名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ビワハヤヒデのイメージビジュアル
ビワハヤヒデBiwa Hayahide
Biwa Hayahide

ビワハヤヒデ

通算成績16戦10勝

獲得賞金81,769万円

生年月日 1990.03.10(平成2年)毛色 芦毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ビワハヤヒデの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
5 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 岡部幸雄 1:59.1 上り35.1映像
1 GIII産経賞オールカマー 中山 芝2200 1人気 岡部幸雄 2:14.5 上り35.4
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 1人気 岡部幸雄 2:11.2 上り35.0映像
1 GI天皇賞(春) 阪神 芝3200 1人気 岡部幸雄 3:22.6 上り36.5映像
1 GII京都記念 阪神 芝2200 1人気 岡部幸雄 2:16.8 上り37.0
2 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 岡部幸雄 2:31.0 上り35.3映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 1人気 岡部幸雄 3:04.7 上り34.5映像
1 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 1人気 岡部幸雄 2:02.9 上り35.0
2 GI東京優駿 東京 芝2400 2人気 岡部幸雄 2:25.6 上り36.3映像
2 GI皐月賞 中山 芝2000 2人気 岡部幸雄 2:00.3 上り35.4映像
1 OP若葉S 中山 芝2000 1人気 岡部幸雄 2:00.9 上り35.7
2 GIII共同通信杯4歳S 東京 芝1800 1人気 岸滋彦 1:48.7 上り34.9
2 GI朝日杯3歳S 中山 芝1600 1人気 岸滋彦 1:35.5 上り35.5映像
1 GIIデイリー杯3歳S 京都 芝1400 1人気 岸滋彦 1:21.7 上り46.5
1 OPもみじS 京都 芝1600 1人気 岸滋彦 1:34.3 上り47.5
1 3歳新馬 阪神 芝1600 2人気 岸滋彦 1:38.3 上り47.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ビワハヤヒデの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
シャルードSharroodCaroフォルティノ
Chambord
Angel IslandCougar
Who's to Know
パシフィカスPacificusNorthern DancerNearctic
Natalma
Pacific PrincessDamascus
Fiji
STORY

旅程 — この馬の物語

1990年生まれの芦毛の牡馬。父シャルード、母パシフィカス。主な勝ち鞍は菊花賞・天皇賞(春)・宝塚記念。

福島で生まれた持込馬

母パシフィカスは1990年、イギリスのニューマーケットのセリで、日本から来ていた早田光一郎に落札された。腹には、当時まだ無名だった種牡馬シャルードの仔がいた。日本へ運び、北海道の牧場で産ませる算段だった。ところが検疫の許可がなかなか下りない。好況で欧米から繁殖牝馬が続々と輸入され、順番が詰まっていたのである。成田に着いたときには、もう産み月が目の前だった。牝馬は急ぎ福島の本場へ移され、3月10日、そこで牡の仔が生まれた。イギリスからの持込馬であり、戦後では数少ない福島県産の競走馬になった。 名は、馬主・中島勇の冠名「ビワ」に、速さに秀でよという願いを重ねてビワハヤヒデ。母系をたどっても父系をたどっても、この名を説明する言葉は出てこない。ハヤは生産者・早田牧場の早だともいわれる。願いと、育った場所と、それだけでできた名前だった。 その年の秋、中島に頼まれて当歳のこの仔を見に行ったのが、栗東の調教師・浜田光正である。第一印象はよくなかった。身体ができておらず、頭が大きく、脚が太い。規格から外れている、と後に語っている。それでも預かる気になったのは血統だった。母の父にノーザンダンサーを持つ繁殖牝馬は、当時の日本にそう多くない。 翌年の秋、この馬は牧場の柵に激突する。右前脚の膝下を、木で10センチほどえぐられた。傷は腱の手前1センチで止まっていた。あとわずかずれていれば、走る馬にはなれなかった。浜田はこの一件で、運の強い馬だと思ったという。 1992年の春、栗東の浜田厩舎に入る。同じ日に入った僚馬ビワミサキのほうが期待されていた。そのビワミサキの追い切り相手に、浜田はビワハヤヒデを付ける。1秒は離されるだろうと踏んでいた。ところが何度も鞭を入れられながら食らいついて離れない。根性のある馬だ、これはデビュー戦が楽しみだ。浜田は見方を改めた。 9月13日、阪神の芝1600メートル。鞍上は岸滋彦。2番人気で勝ち上がった。10月のもみじステークス、11月のデイリー杯3歳ステークスと連勝し、どちらも時計はレコードだった。3戦3勝で、暮れの中山へ向かう。 朝日杯3歳ステークスは単勝1.3倍。中団から3、4番手まで押し上げ、直線で先頭に立った。だが残り100メートル、坂で加速したエルウェーウィンに交わされる。鞍上は南井克巳。もつれるようにゴールへ飛び込んで、ハナ差の2着だった。 このレースで5着に入ったニホンピロスコアーには、岡部幸雄が乗っていた。半年後にこの馬の手綱を握る男は、この日はまだ、3頭うしろにいた。

