名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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ゴールドシチーのイメージビジュアル
ゴールドシチーGold City
Gold City

ゴールドシチー

通算成績20戦3勝

獲得賞金17,588万円

生年月日 1984.04.16(昭和59年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ゴールドシチーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
10 GI宝塚記念 阪神 芝2200 11人気 本田優 2:15.7 上り50.1映像
11 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 6人気 本田優 3:21.0 上り50.0映像
3 GII産經大阪杯 阪神 芝2000 7人気 本田優 2:02.1 上り49.3
12 GIジャパンカップ 東京 芝2400 13人気 本田優 2:26.9 上り48.7映像
3 GII京都大賞典 京都 芝2400 3人気 本田優 2:27.6 上り47.9
5 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 3人気 河内洋 3:23.7 上り51.6映像
4 GIIサンケイ大阪杯 阪神 芝2000 3人気 河内洋 2:02.0 上り47.9
6 GII鳴尾記念 阪神 芝2500 1人気 河内洋 2:34.4 上り49.3
2 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 河内洋 3:08.1 上り49.5映像
GII京都新聞杯 京都 芝2200 2人気 猿橋重利 2:16.8 上り48.8
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 4人気 猿橋重利 2:03.0 上り46.9
4 GI東京優駿 東京 芝2400 2人気 本田優 2:28.9 上り48.8映像
2 GI皐月賞 中山 芝2000 11人気 本田優 2:02.3 上り36.9映像
6 GIIフジTVスプリングS 中山 芝1800 5人気 本田優 1:49.9 上り37.4
1 GI阪神3歳S 阪神 芝1600 3人気 本田優 1:37.1 上り47.4
1 OPコスモス賞 函館 芝1700 6人気 本田優 1:45.6 上り35.0
2 GIII札幌3歳S 札幌 ダ1200 7人気 本田優 1:13.4 上り38.2
1 3歳未勝利 札幌 ダ1200 1人気 本田優 1:13.9 上り37.9
2 3歳新馬 札幌 ダ1200 3人気 本田優 1:14.4 上り38.3
5 3歳新馬 札幌 ダ1000 3人気 本田優 1:03.0 上り37.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ゴールドシチーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ヴァイスリーガルNorthern DancerNearctic
Natalma
Victoria ReginaMenetrier
Victoriana
イタリアンシチーテスコボーイTesco BoyPrincely Gift
Suncourt
リンネスフィダルゴ
ジーゲリン
STORY

旅程 — この馬の物語

1984年生まれの栗毛の牡馬。父ヴァイスリーガル、母イタリアンシチー。主な勝ち鞍は阪神3歳S。

金色のたてがみ ― 門別、一九八四年四月

1984年4月16日、北海道門別町の田中茂邦牧場に、栗毛の牡馬が生まれた。たてがみと尾だけが金色に近い。尾花栗毛と呼ばれる、生まれつき目を引く毛色だった。 その金は父から来ている。父ヴァイスリーガルはカナダの年度代表馬で、全弟には名種牡馬デピュティミニスターを送り出したヴァイスリージェントがいる。1975年から日本で種牡馬になったが、この仔が生まれた十三日後に死んだ。父の顔を知らずに生まれた仔が、結局、この父が日本で出した唯一のGI勝ち馬になる。 母イタリアンシチーの側は、日本の古い牝系である。祖母リンネスは重賞に格上げされる前の小倉3歳ステークスを勝ち、四代母ヒロイチは1955年の優駿牝馬を勝っている。半弟には、のちに京王杯オータムハンデキャップを勝つクラウンシチーがいる。 名は毛色そのままに付けられた。「シチー」は馬主・友駿ホースクラブの冠名で、日本で最初にできた会員制の愛馬会法人が、初期の所有馬に世界の都市の名を与えた名残である。だからこの馬の名で意味を担っているのは、前半の一語だけだ。ゴールド。 1986年の春、栗東で厩舎を開いたばかりの清水出美のもとに入った。清水は騎手として1968年の桜花賞を勝ち、1984年に鞍を降りて、この年に厩舎を構えたばかりだった。届いた馬は好馬体で、しかし気性がひどく荒い。この馬はとんでもない成績を残すか、すぐに終わってしまうかのどちらかだ――清水は最初にそう思ったという。 6月15日、札幌のダート1000m。鞍上は本田優。出遅れて後方のまま追い込み、5着。二戦目で2着、三戦目の7月12日に初勝利を挙げた。それは、のべ三十二頭目の出走でようやく届いた清水厩舎の最初の一勝でもあった。 月末の札幌3歳ステークスは七番人気で2着。九月、函館のコスモス賞で初めて芝を走り、勝った。

