名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ビコーペガサスのイメージビジュアル
ビコーペガサスBiko Pegasus
Biko Pegasus

ビコーペガサス

通算成績27戦4勝

獲得賞金35,785万円

生年月日 1991.02.08(平成3年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ビコーペガサスの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
13 GI安田記念 東京 芝1600 14人気 上村洋行 1:40.4 上り39.0映像
6 GI高松宮記念 中京 芝1200 12人気 上村洋行 1:09.7 上り34.9映像
11 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 9人気 上村洋行 1:35.4 上り35.9
6 GI安田記念 東京 芝1600 10人気 横山典弘 1:34.4 上り34.9映像
10 GI高松宮杯 中京 芝1200 2人気 横山典弘 1:08.9 上り35.1
2 GIIIシルクロードS 京都 芝1200 3人気 上村洋行 1:07.6 上り33.4
4 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 5人気 武豊 1:36.8 上り36.9映像
7 GIスプリンターズS 中山 芝1200 2人気 的場均 1:10.2 上り36.2映像
9 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 2人気 的場均 1:34.3 上り35.6映像
2 GIIスワンS 京都 芝1400 8人気 的場均 1:19.3 上り34.2
5 GI安田記念 東京 芝1600 8人気 的場均 1:33.6 上り35.2映像
2 GI高松宮杯 中京 芝1200 4人気 横山典弘 1:07.8 上り34.2
3 GIIIダービー卿チャレンジ 中山 芝1600 2人気 武豊 1:33.5 上り35.0
2 GIスプリンターズS 中山 芝1200 2人気 横山典弘 1:08.3 上り34.7映像
4 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 1人気 武豊 1:34.0 上り35.0映像
1 GIIIセントウルS 京都 芝1400 3人気 武豊 1:21.2 上り34.8
12 GIII阪急杯 京都 芝1400 1人気 上村洋行 1:21.2 上り35.4
4 GI安田記念 東京 芝1600 10人気 的場均 1:33.4 上り34.6映像
7 OP栗東S 京都 ダ1400 2人気 上村洋行 1:23.7 上り36.5
2 GIスプリンターズS 中山 芝1200 5人気 的場均 1:07.8 上り34.5映像
5 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 5人気 的場均 1:33.8 上り34.7映像
7 GIIスワンS 阪神 芝1400 3人気 上村洋行 1:21.0 上り35.8
2 GIII中日スポーツ賞4歳S 中京 芝1800 1人気 上村洋行 1:48.9 上り35.6
3 GIINZT4歳S 東京 芝1600 2人気 上村洋行 1:35.9 上り34.2
1 GIII京成杯 中山 芝1600 3人気 的場均 1:33.9 上り35.4
1 さざんか賞 阪神 ダ1400 1人気 上村洋行 1:26.4 上り38.3
1 3歳新馬 京都 ダ1200 1人気 上村洋行 1:12.9 上り36.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ビコーペガサスの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
DanzigNorthern DancerNearctic
Natalma
Pas de NomAdmiral's Voyage
Petitioner
CondessaCondorcetLuthier
Pan American
VarinessaVarano
Silken Princess
STORY

旅程 — この馬の物語

1991年生まれの鹿毛の牡馬。父Danzig、母Condessa。主な勝ち鞍は京成杯・セントウルS。

十万五千ドル

1993年のバレッツ二歳セール。カリフォルニアの競り市に、一頭の小さな鹿毛が出た。父はDanzig。落札額は十万五千ドルで、これはその父の種付け料とほとんど変わらない値段だった。 血が安かったわけではない。母Condessaはヨークシャーオークスを勝った英国のGI馬で、アイルランドのオークスでも二着に入っている。安く買えた理由は馬体のほうにあった。小さかったのだ。この馬の馬体重が四百四十二キロを超えた日は、生涯で一度もない。加えて、脚が曲がっていた。 ケンタッキーで生まれた馬は日本へ渡り、栗東の柳田次男厩舎に入った。馬主は(有)レジェンド。ビコーの名を冠した馬を走らせていた馬主で、この一頭はビコーペガサスと呼ばれることになる。 母は日本にも縁を残した。Condessaの娘たちは繁殖牝馬として多くが日本へ渡っている。半姉Valiraの孫がCBC賞を勝ったシンボリグラン、妹Condescendanceの牝系からは、2023年に牝馬三冠を制したリバティアイランドが出た。 デビューは1993年11月6日、京都のダート1200メートル。手綱を取ったのは、柳田厩舎に所属する二年目の若手、上村洋行だった。二十歳である。単勝3.8倍の一番人気に応え、二着に九馬身をつけて勝った。年末のさざんか賞も上村が乗り、のちにダートの頂点へ登るライブリマウントを五馬身ちぎった。ダートを二度使って、二度とも、二着馬をはるか後ろに置いた。

