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ダイイチルビー
通算成績18戦6勝
獲得賞金4億3,080万円
生年月日 1987.04.15(昭和62年)毛色 黒鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 15 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 4人気 | 河内洋 | 1:35.4 | 上り37.7 | 映像 | |
| 5 | GII京王杯スプリングカップ | 東京 芝1400 | 1人気 | 河内洋 | 1:22.1 | 上り35.4 | — | |
| 6 | GII読売マイラーズカップ | 阪神 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:37.6 | 上り49.5 | — | |
| 1 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 2人気 | 河内洋 | 1:07.6 | 上り34.3 | 映像 | |
| 2 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:35.2 | 上り46.4 | 映像 | |
| 2 | GIIスワンS | 京都 芝1400 | 1人気 | 河内洋 | 1:20.6 | 上り45.8 | — | |
| 2 | GII高松宮杯 | 中京 芝2000 | 1人気 | 河内洋 | 1:59.4 | 上り36.2 | — | |
| 1 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 2人気 | 河内洋 | 1:33.8 | 上り35.3 | 映像 | |
| 1 | GII京王杯スプリングカップ | 東京 芝1400 | 3人気 | 河内洋 | 1:21.5 | 上り35.3 | — | |
| 3 | GIII中山牝馬S | 中山 芝1800 | 1人気 | 河内洋 | 1:47.9 | 上り35.0 | — | |
| 1 | GIII京都牝馬特別 | 京都 芝1600 | 3人気 | 河内洋 | 1:34.8 | 上り46.2 | — | |
| 2 | OP洛陽S | 京都 芝1600 | 2人気 | 河内洋 | 1:35.2 | 上り46.4 | — | |
| 5 | GII関西TVローズS | 京都 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:01.1 | 上り47.7 | — | |
| 5 | GI優駿牝馬 | 東京 芝2400 | 2人気 | 武豊 | 2:27.1 | 上り37.2 | 映像 | |
| 2 | GIIサンスポ4歳牝馬特別 | 東京 芝2000 | 1人気 | 増沢末夫 | 2:01.5 | 上り36.2 | — | |
| 2 | OP忘れな草賞 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:05.4 | 上り51.2 | — | |
| 1 | アネモネ賞 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:36.6 | 上り49.4 | — | |
| 1 | 4歳新馬 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:37.9 | 上り49.4 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父トウショウボーイ | テスコボーイTesco Boy | Princely Gift |
| Suncourt | ||
| ソシアルバターフライSocial Butterfly | Your Host | |
| Wisteria | ||
| 母ハギノトップレディ | サンシー | Sanctus |
| Wordys | ||
| イツトー | ヴェンチア | |
| ミスマルミチ |
旅程 — この馬の物語
1987年生まれの黒鹿毛の牝馬。父トウショウボーイ、母ハギノトップレディ。主な勝ち鞍は安田記念・スプリンターズS・京都牝馬特別。
喜望峰まわりの船