一分三十七秒一 ― 阪神、暮れ

1986年12月14日、阪神。芝1600m。関西の三歳王者を決める一戦に、八頭が集まった。 輪乗りから、馬は落ち着かなかった。本田優はのちに、振り落とされないようにするのが精一杯だったと語っている。 ゲートが開いても、流れは緩い。ハロンごとの時計は12秒台で刻まれ、前半のペースは上がらない。行きたがる馬にとって、これほど苦しい設定はない。本田はなだめながら二番手につけた。二コーナー、三コーナー、隊列は動かない。 四コーナーで、ゴールドシチーは自分から先頭に出た。 直線を向くと、ハロンの時計は11秒台に上がる。この馬は前が空いた瞬間に伸びた。半馬身、一馬身。あとは押し切るだけの形になった。 そこで、馬が気を抜いた。 記録に残っているのは、最後の1ハロンが12秒2という数字だけである。その直前まで11秒台で走っていた脚が、急に鈍る。ゴール板の手前で、後ろから二頭が並びかけてきた。並ばれて、ゴールドシチーはもう一度伸びた。三頭が横一線でゴール板を通過する。 写真判定。 三頭とも1分37秒1。同じ時計だった。一着に確定したのはゴールドシチーで、二着サンキンハヤテとの差はアタマ、三着まではさらにハナだった。 本田優にとって、初めてのGIだった。開業一年目の清水出美にとっても、友駿ホースクラブにとっても、田中茂邦牧場にとっても、初めてのGIだった。四つの「初めて」が、一枚の写真の上で重なっていた。

関西から、ただ一頭 ― 一九八七年皐月賞

その年の暮れ、優駿賞の三歳牡馬部門は票が割れた。関東の王者メリーナイスと、関西の王者ゴールドシチー。東西を比べる材料が乏しいという理由で、最優秀三歳牡馬――いまの最優秀二歳牡馬――は二頭同時に選ばれた。 1987年の始動は中山のスプリングステークス。パドックで焦れ込む姿は相変わらずで、レースは6着に終わる。勝ったのは素質を評判されていたマティリアルだった。 4月19日、皐月賞。二十頭が枠に入ったが、関西からの遠征はゴールドシチー一頭だけである。しかも四日前に疝痛を起こしていた。人気は十一番人気まで落ちる。 レースは前半に11秒台のハロンを二つ挟む速い流れになり、勝ち馬の上がり三ハロン(最後の600m)は37秒8まで掛かった。前で運んだ馬から順に苦しくなる展開である。 三コーナーを回るとき、ゴールドシチーは後ろから数えたほうが早い位置にいた。そこから四コーナーで外へ持ち出し、直線は大外を走って十数頭を抜き去っていく。 先に抜け出したサクラスターオーには2馬身半届かなかった。それでも、一番人気のマティリアルをアタマ差で抑えて二着に食い込む。体調が万全ならもっと際どい勝負になっていた、と本田は振り返っている。

向正面で、気を抜いた ― 一九八七年東京優駿

皐月賞のあと、勝ったサクラスターオーが両前脚の繋靱帯炎で戦線を離れた。 一方のゴールドシチーは、陣営が生涯最高と言うほどの状態でダービーを迎える。二番人気。一番人気はまたマティリアルだったが、前走から馬体重を16kg減らしていた。あの馬体を見れば調子を落としているのは分かる、強敵が一頭消えた――本田はそう感じたという。 5月31日、東京。二十四頭。 ゴールドシチーは中団から進み、二コーナーを過ぎて一度前をうかがった。そこまではよかった。向正面の出口で、この馬は癖を出す。前が開けて楽な形になると、気を抜いてしまうのだ。半年前の阪神でゴール前の一瞬だけ見せた緩みが、ここでは道中で出た。 三コーナーの通過順位は、二十四頭のうち二十番手あたりまで落ちている。 直線では鋭く伸びた。伸びたが、そのときすでにメリーナイスは二着に6馬身の差をつけて先頭を走っていた。ゴールドシチーは四着。マティリアルは十八着だった。 レース後、道中で位置を下げたことが「マティリアルを意識しすぎた」と受け取られ、本田の騎乗に批判が集まる。本田は否定している。あの馬体を見て調子を落としていると感じない騎手はいない、意識などしていない、と。そして、これからは絶対にこの馬主の馬には乗るものかと思うほど腹が立った、とも述べている。 本田優が騎手として初めて跨った馬はロビンソンシチー、初めて重賞を勝った馬も同じロビンソンシチーだった。青に赤袖の勝負服は、この男のキャリアの最初から隣にいた。その勝負服に、彼は背を向けると言ったのである。

