名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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ヒシアマゾンのイメージビジュアル
ヒシアマゾンHishi Amazon
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ヒシアマゾン

通算成績20戦10勝

獲得賞金69,582万円

生年月日 1991.03.26(平成3年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ヒシアマゾンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
5 GI有馬記念 中山 芝2500 5人気 河内洋 2:35.0 上り37.0映像
7(降) GIエリザベス女王杯 京都 芝2200 5人気 中舘英二 2:14.3 上り34.2映像
10 GI安田記念 東京 芝1600 4人気 中舘英二 1:33.9 上り35.4映像
5 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 中舘英二 2:34.6 上り35.7映像
2 GIジャパンカップ 東京 芝2400 2人気 中舘英二 2:24.8 上り34.7映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 1人気 中舘英二 2:25.3 上り34.6
1 GII産経賞オールカマー 中山 芝2200 1人気 中舘英二 2:16.3 上り34.9
5 GII高松宮杯 中京 芝2000 1人気 中舘英二 2:03.0 上り37.6
2 GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 中舘英二 2:32.7 上り35.2映像
1 GIエリザベス女王杯 京都 芝2400 1人気 中舘英二 2:24.3 上り34.8映像
1 GII関西TVローズS 阪神 芝2000 1人気 中舘英二 2:00.0 上り35.3
1 GIIIクイーンS 中山 芝2000 1人気 中舘英二 2:02.9 上り35.8
1 GIINZT4歳S 東京 芝1600 1人気 中舘英二 1:35.8 上り34.3
1 GIIIクリスタルC 中山 芝1200 1人気 中舘英二 1:08.5 上り34.7
1 GIIIデイリー杯クイーンカップ 東京 芝1600 1人気 中舘英二 1:35.3 上り35.9
2 GIII京成杯 中山 芝1600 1人気 中舘英二 1:34.2 上り35.9
1 GI阪神3歳牝馬S 阪神 芝1600 2人気 中舘英二 1:35.9 上り36.5映像
2 GII京成杯3歳S 東京 芝1400 6人気 中舘英二 1:22.9 上り34.7
2 プラタナス賞 東京 ダ1400 3人気 江田照男 1:26.3 上り38.5
1 3歳新馬 中山 ダ1200 1人気 中舘英二 1:13.7 上り38.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ヒシアマゾンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
TheatricalNureyevNorthern Dancer
Special
ツリーオブノレッジTree of KnowledgeSassafras
Sensibility
KatiesノノアルコNearctic
Seximee
MortefontaineポリックPolic
Brabantia
STORY

旅程 — この馬の物語

1991年生まれの黒鹿毛の牝馬。父Theatrical、母Katies。主な勝ち鞍は阪神3歳牝馬S・エリザベス女王杯・デイリー杯クイーンカップ。

「ヒシ」の娘、ケンタッキーに生まれる

1991年3月26日、アメリカ・ケンタッキー州で黒鹿毛の牝馬が生まれた。生産者の欄に記されているのは、馬主である阿部雅一郎その人の名である(生産牧場はテイラーメイドファーム)。 冠名の「ヒシ」は、父の代の屋号「菱雅」から取ったものだ。阿部が海の向こうで馬を買ったのには理由がある。当時の日本の生産界は牧場と馬主が直接取引する庭先取引が中心で、あとから入った買い手が良い馬に手を届かせるのは難しかった。そこで彼は、セリ市の開かれたアメリカに買い場を求めた。 父Theatricalは名種牡馬、母Katiesはアイルランド1000ギニーを勝った牝馬である。血は一流だった。名は、冠名に、古代ギリシャの伝説で勇猛をうたわれた女たちの部族の名を継いだものだという。 ただし日本では、生まれた場所が走れるレースを決めていた。当時、外国産馬にクラシックの出走権はない。桜花賞にも優駿牝馬にも、この馬は出られなかった。 1993年9月19日、中山のダート1200m。ソエが出ていて芝は脚に負担が大きいと判断され、初戦はダートが選ばれた。鞍上は中舘英二。デビュー十年目。前年に初めての重賞を勝ったばかりで、長く年に二、三十勝を重ねてきた中堅だった。1番人気に応えて勝ち、この日から二人は、二度の例外をのぞくすべてのレースを一緒に走ることになる。

