名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
イナリワンのイメージビジュアル
イナリワンInari One
Inari One

イナリワン

通算成績25戦12勝

獲得賞金4430万円

生年月日 1984.05.07(昭和59年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
イナリワンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 柴田政人 2:15.1 上り49.5映像
2 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 柴田政人 3:22.0 上り47.9映像
5 GII阪神大賞典 阪神 芝3000 2人気 柴田政人 3:11.3 上り49.4
1 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 柴田政人 2:31.7 上り35.9映像
11 GIジャパンカップ 東京 芝2400 8人気 柴田政人 2:23.8 上り48.4映像
6 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 4人気 柴田政人 1:59.8 上り46.3映像
2 GII毎日王冠 東京 芝1800 3人気 柴田政人 1:46.7 上り46.0
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 武豊 2:14.0 上り49.1映像
1 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 4人気 武豊 3:18.8 上り47.9映像
5 GII阪神大賞典 阪神 芝3000 2人気 小島太 3:07.7 上り47.9
4 OPすばるS 京都 芝2000 2人気 小島太 2:02.8 上り48.2
1 OP東京大賞典 大井 ダ3000 3人気 宮浦正行 3:17.3
2 OP全日本サラブレッドC 笠松 ダ2500 3人気 宮浦正行 2:50.1
3 OP東京記念 大井 ダ2400 3人気 宮浦正行 2:36.2
5 OP関東盃 大井 ダ1600 4人気 宮浦正行 1:40.9
7 OP帝王賞 大井 ダ2000 2人気 宮浦正行 2:08.2
3 OP金盃 大井 ダ2000 2人気 宮浦正行 2:06.8
1 OP東京湾C 船橋 ダ2000 1人気 宮浦正行 2:10.4
1 OP東京王冠賞 大井 ダ2600 1人気 宮浦正行 2:52.7
1 OPトゥインクルエイジC 大井 ダ1700 1人気 宮浦正行 1:50.0
1 りんどう特別 大井 ダ1600 1人気 宮浦正行 1:43.2
1 ライラック特別 大井 ダ1600 1人気 宮浦正行 1:44.1
1 4歳 大井 ダ1600 1人気 宮浦正行 1:45.4
1 4歳 大井 ダ1500 1人気 宮浦正行 1:37.2
4歳 大井 ダ1400 宮浦正行
1 3歳新馬 大井 ダ1000 1人気 宮浦正行 1:03.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
イナリワンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ミルジョージMill ReefNever Bend
Milan Mill
Miss CharismaRagusa
マタテイナMatatina
テイトヤシマラークスパーLarkspurNever Say Die
Skylarking
ヤシマジェットソロナウェー
ヤシマニシキ
STORY

旅程 — この馬の物語

1984年生まれの鹿毛の牡馬。父ミルジョージ、母テイトヤシマ。主な勝ち鞍は天皇賞(春)・宝塚記念・有馬記念。

門別の九番仔

1984年5月7日、北海道門別町の山本実儀牧場で、鹿毛の牡馬が生まれた。母はテイトヤシマという。浦河のヤシマ牧場で生まれ、一度も競走馬として走らないまま繁殖に上がった牝馬である。 仔出しには恵まれなかった。初仔は死に、それまでに走った産駒は地方で一勝がやっと。すぐ上の八番仔ミカホーマーが中央で三勝を挙げるのは、この鹿毛が生まれて二年後のことである。鹿毛は九番目の仔にあたる。母はこの年の交配が実らず、暮れには繁殖の役目を解かれている。つまり、最後の一頭だった。 同じ年に牧場で生まれたのは八頭。牧場主の息子・山本文雄の目に、九番仔は目立つ存在ではなかったという。 その当歳の夏、大井競馬場の調教師・福永二三雄がこの馬を見つける。福永は高知の生まれで、地方競馬で騎手になった人である。1972年、大井で三歳のハイセイコーに三度跨り、三度とも勝った。中央へ渡っていく馬を送り出す側にいた男だった。1980年に調教師へ転じている。 小柄だが精悍でバランスがいい、父ミルジョージの生き写しだ。福永はそう見立て、翌春、城南製作所を営む保手浜弘規に引き合わせた。保手浜は値段の交渉もほとんどせずに買ったと振り返っている。 名前は、大井競馬場にほど近い穴守稲荷神社から「イナリ」を取った。保手浜が地方でデビューさせる馬に用いていた冠名である。そこへ「一番出世して欲しい」の願いを込めた「ワン」を継いだ。ミルジョージの仔はダートで走る。デビューの地は、名前の時点でもう決まっていた。 福永は騎手の宮浦正行に、緩さは残るが絶対に走るから乗ってみろ、と言った。角馬場では躓いてキャンターにもならない。外の馬場へ出すと、全身を使って走った。 血をさかのぼると、この牝系は古い。三代母ヤシマニシキの全弟が、1953年に皐月賞と東京優駿を勝った二冠馬ボストニアンである。華やかではない。だが、途切れてもいなかった。

