名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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バンブーメモリーのイメージビジュアル
バンブーメモリーBamboo Memory
Bamboo Memory

バンブーメモリー

通算成績39戦8勝

獲得賞金5716万円

生年月日 1985.05.14(昭和60年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
バンブーメモリーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
8 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 3人気 田原成貴 1:35.7 上り47.4映像
8 GIIスワンS 京都 芝1400 3人気 武豊 1:21.3 上り45.8
6 GII毎日王冠 東京 芝1800 8人気 松永昌博 1:46.9 上り36.4
9 GIICBC賞 中京 芝1200 1人気 武豊 1:12.1 上り36.8
10 GI宝塚記念 京都 芝2200 4人気 岸滋彦 2:15.7 上り48.8映像
3 GI安田記念 東京 芝1600 1人気 武豊 1:34.1 上り35.7映像
4 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 1人気 武豊 1:22.1 上り34.9
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 武豊 1:07.8 上り34.5映像
2 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 1人気 武豊 1:33.8 上り46.1映像
3 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 4人気 武豊 1:58.4 上り35.4映像
5 GII毎日王冠 東京 芝1800 2人気 河内洋 1:47.2 上り35.0
1 GII高松宮杯 中京 芝2000 1人気 武豊 1:59.4 上り35.1
2 GIICBC賞 中京 芝1200 1人気 武豊 1:08.4 上り34.2
6 GI宝塚記念 阪神 芝2200 8人気 松永昌博 2:15.5 上り50.2映像
6 GI安田記念 東京 芝1600 3人気 河内洋 1:33.4 上り35.3映像
5 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 1人気 武豊 1:24.6 上り37.9
GIIIスポニチ賞金杯 京都 芝2000 武豊
13 GIジャパンカップ 東京 芝2400 13人気 松永昌博 2:24.2 上り48.9映像
2 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 2人気 武豊 1:34.6 上り46.9映像
1 GIIスワンS 京都 芝1400 1人気 松永昌博 1:21.7 上り46.1
2 GII高松宮杯 中京 芝2000 4人気 松永昌博 1:59.3 上り35.8
5 GI宝塚記念 阪神 芝2200 8人気 松永昌博 2:15.4 上り50.1映像
1 GI安田記念 東京 芝1600 10人気 岡部幸雄 1:34.3 上り47.1映像
3 OPシルクロードS 京都 芝1600 3人気 松永昌博 1:35.8 上り47.0
1 道頓堀S 阪神 芝1600 6人気 武豊 1:36.5 上り48.6
12 鳴門S 阪神 ダ1800 4人気 武豊 1:52.4 上り50.6
4 橿原S 京都 ダ1800 4人気 武豊 1:51.0 上り50.0
4 羅生門S 京都 ダ1400 5人気 松永昌博 1:23.6 上り48.1
7 門松S 京都 ダ1400 2人気 松永昌博 1:23.4 上り48.4
14 サンタクロースH 阪神 ダ1800 7人気 松永昌博 1:54.2 上り51.8
5 ポートアイランドS 阪神 ダ1200 1人気 松永昌博 1:12.9 上り48.6
1 桃山特別 京都 ダ1400 3人気 松永昌博 1:24.5 上り48.3
3 天王山特別 京都 ダ1400 4人気 河内洋 1:24.9 上り48.3
1 4歳400万下 阪神 ダ1200 1人気 武豊 1:14.0 上り50.2
2 4歳400万下 京都 ダ1200 2人気 武豊 1:15.2 上り50.6
3 白梅賞 京都 ダ1200 3人気 武豊 1:13.9 上り49.4
2 4歳400万下 京都 ダ1400 4人気 武豊 1:26.3 上り49.6
1 3歳未勝利 阪神 ダ1200 1人気 武豊 1:14.7 上り51.1
2 3歳新馬 京都 ダ1400 2人気 武豊 1:26.7 上り51.7
5 3歳新馬 京都 ダ1200 3人気 武豊 1:17.3 上り53.5

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
バンブーメモリーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
モーニングフローリックGrey DawnHerbager
Polamia
Timely AffairBold Hour
Friendly Relations
マドンナバンブーモバリッズSing Sing
Musaka
ニンバスバンブーニンバス
ヤシマテンプル
STORY

