名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ダンツフレームのイメージビジュアル
ダンツフレームDantsu Flame
Dantsu Flame

ダンツフレーム

通算成績26戦6勝

獲得賞金51,142万円

生年月日 1998.04.19(平成10年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ダンツフレームの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 川崎記念 川崎 ダ2100 8人気 見沢譲治 2:19.4 上り42.3
14 GI東京大賞典 大井 ダ2000 9人気 見沢譲治 2:09.1 上り42.1
9 彩の国浦和記念 浦和 ダ2000 2人気 的場文男 2:10.2 上り40.3
2 OPかんなづき特別 荒尾 ダ1500 1人気 吉田隆二 1:39.0
7 GI宝塚記念 阪神 芝2200 7人気 藤田伸二 2:12.5 上り36.8映像
5 GI安田記念 東京 芝1600 3人気 藤田伸二 1:32.3 上り34.1映像
1 GIII新潟大賞典 新潟 芝2000 1人気 本田優 1:58.3 上り33.7
5 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 9人気 藤田伸二 3:17.3 上り36.0映像
4 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 5人気 池添謙一 1:32.4 上り34.9
17 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 8人気 池添謙一 1:34.0 上り35.7映像
14 GI天皇賞(秋) 中山 芝2000 8人気 藤田伸二 1:59.6 上り35.1映像
5 GII毎日王冠 中山 芝1800 4人気 藤田伸二 1:46.7 上り34.1
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 1人気 藤田伸二 2:12.9 上り34.7映像
2 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 池添謙一 1:33.3 上り34.6映像
4 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 4人気 池添謙一 1:20.6 上り34.2
5 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 5人気 武豊 1:33.7 上り34.2映像
5 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 武豊 3:07.7 上り33.9映像
4 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 3人気 福永祐一 1:59.7 上り34.6
2 GI東京優駿 東京 芝2400 3人気 河内洋 2:27.2 上り35.6映像
2 GI皐月賞 中山 芝2000 3人気 藤田伸二 2:00.5 上り35.2映像
1 GIIIアーリントンC 阪神 芝1600 1人気 武豊 1:35.9 上り35.0
2 GIIIきさらぎ賞 京都 芝1800 3人気 武豊 1:48.0 上り34.9
1 OP野路菊S 阪神 芝1600 1人気 河内洋 1:35.4 上り34.1
1 OPききょうS 阪神 芝1400 1人気 武豊 1:21.9 上り35.4
1 3歳新馬 函館 ダ1000 1人気 藤田伸二 1:00.9 上り37.0
2 3歳新馬 函館 ダ1000 1人気 藤田伸二 1:01.0 上り36.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ダンツフレームの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ブライアンズタイムBrian's TimeRobertoHail to Reason
Bramalea
Kelley's DayGraustark
Golden Trail
インターピレネーサンキリコSanquiricoリィフォーLypheor
Nell's Briquette
モンテマリアネヴァービートNever Beat
キネウスマリア
STORY

旅程 — この馬の物語

1998年生まれの鹿毛の牡馬。父ブライアンズタイム、母インターピレネー。主な勝ち鞍は宝塚記念・アーリントンC・新潟大賞典。

浦河の、のんびり屋

1998年4月19日、北海道浦河町の信岡牧場で鹿毛の牡馬が生まれた。父はブライアンズタイム、母はインターピレネーという。 母は栗東の坪憲章厩舎で二十一戦して三つ勝った。桜花賞のゲートもくぐっている。引退して生まれ故郷に戻り、繁殖牝馬になった。初年度はブライアンズタイムの牡馬、二年目はマイニングの牡馬。三年目に、もう一度ブライアンズタイムがつけられた。その三番目が、この馬である。 牧場は家族と従業員二人、五人で回していた。社長の信岡幸則は高校で馬術部にいて、卒業後は洞爺のメジロ牧場で三年学んでから実家に戻った人である。 生まれた仔は、褒められる馬ではなかった。育つにつれて骨が太くなり、顔が大きくなり、腹がボテッと出た。ほかの当歳が走り回っていても、一頭だけのんびり草を食べている。噛まない。蹴らない。信岡はのちに何度も、決して見てくれのいい馬ではなかった、いわゆるサラブレッドという綺麗な馬ではなかった、と語っている。 二歳上に、同じ父と母から生まれた兄がいる。ゼンノペッパー。下には弟のメイショウドンホセがいた。馬っぷりならその二頭のほうが良かった、と信岡は言う。いちばんボテッとして見えた三番目が、いちばん走った。 1999年8月、北海道セレクト市場に上場された。見栄えをよくする工夫はしたが、うまくいかなかったらしい。ブライアンズタイムの仔を探していた山元哲二が、税抜き二千五百万円で落札する。あのセリに出たブライアンズタイム産駒はうちの一頭だけだったから、と信岡はのちに振り返っている。 冠名の「ダンツ」は、中国の絨毯である段通に由来する。絨毯の名のうしろに、燃えるものの名が続いた。ダンツフレーム。 栗東の山内研二厩舎へ入った。山内が最初に思ったのは、トモ幅のある馬だな、ということくらいである。垢抜けてはいない。むしろ気にしたのは右目が白いことで、気性が悪いのではないかと心配した、とのちに振り返っている。ひとつふたつは勝てるだろう。それが、この馬に対する最初の見立てだった。