大井、八つの一着

1986年12月9日、大井のダート1000メートル。三歳新馬戦を、二着に四馬身つけて勝った。鞍上は宮浦。 年が明けた正月の一戦は、出走を取り消した。春に狙っていた羽田盃と東京ダービー——南関東三冠の前半二つは、そこで手からこぼれる。 残ったのは、勝ち続けることだった。五月、六月に二度、八月、九月。距離が延びても崩れない。11月11日、南関東三冠の最終戦・東京王冠賞。ダート2600メートルで、チャンピオンスターに一馬身をつけた。重賞初制覇であり、三冠のうちこの馬が走れた唯一の一冠でもある。暮れは船橋の新設重賞・東京湾カップを選んで勝ち、これで八連勝。 最初の黒星は、翌1988年3月の金盃で来た。水を含んだ馬場になると、この馬は走法のバランスを崩す。出遅れて追い込んだが、先に抜け出したチャンピオンスターに届かず三着。4月の帝王賞も雨で重馬場、七着。8月の関東盃もまた重馬場で、逃げるイーグルシャトーを捉えられずに五着だった。11月の東京記念は三着。 初めて笠松へ遠征した全日本サラブレッドカップでは、二番手から運んで三コーナーから四コーナーにかけてフェートノーザンに交わされ、二着。仕掛けを遅らせたのは自分の誤りだったと、宮浦は後に振り返っている。 一年を勝てないまま、暮れの東京大賞典を迎えた。

勝ったら、中央へ行く

陣営はレース前に宣言していた。これを勝てば中央競馬へ移り、天皇賞(春)を目指す、と。 1988年12月29日、大井のダート3000メートル。三番人気。逃げたアエロプラーヌのペースは遅く、宮浦は控えた。直線で末脚を伸ばし、代わって先頭に立ったアラナスモンタを半馬身だけ差し切る。宮浦にとっては、1978年のハツシバオー以来、二度目の東京大賞典だった。 年が明けた1989年1月10日、地方競馬の登録が抹消される。移った先は美浦の鈴木清厩舎。大井で預かってきた福永は、管理を離れたあともアドバイザーとして関わり続けた。 芝は未知だった。2月の京都・すばるステークスは折り合いを欠いて四着。小島太は、初めての芝と道悪では条件が厳しかったと語っている。3月の阪神大賞典は、後方から追い上げる途中で他馬の斜行を受けて六位入線。相手が失格となり、五着に繰り上がった。 中央で二度走り、まだ勝っていない。次に向かったのは、京都の3200メートルだった。