1957年、荻伏牧場はイギリスから繁殖牝馬を何頭かまとめて買い付けた。それまで四、五頭しかいなかった繁殖を増やすための導入である。ところがスエズ動乱で運河が閉ざされていた。船は喜望峰を回り、ケープタウンを経由して日本へ着く。 その一頭がマイリーだった。腹にはすでに仔がいる。船の中で産む可能性もあったが、入国から二日後、動物検疫所の中で無事に生まれた。神奈川県産。ぎりぎりのところで内国産馬に分類されたその牝馬はキューピットと名付けられ、1961年の阪神牝馬特別など九勝を挙げる。 牝系はここから細くなった。繁殖に上がったキューピットは仔出しが悪く、二頭しか遺せない。姉のヤマピットは1967年の優駿牝馬を勝ったが、牡馬を一頭産んだだけで死んだ。妹のミスマルミチはまだ現役で八勝を挙げている最中だったのに、姉の死を受けて急ぎ繁殖に回された。血を絶やさないための、なかば緊急の措置である。 そのミスマルミチの初仔がイットーだった。イットーは骨瘤とコズミで桜花賞を回避し、優駿牝馬も使えず、秋にはエリザベス女王杯を目指して出た京都牝馬特別で他馬の落馬のあおりを受け、七針を縫った。クラシックには一度も出られていない。それでも古馬になって高松宮杯を逃げ切り、牡馬相手に力を証明した。 イットーの初仔がハギノトップレディである。桜花賞とエリザベス女王杯を逃げ切って二冠を取り、古馬になってからは高松宮杯を六馬身差で勝った。母と娘で、中京の同じ重賞を分け合ったことになる。二年後には半弟のハギノカムイオーが宝塚記念と高松宮杯を勝ち、今度は姉と弟で同じレースが並んだ。 荻伏牧場が守り継いだこの牝系に、志摩直人が「華麗なる一族」という名を与えた。血統表よりも呼び名のほうが先に知られた一族である。そして中京競馬場の芝二千メートルは、いつのまにか彼らの庭になっていた。
一億円
ハギノトップレディの繁殖生活は、順調とは言えなかった。イギリスへ渡ってダービー馬グランディと交配し、帰国して産んだ牝馬は当歳で故障して競走馬になれず、繁殖に上げようとした甲斐もなく死んだ。翌年の仔は生まれてすぐに死ぬ。三番仔の牝馬は膝が悪く、一度も走らないまま繁殖に上がった。四番仔は牡馬だった。牝系を継ぐ娘が、なかなか出てこない。 五年目、1986年の相手に選ばれたのは、初めての内国産種牡馬トウショウボーイである。脚とは別に翼が付いているようだと言われた走りから、天馬と呼ばれた馬だ。輸入種牡馬が優遇される時代に父内国産の三冠馬ミスターシービーを送り出し、自身も高松宮杯を勝っている。速い父と、速い母。当時これは夢の配合と呼ばれた。 1987年4月15日、浦河の荻伏牧場でその牝馬が生まれる。黒鹿毛。ただし前脚の蹄に左右差があった。伊藤雄二によれば、左前は普通の形なのに、右前は大人の拳ひと握りほどしかなく、丸に近かったという。 翌年の春、伊藤は馬主の辻本春雄とともに牧場を訪ねている。見た印象はよくなかった。脚元の不安もある。この仔の将来は明るくないと考え、預かることに前向きではなかった。ところが、その仔が動き出した瞬間に判断がひっくり返る。同じ歳の馬とは一段違う動きだった。それだけで、伊藤は管理を引き受けている。 荻伏牧場は生産馬をいったん全部売り、繁殖に上がるときに買い戻す方針だった。この五番仔も辻本の手に渡る。価格は一億円。破格だった。辻本の冠名「ダイイチ」に宝石の名が足され、馬はダイイチルビーと呼ばれることになる。 1989年11月、栗東の伊藤厩舎に入った。このとき伊藤は辻本に頼み事をしている。年内にデビューさせれば間違いなく壊れる、翌年まで辛抱してほしい、と。一億円を払った男は、その一年を待った。
抽選に漏れた春
1990年2月25日、阪神の芝1600メートル。前年のリーディングジョッキー武豊が乗り、単勝1.2倍。ゲートを出るとすぐにハナを奪い、先頭のまま直線を向いて、一度も脅かされずに五馬身差で逃げ切った。値札に、最初の答えが出た。 一か月後のアネモネ賞も二馬身差で連勝する。二戦二勝の内容から、桜花賞の有力候補にも数えられた。ところが二勝ぶんの賞金では出走順に届かない。トライアルの報知杯四歳牝馬特別も、本番の桜花賞も、抽選に回されて漏れた。十分の二の抽選だった。血統でも走りでも推されていた馬が、ゲートに入れないまま桜花賞の日を迎える。 その同じ日、阪神で行われたのが忘れな草賞である。「残念桜花賞」と呼ばれた一戦だった。重馬場に苦しみ、トーワルビーに二馬身半届かず二着。 目標を優駿牝馬に切り替えて関東へ遠征する。