函館・ダート千メートル

2000年6月10日、函館。ダート千メートルの新馬戦が、この馬の最初の一戦である。鞍上は藤田伸二、一番人気だった。 行き脚がつかない。四、五番手を追走して、先に抜け出した一頭に四馬身離された。二着。藤田はゲートの出が普段より悪かったと言い、それでも終いの脚には納得していたという。 三週間後、同じ函館の同じ千メートル、同じ鞍上。今度は勝った。届かないと思う位置から差し切った勝ち方で、距離が延びたときのほうが面白そうだ、と思わせる初勝利だった。 そのあとソエが再発して放牧に出る。二か月で治った。 秋、阪神に戻った。九月十六日のききょうステークスは武豊。初めての芝で単勝一・四倍に推され、後方から回ってきて三馬身半差をつけた。二週間後の野路菊ステークスは河内洋。今度は三番手につけ、最後の六百メートルを34秒1で上がっている。三連勝。 四戦のあいだに、鞍は三人の手を渡っていた。この馬は最後まで、そういう馬だった。 山内の見立ては動かない。芝のオープンを二つ続けて勝ったあとも、相手が手薄だったのではないか、と考えていたという。

ハナ差

年が明けて二月十一日、きさらぎ賞。武豊が戻ってきた。直線で抜け出したところを、無敗のアグネスゴールドに半馬身かわされる。三番人気の二着だった。 陣営は皐月賞のトライアルを使わず、二週間後のアーリントンカップを選んだ。単勝一・二倍。 流れは遅かった。遅い流れは前にいる馬を助ける。実際、二着から四着までを先行した馬が占めている。 そのなかで、この馬だけが後ろから来た。四コーナーを七番手で回り、逃げるキタサンチャンネルにゴール板の上で並びかける。着差はハナ。重賞初勝利だった。 山内は、だいぶヒヤッとした、と笑った。そのうえで、力があるから来るのだろうけれど本当に強いのかどうかは半信半疑だ、とも言っている。 それでも、この日を境に見立ては変わった。着差はハナでも、中身は完勝である。前が止まらない流れを、一頭だけ後ろから割ってきたのだから。なぜ走るのか、どうして走るのかは分からない。分からないまま、山内はこの馬の力を高く買うようになった。

二度、一馬身半

陣営の目標は、はじめから東京優駿だった。だから皐月賞に出すかどうかで、山内と馬主は何度も話し合っている。中山の荒れた馬場は負担が大きい。その年の中山がさほど荒れていないこと、そしてこの馬に三度乗った武豊が出走を勧めたことで、方針が決まった。 仕上げは万全ではなかった。もうひと絞りできる体つきで、毛艶も冴えない。完調を十とすれば七、八分だった、と山内はのちに回顧している。 四月十五日、中山、十八頭。一番人気は三戦三勝のアグネスタキオン、二番人気は四戦三勝のジャングルポケット。この馬は三番人気だった。 最初のコーナーで前後を詰められた。内にいた馬をかばわなければ落馬していたかもしれない、と藤田は話している。そこでリズムが狂った。 通過順位が残っている。一周目のコーナーで十番手より後ろ。二つ目でも、三つ目でも変わらない。四コーナーを回って、ようやく十番手のあたりまで押し上げた。 直線で先に抜け出したのはアグネスタキオンである。その背中を追った。差は一馬身半で止まったが、外から並びかけてきたジャングルポケットは半馬身だけ抑えた。 六週間後、府中。曇り、芝は重。 テイエムサウスポーが飛び出していく。二ハロン目は十秒五で、重馬場のダービーで出していい数字ではない。中盤は十二秒台の後半から十三秒台まで垂れた。前は勝手に行き、後ろは重い芝の上で脚を溜める。 この日の鞍上は河内洋だった。三コーナーで十二番手。四コーナーを回っても、前には十頭以上がいる。 そこから外へ持ち出した。仕掛けようとしたとき、先に動いたジャングルポケットの前で一度行き場を失っている。立て直して、もう一度伸びた。 一馬身半。皐月賞と同じ着差だった。前にいる馬だけが、入れ替わっていた。