鞍を降ろす側の男

1993年、ダービーを見据えて東京の共同通信杯4歳ステークスへ向かう。単勝1.3倍。中団で進んだが、直線で進路を探すうちに追い出しが遅れた。終いに迫って、それでも粘るマイネルリマークを捉えきれない。またしても2着だった。 浜田はこの敗戦を重く見ていなかった。調整の途中でもあった。だが馬主の中島は納得しない。騎手を替えてほしい、と言う。浜田は3度にわたって話し合い、岸の責任ではないと引き止めた。中島の意志は動かなかった。 浜田は栗東の厩舎の応接間に岸を呼び、自分の口で事情を伝えた。人づてにしなかった。岸はのちに、あれは完全な油断負けだった、相手を軽く見てはいけないとこの馬に教わった、負けたのだから降ろされる覚悟はしていた、と述懐している。23歳だった。 鞍を取り上げる側に回った浜田自身、かつては騎手を志した人間である。1951年のダービーを、父の友人だった馬主に招かれて見た。トキノミノルが勝ったあの一戦が原点で、18で騎手見習いになった。免許を取って2年、2勝を挙げたところで肺と腎臓を病んで入院する。1年かけて治したが、免許の更新は認められなかった。調教助手に転じ、いちど免許を取り直したものの、身体がもたないと悟ってまた助手に戻る。騎手としての生涯成績は47戦2勝。それから長く助手を務め、9度目の受験で調教師試験に受かった。厩舎を開いたのは1984年、40代の半ばだった。 後任に浜田が推したのは武豊である。中島は退けた。キャリアが浅くて危ない、ベテランを、と。そこで名指しされたのが岡部幸雄だった。世界の競馬を知っていて、東京も中山も知り尽くしている、というのが理由である。ところが浜田も中島も岡部と面識がない。代理人を通した最初の依頼は、面識がないという理由で断られた。関西の馬をそこまでして関東の騎手に頼まなくてもいいではないか、という声も上がった。それでも中島は直接、粘り強く頼み続ける。岡部はやがて、三顧の礼に応える形で承知した。 もっとも当の岡部は、この馬を早熟のマイラーではないかと見ていた。クラシックでは、朝日杯で自分が乗ったニホンピロスコアーのほうに期待していた。一度乗って感触を確かめる、その程度の引き受け方だったという。 3月の若葉ステークスは8頭立て。3番手から4コーナー手前で先頭に並びかけ、直線で抜け出した。岡部は鞭を使わずに2馬身をつける。もう少し厳しいレースをさせたかった、というのがレース後の言葉である。この直後、岡部が乗る予定だった有力馬が相次いで故障した。コンビは続くことになった。

