名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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マーベラスサンデーのイメージビジュアル
マーベラスサンデーMarvelous Sunday
Marvelous Sunday

マーベラスサンデー

通算成績15戦10勝

獲得賞金6686万円

生年月日 1992.05.31(平成4年)毛色 栃栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
マーベラスサンデーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 武豊 2:34.8 上り36.8映像
1 GI宝塚記念 阪神 芝2200 1人気 武豊 2:11.9 上り36.4映像
3 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 3人気 武豊 3:14.7 上り35.0映像
1 GII産経大阪杯 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:02.0 上り35.9
2 GI有馬記念 中山 芝2500 3人気 武豊 2:34.2 上り37.1映像
4 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 武豊 1:58.9 上り34.2映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 1人気 武豊 2:25.1 上り33.9
1 GIII朝日チャレンジカップ 阪神 芝2000 1人気 武豊 1:59.5 上り34.8
1 GIII札幌記念 札幌 芝2000 1人気 武豊 2:01.6 上り35.6
1 GIIIエプソムカップ 東京 芝1800 1人気 武豊 1:45.7 上り34.8
1 桶狭間S 中京 芝1800 1人気 武豊 1:48.3 上り34.7
1 鴨川特別 京都 芝1800 1人気 武豊 1:48.1 上り36.3
4 明石特別 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:01.5 上り36.0
1 ゆきやなぎ賞 京都 芝2000 1人気 武豊 2:02.6 上り34.4
1 4歳新馬 京都 ダ1800 1人気 武豊 1:55.8 上り37.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
マーベラスサンデーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
サンデーサイレンスSunday SilenceHaloHail to Reason
Cosmah
Wishing WellUnderstanding
Mountain Flower
モミジダンサーヴァイスリーガルNorthern Dancer
Victoria Regina
モミジII MomigiLaugh Aloud
Hold Me Close
STORY

旅程 — この馬の物語

1992年生まれの栗毛の牡馬。父サンデーサイレンス、母モミジダンサー。主な勝ち鞍は宝塚記念・エプソムカップ・札幌記念。

一九九二年 新冠 ― 買い手のつかない仔

1992年5月31日、北海道新冠町の早田牧場新冠支場に、栃栗毛の牡が生まれた。父はサンデーサイレンス。日本に渡って最初の年に種付けされた、初年度産駒である。ところがこの仔は幼駒のころ馬体が貧弱で、長らく買い手がつかなかった。 血をたどると、話は牧場そのものに戻る。母モミジダンサーの母モミジは、牧場を率いた早田光一郎がカナダで買い、日本へ連れ帰った牝馬だった。その一頭が走って資金を生み、新冠支場が建った。母の父ヴァイスリーガルも、カナダのノーザンダンサー産駒である。買い手のつかない仔は、牧場の土台になった牝馬の孫だった。 牧場が頼ったのは、預け先の縁である。栗東の大沢真は、この牧場の生産馬マーベラスクラウンを管理していた。牧場は大沢を説得して受け入れを取り付け、大沢の計らいで馬主も、クラウンと同じ笹原貞生に決まる。名は笹原の冠名『マーベラス』に父の名を重ねて、マーベラスサンデーとなった。1994年3月、栗東の大沢厩舎に入る。 担当の厩務員は古川代津雄。気性の荒さで知られたクラウンを御してきた男である。この馬もまた、厩舎ではよく気を立てた。古川は赤いメンコ(顔を覆う馬具)を毛糸で編み、この馬にかぶせた。どこにいても所在が分かるように、というのが理由だった。 その夏の調教で、素質を買われていた年長のオースミタイクーンを十馬身突き放す。オースミタイクーンを管理していたのは武邦彦で、邦彦の要請により、鞍上は三男の豊に決まった。ところが同じ調教のあと、右膝の骨折が見つかる。放牧に出され、放牧先でこじらせた疝痛(腹の痛み)で一時は重篤に陥った。デビューの予定は、はじまる前から大きく崩れた。

