名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

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ジェニュインGenuine
Genuine

ジェニュイン

通算成績21戦5勝

獲得賞金5億3,701万円

生年月日 1992.04.28(平成4年)毛色 青鹿毛性 牡

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ジェニュインの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム映像
9 GIマイルCS 京都 芝1600 田中勝春 1:34.9
3 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 田中勝春 1:59.9
5 GII毎日王冠 東京 芝1800 武豊 1:46.3
4 GII札幌記念 札幌 芝2000 岡部幸雄 2:00.7
2 GI安田記念 東京 芝1600 田中勝春 1:33.9
14 GI有馬記念 中山 芝2500 O.ペリエ 2:37.2
1 GIマイルCS 京都 芝1600 岡部幸雄 1:33.8
14 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 柴田善臣 2:00.0
4 GI安田記念 東京 芝1600 田中勝春 1:33.4
2 GII中山記念 中山 芝1800 岡部幸雄 1:47.5
10 GI有馬記念 中山 芝2500 岡部幸雄 2:35.5
2 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 岡部幸雄 1:58.8
6 GII毎日王冠 東京 芝1800 岡部幸雄 1:49.1
2 GIII京王杯AH 中山 芝1600 岡部幸雄 1:32.7
2 GI東京優駿 東京 芝2400 岡部幸雄 2:27.5
1 GI皐月賞 中山 芝2000 岡部幸雄 2:02.5
1 OP若葉S 中山 芝2000 田中勝春 2:08.1
1 500万下セントポーリア賞 東京 芝1800 岡部幸雄 1:48.9
2 500万下赤松賞 東京 芝1600 T.ジャルネ 1:35.1
1 3歳新馬 東京 芝1400 岡部幸雄 1:22.8
2 3歳新馬 東京 芝1400 岡部幸雄 1:24.9

血統

金色の名は掲載馬 — その馬のページへ/点線の名は押すと一言解説
ジェニュインの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
What Luck
Irish Jay
Question d'ArgentTentam
Cold Reply
STORY

旅程 — この馬の物語

1992年生まれの青鹿毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母クルーピアレディー。主な勝ち鞍は皐月賞・マイルCS。

本物かどうか ― 千歳、一九九二年

1991年、サンデーサイレンスは北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬になった。アメリカでケンタッキーダービーとプリークネスステークス、ブリーダーズカップ・クラシックを勝った馬である。それでも、初年度の評価は高くなかった。種付料は1100万円と高く、申し込みは期待を下回った。集まった繁殖牝馬の多くは、吉田善哉が営む社台ファーム千歳の馬だった。翌年生まれた仔たちに対する牧場の評価も、高くはなかったという。 その牝馬のなかに、クルーピアレディーという米国産の栗毛がいた。アメリカで四十五戦して十三勝。地味だが、よく走った母である。 1992年4月28日、社台ファーム千歳に青鹿毛の牡馬が生まれる。社台レースホースが募集価格4000万円、二十口で出資者を募った。名前は英語の辞書からそのまま取られた。ジェニュイン。正真正銘の、本物の。父が本物かどうか、まだ誰にも分からなかった年に付けられた名である。 預かったのは美浦の松山康久だった。府中に生まれ、父の松山吉三郎も調教師で、自身は1983年にミスターシービーで三冠を獲っている。松山は、この馬が幼いころから骨格が大きく、ほかの馬とは明らかに違っていたと振り返る。1994年9月に入厩した。デビュー前の調教で背に乗った岡部幸雄は、しびれた、と一言で評したという。シンボリルドルフの三冠を含め、幾つものGIを勝ってきた名手である。この人が、これから三年、この馬の背にいちばん長く座ることになる。

球節 ― 二歳の冬、三歳の春

1994年10月15日、東京の芝千四百メートルでデビューした。一番人気で二着。二週間後、同じ舞台で二着に三馬身の差をつけて勝ち上がる。十一月の赤松賞はジャルネに乗り替わり、また二着だった。 陣営は暮れの朝日杯3歳ステークスを目指していた。だが球節――蹄のすぐ上にある脚の関節――に異常が出て、大一番を見送る。この球節は慢性化し、引退までこの馬につきまとった。 年が明けて、1月のセントポーリア賞を勝つ。3月18日、皐月賞トライアルの若葉ステークス。小雨で芝は不良、鞍上は田中勝春だった。先頭でゴールしたルイジアナボーイが降着になり、二番手で入線していたジェニュインが繰り上がって勝つ。クビ差の二着がマイネルブリッジ。そしてこの日、一番人気で五着に沈んだ馬がいた。タヤスツヨシ。同じサンデーサイレンスの初年度産駒である。 皐月賞の前、世代の勢力図は崩れていた。弥生賞を勝って最有力と見られたフジキセキが屈腱炎で引退する。ナリタキングオーは当日に出走を取り消した。一番人気はダイタクテイオー、二番人気はホッカイルソー。ジェニュインは三番人気、単勝6.9倍だった。

