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ファインモーション
通算成績15戦8勝
獲得賞金4億9,451万円
生年月日 1999.01.27(平成11年)毛色 鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 2人気 | 武豊 | 1:34.1 | 上り34.8 | 映像 | |
| 1 | GII札幌記念 | 札幌 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:00.4 | 上り34.9 | 映像 | |
| 2 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:00.7 | 上り35.8 | — | |
| 13 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 3人気 | 武豊 | 1:34.0 | 上り35.8 | 映像 | |
| 1 | GIIサンスポ阪神牝馬S | 阪神 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:33.4 | 上り33.8 | 映像 | |
| 2 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 2人気 | 武豊 | 1:33.4 | 上り34.1 | 映像 | |
| 7 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:46.4 | 上り35.8 | — | |
| 2 | GIIIクイーンS | 札幌 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:47.7 | 上り33.7 | — | |
| 5 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 1人気 | 武豊 | 2:33.4 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 1人気 | 武豊 | 2:13.2 | 上り33.2 | 映像 | |
| 1 | GI秋華賞 | 京都 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 1:58.1 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | GII関西TVローズS | 阪神 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:00.1 | 上り34.9 | 映像 | |
| 1 | 阿寒湖特別 | 札幌 芝2600 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:42.4 | 上り36.1 | — | |
| 1 | 3歳以上500万下 | 函館 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:03.9 | 上り36.5 | — | |
| 1 | 2歳新馬 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:03.4 | 上り34.0 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父デインヒルDanehill | Danzig | Northern Dancer |
| Pas de Nom | ||
| Razyana | His Majesty | |
| Spring Adieu | ||
| 母Cocotte | Troy | Petingo |
| La Milo | ||
| Gay Milly | Mill Reef | |
| Gaily |
旅程 — この馬の物語
1999年生まれの鹿毛の牝馬。父デインヒル、母Cocotte。主な勝ち鞍は秋華賞・エリザベス女王杯・関西TVローズS。
派手にやるな