秋、鞍が三度替わる ― 菊花賞まで

夏を休養に充て、秋は9月の神戸新聞杯から始めた。鞍上は本田優から猿橋重利に替わっている。三番手を進んだが、逃げるヒデリュウオーと、この年の桜花賞と優駿牝馬を勝ったマックスビューティを捉えきれず、三着。 続く京都新聞杯で事故が起きた。スタート直後にゴールドシチーが外へ斜行し、ミリオンキャスパーを転倒させたのである。三位で入線したが失格。猿橋には開催六日間の騎乗停止が科され、菊花賞に乗ることはできなくなった。走らせた側の過失であり、裁定は当然のものだった。 菊花賞の鞍上には、関西のトップジョッキー河内洋が迎えられる。人気は二番。 11月8日、京都、芝3000m。長距離らしく道中は13秒台まで緩む区間があり、ゴールドシチーは四コーナーを七番手で回った。残り800mを過ぎてハロンが11秒8まで上がり、そこからは12秒5、12秒7、13秒1と落ちていく。前も後ろも脚が上がる、消耗戦の終わり方である。 直線で先に抜け出したのは、皐月賞以来の実戦だったサクラスターオーだった。ゴールドシチーは半馬身届かない。三着との差も半馬身。この長い一戦でこの馬より前に出られたのは、一頭だけだった。 春も秋も、同じ馬の半歩後ろ。 12月の鳴尾記念で、ゴールドシチーは重賞で初めて一番人気に推された。結果は六着。勝ったのは、クラシックに一度も出てこなかった同期の芦毛――タマモクロスである。

熱い時代の、真ん中で

1988年と1989年、ゴールドシチーは七度走った。 1988年の春は河内洋を背にサンケイ大阪杯四着、天皇賞は五着。この天皇賞を勝ったのは、鳴尾記念で先着したタマモクロスである。そこから一年、あの芦毛が日本競馬の中心になっていく。 秋の京都大賞典で、本田優が鞍に戻ってきた。一年四か月ぶりだった。乗るものかと言った男が、何も言わずに同じ馬の背に座り直している。結果は三着。そのまま東京へ運ばれ、ジャパンカップに出走した。勝ったのはアメリカのペイザバトラー、二着タマモクロス、三着オグリキャップ。ゴールドシチーは十二着だが、勝ち時計との差は1秒4しかない。 このジャパンカップを観るために、イギリスの作家ディック・フランシスが初めて来日していた。障害競走の元リーディングジョッキーでもある彼は、印象に残った一頭としてゴールドシチーを挙げ、非常に美しくて魅力的な栗毛だと評している。着順ではなく、姿の話だった。 1989年。産経大阪杯は三着で、勝ったのはヤエノムテキ。春の天皇賞は十一着、宝塚記念は十着で、どちらもイナリワンが勝った。6月11日の阪神が、最後の一戦になる。 最後の二年、この馬が同じゲートに並んだ相手は、タマモクロスオグリキャップヤエノムテキイナリワンだった。日本の競馬がいちばん熱を持った時期の、その真ん中である。勝ち星は増えなかった。それでも、この馬は三年のあいだ、一度もその舞台から降りなかった。

宮崎の放牧場 ― そして、十四年

競走馬を退いたゴールドシチーは、日本中央競馬会が持つ宮崎の施設へ送られ、乗馬になった。GIを勝った馬体と気性なら、障害飛越で大成するかもしれない。関係者はそう期待したという。 だが、この馬は他の馬と馴染まなかった。放牧場では喧嘩を繰り返していた。暮れの阪神で輪乗りの鞍上を振り落としかけた気性は、そのまま残っていたことになる。 1990年5月1日、放牧場で右前脚を浮かせて立っているところを発見される。応急処置が施されたが、翌2日のレントゲンで右前腕骨の骨折と分かり、予後不良と診断された。折れた瞬間を見た者はいない。他馬を挑発して逃げる途中で転んだのか、蹴られたのか、柵に当たったのか。関係者は最後まで結論を出せなかったという。六歳だった。 残った記録は、GI一勝と、三冠のうち二つでの二着である。皐月賞で2馬身半、菊花賞で半馬身。どちらも、同じ馬の背中を見ていた。漫画家のよしだみほは、いちばんきれいだった馬を訊かれたら反射的にこの馬と答えると書き、成績ではなく姿で人の心に残る馬がいてもいいはずだ、と続けている。ディック・フランシスが名を挙げたのも、着順とは関係のないところだった。 けれど、この馬が残したのは姿だけではない。あの暮れの阪神で、一枚の写真は四つの「初めて」を同時に運んでいる。そのうちの一つを受け取った本田優は、次のGIを勝つまでに十四年待った。2000年12月、彼は阪神3歳牝馬ステークスをテイエムオーシャンで勝つ。ゴールドシチーが勝ったのと同じ競馬場、同じ距離、同じ師走の一戦だった。翌年その馬で桜花賞と秋華賞を勝ち、2007年に鞍を降りて調教師になる。青に赤袖の勝負服に背を向けると言った男は、結局この馬の最後の一戦まで乗っていた。 この馬自身は、種牡馬にならないまま逝った。それでも、祖母リンネスから伸びた糸は切れていない。二十年あまりのち、その牝系からエスポワールシチーが出て、ダートのGI級を九つ勝つ。同じ青に赤袖が、また大レースの表彰式に立った。門別で生まれた金色のたてがみは、六年で消えている。消えなかったのは、その金を一度でも見てしまった人の目のほうだった。

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