4月29日のサンケイスポーツ賞四歳牝馬特別では、武豊が京都の天皇賞でスーパークリークに乗るため乗り替わりになった。陣営は関東の若手横山典弘に依頼したが、横山には先に受けていた騎乗がある。代打に立ったのは増沢末夫だった。好位から直線で抜け出したところを、最後方から追い込んできた横山のキョウエイタップにゴール前で捕まる。クビ差の二着。手元に残ったのは優先出走権だけである。 5月20日、優駿牝馬。武豊が戻ってきた。だがゲートで出遅れ、後方から追い込んで五着。勝ったエイシンサニーからは六馬身以上離れていた。二着は河内洋のアグネスフローラである。この日の河内は、まだ彼女の前を走る側にいた。 秋はローズステークスから始めた。単勝三倍台の一番人気。前を行く二頭を追う三番手で最終コーナーを回ったが、直線で伸びない。逃げ切ったカツノジョオーとイクノディクタスから二馬身以上離された五着だった。エリザベス女王杯の優先出走権は取ったものの、十一月に右後脚がフレグモーネで腫れる。伊藤は本領の発揮を翌年からと見て回避させ、その年を閉じた。 一億円の牝馬に、期待外れという言葉が近づいていた。
牝馬の河内
年が明けて古馬になる。1991年1月7日の洛陽ステークスから、手綱は河内洋に渡った。武豊にはヤマニングローバルの騎乗がある。「牝馬の河内」と呼ばれた男が、この馬に初めて跨がった日だった。 この日も出遅れた。それでも直線で伸び、プリティハットに半馬身届かない二着。着順は前年までと変わらないのに、脚の使い方が変わっていた。 三週間後の京都牝馬特別は三番人気。好スタートから控えて中団を進み、直線は馬場の内側を突いて抜け出す。追いすがるユーセイフェアリーに半馬身、大外から来たサマンサトウショウに二馬身。八戦目にして、初めての重賞だった。河内は、手応えにはまだ余力があり、牡馬に混じっても引けを取らないだろうと語っている。 関東へ渡った中山牝馬ステークスでは、トップハンデの五十六キロを背負って一番人気に推された。逃げるユキノサンライズを好位から追いかけたが、捕まえられずに三着。 4月21日、京王杯スプリングカップ。牡馬の一線級との初対決である。GIを二つ勝っているバンブーメモリー、朝日杯三歳ステークスを勝ったサクラホクトオーに次ぐ三番人気だった。八枠十六番という外から好位の外目を進み、直線に入ってすぐ前の数頭をかわして独走する。二番手のユキノサンライズに一馬身四分の三。後ろから追い込んだバンブーメモリーは四着までしか来られなかった。 牡馬に混じっても引けを取らない。一月に河内が口にした見立ては、三か月で証明されたことになる。
五月十二日、府中
一番人気はバンブーメモリーだった。二年前のこの安田記念を勝ち、同じ年のマイルチャンピオンシップではオグリキャップにハナ差まで迫っている。ダイイチルビーは二番人気。グレード制になってから、安田記念を牝馬が勝ったことは一度もなかった。 ゲートが開く。また出負けした。内寄りの枠から遅れた以上、押していく形ではない。河内は無理をせずに控えた。後方の馬群のなか、すぐ隣にバンブーメモリーがいる。しばらく並んで走り、やがてバンブーメモリーのほうが少し前へ出ていった。 前ではシンボリガルーダがハナを奪っている。しかしペースが緩まない。千メートルの通過は五十七秒六。マイル戦の中盤としては速すぎる数字だった。前で脚を使った馬から順に、直線で止まることが決まっていく時間である。後ろの二頭にとっては、待っていればいい時間でもあった。 三コーナー、四コーナー。バンブーメモリーが動いた。河内は、一緒に行こうかと思ったという。行かなかった。四コーナーを回りきるまで、彼はじっと我慢している。ためた脚を、あと十数秒だけ寝かせておくという判断だった。 直線を向くと、逃げた馬と先行した馬が順に下がってきた。代わりに中団の外から抜け出したのがダイタクヘリオスである。バンブーメモリーは内へ潜り、進路を探して手間取る。ダイイチルビーは、外へ出した。府中の長い直線のいちばん外側。そこは、脚が残っている馬しか通れない場所だ。 追い出す。ダイタクヘリオスに、並ぶ間もなくかわした。一馬身と四分の一。内をこじ開けて追い上げたバンブーメモリーは、さらにクビ差だけ後ろにいた。 桜花賞のゲートに入れてもらえなかった牝馬が、最初のGIを、牡馬の集まる府中のマイルで取った。
ハナ、クビ、二馬身半