クビ差と、半馬身

皐月賞は18頭立ての大外18番から。2番人気。先行集団を見ながら6番手あたりで脚をため、最終コーナーで2番手まで押し上げた。直線の半ば、伸びあぐねるウイニングチケットを尻目に抜け出す。勝ったと言える形だった。そこへ大外から一頭が飛んできた。ナリタタイシン。鞍上は武豊である。ゴール直前、クビ差でかわされた。 浜田は後年、あっけにとられて呆然としたと振り返っている。坂の上でウイニングチケットを競り落とし、手の中に入ったと思ったものが、そのままこぼれ落ちた。しかも負かした相手に乗っていたのは、自分が推して、結局は乗せられなかった騎手だった。皮肉なものだ、と浜田は言った。 5月30日、ダービー。1番人気ウイニングチケット、2番人気ビワハヤヒデ、3番人気ナリタタイシン。単勝オッズは3倍台から4倍のあいだに3頭が並び、どれが勝ってもおかしくない構図になった。3頭とも中団から後方に置かれる。 第3コーナー手前から4コーナーにかけて、岡部は荒れた内側を避けて外へ持ち出した。すぐ後ろにいた柴田政人は、他馬が空けた内の最短距離をそのまま突いて、一気に先頭へ出る。直線、ビワハヤヒデは前を行くウイニングチケットを追いかけた。差はじりじり詰まった。詰まりきらなかった。半馬身。 岡部は瞬発力の差だと言った。内は荒れていて入る自信がなかったとも言った。そのうえで、力は出し切った、勝った馬が強すぎたと、養成所の同期である柴田の初めてのダービーを称えている。浜田は別のところを見ていた。大欅の手前で外へ出したところ、前にいたドージマムテキが急に失速して下がってきた。せっかく外に出したのに、また内へ入らざるを得なかった。あの300メートルが痛かった、と。 春の二冠は、2着と2着。浜田は環境の変化で食欲が落ちていただけで力負けではないと言い張った。それでも紙面には勝負弱いと書かれ、距離の持たないマイラーだと書かれた。ダート馬ではないかと書いた社まであった。

坂路、三本

夏、有力馬の多くは放牧に出る。ビワハヤヒデは栗東に残った。 浜田が考えていたのは切れ味のことだった。ウイニングチケットにもナリタタイシンにも、直線で置いていかれる脚がある。あれは後から付けられるものなのか。前年、無敗で皐月賞とダービーを勝ったのはミホノブルボンで、あの馬は坂路で作られた。作った戸山為夫は、この年の5月に亡くなっていた。 浜田は、週6日で坂路2本という調教を、水・金・日は3本に増やした。ビワハヤヒデは苦しがった。3本目の前に馬場入りを嫌がって動かなくなる日もあった。それでも続けるうちに時計が目に見えて上がりはじめる。馬体はがっしりと厚みを増していった。 外したものもある。物音に怯えるところがあり、この馬はデビュー以来ずっと、耳覆いの付いた赤いメンコ——馬の顔にかぶせる覆面をつけていた。外の音を聞かせて勝負に敏感にさせよう。浜田と岡部は話し合ってそう決めた。耳の部分に少しずつ穴を開け、2週間かけて完全に取り去った。 秋初戦の神戸新聞杯が、素顔での初めての出走になった。好スタートから先頭に立ったネーハイシーザーを見る位置につけ、直線で岡部の鞭に反応する。残り150メートルで交わし、1馬身半。菊花賞で1番人気に推されたのは、この年初めて、ウイニングチケットではなくこの馬だった。

三千メートルの三十四秒五

11月の京都。ゲートが開いて、ビワハヤヒデは3番手に落ち着いた。 前を行く馬は急がない。淀の坂を一周目に上って下り、隊列が落ち着いたころ、流れはさらに緩んだ。1ハロン(200メートル)の刻みが13秒台へ伸びる。長距離戦でここが緩むと、たいていの馬は息を入れて楽になる。楽になった馬は、そのぶん直線で脚を残せる。 だがこの日、緩んだその地点から動きはじめた馬がいた。岡部は第3コーナーにさしかかるあたりで、もう前へ進出を始めている。ゴールまでには、まだコーナーを二つと直線が残っていた。 京都の第3コーナーは下り坂である。隊列は押し出されるように速くなり、ラップは13秒台から12秒台へ、さらに12秒を切りにかかる。ふつうは、この加速に付き合った馬が直線で止まる。4コーナーを回ったとき、ビワハヤヒデはもう先頭の隣にいた。 直線に坂はない。平らな400メートルだけが残っている。前をふさぐものが無くなってから、この馬はさらに加速した。ラップの最後の3つには、11秒台が3つ並ぶ。3000メートルを走り終えようとしている馬の刻む数字ではなかった。 ゴールしたとき、2着のステージチャンプは5馬身うしろにいた。前年、同じ京都の3000メートルでライスシャワーが作った日本レコードを、この馬は0秒2削っていた。最後の600メートルにかかった時間は34秒5。菊花賞という競走が始まって以来、いちばん速い数字だった。 浜田にとっても中島にとっても、これが初めてのGIだった。厩舎を開いて10年目である。涙は出なかった、とにかく嬉しかった、やるべきことは全部やって、その結果が出ただけだ。浜田はそう振り返っている。