一年一か月 ― 折れる脚

1995年2月4日、京都のダート1800メートル。予定どおり武豊を背にして、二着に二馬身半をつけて勝った。三月のゆきやなぎ賞も連勝する。クラシックの権利を取りに毎日杯へ登録した。その直後、右膝をまた折った。 秋に厩舎へ戻り、態勢を立て直す途中で、今度は左後脚を折る。皐月賞も、ダービーも、菊花賞も、この馬は一つも走っていない。六日違いで同じ年に生まれた父の産駒に、ダンスパートナーがいる。彼女がオークスを勝った五月、マーベラスサンデーは牧場にいた。 このころ厩舎でこの馬の調整を任されていたのが、岡田稲男である。1979年に調教助手となり、大沢厩舎で攻め専(主に調教をつける助手)を務めていた。レースでは乗り手の指示どおりに動く馬が、調教では難しかった。実戦で力を出せる状態に持っていくのが岡田の仕事だった。大沢は「マーベラスサンデーのことなら岡田に聞いて。アイツが全部分かっているから」[^1] と周囲に言ってくれていた――のちに岡田はそう振り返っている。 復帰は1996年4月13日の明石特別だった。実戦は一年一か月ぶり。一番人気に支持されたが、道中で不利があって四着に終わる。負けはした。それでも、脚は残っていた。

出典:デイリースポーツ「【競馬】マーベラスサンデーからテーオーロイヤルへ 四半世紀の時を経て天皇賞・春制覇に挑む岡田調教師」2022年4月25日配信、https://www.daily.co.jp/opinion-d/2022/04/25/0015249270.shtml、閲覧日:2026年8月3日。

一九九六年 ― 六つ、僅差で

五月五日の鴨川特別で、一年二か月ぶりに勝った。続く桶狭間ステークスも勝ち、オープンに上がる。 六月一日、エプソムカップ。初めての重賞で、ユウセンショウ以下を退けた。六月末の札幌記念、九月の朝日チャレンジカップ、十月の京都大賞典。三つの重賞を続けて加え、連勝は六に伸びた。いずれも一番人気だった。 ただし、勝ち方はいつも小さい。この六つのうち0.8秒差をつけたのは鴨川特別だけで、あとの五つは二着との差がコンマ一秒以内しかない。武豊は、この馬が直線を向いて少し仕掛けただけで先頭に立ってしまうこと、それが早すぎると物見(ほかのものに気を取られること)をしてしまうことを語っている。ゴール前では自分から力を緩めるところがあり、それを見越して乗っていたともいう。 厩舎で気を立てる馬が、レースが近づくと自然に落ち着き、競馬では荒いところを見せない。取りこぼしもしない。優等生、と呼ばれた。

後ろの一頭 ― 一九九六年秋

十月二十七日、天皇賞・秋。十七頭立て。一番人気は春の盾を獲ったサクラローレルで、六連勝の馬は二番人気だった。 彼はローレルをマークして進んだ。三コーナーで七、八番手、四コーナーでも八、九番手。その前で、バブルガムフェローマヤノトップガンが先に抜け出していく。直線で使った脚は、レースの上がり三ハロン(最後の六百メートル)より半秒速かった。それでも勝ち馬とは0.2秒あった。そして、後ろで見ていたはずのサクラローレルにも交わされた。四着。三着のローレルとはアタマ差だった。前の二頭を行かせ、後ろの一頭に足をすくわれた一戦である。 暮れの有馬記念では、ローレル、トップガンと並べて「新三強」と呼ばれた。今度は待たなかった。三コーナーで三番手まで上がり、四コーナーは先頭の一団にいる。直線ではいったん先頭に立った。ところがこの日の中山は、最後の一ハロンが11秒7まで上がる決着になる。前で受けた彼の脚は37秒1で止まり、サクラローレルに二馬身半突き放された。 この年は九回走って六勝。負けた三戦は、四着、四着、二着である。

三分十四秒四 ― 一九九七年 春の盾

年明けの始動は三月三十日の産経大阪杯だった。十九頭を集めた一戦を、一番人気に応えて危なげなく勝つ。四月二十七日、京都。三強がもう一度そろった。 彼はまたサクラローレルをマークした。ただし前年の秋とは動き方が違う。向正面でローレルが仕掛けると、すぐ後ろから追随する。三コーナーから四コーナーにかけて並びかけ、直線の入口では二頭が先頭に立った。残り二百メートルで前へ出る。ローレルが差し返す。この二頭で決まるかと思われたところへ、大外からマヤノトップガンが飛んできた。 勝ち時計は三分十四秒四。四年前にライスシャワーが刻んだレコードを、二秒七も削った数字である。三分十四秒台に三頭が入り、マーベラスサンデーは三分十四秒七。ローレルに半馬身遅れた三着だった。 この日は、勝った馬にも負けた馬にも高くついた。マヤノトップガンは秋を前に屈腱炎を発症して引退し、サクラローレルはフランスでの前哨戦の最中に故障して競走生活を終える。三頭がそろって走ったのは、この日が最後になった。