陣営は、前年にエリザベス女王杯を回避した時点で、二千メートル以上は使わないと決めていた。それでも7月7日の高松宮杯には出ている。中京の芝二千は、この馬にとって別格のレースだった。父トウショウボーイ、母ハギノトップレディ、祖母イットー、叔父ハギノカムイオー。四頭がここを勝っている。祖母と母と孫娘で、三代続けて同じ重賞を勝つ。それが懸かっていた。単勝一・四倍。中京競馬場には四万六千人が詰めかけた。 トーワルビーが速いペースで引っ張って早々に脱落し、逃げ切りたいダイタクヘリオスと、差し切りたいダイイチルビーの一騎打ちになる。直線、河内が促しても、いつもの切れ味は出てこない。それでもじりじりと詰め、ゴール寸前で並びかけ、二頭は横に並んだまま入線した。写真判定。ハナ差、先着はダイタクヘリオス。三代の記録は、その幅だけ届かなかった。 夏は荻伏牧場で過ごした。秋の始動はスワンステークス。直線で外に出して先頭に立ちかけたところ、内から新鋭ケイエスミラクルが出てくる。クビ差の二着。ただし勝ち時計は日本レコードで、二着の彼女も同じ時計で走っていた。 続くマイルチャンピオンシップは単勝一・八倍の一番人気。だがゲートで出遅れ、直後にバンブーメモリーと接触して後方に置かれた。直線で外に持ち出して追い込んだものの、早めに抜け出したダイタクヘリオスが最後まで止まらない。二馬身半差の二着。 ハナ、クビ、二馬身半。三つ続けて、彼女は二着馬だった。
中山の坂
12月15日、中山のスプリンターズステークス。バンブーメモリーは引退し、ダイタクヘリオスは有馬記念へ向かった。マイルチャンピオンシップで三着だったケイエスミラクルとの一騎打ちと見られ、単勝はケイエスミラクルが二・二倍、ダイイチルビーが三・〇倍。千二百メートルを走るのは、この馬にとって初めてである。 また出遅れた。前半の三ハロン——最初の六百メートル——は三十二秒二。短距離戦としても速い。ダイイチルビーは出遅れたぶん前に行けず、そのペースを後ろから追った。四コーナーでケイエスミラクルが先頭を窺いにいく。彼女は外へ持ち出さず、馬群のなかへ突っ込んだ。ケイエスミラクルの背中を、三馬身ほど後ろから見る位置である。坂に差しかかったところで脚を使い、その背中を追った。 残り二百メートル。ケイエスミラクルが失速し、競走を中止する。左第一趾骨の粉砕骨折だった。デビューから八か月の馬は、そのまま還らなかった。 ダイイチルビーは、その外を通って前へ出た。先に抜け出していた先行勢を差し切り、四馬身の差をつけて先頭で入線する。一分七秒六。前年の勝ち時計を〇秒二縮めるレースレコードだった。 GI二勝目である。牡馬と走るGIを二つ勝った牝馬は、彼女が初めてだった。この年のJRA賞では、最優秀五歳以上牝馬と最優秀スプリンターの二つを受け取っている。 ただし、この日の中山を語るとき、ダイイチルビーの名の隣にはいつももう一頭の名が並ぶ。十月に日本レコードで彼女を負かした馬が、十二月に、坂の途中で止まった。
三石
1992年も現役を続けた。ただし、この年のダイイチルビーには発情が出ていた。母親になりたがっている、と陣営は見ていた。伊藤は、闘志が抜けて顔が優しくなったと言っている。 三月のマイラーズカップは一番人気。五十八キロを背負って六着。四月の京王杯スプリングカップも一番人気で五着。そして5月17日の安田記念、四番人気。ちょうど一年前に自分が勝ったレースで、この日はヤマニンゼファーから一秒六離された十五着だった。これが最後の一戦になる。 この年の目標には、高松宮杯の三代制覇がもう一度入っていた。中京の芝二千メートルに、彼女が戻ることはなかった。父も母も祖母も叔父も勝ったレースを、四代目だけが勝てないまま、一族の記録はそこで途切れている。 引退後、辻本春雄は北海道の三石に牧場を開いた。ダイイチ牧場という。一億円で買い、伊藤に頼まれて一年待ち、走らせ、走り終えた牝馬のために、今度は土地のほうを用意したことになる。 彼女はそこで七頭を産んだ。初仔のダイイチシガーは、母と同じ伊藤厩舎で、同じ辻本の勝負服を着て走り、1997年の優駿牝馬で三着に入っている。母が出遅れて五着に沈んだ、あの東京の二千四百メートルだった。 一億円は、走る馬に付いた値段だった。桜花賞のゲートには入れず、一族の庭だった中京の二千も獲れなかった。その代わりに彼女は、牡馬が本気で獲りにくる二つのレース——府中のマイルと、中山の坂——の勝ち馬の欄に自分の名前を置いてきた。華麗なる一族が、それまで一度も行ったことのない場所である。
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