名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ヒシアケボノのイメージビジュアル
ヒシアケボノHishi Akebono
Hishi Akebono

ヒシアケボノ

通算成績30戦6勝

獲得賞金32,426万円

生年月日 1992.02.27(平成4年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ヒシアケボノの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
9 GIスプリンターズS 中山 芝1200 10人気 中舘英二 1:09.4 上り36.3映像
7 GIICBC賞 中京 芝1200 7人気 角田晃一 1:09.5 上り36.1
14 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 16人気 角田晃一 1:35.9 上り39.0映像
11 GIIスワンS 京都 芝1400 10人気 角田晃一 1:22.2 上り36.1
13 GIIIセントウルS 阪神 芝1400 1人気 角田晃一 1:22.2 上り37.0
5 OPバーデンバーデンC 福島 芝1200 1人気 角田晃一 1:07.8 上り34.5
8 GI安田記念 東京 芝1600 13人気 角田晃一 1:34.6 上り35.7映像
14 GI高松宮杯 中京 芝1200 8人気 角田晃一 1:09.5 上り35.9
15 GIIIシルクロードS 京都 芝1200 2人気 河内洋 1:09.0 上り35.2
8 OP洛陽S 京都 芝1600 3人気 角田晃一 1:35.4 上り37.0
4 GIスプリンターズS 中山 芝1200 4人気 角田晃一 1:09.7 上り35.7映像
15 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 4人気 角田晃一 1:35.7 上り37.7映像
11 GIIスワンS 京都 芝1400 3人気 角田晃一 1:20.1 上り35.7
3 GI安田記念 東京 芝1600 12人気 角田晃一 1:33.2 上り35.6映像
3 GI高松宮杯 中京 芝1200 1人気 角田晃一 1:08.0 上り34.6
3 GIIIシルクロードS 京都 芝1200 1人気 角田晃一 1:07.9 上り34.0
1 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 角田晃一 1:08.1 上り34.7映像
3 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 2人気 角田晃一 1:33.9 上り36.1映像
1 GIIスワンS 京都 芝1400 4人気 角田晃一 1:19.8 上り34.7
6 東京盃 大井 ダ1200 1人気 河内洋 1:12.9
3 GIII京王杯オータムH 中山 芝1600 2人気 河内洋 1:32.7 上り35.2
1 スポニチやまなみS 小倉 芝1200 2人気 角田晃一 1:09.0 上り35.0
1 有明特別 小倉 芝1200 1人気 角田晃一 1:09.1 上り35.7
1 筑紫特別 小倉 芝1200 1人気 河内洋 1:08.6 上り34.7
1 4歳未勝利 中京 芝1200 1人気 河内洋 1:09.5 上り35.5
5 4歳未勝利 中京 ダ1700 1人気 武豊 1:49.9 上り39.7
4 4歳未勝利 京都 ダ1200 1人気 田中勝春 1:13.0 上り38.0
3 4歳未勝利 東京 ダ1200 1人気 田中勝春 1:13.6 上り38.2
2 3歳新馬 東京 芝1600 2人気 田中勝春 1:35.5 上り36.7
4 3歳新馬 東京 芝1600 2人気 田中勝春 1:36.8 上り35.6

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ヒシアケボノの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
WoodmanMr. ProspectorRaise a Native
Gold Digger
プレイメイトPlaymateBuckpasser
Intriguing
MysteriesSeattle SlewBold Reasoning
My Charmer
PhydillaLyphard
Godzilla
STORY

旅程 — この馬の物語

1992年生まれの黒鹿毛の牡馬。父Woodman、母Mysteries。主な勝ち鞍はスプリンターズS・スワンS。

五百五十二キロで始まった

1994年11月5日、東京競馬場の芝1600メートル。三歳新馬戦のゲートに、明らかに一頭だけ体つきの違う馬が入った。アメリカ生まれの黒鹿毛、ヒシアケボノ。この日の馬体重は552キロあった。結果は4着。半月後、同じ東京の同じ距離でもう一度新馬戦を使い、今度は2着まで押し上げたが、勝ち切れないまま年を越した。鞍上はどちらも田中勝春だった。 預かったのは栗東の佐山優である。騎手時代の佐山は、体重が重くて平地に乗り続けられず、二年目から障害競走へ移った人だった。障害の重賞を八つ勝ち、タカライジンで京都大障害を春秋連覇し、1984年に厩舎を開いている。自分の体重に進路を決められた男のもとへ、体重で語られることになる馬が来た。 馬主は阿部雅一郎。「ヒシ」は父・雅信の代からの屋号「菱雅」に由来する冠名である。阿部は国内の庭先取引の閉鎖性に阻まれ、1989年からケンタッキーの競り市に活路を求めていた。ヒシアケボノも、その海の向こうの買い物のひとつだった。父ウッドマンはミスタープロスペクターの息子、母ミステリーズの父はシアトルスルー。両側からアメリカの一線級の血が入っている。