五馬身と、負けてはいけない立場

二戦目のプラタナス賞は江田照男が乗って2着。三戦目は芝に替わり、京成杯3歳ステークスでまた2着だった。ここまでの三戦は、いずれも牡馬の混じる番組で、牝馬だけの競走はまだ一度も走っていない。 12月5日、阪神3歳牝馬ステークス。同世代の牝馬が集まる初めての舞台である。好位から抜け出すと、2着ローブモンタントとの差は五馬身に開いた。時計は1分35秒9のレコード。デビュー四戦目でGI馬になり、その年の最優秀3歳牝馬に選ばれる。中舘にとっても、初めてのGI制覇だった。 年が明けると、同期の牡馬たちはクラシックへ向かう。彼女に行き先はない。京成杯で2着に敗れたあと、クイーンカップ、クリスタルカップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスと勝った。1600m、1200m、また1600m。番組を選ぶというより、出られる番組を拾っていた。 中山のクリスタルカップは、いまも語り継がれている。前半三ハロンが33秒3という速い流れの1200m戦で、四コーナーを回っても前は遠い。残り100mでなお四馬身あった差を、そこから逆に一馬身つけて勝った。 「それまでのヒシアマゾンは負けてはいけない立場だったので、うしろから行って、大外を通って、着差は小さくても最後に勝てばいいというレースをしていたんです」[^1]。のちに中舘はそう語っている。勝つことだけでなく、勝ち方までが、この馬の義務だった。

出典:Number Web「女傑たちの記憶 『中舘英二が語る、ヒシアマゾン×ナリタブライアン』 ~秋競馬・名勝負列伝~」(文・江面弘也)2009年10月9日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/12464、閲覧日:2026年8月3日。

京都、二千四百メートル

秋、クイーンステークスとローズステークスを勝って、十一月の京都へ向かった。エリザベス女王杯は当時、四歳(現三歳)牝馬だけの競走で、牝馬三冠の最終戦に置かれていた。 枠には、桜花賞を勝ったオグリローマンがいた。優駿牝馬を勝ったチョウカイキャロルもいた。春に彼女には出走権の無かった二つのレース、その勝ち馬たちが、同じゲートに入っている。 発走。一コーナーを回るとき、彼女は十六、七番手にいた。先頭は後ろを大きく離して飛ばし、千メートルの通過は58秒1。二千四百メートルの流れとしては速すぎる。速い流れは後ろの馬に味方するが、それは届いた場合の話だ。 向正面で、外へ持ち出す。三コーナーで中団まで、四コーナーでは先行勢のすぐ後ろまで、位置がひとつずつ上がっていく。前にはオークス馬がいる。 直線。逃げた馬の脚が鈍り、前にいた馬たちも一頭ずつ止まりはじめる。外から並びかけた。並んでからが長かった。オークス馬は下がらない。二頭は肩を並べたまま、残りの距離を削り合った。 ハナ差。 春に扉が開いていれば同じ舞台で戦っていたはずの相手を、ヒシアマゾンは鼻先ひとつだけ抜いて、世代の頂点に立った。

三冠馬の隣へ

クイーンカップからエリザベス女王杯まで、重賞六連勝。メジロラモーヌタマモクロスオグリキャップに並ぶ当時のJRA記録だった。それでも十二月二十五日の有馬記念で、単勝の支持は六番目にとどまる。 無理もない。この年の中山は三冠馬ナリタブライアン一色だった。皐月賞を三馬身半、東京優駿を五馬身、菊花賞は七馬身。牝馬が中長距離のGIで牡馬の一線級と伍するのは簡単ではない、というのが当時の常識でもあった。三冠牝馬メジロラモーヌでさえ、有馬記念は九着に終わっている。 鞍上の考えは違った。「ヒシアマゾンは並べば強いと思っていましたから、4コーナーでナリタブライアンに馬体を並べて直線に向きたかったんです。馬にはそれだけの手応えがありましたし、ぼくも後悔したくなかったですからね」[^1] レースはツインターボが後続を大きく離して逃げた。出遅れ癖のある彼女は例によって後方からになったが、この日はそれが利く。前へ行った三冠馬の動きを、ずっと見ながら運べたからだ。二周目の三コーナーから押し上げ、四コーナーでは本当にその隣にいた。 そこから三冠馬は、それまで見せたことのない脚で抜け出していく。勝てると感じてから、その手応えが消えるまでは一瞬だったと中舘は振り返っている。 それでも彼女の脚は鈍らなかった。後ろから来る歴戦の古馬たちを退け、前を追い直し、三馬身差の二着でゴールする。三着ライスシャワーとの差は二馬身半あった。斤量は五十三キロ。暮れの中山で、四歳の牝馬が古馬の一線級を後ろに置いた。 その年、二度目のJRA賞を受ける。