四月十六日、中山 ― 二番手のまま

曇り。芝は稍重。 ゲートが開いて先頭に立ったのは、マイネルブリッジだった。若葉ステークスでクビ差の二着に負かした馬である。ジェニュインはその二番手。岡部は一コーナーまでにその位置を取り、あとは動かなかった。 最初の三ハロンは速い。四ハロン目で、一度だけ息が入る。先頭の脚がわずかに緩み、隊列が詰まる。そこから向正面にかけて、十二秒台の半ばが四つ並んだ。先頭の二頭は変わらない。マイネルブリッジと、ジェニュイン。 三コーナー。ダイタクテイオーとハシノタイユウが上がってきて、前が四頭、横に並んだ。四コーナーを回ると、四頭はまた二頭に減っている。マイネルブリッジと、ジェニュイン。九ハロン目のラップが十一秒八。ここで先頭の脚が速くなっている。仕掛けはこの一呼吸だった。 直線。二番手から、ジェニュインが抜け出した。稍重の芝で、最後の一ハロンはもう脚色が鈍っている。後ろから来た。四コーナーで馬群の中ほどにいたタヤスツヨシが、詰めてくる。 クビ差。二分二秒五。三着のオートマチックは、さらに二馬身後ろだった。 サンデーサイレンスの仔が、初めてクラシックを勝った。二着もサンデーサイレンスの仔だった。しびれた、と名手が言った馬は、名のとおりの馬になった。

一馬身半と、鼻 ― 一九九五年の府中

ダービーは5月28日。一番人気はタヤスツヨシで、ジェニュインは二番人気に回った。今度も前に行く。マイティーフォースが逃げ、ジェニュインは二番手から三番手を進んだ。四コーナーを回っても、先頭のすぐ後ろにいる。 最後の二ハロンで、レースが加速した。十一秒二、十一秒六。その脚を最も鋭く使ったのは、四コーナーで十四番手にいたタヤスツヨシだった。一馬身半。皐月賞と同じ二頭が、順番を入れ替えて一・二着に並ぶ。三着もまた、皐月賞と同じオートマチックである。 陣営はここで距離を見切った。真面目に走りすぎる気性で、二千四百は長い。秋は菊花賞ではなく、天皇賞(秋)へ向かうと決めた。この世代に秋の天皇賞の出走権が戻ったのは1987年で、それから挑んだ三歳馬は少なく、勝った馬はいなかった。 夏を休み、9月の京王杯オータムハンデは一番人気で二着。10月の毎日王冠は重馬場で六着に沈む。前哨戦を二つ落として、10月29日の天皇賞(秋)は四番人気だった。 トーヨーリファールが逃げ、ジェニュインが二番手。ナリタブライアンが先行集団にいて、サクラチトセオーは後ろから二頭目にいた。一ハロンごとの時計を見ると、この日の府中には息を入れる区間が一度もない。十一秒台が延々と続く、前が最後まで止まらない流れだった。 直線、ジェニュインがトーヨーリファールを交わして先頭に立つ。逃げ切りの形である。そこへ大外からサクラチトセオーが来た。並んだところが決勝線だった。写真判定。ハナ差、サクラチトセオー。時計はどちらも一分五十八秒八。三歳馬が古馬を相手に、鼻ひとつのところまで来ていた。 暮れの有馬記念は三番人気で十着。岡部は、風が強くて馬のテンションが上がった、と敗因を語った。だが後に、自分の本には別のことを書いている。「東京の2000メートルでいい勝負ができたから、中山の2500メートルでもなんとか好走できるだろう、という人間サイドの欲が出た」[^1]。距離の壁だった、と。

出典:岡部幸雄『チャンピオンの密かなる愉しみ 岡部幸雄の競馬ワールド』コミュニケーションハウス、1997年(発売・大村書店)、57-58頁(ja.wikipedia.org/wiki/ジェニュイン_(競走馬) 経由で確認)、閲覧日:2026年9月5日。

