蛯名正義に替わった。産経大阪杯二着、天皇賞(春)八着、宝塚記念五着。秋は輸送で肺炎を患い、一度も出走しないまま暮れた。 五歳の春、また走り出す。大阪杯は五十九キロを背負っての二着。金鯱賞では武豊が戻ってきて一番人気に推されたが、ツルマルボーイに差された。宝塚記念は四着。 その秋、東京競馬場が改修に入っていたため、天皇賞(秋)は中山で行われた。六番人気。四コーナーでは十三番手あたりにいて、そこから最後の六百メートルを34秒2で上がってきた。レース全体の上がりより一秒以上速い。四着。勝ったシンボリクリスエスとの差は0秒3だった。 これが最後の見せ場になった。ジャパンカップ十二着、有馬記念九着。2002年12月22日の中山を最後に引退する。菊花賞のあと、十戦して一度も勝てなかった。

千歳

門別のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬になった。2003年3月13日、放牧中の事故で左後脚を骨折し、安楽死の処置が取られる。六歳だった。競走馬を引退してから、三か月しか経っていない。 残した産駒は四頭。すべて牝馬だった。2006年、そのうちのエアーミラクルがホッカイドウ競馬で産駒の初勝利を挙げ、翌年にはエアファーギーが函館の未勝利戦を勝つ。中央で勝てたのは、この一頭だけだった。繁殖に上がった二頭からも牡馬ばかりが生まれ、彼の血はやがて途絶えた。 母の側の血は続いている。半姉エアデジャヴーの仔からは、アメリカジョッキークラブカップを勝ったエアシェイディと、2005年の秋華賞を勝ったエアメサイアが出た。エアメサイアは、この馬の姪にあたる。クラシックを三度走って勝てなかった半姉の娘が、母の届かなかった場所へ届いたことになる。 2023年1月11日、アグネスフライトが老衰で死んだ。二十六歳だった。二頭を生産した社台ファームの場長、東礼治郎はこう述べている。「エアシャカールと体をぶつけ合いながらも鼻差で勝利をもぎ取ったダービーのゴールシーンは鮮明に脳裏に焼き付いています」[^1]。同じ牧場で四日違いに生まれた二頭のうち、先に生まれたほうの名は、勝った馬の訃報のなかにまだ残っていた。 二〇〇〇年のクラシック三冠は、三度ともクビ差以内で決着している。皐月賞がクビ、ダービーがハナ、菊花賞がクビ。エアシャカールはその三つのすべてで、勝ち負けを分ける側にいた。二つを獲り、一つを落とした。 落としたほうの差だけが、いまも七センチという単位で呼ばれる。競馬の着差は、ふつうセンチメートルでは数えない。

出典:中日スポーツ「2000年のダービー馬アグネスフライトが老衰で死ぬ 26歳」2023年1月11日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/615920、閲覧日:2026年8月3日。

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