北海道浦河町の伏木田牧場には、タカハタという牝馬から始まる牝系があった。1949年生まれで、32戦26勝。朝日杯3歳ステークスを勝ち、皐月賞と東京優駿とオークスでは2着に入っている。孫の代からは、東京障害特別を勝ったカシハタと、北海道3歳ステークスを勝ったカミイチが出た。牧場の背骨だった。 ただし、古い背骨だった。多くの牧場がその時々に流行する種牡馬に合う繁殖牝馬を海外から買い足していくあいだ、伏木田牧場は30年以上、それをしていない。重賞勝ちは1986年の鳴尾記念を勝ったロンスパークで止まっていた。いい時代がずっと続くわけではないから派手にやるな——会長の伏木田達男は、父から受け取ったその信条を守り続けていた。 栗東の伊藤雄二は、馬を探して何度もアイルランドへ渡っている。1993年生まれのアラバンサを自分で見つけて輸入し、自分の厩舎で走らせた実績があった。1999年4月、伊藤はアラバンサを生産したバロンズタウンスタッドを再び訪ね、生後数か月の牝馬と対面する。父はデインヒルだった。 半兄はピルサドスキーといった。ジャパンカップ、ブリーダーズカップターフ、チャンピオンステークスを含めてGIを6つ勝った馬である。1997年のジャパンカップでは、直線の叩き合いの末に伊藤のエアグルーヴをクビ差で退けている。そのエアグルーヴに乗っていたのが武豊だった。 伊藤は目の前の当歳馬を、これまで自分が手がけたどの馬よりも走ると評価した。彼が手がけた馬には、マックスビューティも、シャダイカグラも、そのエアグルーヴもいる。 持ち主はクールモアグループで、自分たちで走らせる予定だった。当時のクールモアは優秀な種牡馬を揃えることに力を注いでいて、牝馬には重きを置いていない。伊藤が掛け合うと、話はまとまった。 価格は1億円を超えた。伊藤は伏木田に、競走馬としてではなく将来の繁殖牝馬として買わないかと持ちかけている。達男は実物を見ていない。ビデオと写真を確認しただけで、買うと決めた。いい種牡馬を配合していけば、何頭かの産駒で元は取れる。それが達男の計算だった。社長である長男の達之のほうは、別の勘定をしていた。オープンまで行って重賞をひとつでも取ってくれるなら、そんなに高い買い物ではない、と。 30年以上守られてきた戒めは、この一頭のために破られた。 名前をつけたのは、達男の孫で達之の息子の修である。第2候補にマーメイドパール、第3候補にビューティフルデイを添えて出した第1候補が、そのまま審査を通った。ファインモーション。
走らせる場所がなかった
2001年5月18日、武田ステーブルに入る。着地検疫の3か月は隣の日進牧場のダートコースで乗られ、検疫が明けた8月からは軽種馬育成調教センターの700メートルの坂路に入った。跨ったのは場長の延島太恵志ひとりである。ほかの馬が坂路を一本上がっただけで息を切らすなか、この馬は二本でも三本でも上がれた。手当てをしたのは軽い外傷と熱発の二度きりで、あとは順調だった。 9月13日、栗東の伊藤厩舎へ移る。担当になった厩務員の田中一征は、かつてエアグルーヴを担当した男だった。調教を見た岡部幸雄が、この馬と走らされる相手が気の毒だ、という意味のことを言っている。デビュー前から、評判はトレセンの中を回っていた。 12月1日、阪神の芝2000メートル、2歳新馬。鞍上は武豊。一度も走ったことのない馬の単勝が1.1倍だった。 デビュー前に跨ったとき、武はその力強さを牡馬のものと思い込んだ。「先生、これでダービーに行きましょう」[^1]。伊藤は少しあきれた顔をして、牝馬だが、と応じた。武は慌てて馬を降り、股の間を覗き込んだという。 レースはゲートから先頭に立ち、4馬身差で逃げ切った。逃げていながら、上がり3ハロン——最後の600メートル——は出走馬のなかで最も速い。関西の有力馬が集まる阪神芝2000メートルの新馬戦で、牡馬相手の楽勝だった。 クラシックへ、という声はすぐに立った。しかし、この馬にクラシックの出走権はない。外国産馬だからである。陣営はフランスの1000ギニーとオークスに登録まで済ませたが、伊藤は行かせなかった。デインヒル産駒らしく上体は立派でも、脚元がまだそれに追いついていない。体が本当に出来上がるのは先だと見て、春を丸ごと休ませた。 戻ってきたのは8か月後、2002年8月4日の函館である。3歳以上500万下、芝2000メートル。鞍上は松永幹夫に替わった。好位から見せムチだけで5馬身。伊藤はこの日の出来を65パーセントと言っている。 3週間後、札幌の阿寒湖特別。芝2600メートルの1000万下を、これも好位から、追われないまま5馬身。出来は75パーセントになった。 9月15日、阪神のローズステークス。桜花賞の1、2着馬とオークスの3着馬が出てくる重賞で、単勝は1.2倍だった。好位から馬なりで抜け出して3馬身。松永は、まだ能力の半分も出していない、という意味のことを言い残している。出来は80パーセント。 4戦4勝。走らせる場所のなかった一年が終わって、秋になっていた。