旅程 — この馬の物語

1985年生まれの栗毛の牡馬。父モーニングフローリック、母マドンナバンブー。主な勝ち鞍は安田記念・スプリンターズS・スワンS。

浦河の竹と、栗東の名人

北海道浦河町に、バンブー牧場がある。建設会社を営んでいた竹田辰一が、馬を買うだけでなく生産もしてみたいと考え、1965年に買い取った牧場だ。生産した馬は自分たちの手で走らせる。だから所有馬にはみな「バンブー」の冠名が付く。1982年の東京優駿を勝ったバンブーアトラスも、ここで生まれた。 1985年5月14日、その牧場で栗毛の牡馬が生まれる。父モーニングフローリック、母マドンナバンブー。名はバンブーメモリーといった。 預けられた先は、栗東の武邦彦厩舎である。邦彦は、少し前まで騎手だった人だ。通算7679戦1163勝、重賞80勝。関西所属の騎手として初めて1000勝に届き、名人とも、ターフの魔術師とも呼ばれた。1985年2月に阪神で最後の騎乗を終え、二年後に自分の厩舎を開く。開業したのが1987年。同じ年、三男の豊が騎手になった。 バンブーメモリーが初めてゲートに入ったのは、その1987年11月14日である。京都のダート1200メートル、新馬戦。鞍上は豊で、結果は5着。二週間後の新馬戦で2着に上がり、12月27日、阪神の未勝利戦を勝った。 蹄が弱かった。芝を使えば脚元に響く。陣営はダートを選び続けた。四百万下と九百万下では、走れば必ず三着以内に来る。1988年3月に阪神の四百万下を勝ったあとは八か月ほど姿を消し、秋に戻り、二戦目の京都・桃山特別を勝つ。ところが、その上のクラスに上がると急に着順が落ちた。1989年の冬は門松ステークス7着、羅生門ステークス4着、橿原ステークス4着。3月の鳴門ステークスでは12着まで沈んだ。

「芝でも相当強いから」

1989年4月8日、阪神。芝1600メートルの道頓堀ステークス。デビューから十六戦目にして、この馬は初めて芝を走った。馬場は不良。結果は5馬身差の圧勝だった。乗っていたのは武豊である。 次のシルクロードステークスでは、豊にシヨノロマンへ騎乗する先約があった。バンブーメモリーの手綱は松永昌博に渡り、シヨノロマンが勝ち、バンブーメモリーは3着に入る。 そのあと、豊は父に進言した。「バンブーメモリーは芝でも相当強いから」[^1]。安田記念に登録しておけ、という意味である。邦彦は登録した。翌週の連闘だった。 ただし当日、豊は京都にいる。京阪杯でニホンピロブレイブに乗る約束が先に入っていた。東京へ運ばれるバンブーメモリーの鞍上は、岡部幸雄になった。

出典:Number Web「競走馬は連闘でこそ能力を発揮する!?安田記念注目の超良血馬と矢作師。」(島田明宏)2018年6月2日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/830964 、閲覧日:2026年8月3日。

五月十四日、稍重の東京

安田記念。十七頭立て。バンブーメモリーは十番人気だった。重賞を走ったことがなく、それまでの四つの勝ち鞍のうち三つはダートで、関東の競馬場に来たのもこの日が初めてだった。 ゲートが開く。前半が速い。二ハロン目に十秒九が刻まれ、先頭の一団は息を入れないまま向正面を通過していった。 バンブーメモリーは、そこにいない。三コーナーを回るとき、十七頭のうち十五番目。前には十四頭の背中があった。四コーナーを回ってもまだ十三、四番手。そのまま直線を向く。 ここから、この馬は最後の八百メートルを四十七秒一で走る。先頭で流れていたラップは、同じ区間で四十八秒五だった。一秒四の差が、東京の長い直線で、少しずつ目に見える形へ変わっていく。 直線だけで、前にいた十頭以上を抜き去った。四コーナーでバンブーメモリーの少し前にいたダイゴウシュールも、同じように後ろから伸びていた。その一馬身半前を、バンブーメモリーが先に通過した。 ダートで三つ、芝で一つ勝っただけの馬が、平成最初の安田記念を勝った。武邦彦にとっては、調教師としての重賞初勝利である。最初の重賞が、GIだった。