一年の終わりの半馬身

暮れの有馬記念。ファン投票の1位に選ばれた。GIを勝った馬が8頭そろったなかで、古馬と初めて走るこの4歳馬が1番人気に推される。 逃げるメジロパーマーのすぐ後ろ、2番手。菊花賞と同じく、直線の入口で先頭に立った。残り200メートル、手応えのいい一頭が並んでくる。トウカイテイオー。1年ぶりの出走だった。半馬身、届かない。 岡部は前年までトウカイテイオーの主戦を務めていた。自分の思いどおりの競馬をして、勝ちパターンに持ち込んで、それで負けた。テイオーに負けたのは仕方がない、来年はお返ししないと。そう言った。浜田の悔しがり方はもっと具体的だった。田原にうまく乗られた、ハヤヒデが通ったところをそのまま抜けてこられた、この馬の後ろにいれば前が開くのは分かっていたのだ、と。 年が明けてJRA賞。菊花賞のタイトルと、GIでの3度の2着。その安定が評価され、ヤマニンゼファーを抑えて年度代表馬に選ばれた。この程度の成績で年度代表馬か、という声も出た。同じ表彰で最優秀3歳牡馬に選ばれたのは、朝日杯を勝った半弟のナリタブライアンである。

兄貴も強い

2月の京都記念は、京都競馬場が改修中のため阪神で行われた。59キロを背負い、稍重の馬場で、2着に7馬身をつける。この日、岡部幸雄は中央競馬で史上初めて重賞100勝に到達した。 その翌日、弟が共同通信杯を勝った。兄弟が二日続けて重賞を勝ったことになる。 天皇賞(春)も阪神だった。単勝1.3倍。スローペースに掛かる素振りを見せながら、直線で抜け出す。追い込んでくるナリタタイシンを待ってから改めて仕掛け、1馬身あまり。前の週、弟がレコードで皐月賞を勝っていた。関西テレビの実況席で、杉本清はゴール前、「弟ブライアンに次いで兄貴も強い」と伝えた[^1]。気の早い報道が三冠だ三冠だと弟一色に傾いていくのを見て、いや兄も強いのだと言いたくなった。後にそう説明している。 続く宝塚記念は5馬身差だった。2分11秒2は、芝2200メートルの日本レコードである。この日の14頭のなかにイイデライナーがいた。鞍上は岸滋彦。1年半前、この馬でGIのハナ差2着を味わった男である。 その2週間前、弟はダービーを5馬身差で勝っていた。兄が春に3つ勝ち、弟が春に二冠を取る。暮れの有馬記念で、兄弟が同じゲートに入るかもしれない。期待はそこへ向かって膨らんでいった。

出典:カンテレ競馬【公式】「「弟ブライアンに次いで兄貴も強い!」1994年 天皇賞(春)GⅠ ビワハヤヒデ 実況:杉本清」、https://www.youtube.com/watch?v=q5pNxnx8_eE 、閲覧日:2026年8月3日。