五百十八キロの春

明けて1995年、勝てない春が続いた。5月20日、東京のダート1200メートル。ゲート入りの馬体重は518キロで、前走から二十八キロ減っていた。1番人気で3着。六月に入って京都で4着、中京のダート1700メートルでは武豊が手綱を取って5着。三戦とも1番人気に支持され、三戦とも勝てなかった。デビューから五戦、この馬はまだ勝ち星を持っていなかった。 流れが変わったのは七月八日である。中京の芝1200メートル。河内洋を背に、二着に2秒2の差をつけて初勝利を挙げた。距離と馬場が合った瞬間、まるで別の馬になった。 そこからは小倉に居着く。筑紫特別、有明特別、やまなみステークス。三つとも危なげなく押し切り、初勝利から数えて四連勝でオープンに出た。馬体は530キロ、540キロと戻っていく。減ったぶんを取り返しながら勝ち続けた夏だった。 この三連勝の途中から手綱を取ったのが角田晃一である。1989年のデビュー年に43勝を挙げて最多勝利新人騎手に選ばれ、1991年にシスタートウショウで桜花賞、1994年にはノースフライトで安田記念とマイルチャンピオンシップを勝っていた。最初の五年で挙げた重賞十一勝のうち十が牝馬でのもので、この頃には「牝馬の角田」と呼ばれている。その角田のもとへ、五百キロを大きく超える牡馬が回ってきた。 秋は中山の京王杯オータムハンデキャップで勝ち馬と同タイムの3着。大井へ遠征した東京盃は1番人気で6着に沈んだ。ダートでは通用しないことが、これではっきりした。

京都、1分19秒8

10月28日、京都競馬場の芝1400メートル、スワンステークス。十四頭立ての大外枠で、4番人気。馬体重は556キロ、前走から十一キロ増えていた。 序盤から息の入らない流れになった。三コーナーを四番手、四コーナーも四番手。位置をひとつも動かさないまま直線を向き、そこから前を捨てた。時計は1分19秒8。芝1400メートルの日本レコードだった。二着ノーブルグラスとの差は四馬身ある。 続くマイルチャンピオンシップでは2番人気に支持された。勝ったトロットサンダーから0.2秒差の3着。一ハロン延びると、最後に伸ばす脚がわずかに足りない。それでも、この二戦で短距離路線の中心にこの馬の名が挙がるようになった。

十二月十七日、中山

1995年12月17日、中山競馬場。晴れ。芝は良。 馬体重が発表される。560キロ。この頃には、この馬の数字が読み上げられること自体が、ひとつの見せ場になっていた。 ゲートが開く。先手を取ったのは外枠の一頭で、二本目のハロンがこの日いちばん速く刻まれた。前半は息の入らない流れになる。角田は動かない。ヒシアケボノは中団のうしろ、七、八番手にいた。 三コーナー。前で一頭が抜け出し、そのすぐ後ろに三頭、さらに二頭。隊列は固まったまま、順位はほとんど動かない。角田はまだ待っている。 四コーナーで、二つ上がった。前を走るのは、逃げた一頭を含めて四頭だけになる。 中山の1200メートルは、四コーナーを回れば残り三百メートルほどしかない。ここから加速した。前が止まるのを待つのではなく、自分の脚で距離を詰めていく。先頭に並び、そのまま出た。 後ろから、小柄な追い込み馬が伸びてくる。ビコーペガサス。前年もこのレースで二着に来ていた馬である。届かない。差は1と1/4馬身のまま、二頭はゴール板を過ぎた。 時計は1分8秒1。角田晃一が、この馬で初めて手にしたGIだった。