クビだけ、前に ― 一九九七年七月六日 阪神

マヤノトップガンは秋に備えて休養に入り、サクラローレルはフランスへ向かった。空いた春のグランプリのファン投票で、一位に選ばれたのはマーベラスサンデーである。十二頭立て。この馬がGIで一番人気になったのは、これが初めてだった。 ゲートが開いても、彼は動かない。一コーナー、二コーナーと、後ろから三頭目のまま流れていく。三コーナーでようやく一つ二つ位置を上げた。それだけだった。前には、まだ八頭いる。 四コーナーで一気に押し上げる。直線を向いたとき、先頭にいたのは三頭。そのうちの一頭が、バブルガムフェローだった。前年の秋、先に抜け出されて捉えられなかった相手が、また前にいる。 残り四百メートルからの一ハロンが11秒8。ここまでは、みな脚が残っていた。そこから阪神の坂に入る。最後の一ハロンは12秒7に落ちた。全馬が同じように苦しくなる。 その中で、マーベラスサンデーだけが前へ出た。並んで、抜け出しきらないまま、ゴール板が来る。クビ。十度目の勝利にして、初めてのGIだった。 この走りのあいだに、彼は四度目の骨折をしていた。それが分かるのは、レースが終わってからである。

最後の直線 ― 一九九七年 暮れの中山

骨折で秋は棒に振った。目標にしていたジャパンカップを断念し、年末の有馬記念だけに照準を絞る。 この年、武豊はエアグルーヴの主戦も務めていた。同じレースに二頭が出走し、武はマーベラスサンデーを選ぶ。十六頭。一番人気はエアグルーヴではなく、こちらだった。 道中は後方十二番手。三コーナーを回るまで、位置は一つも動いていない。向正面で13秒5まで落ちたラップが、三コーナーを過ぎて11秒9まで跳ね上がる。彼が動いたのは、そこからだった。四コーナーで六、七番手まで押し上げ、直線で前を行くエアグルーヴに並びかける。その叩き合いに、シルクジャスティスが割って入った。二頭とも抜かれた。アタマ差。 五着に、オースミタイクーンがいた。三年前の夏、調教で十馬身突き放した相手である。鞍上は武幸四郎、管理するのは武邦彦。この馬に豊を乗せてくれと頼んだ厩舎から、あの日の稽古相手が、最後のレースに出てきていた。 彼を差したシルクジャスティスもまた、新冠の早田牧場新冠支場で生まれた二歳下の馬である。同じ土から出た二頭が、中山の直線でアタマ差に並んだことになる。 1997年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。翌年、阪神大賞典へ向けた調整の途中で右前脚に屈腱炎が出て、競走生活はそこで終わる。十五戦して十勝。負けた五戦は、四着、四着、二着、三着、二着だった。一度も五着より下に落ちていない。

赤い毛糸と、四月の京都

種牡馬になるため種馬場へ移る日、古川が編んだ赤いメンコは、馬を出迎えに来ていたファンの少年に贈られた。どこにいても所在が分かるように作られた目印は、馬の顔を離れ、少年の手に残った。 産駒の走る場所は広かった。シルクフェイマスが日経新春杯を、ネヴァブションが日経賞とアメリカジョッキークラブカップを勝ち、キングジョイは中山大障害を二度、マーベラスカイザーも同じ大障害を制している。母の父としては、桜花賞のレッツゴードンキが出た。平地でも障害でも、芝でもダートでも仔が走った。2016年6月30日、新ひだか町の牧場で老衰により死ぬ。二十四歳だった。 厩舎でこの馬を仕上げていた助手は、そのあとも競馬場にいた。岡田稲男は2002年に調教師試験に受かり、翌年、自分の厩舎を開く。そして2024年4月28日、京都。テーオーロイヤルで天皇賞・春を勝つ。開業から二十年を超えて、JRAでは初めてのGIだった。鞍上は厩舎所属の菱田裕二で、この騎手にとってもGIの初勝利である。マーベラスサンデーが半馬身届かなかった、あのレースである。今度は二着に二馬身つけて、先に入った。 武豊はのちに、あの馬のことを振り返って「岡田さんのおかげですよ」[^1] と言っている。馬はいつも僅差だった。勝つときも、負けるときも、クビとアタマ差と半馬身の内側にいた。その足りなかったぶんは、彼に触れた人の手が、あとから届かせたことになる。 新冠で買い手のつかなかった栃栗毛は、赤い毛糸の覆面をかぶって、そのすべてのはじまりに立っていた。

出典:デイリースポーツ「【競馬】マーベラスサンデーからテーオーロイヤルへ 四半世紀の時を経て天皇賞・春制覇に挑む岡田調教師」2022年4月25日配信、https://www.daily.co.jp/opinion-d/2022/04/25/0015249270.shtml、閲覧日:2026年8月3日。

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