八頭立ての一月

1994年1月9日、中山。三戦目に選ばれたのは京成杯だった。芝を走るのは初めてで、鞍上は的場均に替わる。八頭立ての一番人気は、前年の阪神三歳牝馬ステークスを五馬身差で圧勝したヒシアマゾン。ビコーペガサスは三番人気だった。この日の馬体重は四百二十二キロだった。 結果は、小さいほうが二馬身先にゴールした。 ヒシアマゾンはこの年、クイーンカップからエリザベス女王杯まで勝ち続ける。暮れまでに彼女へ先着したのは、一月のビコーペガサスと、有馬記念のナリタブライアンだけだった。 デビューから三連勝。ところが、そこで骨折する。 復帰は六月のニュージーランドトロフィー四歳ステークス。上村が乗って三着に終わり、勝ったのは、京成杯で先着を許したヒシアマゾンだった。翌月の中日スポーツ賞四歳ステークスは単勝1.2倍に推されて二着。勝ち切れない、という言葉が、このあたりから名前に貼りついていく。 秋は古馬に混じってスワンステークス七着、マイルチャンピオンシップ五着。そして12月18日、中山のスプリンターズステークスを迎えた。 この日の前半三ハロン(最初の600メートル)は32秒4。1200メートルの競馬としても異常な速さだった。三コーナーでビコーペガサスは十一、二番手。四コーナーを回ってもまだ十番手あたりにいる。前が壊れるのを待って、直線だけで二着まで押し上げた。 勝ったのはサクラバクシンオー。好位から抜け出して1分7秒1のレコードを刻み、それを最後の一走として引退していった。四馬身後ろの二着に、四百三十キロの名前が残った。

京都に降る雨

1995年、年が明けてまた骨折した。 春は三戦。栗東ステークス七着、安田記念四着、阪急杯は一番人気を裏切って十二着に沈んだ。放牧に出された。 この年、阪神競馬場は使えない。一月の震災で被災し、暮れの開催まで京都と中京が肩代わりしていた。だから10月1日のセントウルステークスは、本来の阪神ではなく京都の芝1400メートルで行われている。雨が降り、馬場は稍重だった。 鞍上は武豊。この馬に乗るのは初めてである。馬体重は十キロ増えて四百三十キロ、三番人気。一番人気は、同じバレッツの競りから来たエイシンワシントンだった。 最後の600メートルを34秒8。十六頭のなかでいちばん速い脚だった。一馬身半突き放して、ビコーペガサスは一年九か月ぶりに勝った。エイシンワシントンは五着に終わっている。 生涯二つ目の重賞は、地面が入れ替わった年の、代役の競馬場で手に入った。続くマイルチャンピオンシップでは一番人気に推されたが、トロットサンダーの四着。届く日と届かない日が、交互に来た。

三十四秒七

12月17日、中山。晴れ。芝は良。 この日の馬体重は、ヒシアケボノが五百六十キロ、ビコーペガサスが四百三十二キロ。同じ1200メートルを走るために、百二十八キロ違う体がゲートへ向かった。同じ勝負服がもう一つ、ビコーアルファーの背にもある。 ゲートが開く。二本目のハロンが10秒0で刻まれた。1200メートルで前がこの速さを踏むと、たいてい終いは壊れる。 ビコーペガサスは動かない。三コーナー、九番手から十二番手のかたまりのなかにいる。ヒシアケボノは七、八番手。二頭のあいだには四、五頭ぶんの馬群がある。 四コーナー。前でつくられた無理が剥がれはじめ、隊列が縦に伸びた。ヒシアケボノが五、六番手へ上がる。ビコーペガサスも七番から九番の位置まで押し上げた。二頭とも同じだけ前に出た。差は、そのままだ。 中山の直線は短く、坂がある。前で無理をした馬たちが次々に下がる。二頭はそれを一頭ずつ抜いていった。五百六十キロが先に抜け出し、四百三十二キロがそれを追った。 ゴール。1分8秒1と、1分8秒3。一馬身と四分の一。 最後の600メートルにかかった時間は、二頭とも34秒7だった。十分の一秒まで同じである。つまり、最後の六百メートルに入った時点の一馬身四分の一は、そこからゴール板まで、ひとつも縮まらなかったことになる。 追い込みというのは、前が止まるのを待つ脚質だ。この日、前にいたのは百二十八キロ重い馬で、その馬は止まらなかった。 二年続けて、同じレースの二着だった。