出典:Number Web「武豊にとっての最強牝馬は? ウオッカ、ベガにも乗ったので「難しいなあ…でもやっぱり、エアグルーヴ」〈54歳最年長GI制覇+80勝〉」2023年4月2日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/857032 、閲覧日:2026年8月2日。
もう一度、一・一倍
2002年10月13日、京都。晴れ、芝は良。第7回秋華賞、18頭立て。 武豊が戻ってきた。単勝は1.1倍。新馬戦とまったく同じ数字である。単勝票の72パーセントがこの一頭に集まった。グレード制が敷かれて以降のGIで、それまでにない集中だった。 先行する馬群の外につけた。1コーナーから3コーナーまで、位置はほとんど動いていない。前から6番目のあたりを、外めのまま回っている。4コーナーで、先頭を追う一団に馬体を並べるところまで上がった。 直線を向いて、武は追った。追ったのは途中までだった。差が開いていくので、やめた。 3馬身半差。1分58秒1は、秋華賞のレースレコードに並ぶ時計である。最後の3ハロンのラップは11秒5、11秒6、11秒8で、前が失速する流れではない。止まらない前を、外から抜け出して突き放したことになる。 無敗のまま牝馬三冠の最終戦を勝った馬は、彼女が最初だった。伊藤にとっては、マックスビューティの桜花賞とオークス、シャダイカグラの桜花賞、エアグルーヴのオークスに続く一冠で、これで牝馬の三冠競走をすべて勝った調教師になる。武豊のほうは、5月の東京優駿をタニノギムレットで勝って以来、騎乗したGIを5つ続けて勝った。その5つ目がこの秋華賞だった。
六戦目
11月10日、京都。エリザベス女王杯。古馬の一線級と、同じ世代のオークス馬スマイルトゥモローが相手である。単勝1.2倍。 ゲートで少し折り合いを欠いたが、先行する馬の直後、3番手に収まった。前が飛ばさない。中盤の200メートルは13秒0、13秒3まで落ちた。脚が溜まる。溜まった脚を使う競馬になった。 直線で伸びた。上がり3ハロンは33秒2で、出走馬のなかでいちばん速い脚である。2着のダイヤモンドビコーに2馬身半。 デビュー6戦目での古馬GI制覇は、当時の最短記録である。無敗のまま古馬のGIを勝った馬も、それまでいなかった。 3歳の11月。彼女はまだ一度も負けていない。
向こう正面
12月22日、中山。曇り、芝は稍重。 伊藤雄二は、年内はもう使わないと明言していた。エリザベス女王杯のあとは休養に充てる、ファン投票の結果に関係なく有馬記念には出さない、と。そのファン投票で3位に支持され、方針が覆った。ゲートには古馬の牡の一線級と、天皇賞(秋)を勝った同い年の牡馬が入る。この顔ぶれと顔を合わせるのは、彼女には初めてのことだった。負担重量は53キロ。1番人気である。 中山の2500メートルは、スタンドの前から始まる。ゲートを出た彼女は、いったん2番手に収まったように見えた。折り合いはついていた。ところが観衆の前を通り過ぎるあいだに、行きたがった。抑えても、前へ出てしまう。1コーナーを回ったとき、先頭にいたのは彼女だった。 かかった馬を落ち着かせるには、行かせたうえで流れを緩めるしかない。先頭に立ってからの200メートルごとの時計は、12秒9、12秒0、12秒7、12秒8。長い距離のGIとしても緩い数字が並んだ。息を入れさせる形である。 2番手にはタップダンスシチーがいた。後続を離して行ったときに力を出す馬である。前が緩めば、その利は消える。控える理由がなかった。向正面で、タップダンスシチーがファインモーションをかわし、先頭を奪う。 そこから先は、別のレースになった。佐藤哲三が促し、時計が締まる。