十四着から三週間 ― 一九九六年、京都

四歳の春。中山記念は一番人気に推され、内で抜け出しにかかったところを、三百八十四日ぶりに走るサクラローレルに外から呑まれて二着。安田記念は田中勝春に手綱が替わって四着だった。 そこから四か月、秋の天皇賞まで走っていない。戻ってきた府中で、鞍上は柴田善臣だった。岡部はその週、カナダにいた。同じ美浦の藤沢和雄厩舎のタイキブリザードで、ブリーダーズカップ・クラシックに挑んでいたのである。ジェニュインは八番人気で十四着。勝ったのは三歳のバブルガムフェローだった。前の年にジェニュインが試して鼻差で届かなかった道を、一年後の三歳馬が走り切り、出走権が戻ってから初めての若い天皇賞馬になった。 三週間後、京都のマイルチャンピオンシップ。十四着の直後だというのに、単勝は一番人気だった。4.9倍。岡部が戻ってきた。 流れは速かった。二ハロン目に十秒七が刻まれている。前半でこれだけ使えば、終いは止まる。ジェニュインは中団のやや前。四コーナーを回っても、まだ前に何頭かいた。 直線、前が止まった。最後の二ハロンは十二秒二、十二秒三。その減速のなかを、ジェニュインが差し切る。後ろから二頭目にいたショウリノメガミが追い込んできたが、半馬身残した。一分三十三秒八。二つ目のGIである。松山康久にとっても、皐月賞以来のGIだった。そしてこれが、結果としてこの馬の最後の勝利になる。 暮れの有馬記念はペリエに乗り替わって十四着。一年は、二つの十四着と一つのGIで終わった。

鼻先の向こう側 ― 一九九七年

五歳。春は安田記念から始まった。田中勝春が乗り、五番人気。馬体は前走から十二キロ減っていた。四コーナーで前にいたのはジェニュインのほうである。追い込んできたタイキブリザードに、直線で交わされた。クビ差。鞍上は岡部幸雄だった。三年前の秋にこの馬の背で、しびれた、と言った男が、鼻先の向こうにいた。 夏の札幌記念で、岡部が戻ってくる。相手は復帰二戦目のエアグルーヴ。伊藤雄二はこの一戦を、秋の天皇賞に通用するかどうかを測る物差しに使った。物差しに立てられたジェニュインは、四着。 毎日王冠は武豊で五着。そして10月26日の天皇賞(秋)。田中勝春、三番人気。サイレンススズカが大逃げを打ち、ジェニュインは中団にいた。直線はエアグルーヴとバブルガムフェローの二頭だけの競馬になり、三着に入ったジェニュインは、五馬身後ろにいた。バブルガムフェローの鞍上は、岡部幸雄である。 11月16日、マイルチャンピオンシップ。連覇を狙って九着に終わり、タイキシャトルが勝った。十日後に競走馬登録を抹消。松山は、この馬の成績はその時々の球節の状態に左右された、と振り返っている。 二十一戦五勝。二着が七度。勝った五つのうち二つがGIで、負けた七つの二着のうち三つがGIだった。鼻とクビの差が、この馬の戦績には多い。

答えは、四月に

種牡馬入りは社台スタリオンステーション。父と同じ場所だった。初年度に百二十二頭を集め、その後も年に百頭を超える牝馬が続いた。2000年にレックススタッドへ移り、翌年からはオーストラリアとの間を往復する。中央の平地重賞を勝った産駒は、メイプルロードの小倉2歳ステークス一つ。2004年はオーストラリアに残ったが、翌春、ドンクールがデビューから四連勝して評価が戻り、急ぎ帰国して百四十四頭に種付けした。それでも日本ではGIに届かない。代わりにオーストラリアに残した仔のポンペイルーラーが、2007年のオーストラリアンカップを勝つ。日本では果たせなかった、産駒のGI級勝利だった。 同じ2007年の秋、京都の菊花賞をアサクサキングスが勝った。母はクルーピアスター。ジェニュインの全妹である。自分は距離を見切って走らなかった三千メートルを、妹の子が走り切った。 2009年に種牡馬を退き、いくつかの牧場を経て、最後は社台スタリオンステーションに戻って余生を送った。2015年1月19日、放牧中のケガで死ぬ。二十三歳だった。 本物かどうか。父が種牡馬になって五年目の春、その問いに最初の答えを出したのが、この馬の皐月賞である。サンデーサイレンスはその1995年、二世代の産駒だけでリーディングサイアーの座に就き、以後十三年、誰にも譲らなかった。 人間の側の欲だった、と岡部は有馬記念のことを書いた。だが、父が本物かどうかを早く知りたがっていたのは、あの日の鞍上ひとりではない。三歳のこの馬は、その一年で千六百から二千五百まで、ありとあらゆる距離を走らされた。答えは四月の中山で、とうに出ていたのに。四つ角を二頭で回り、直線を一頭で抜け出した、あのクビ差のなかに。 岡部は2005年の春に鞭を置いた。しびれた、と言ってから十年余りが過ぎていた。

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