夏を挟んで、秋は神戸新聞杯から始めた。福永祐一が乗って四着。デビュー以来はじめて、二着以内を外した。 菊花賞は二番人気で五着。マイルチャンピオンシップも五着。勝てないまま年が暮れた。山内は目標を決めずに放牧へ出し、その年はもう使わなかった。あのころはフォームが本当ではなかった、とのちに調教助手の上籠勝仁が振り返っている。 厩舎でのあだ名は「あんちゃん」だった。厩務員の高木信明は四十年この仕事をしてきた人だが、こんなに手のかからない馬はいない、と言った。装蹄の最中に舌をペロペロ出す。太い注射を打たれても暴れず、高木の胸に顔を預けて目を閉じている。取材に来た記者が見たイタズラは、その帽子のツバを唇で挟もうとしたことくらいだった。 2002年の春は京王杯スプリングカップの四着を叩き台にして、六月二日の安田記念へ向かった。十八頭立ての十七番、二番人気。 三コーナーでも四コーナーでも、後方の一団にいた。そこから外へ出し、先に抜け出したアドマイヤコジーンをゴール前で捕まえにかかる。届かない。クビ差。 皐月賞、東京優駿、安田記念。GIで三度、二着に立ったことになる。シルバーコレクター、と呼ばれるようになった。 その安田記念に、藤田伸二はグラスワールドで乗っていた。四着。かつての騎乗馬がクビ差まで迫って敗れるのを、同じ直線で見たことになる。 三週間後、藤田は山内のところへ行き、自分から乗せてくれと頼んだ。

阪神・六月二十三日

十二頭しかいなかった。 前の年に東京優駿とジャパンカップを勝ったジャングルポケットは、脚部不安で回避した。春の天皇賞を勝ったマンハッタンカフェは凱旋門賞へ向かっていた。産経大阪杯を勝ったサンライズペガサスは体調を崩している。二年前の二冠馬エアシャカールはいたが、一年以上勝っていない。 一番人気は、この馬だった。 ゲートは、いつもどおり素直に開いた。ローエングリンが行く。二ハロン目を十一秒ちょうどで駆け抜けた三歳の逃げ馬である。藤田はその速さに逆らわず、四番手につけた。普段よりずいぶん前だった。すぐ前にエアシャカールがいる。目標ができた、とのちに藤田は言っている。 向正面で時計が落ちた。十二秒台の半ばから、十三秒に届くところまで。逃げ馬が息を入れ、隊列がそのまま固まる。 一コーナー四番手。二コーナー四番手。三コーナー四番手。四コーナーも四番手。この馬は、二千二百メートルのあいだ一度も位置を動かしていない。 直線を向いた。内でエアシャカールの脚色が鈍り、その煽りで一瞬、行き場が消える。藤田は外へ持ち出した。 四コーナーから、すでに手は動いていた。この馬は瞬間の反応が鈍い。押しても、すぐには変わらない。徐々に、徐々に加速していく馬だった。 前のローエングリンが近づいてくる。並ぶ。かわす。 そこへ大外から一頭が来た。ツルマルボーイである。後方でじっとしていた馬が、いちばん外を回って襲いかかってくる。鞍上は河内洋——前の年の府中で、この馬の手綱を握っていた男だった。 一度、前に出られかけた。 頑張ってくれ、と思いながら追った、と藤田はあとで話している。並ばれてから、もう一度伸びた。迫られたのが、かえって良かったのかもしれない、とも。 クビ。 山内は声が出なかったという。外からツルマルボーイが来たとき、また二着だと覚悟したからだ。「あ、勝っちゃった」[^1]。ゴールした瞬間の、それが素直な気持ちだった。 同じ勝負服で、同じ厩舎が宝塚記念を勝つのは二度目になる。一度目は七年前、アメリカ生まれのシアトルスルーの仔だった。二度目は、浦河の五人の牧場から出てきた馬だった。