三たび

1996年、中京の高松宮杯が1200メートルのGIになった。 四月のダービー卿チャレンジトロフィーを武豊で三着に走ったあと、五月19日、ビコーペガサスは十三頭立ての四番人気でそこに入った。一番人気はヒシアケボノ。二番人気は武豊を乗せたナリタブライアンで、三冠馬が短距離へ矛先を向けた一戦として知られている。 この日の彼は前にいた。三コーナー通過、四番手。追い込み一手と言われた馬が、めずらしく前めの位置で流れに乗っている。ところが四コーナーで、フラワーパークが先頭に立った。ビコーペガサスは四、五番手からそれを追い、最後の600メートルを34秒2で伸びる。前の34秒1には、あと一歩届かなかった。 1分7秒4のレコード。二馬身半差の二着。三着ヒシアケボノ、四着ナリタブライアン。三冠馬より前でゴール板を過ぎても、GIの一着だけがまた向こう側にあった。三度目の二着である。 六月の安田記念は直線で前が狭くなる場面があり五着。秋はスワンステークスをわずかな差で取りこぼし、マイルチャンピオンシップは九着だった。 12月15日、中山。二番人気。三コーナーで七、八番手。ここまではいつもの位置取りだった。ところが四コーナーの通過順位は、十、十一番手に落ちている。三コーナーから四コーナーまでのあいだに、三つ下がっている。 前を走っていたニホンピロスタディが右寛跛行を発症していた。三コーナーで三、四番手にいたその馬は、四コーナーではビコーペガサスと並ぶところまで下がり、最後の直線で競走を中止している。逃げ場を失った側は、そこでレースから切り離された。七着。 勝ったのはフラワーパーク。春に彼が二着した相手が、そのまま春と秋を続けて獲った。

不良の日

1997年、フェブラリーステークスがJRA初のダートGIになった。三年ぶりにダートへ戻り、武豊を背にして四着。四月のシルクロードステークスでは、日本レコードで駆けたエイシンバーリンの二着に入っている。このとき使った最後の600メートルは33秒4で、生涯でいちばん速い脚だった。負けても、脚はまだあった。 そこから先は、届かない側に居続けた。高松宮杯十着、安田記念六着。1998年は阪神のマイラーズカップで十一着、五月の中京で六着。 6月14日、東京。雨で不良馬場になった安田記念に、ビコーペガサスは十四番人気で出走した。鞍上は上村洋行。1993年11月に京都のダートで九馬身ちぎった日と、同じ人である。 GIでの二着は三度あり、その手綱はいずれも的場均か横山典弘が握っていた。京成杯を勝たせたのは的場、セントウルステークスを勝たせたのは武豊。上村は大舞台の外側にいることが多かった。それでも最後の一年、三戦すべてに乗ったのは上村である。 1分40秒4で十三着。勝ったのはタイキシャトルだった。二十七戦目にして、最後の一走になった。

届いた人

1999年から種牡馬になった。初年度は種付け料を取らずに牝馬を集めたが、二年目からは毎年十頭に届かなかった。2001年に腰を骨折して一年休み、以後はほとんど産駒を送り出せていない。2006年のシーズンを最後に種牡馬を退き、功労馬を預かる施設へ移った。 2008年10月5日、中山競馬場、スプリンターズステークス。スリープレスナイトという牝馬が一番人気に応えて勝った。鞍上は上村洋行。GIに乗るのは四十回目で、勝ったのは初めてだった。目の病を抱えたまま乗り続け、三度の手術で視力を取り戻したあとの一勝である。 彼がデビュー戦と引退戦の手綱を取った馬は、このレースで二度二着になり、一度は目の前で他馬に故障が出て弾き出された。ついに一着の欄へ名前の入らなかった一戦だった。その十月、ビコーペガサスはまだ生きている。十七歳になっていた。 2019年6月11日、二十八歳で死んだ。競りにかけられた日から二十六年、最後の一走から二十一年が経っていた。最後の六百メートルを三十四秒七で走った四百三十二キロの体のことは、どの血統表にも書かれない。書かれないまま、あの坂は残った。デビュー戦で彼の背にいた男が、あの十二月から十三年後、同じ坂を先頭で通り抜けている。

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