ハナ、という長さ

一か月後の宝塚記念は5着。勝ったのはイナリワンだった。大井から中央へ移ってきたばかりで、この年、天皇賞(春)と宝塚記念と有馬記念を勝ち、年度代表馬に選ばれる馬である。 この二頭は、遠い血縁だった。バンブーメモリーの四代母は神正という牝馬で、イナリワンの四代母も神正である。バンブーメモリーの三代母ヤシマテンプルは1947年生まれ、イナリワンの三代母ヤシマニシキは1948年生まれ。父はどちらもセフト、母はどちらも神正――つまり全姉妹にあたる。その姉妹の血を引く二頭が、阪神の同じレースを走っていた。 7月の高松宮杯は2着。中京の芝2000メートルで、メジロアルダンに屈した。マイルより四百メートル長い距離である。秋の初戦は京都のスワンステークス。五十九キロを背負い、イーグルシャトーを突き放して勝った。重賞は二つ目になった。 11月19日、京都。マイルチャンピオンシップ。 オグリキャップが出てきた。三週間前の天皇賞(秋)でスーパークリークに差され、2着に敗れたばかりの馬である。単勝1.3倍の一番人気。バンブーメモリーは4.0倍の二番人気で、鞍上は武豊に戻っていた。 道中、オグリキャップは五番手を進んだ。バンブーメモリーは三馬身ほど後ろから、離れずに見ている。三コーナーの下り坂でオグリキャップの手応えが怪しくなり、同じ場所で、バンブーメモリーは馬なりのまま先行集団へ取りついた。 直線、残り三百メートル。バンブーメモリーが外から抜け出す。決まったように見えた。 そこへ、内のラチ沿いからオグリキャップが上がってくる。二頭はゴール板の直前で首を並べ、そのまま通過した。写真判定。ハナ差でオグリキャップ。時計はどちらも1分34秒6だった。 のちにこの一戦は死闘と呼ばれ、大激闘と書かれ、マッチレースと形容されるようになる。ただし、そう語られるとき、主語はたいていオグリキャップのほうである。 一週間後、二頭はそろって連闘でジャパンカップへ向かった。バンブーメモリーは13着。勝ったのはニュージーランドから来たホーリックスで、2着がオグリキャップだった。この年のJRA賞で、バンブーメモリーは最優秀スプリンターに選ばれた。

引っ張る馬

1990年は、出走取消から始まった。1月5日の金杯に登録したものの、体調が戻らず、ゲートには入っていない。 4月の京王杯スプリングカップは一番人気で5着。5月の安田記念は6着で、勝ったのはオグリキャップ。6月の宝塚記念も6着。連対すら遠い春だった。 夏、中京の高松宮杯を勝つ。芝2000メートルである。短距離馬と呼ばれ始めていた馬が、マイルより長い距離の重賞を、一番人気に応えて勝った。 秋は毎日王冠5着、天皇賞(秋)3着。勝ったのはヤエノムテキ。そしてマイルチャンピオンシップでは単枠指定――抜けた人気馬を一頭だけの枠に入れる、当時の措置――を受けるほど支持されながら、パッシングショットの追い込みに屈し、二年続けての2着に終わった。 この馬は、走りたがった。道中でいつも行きたがる。武豊はそれを気性の悪さとは見ていない。「こいつ、自分の足が速いことを知っていて、それを見せたくていつもウズウズしているんです」[^1] 引く力は相当なもので、調教ではその癖のまま栗東の調教レコードを二度出している。またがっていたのは、馬を御することに定評のあった河内洋だった。短距離戦では長手綱でハミを外しながら乗る。それが陣営の出した答えである。

出典:Number Web「競走馬は連闘でこそ能力を発揮する!?安田記念注目の超良血馬と矢作師。」(島田明宏)2018年6月2日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/830964 、閲覧日:2026年8月3日。