出典:Number Web「女傑たちの記憶 『中舘英二が語る、ヒシアマゾン×ナリタブライアン』 ~秋競馬・名勝負列伝~」(文・江面弘也)2009年10月9日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/12464?page=2、閲覧日:2026年8月3日。

走れるレースを探して

五歳の春、彼女はアメリカへ渡った。目標は当時G1のサンタアナハンデキャップである。ところが直前に脚部不安が出て、一度も走らないまま帰国した。 帰ってからの初戦は七月の高松宮杯。当時は中京の芝二千メートルで行われていた。実績から圧倒的な一番人気に推されたが、スタートから折り合いを欠いて逃げる形になり、五着。デビューから十二戦続いていた連対が、ここで途切れる。 秋に立て直した。五十七キロを背負って、オールカマーと京都大賞典を連勝する。 それでも走る場所は増えない。外国産馬に天皇賞の出走権はなく、古馬牝馬のGIというものが、この時代にはまだ一つも無かった。牡馬の中へ出ていくほかに、行き場がなかったのである。 十一月のジャパンカップ。直線で外から追い込んだものの、先に抜け出したドイツのランドに一馬身半届かず二着に終わった。それでも日本調教馬では最先着で、六着にはナリタブライアンがいる。 暮れの有馬記念は一番人気に推されながら、スタートで出遅れて五着。勝ったのはマヤノトップガンだった。 この年も、牝馬のJRA賞は彼女に贈られている。三年続けての受賞だった。

扉が開いた年に

1996年、牝馬の番組が組み替えられた。四歳牝馬三冠の最終戦は新設の秋華賞へ移り、エリザベス女王杯は「四歳以上牝馬」の競走になる。距離も二千二百メートルに縮まった。古馬の牝馬に開かれた最初の年である。二年前にこのレースを勝った馬は、六歳になっていた。 体は思うように整わなかった。六月の安田記念は十着。同じ中野隆良厩舎には、砂で無類の強さを見せていたホクトベガがいる。ダートはその馬に任せ、彼女は芝に残った。 十一月十日、京都。追い込んで、二番目にゴール板を過ぎた。だが、ゴール前で進路を乱したことが咎められ、七着に降着する。ようやく開いた扉の前で、着順を手放したのは自分の走りだった。勝ったのはダンスパートナー。四着に、同じ厩舎のホクトベガがいた。 十二月二十二日の有馬記念が、最後の一戦になった。手綱を取ったのは河内洋。五着だった。 翌1997年、京王杯スプリングカップを目指して調整が続いていたが、四月三十日に右前脚の浅屈腱炎が出る。そこで現役を退くことが決まった。

並べば強い

引退後はいったん北海道静内の出羽牧場に入り、繁殖のための調整を受けた。見学に訪れるファンは、一日に百人を超えることもあったという。その年のうちに海を渡り、母Katiesのいるケンタッキーのテイラーメイドファームへ帰っている。 彼女が入れなかった扉は、そのあとから順に開いた。外国産馬に天皇賞が開かれたのが2000年。東京優駿と菊花賞が2001年、皐月賞が2002年、優駿牝馬が2003年、桜花賞が2004年。古馬牝馬の春のGI、ヴィクトリアマイルができたのは2006年である。どれも、彼女が去ったあとの話だ。 血のほうは先へ続いた。半姉ケイティーズファーストの孫にアドマイヤムーンエフフォーリアがいる。もう一頭の半姉ホワットケイティーディドの娘がスリープレスナイトである。全妹ヒシピナクルは1999年のローズステークスを勝った。姉が五年前に勝ったのと同じ競走を、姉の最後の鞍上だった河内洋の手綱で勝ったことになる。 中舘英二は、この馬で初めてGIを勝ち、この馬でエリザベス女王杯を勝った。次にGIを勝つのは十三年後、2007年のアストンマーチャンでのスプリンターズステークスである。出会う前は中堅の一人だった騎手は、彼女と走った数年で騎乗依頼を増やし、関東の上位に定着した。2015年に鞭を置き、同じ年に厩舎を開いている。 彼女は2011年の出産を最後に繁殖を退き、ケンタッキーの牧場で余生を送った。晩年はアイダスイメージという老いた牝馬とずっと一緒だった。2018年の暮れにその馬が三十一歳で死ぬと、急に力が抜けたようになったという。翌2019年4月15日の夜、二十八歳で息を引き取った。 並べば強い、と鞍上は言った。前を塞がれていた時代に、この馬は隣に一頭を置くことだけを選び続けた。最後の放牧地でも、その隣には一頭いた。

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