百二十八キロの差

一着と二着の馬体重の差は、百二十八キロあった。この日の560キロは、JRAのGI競走を勝った馬の馬体重として最も重く、2024年の時点でも破られていない。 年末のJRA賞で、ヒシアケボノは最優秀短距離馬に選ばれた。角田は前年にノースフライトで安田記念とマイルチャンピオンシップを勝っている。この一勝によって、当時の古馬短距離GIをすべて手中に収めたことになった。「牝馬の角田」の代表馬は、こうしていちばん大きな牡馬になった。 当時、大相撲の土俵の中心には同じ名を持つ横綱・曙太郎がいた。競馬場でも場外の売り場でも、この馬の馬体重が発表されるたびにどよめきが起きる。今日は何キロ増えているのか——ファンは走り出す前に、一度この馬を見ていた。 1996年、体はさらに膨らんでいく。シルクロードステークスは1番人気で3着、この年からGIに格上げされた高松宮杯も1番人気で3着。どちらも勝ったのはフラワーパークだった。 六月九日の安田記念は12番人気だった。550キロで東京のマイルへ向かい、しかも逃げた。三コーナーも四コーナーも先頭。直線でトロットサンダーとタイキブリザードに交わされ、0.1秒差の3着に終わる。1200メートルの馬が、マイルのGIをほとんど勝ちかけていた。 このレースには、同じ白地に青二本輪の勝負服がもう一頭いた。ヒシアマゾン、10着。阿部雅一郎が海の向こうの競り市で買い集めた二頭が、ひとつのゲートに並んだ日である。 秋、体重は制御を離れた。10月のスワンステークスは前走から三十キロ増えて580キロ、11着。続くマイルチャンピオンシップはさらに二キロ増の582キロで15着。連覇のかかったスプリンターズステークスは566キロまで絞って出走したが、スタートで後手を踏んで4着だった。発表のたびに起きるどよめきは、もう祝祭の音ではなくなっていた。

六十一キロを背負って

1997年は、斤量との一年になった。一月の洛陽ステークスで62キロ、六月の福島・バーデンバーデンカップで61キロを課されている。二年前に何をした馬なのかが、そのまま重さになって背中に載っていた。 61キロを背負ったバーデンバーデンカップで、勝ち馬から0.3秒差の5着。この年もっとも見どころのある競馬が、それだった。高松宮杯14着、安田記念8着、セントウルステークス13着、スワンステークス11着、マイルチャンピオンシップ14着、CBC賞7着。重賞では一度も掲示板に載れなかった。 12月14日、中山のスプリンターズステークス。鞍上は中舘英二だった。同じ勝負服でヒシアマゾンの重賞勝ちをすべて導いてきた騎手である。結果は9着、勝ったのはタイキシャトル。これがヒシアケボノの最後の一戦になり、翌1998年2月1日に競走馬登録を抹消された。 30戦6勝。その六つの勝ち星は、すべて1995年のものである。中京で一つ、夏の小倉で三つ、京都で日本レコードを一つ、そして中山でGIをひとつ。一年のうちに、この馬は持っているものを全部出し切っていた。

走り出す前の、もうひとつのゴール前

種牡馬となったヒシアケボノは、千葉県印旛郡の日本軽種馬協会下総種馬場に繋養された。2007年8月には茨城県の東京大学農学部附属牧場へ移り、そこでも種付けを続けている。2008年10月に体調を崩し、11月19日に病死した。十六歳だった。 母ミステリーズは、この馬のあとにもう一頭、走る子を産んでいる。半弟アグネスワールドは1999年にフランスのアベイユドロンシャン賞、2000年にイギリスのジュライカップを勝ち、日本で調教された馬として初めて国外二か国のGIを制した。甥のドバイデスティネーションは2003年のクイーンアンステークスを勝っている。自身の産駒に大物は出なかったが、娘ヒシアスカの産んだクラウンロゼが2013年のフェアリーステークスを制し、母の父としてはじめて重賞に名を残した。 佐山優と角田晃一、そして阿部雅一郎の組み合わせは、これで終わらなかった。七年後、三人はヒシミラクルで菊花賞と天皇賞(春)と宝塚記念を勝つ。佐山は2014年に定年で引退した。角田は2010年に騎手を辞め、翌年、栗東に自分の厩舎を開いている。調教師として初めて勝った重賞は2013年のファンタジーステークス、二歳牝馬のレースだった。牝馬で名を上げた男は、育てる側に回ってからも、最初の重賞を牝馬で手にしたことになる。 競馬場のどよめきは、ふつう決着の瞬間に生まれる。ゴール板の手前、勝負の決まる数秒に、人はいっせいに声を上げる。ヒシアケボノは、そこへ行き着く前にもう一度、同じ音を受け取っていた馬だった。掲示に数字が出るだけで、スタンドも場外の売り場もざわめいたからである。走りより先に、その体そのものが人を動かした。 だから、1995年12月17日の中山は二度あったのだと思う。一度目は、パドックの掲示の前で。二度目は、四コーナーを回って、あの体が誰よりも前に出たときに。

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