一枠一番、十二月の中山

12月16日、中山。スプリンターズステークスは、この年からGIになった。芝1200メートルの一戦に初めてGIの格が付いた回である。バンブーメモリーは一枠一番、いちばん内から出た。晴れ、芝は良。 ラップが異常だった。11秒7、10秒2、10秒5。前半三ハロンで32秒4である。逃げたダイワダグラスを先頭に、前の一団が緩まないまま坂を下っていく。 バンブーメモリーは、その後ろの十一、二番手にいた。四コーナーでも十番手あたり。前を十頭近い馬が塞いでいる。 直線、中山の急坂。坂下から馬群をさばき、割って出た。残り百メートルを切って先頭に立つと、そのまま後続を突き放す。 1分7秒8。日本レコードだった。2着ルイテイトに1馬身半。レースの上がり三ハロン――最後の六百メートル――が35秒4だったのに対し、この馬自身は34秒5で上がっている。あれだけ速い流れの、その後半を、なお最も速く走っていた。 調教師の邦彦と、騎手の豊。父と息子の組み合わせでGIを勝ったのは、これが最初である。バンブーメモリーは初代電撃王と呼ばれ、二年続けて最優秀スプリンターに選ばれた。

私の夢は

1991年の京王杯スプリングカップは一番人気で4着。5月の安田記念も一番人気に推されたが、直線で馬群をさばききれず3着に終わった。勝ったのはダイイチルビー、2着はダイタクヘリオス。その2着とはクビ差だった。 6月9日、京都の宝塚記念。鞍上は岸滋彦。 その日、関西テレビの実況席にいた杉本清は、毎年使ってきた一節を今年はやめるつもりでいた。ところがゲートが開いた瞬間、口が勝手に動く。今年もあなたの、そして私の夢が走ります――言ってしまってから収まりをつけようとして、あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか、と続け、その勢いで、私の夢はバンブーです、と口にした。実況者が自分の本命を言う。前代未聞だった。 バンブーメモリーは十頭立ての10着。最下位である。 翌週、杉本は栗東の厩舎へ行って愚痴をこぼした。邦彦は馬の世話をしながら答えたという。「走らんかったね」[^1] そこからは戻らなかった。6月のCBC賞は一番人気で9着。秋も毎日王冠6着、スワンステークス8着。11月17日のマイルチャンピオンシップ8着が、最後の一戦になった。12月8日、阪神競馬場で引退式が行われている。 種牡馬としての十三年は静かだった。血統登録された仔は三十八頭。それでも地方競馬の重賞を勝つ産駒を二頭出している。四つ下の半弟バンブーゲネシスは、牧場のダービー馬バンブーアトラスを父に持ち、兄と同じ武邦彦厩舎から出て、1994年のマーチステークスを勝った。中山のダート1800メートル。兄が長く走っていたダートである。 2005年、種牡馬を退いて浦河へ帰る。2014年8月7日、生まれた牧場で老衰のため死んだ。二十九歳だった。武邦彦が世を去るのは、その二年後の同じ八月である。騎手として八十の重賞を勝った人が、調教師としても十八を勝った。その最初のひとつが、ダートを回っていた馬で獲った安田記念だった。

出典:ウィキペディア日本語版「杉本清」(実況の文言および武邦彦の応答の初出は杉本清の著書)、https://ja.wikipedia.org/wiki/杉本清 、閲覧日:2026年8月3日。

海を背にして

杉本の夢は外れた。局では叱られ、翌年は口をつぐんだ。すると今度は、なぜ私の夢を言わないのか、という苦情が殺到する。以来「私の夢」は宝塚記念の恒例になり、四十五年以上、その夢が当たったことは一度もないという。当たらないから続いている一行なのだ。そしてその最初の一頭が、最下位に沈んだこの馬だった。 全盛のころ、競馬場の大型映像で安田記念の有力馬を紹介する映像が流れたことがある。ほかの馬はみな、調教で走る姿だった。この馬だけが、海を背にして、顔だけをカメラへ向けていた。 記憶という語を名に負った馬である。四十五年当たらない一行も、ハナ差で終わった数分も、中山の坂を割った暮れの数十秒も、いまは全部、見ていた人たちの側にある。残っているのは、海を背にしてこちらを見ている、あの一場面だ。

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