11秒5、11秒8、11秒4、11秒7。緩めたぶんを一気に取り返す、長い加速だった。3コーナーで彼女は2番手にいたが、4コーナーを回ったときには、前の背中はもう遠かった。 2周目の直線に入る。中山の直線は310メートルしかない。そこで脚が上がった。追ってもぐっとくるものがなかった、と武豊は振り返っている。 5着。勝ったシンボリクリスエスとの差は0.8秒、4着のナリタトップロードとはクビ差だった。3歳牝馬の重量で序盤からハナを切り、あの長い加速をまともに浴びて、この差である。数字だけを見れば健闘といっていい。ただし、彼女がそれまで一度もしたことのない負け方だった。 伊藤は後年、後味の悪い競馬だったと言っている。 デビューからの6連勝は、この日に終わった。年末のJRA賞で、彼女は最優秀3歳牝馬に選ばれる。
制御
有馬記念のあと、放牧に出された。福島県いわき市の競走馬総合研究所常磐支所——「馬の温泉」と呼ばれる施設である——で休み、栗東へ戻ったのは2003年5月だった。 8月17日、札幌のクイーンステークス。およそ8か月ぶりの実戦で、58キロを背負う。オースミハルカに逃げ切られ、同じ時計で2着に敗れた。 秋は、連覇のかかるエリザベス女王杯ではなく天皇賞(秋)を目標に据える。武豊のお手馬の兼ね合いによるものだった。前哨戦の毎日王冠は7着。ここで話が変わる。当時、天皇賞(秋)に出られる外国産馬は2頭までで、その2頭は過去1年の獲得賞金で決まった。毎日王冠を落とした彼女は、賞金の順で漏れる。天皇賞への道は、負けて閉じたというより、条件で閉じた。 かわりに向かったのが11月23日のマイルチャンピオンシップである。18頭立ての大外18番。1600メートルは初めてだった。中団の外から進み、直線で逃げるギャラントアローを外から捕らえる。武は直線の半ばで勝ったと思ったと振り返っている。そのさらに外から、後方にいたデュランダルが来た。4分の3馬身差の2着。 12月21日、阪神牝馬ステークス。ハッピーパスの追い上げをクビ差でしのぎ、1年ぶりに勝った。 2004年、5歳。始動戦の安田記念は雨で、芝は稍重。馬体重は前走から16キロ減っていた。最後まで折り合いがつかず、13着に沈む。 夏、また北海道へ渡った。7月25日の函館記念では、馬群に入れると気が高ぶるので大外を回した。制御はできた。そのぶん距離を損して、内を通ったクラフトワークにクビ差だけ届かない。 8月22日、札幌記念。今度は道中を最後方に置いた。前に馬がいなければ、かかりようがない。折り合った彼女は好位で直線を迎え、抜け出して、2番手を進んだバランスオブゲームを半馬身かわした。重賞5勝目である。 11月21日、京都。前年に2着だったマイルチャンピオンシップへ戻ったが、直線でまったく伸びず9着に終わった。次のローテーションも組まれていたものの、ここで引退が決まる。 デビューから6連勝。そのあと9戦して、勝ったのは2つだった。
産駒の欄
引退後、彼女は輸入されたときの目的どおり、伏木田牧場で繁殖牝馬になった。初年度に配されたのはキングカメハメハである。不受胎に終わった。翌年も、その次も、一度も受胎しない。やがて染色体の異常が見つかり、医学的に受胎は不可能だと告げられた。繁殖牝馬としての時間は、一頭も産まないまま終わる。その登録を外れたあとも、彼女は伏木田牧場に置かれた。 1999年の春、アイルランドで生後数か月のこの馬を見た伊藤雄二は、これまで手がけたどの馬よりも走ると考えた。その見立ては当たっていた。当たらなかったのは、買った側の見立てのほうである。 伏木田達男は、いい種牡馬を配合すれば何頭かの産駒で元が取れると計算した。その産駒は一頭も生まれていない。息子の達之は、オープンまで行って重賞をひとつでも取ってくれれば高い買い物ではないと言った。彼女は重賞を5つ勝ち、うち2つはGIだった。同じ一頭に、父と子は違う期待をかけていたことになる。当たったのは、割に合わないほうの勘定である。 ブラッドスポーツで血を残せなかった馬に残るのは、走った記録だけだ。産駒の欄は最後まで空のままだった。その空欄の上に書かれているのは、京都の直線で鞍上が追うのをやめた、あの数十メートルのほうである。
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