出典:『週刊Gallop』2002年7月7日号(産経新聞社)。フリー百科事典『ウィキペディア』「ダンツフレーム」経由で確認、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0 、閲覧日:2026年8月2日。

新潟の五月

秋は毎日王冠から始めた。馬体重は十八キロ減っていた。五着。 十月二十七日の天皇賞(秋)は、東京競馬場が改修中のため中山で行われている。十四着。デビューから十五戦、この馬は一度も五着より下でゴールしたことがなかった。その連なりが、ここで途切れた。 続くマイルチャンピオンシップは十七着。放牧に出た。 年が明けて五歳。マイラーズカップ四着、天皇賞(春)は三千二百メートルで五着。距離が延びても、掲示板には戻ってきた。 五月十八日、新潟。ハンデは五十九キロで、それでも一番人気に推された。 たまたま後方からのレースになった、作戦どおりではなかった、と本田優はのちに言っている。外回りの長い直線で前が開くのを待ち、開いたところを通った。最後の六百メートルは33秒7。二着に一馬身半。 宝塚記念以来の勝利であり、六つ目の勝ち鞍だった。陣営はおそらく、ここを花道と見ていた。 それでも、まだ走った。六月の安田記念で五着。連覇のかかった宝塚記念は七着。 秋はオールカマーから、という予定が立っていた。右前脚に浅屈腱炎が出て、それきりになる。九月、JRAの競走馬登録が抹消された。翌年から種牡馬になる予定だった。

荒尾、そして那須

種牡馬としての評価は、高くなかった。無理に種牡馬にするくらいなら乗馬に、とも考えながら、山元哲二は北海道でこの馬を放牧させ続けた。 屈腱炎の治りが、思いのほか良かった。もう一花咲かせてやりたい、という馬主の希望で話がひっくり返る。中央を抹消された馬が、地方競馬でもう一度走ることになった。 行き先は熊本の荒尾だった。有明海のそばにある、一周千二百メートルの競馬場である。宇都宮徳一厩舎に入った。 2004年10月20日、かんなづき特別。不良のダート千五百メートル。一年四か月ぶりの実戦で一番人気に推され、好位から進んで二着に終わった。勝った馬とは五馬身あった。 予定どおり浦和の岡田一男厩舎へ移り、浦和記念で九着、大井の東京大賞典で十四着、川崎記念で十一着。冬のダートで、この馬はもう前へ届かなかった。 2005年6月10日、地方競馬の登録も抹消される。行き先は、栃木県那須塩原市の地方競馬教養センターだった。地方競馬の騎手や厩務員を育てる施設で、そこへ中央のGI馬が来るのは初めてのことだったという。 着いた時点で、体はもう戻っていなかった。所長の東泉良明は、「地方未勝利でウチに来た訓練馬よりガッカリな馬体」[^1]と評している。放牧に置いて回復を待ったが、良くならない。精密検査で分かったのは重度の肺炎で、手の施しようはなかった。 8月28日、死んだ。七歳だった。 この馬は、生涯を体つきで値踏みされ続けた。生まれたときも、厩舎に入ったときも、最後に着いた場所でも。そしてそのたびに、値踏みは外れている。 山内研二は、のちにこう言った。「馬体を見ただけで『こんな馬走らん』なんて、絶対にいえない。この馬を見ているとつくづくそう思う」[^2]。山内が厩舎を閉じたのは2020年3月である。三十年あまりの調教師生活で最初に勝ったGIも、この馬で勝ったGIも、宝塚記念だった。 荒尾競馬は2011年の暮れに幕を下ろした。有明海の競馬場は、もう無い。 地方競馬教養センターは、これから馬に乗る若者たちの学校である。騎手候補生が日々そこで訓練を積んでいる。その敷地の一角に、墓標がひとつ立っている。見てくれの良くない馬だった、と何人もが言った馬のものだ。誰も嘘は言っていない。ただ、外側しか見ていなかった。 2002年6月23日、阪神競馬場。先頭でゴール板を過ぎたのは、その馬である。

出典:『優駿』2005年10月号 157頁(日本中央競馬会)。フリー百科事典『ウィキペディア』「ダンツフレーム」経由で確認、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0 、閲覧日:2026年8月2日。/『優駿』2001年4月号 19頁(日本中央競馬会)。フリー百科事典『ウィキペディア』「ダンツフレーム」経由で確認、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0 、閲覧日:2026年8月2日。

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