二十一年ぶりの道

この馬は掛かる。気性は激しく、蹴る癖があるので馬房の壁には畳が貼られていた。走り出せば手綱を無視して行きたがる。だから陣営は、癖のある馬をなだめて乗ることに定評のあった二十歳の騎手に手綱を託した。武豊である。武はスーパークリークの主戦だったが、その馬は脚部不安で戦列を離れていた。 1989年4月29日、京都。四番人気。最内枠から出て、上位人気の背後、中団のやや後ろに控えた。一周目のスタンド前で歓声に気を昂ぶらせかけたのを、武は馬群へ入れ、前に馬を置いてなだめた。 二周目の向正面から外を上がっていく。三コーナーの坂を上って下り、四コーナーは四番手で回った。直線、前を行く二頭の間から伸びる。残り200メートルで抜け出すと、あとは独走だった。着差は五馬身。3分18秒8は、七年間動かなかったレコードを0秒4縮めていた。 地方でデビューした馬が天皇賞を勝つのは、1968年春のヒカルタカイ以来、二十一年ぶりだった。ヒカルタカイは南関東三冠をすべて勝って中央へ移り、天皇賞(春)と宝塚記念を続けて制した馬である。三冠のうち一つしか走れなかった馬が、同じ道を二十一年後にたどり始めていた。 武豊は、父・武邦彦が生涯一度も勝てなかったレースを、初挑戦で勝った。生産者の山本にとっては、初めてのJRA重賞がこの天皇賞だった。 表彰式では、鈴木と福永が左右から轡を取った。優勝レイは、福永に贈られた。

クビ差と、二十歳の夏

6月11日の宝塚記念には、GIを勝った馬が七頭も集まった。ダービー馬サクラチヨノオー、オークス馬コスモドリーム、その年の安田記念を勝ったばかりのバンブーメモリー、二年前の安田記念馬フレッシュボイス。単枠指定を受けたのはイナリワンと皐月賞馬ヤエノムテキの二頭で、一番人気はヤエノムテキ、イナリワンは二番人気だった。 そのバンブーメモリーは、イナリワンと同じ牝系の馬である。四代母をたどると、どちらも神正という一頭の牝馬に行き着く。近くはないが、確かに同じ一族の二頭が、その日、同じゲートに入っていた。 今度は前で運んだ。逃げるダイナカーペンターとシヨノロマンを見ながら三番手。三コーナーでシヨノロマンを抜き、四コーナーでダイナカーペンターに並びかけ、直線で先頭に立つ。先行したぶん、終いの脚は鈍った。後方から追い込むフレッシュボイスが、じりじりと差を詰めてくる。並ばれたところがゴールだった。クビ差、残していた。 これでGIを二つ、続けて勝ったことになる。 その夏、保手浜は武豊をアメリカへ誘った。向こうにも自分の持ち馬がいる、乗ってみないか、と。「イナリワンで春の天皇賞と宝塚記念を勝って、そのオーナーがアメリカにも馬を持っているので乗ってみないかと誘われて渡米しました」[^1]。デビュー三年目の夏、二十歳の騎手は初めて海の外で鞍にまたがった。以後、彼はほぼ毎年どこかの国で乗るようになる。

出典:JRA競馬学校「世界での戦い 武豊騎手インタビュー」https://www.jra.go.jp/school/jockey/world/int01.html、閲覧日:2026年8月3日。

三強と呼ばれて

秋、武豊はスーパークリークの復帰戦に乗るため、この馬を降りた。代わって手綱を取ったのは柴田政人。四十一歳、岡部幸雄らと関東のリーディングを争い続けてきた男である。 10月8日の毎日王冠。斤量は59キロ。一番人気はオグリキャップ、二番人気はメジロアルダン、イナリワンは三番人気だった。後方でオグリを見ながら追走し、直線は大外へ持ち出す。そのオグリの内に、馬一頭分の隙間が空いた。残り400メートル、イナリワンはそこへ進路を取って伸びた。 先に抜け出したウインドミル、外に並んだメジロアルダン。二頭をまとめて交わし、頭ひとつ前に出る。追ってきたのはオグリキャップだけだった。二頭は馬体を併せたままゴール板を通過する。写真判定は、オグリのハナ差。 オグリキャップスーパークリーク、イナリワン。この年の古馬戦線でぶつかり続けた三頭は、平成三強と呼ばれるようになる。 だが、秋のイナリワンは細かった。10月29日の天皇賞(秋)は体が減り、神経質になっていた。発走直後に躓いて後方から、追い込んで六着。11月のジャパンカップも同じように後ろから行き、十一着に沈む。 原因ははっきりしていた。飼い葉を食べないのだ。食べなければ追い切りに負荷をかけられない。仕上がらないまま二度走って、二度負けた。