四百七十キロ

その夏は記録的な猛暑だった。この年も栗東に残り、馬房の前には氷が吊された。 秋の予定が発表される。オールカマー、天皇賞(秋)、有馬記念。ジャパンカップは使わない。理由を浜田はこう説明した。去年の有馬記念は悔しかった。順調にいけば有馬で弟とぶつかる。だからそこを秋の頂点に置きたい。ジャパンカップと有馬の両方を万全の体調で迎えるのは、最近の傾向を見ていると難しい。 批判が出た。勝負付けの済んだ相手と走って、未知の強豪から逃げているのではないか。作家が競馬の広報誌に抗議文を寄せ、国際欄のライターは回避を「退散」と書いた。同じ誌が読者に意見を募ると、回避に賛成が半分近く、そもそもファンが口を出すことではないというのが4分の1、反対が2割あまりだった。回避を望んだのは馬主のほうだったと、浜田は後に明かしている。昔の賞典競走だから、昔の人間には天皇賞が大きいのだ、と。 オールカマーは勝った。有馬記念以来の対戦となったウイニングチケットに1馬身3/4をつけている。それでも浜田の顔は晴れない。470キロ。478、悪くても476で走らせるつもりだった馬体が、8キロ足りなかった。ゴール後の岡部の表情も沈んでいた。 天皇賞までの調教で体重は戻らなかった。10月30日、東京。馬体重は前走と同じ470キロ。単勝1.5倍。 いつもどおり先行した。第3コーナーでも4コーナーでも3番手にいる。位置取りは悪くない。ただ、一度も先頭に立たないまま直線が終わった。勝ったネーハイシーザーから0秒5差の5着。デビューから15戦、この馬は一度も2着以内を外していなかった。16戦目で、それが途切れた。15という数字は、シンザンに次いで中央競馬で二番目に長い連続連対の記録である。 引き上げる途中、岡部は下馬した。ビワハヤヒデは馬運車に乗せられて競馬場を出た。左前脚の屈腱炎、全治1年以上。柵の事故で傷を負い、浜田に強運だと言わせたのは右前脚だった。壊れたのは、反対の脚である。跨った瞬間からいつもと違うと感じた、と岡部は言った。道中に脚の異常は感じなかったが反応がひどく悪かった、ボキッといかなかっただけよかった、とも。浜田の言葉は短い。ハヤヒデは鋼鉄でできてはいないとは言っていたが、やはり馬は馬か。これでハヤヒデ神話は終わったわ。 同じ天皇賞で、ウイニングチケットも屈腱炎を発症していた。3日後の11月2日、浜田の口からビワハヤヒデの引退が告げられる。待たれていた兄弟対決は、走る前に消えた。 その1週間後、京都で菊花賞が行われた。ナリタブライアンが2着に7馬身をつけて三冠を決める。実況席の杉本は、先頭に立った弟を伝えながら、弟は大丈夫だ、という言葉を何度も挟んだ。

三十年

翌年1月16日、京都競馬場で引退式が行われた。着けたゼッケンは7番。菊花賞の番号だった。その翌日に兵庫県南部地震が起き、1週間後には父シャルードが腸捻転で死んだ。種牡馬になってからは、馬に負担をかけたくないという中島の意向で交配頭数が絞られた。それでも毎年数十頭が集まり、産地ではビワハヤヒデの仔は走るという評判が立つ。中央の重賞を勝つ産駒は、結局出ていない。2005年に種牡馬を退き、日高の牧場で余生に入った。 血のほうは、別の道から浜田のもとへ帰ってきた。母パシフィカスからは、のちにラジオたんぱ賞を勝つビワタケヒデも出た。同じ一族には、後のダービー馬キズナが従弟として連なる。そして従妹にあたるファレノプシスが、同じ浜田厩舎から桜花賞と秋華賞を勝ち、2年後にエリザベス女王杯を勝った。騎手になれなかった男は、この牝系だけでGIを6つ手にしたことになる。浜田は悪性リンパ腫を抱えながら厩舎を続け、2009年2月、定年で調教師を退いた。 待たれた兄弟対決は、ついに来なかった。弟は4年後の秋に世を去っている。兄は日高の牧場で30年を生き、2020年7月21日の未明、老衰で息を引き取った。弟は大丈夫だ、と実況席は繰り返した。あれは三冠を伝える言葉であると同時に、その1週間前に馬運車で競馬場を出ていった一頭への報告でもあったのだと思う。届いたかどうかは分からない。兄弟が並んで走る姿は、ついに実現しなかった。残ったのは、3000メートルの果てでなお加速していった京都の直線と、後続を置き去りにしたまま平らな芝を駆けていく一頭の背中である。

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