中山、二強の外から

鈴木清は、馬房を疑った。東京競馬場の馬房にいるあいだ、この馬は落ち着かない。ジャパンカップが終わると、行ったことのない中山競馬場へいったん入れ、それから美浦へ戻した。 場所が変わると、飼い葉桶が空になった。一週前も当週も、重い追い切りをこなせた。 12月24日、中山。単枠指定は二頭だけだった。オグリキャップスーパークリーク。世間はその二頭を「二強」と呼び、イナリワンは四番人気に置かれていた。 ゲートが開くと、二強は前へ行った。二番手と三番手。イナリワンは後ろで待った。 一周目のスタンド前が流れ、向正面。柴田は外へ持ち出し、少しずつ位置を上げていく。前では、オグリが三コーナーで逃げ馬を捉えにかかった。スーパークリークがそれに応じる。四コーナーは、二頭が並んで回った。 その後ろで、イナリワンは外から中団の馬群をまとめて交わした。そこから内へ切り込む。前を行くリアルバースデーに不利があって隙間が空き、柴田はためらわずにそこへ潜り込んだ。二強の、すぐ背中だった。 直線。スーパークリークがオグリを競り落として先に抜け出す。柴田の目には、坂の下でオグリの脚色がおかしく映っていた。残るは一頭。イナリワンは外へ出し、坂を上りながら伸びる。粘るスーパークリークに並びかけたところが、ゴール板だった。 写真判定。ハナ差だけ、イナリワンが前に出ていた。 時計は2分31秒7。シンボリルドルフが五年前に刻んだ中山2500メートルのレコードを、1秒以上まとめて塗り替えていた。

六十五という数字

年が明ける前に、この年の格付けが出そろった。『優駿』のフリーハンデでは、首位をオグリキャップにするかイナリワンにするかでハンデキャッパーたちが二時間半揉め、結局どちらにも65キロを置いた。シンボリルドルフタマモクロスカツラギエースに次ぐ、当時史上四番目の評価である。JRA賞の投票では、172票のうち140票が年度代表馬にこの馬の名を書いた。平成最初の年度代表馬だった。 1990年は、重さから始まる。3月の阪神大賞典は62キロ。良馬場でも荒れたところに脚を取られ、六頭立ての五着に終わった。4月の天皇賞(春)は、前を行くスーパークリークを直線で追ったが、半馬身届かない。6月の宝塚記念は四着。勝ったオサイチジョージからは大きく離された。 夏を美浦で越し、秋はオールカマーから天皇賞(秋)へ——という計画は、9月初旬に消える。右前脚の球節に不安が出た。回復しないまま引退が決まり、12月23日、有馬記念の日に引退式が行われた。その日のグランプリを勝ったのは、一年前に同じ舞台で五着に沈んでいたオグリキャップである。 この馬でグランプリを勝った柴田政人は、1993年、デビュー二十四年目・十九回目の騎乗でウイニングチケットに跨り、長年の目標だった東京優駿を手にする。

門別へ帰った血

引退後は、日高軽種馬農協の門別種馬場で種牡馬になった。生まれた町である。 初年度の産駒に、ツキフクオーという牡馬がいた。この馬が入ったのは、大井の福永二三雄の厩舎だった。1995年11月9日、大井のダート2600メートル、東京王冠賞。父が八年前に勝った、あの一冠である。ツキフクオーはそれを勝った。福永は、自分が当歳の夏に見つけた馬の息子で、同じ一冠をもう一度手にしたことになる。福永二三雄は2005年2月、六十二歳で世を去った。 イナリワンは2004年まで種牡馬を務め、その後は功労馬として繋養先を移りながら余生を送った。最後は北海道占冠村。2016年2月7日、老衰で息を引き取っている。三十二歳。平成三強と呼ばれた三頭のうち、いちばん長く生きた。 中央で走ったのは十一戦だけだった。勝ったのは、そのうち三つ。天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念——三つとも、GIである。 門別で目立たないと言われた九番仔であり、母が最後に産んだ一頭だった。地方の三冠には、最後の一冠しか間に合わなかった。それでも平成が始まったその年、二強と呼ばれた二頭の名のあいだへ三番目の名を割り込ませたのは、この馬である。「一番出世して欲しい」——名に託されたその願いは、中山の坂を上りきったハナ差の向こうで、静かに果たされていた。

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース