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マヤノトップガン
通算成績21戦8勝
獲得賞金8億1,039万円
生年月日 1992.03.24(平成4年)毛色 栗毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 田原成貴 | 3:14.4 | 上り34.2 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 田原成貴 | 3:07.2 | 上り37.1 | — | |
| 7 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 田原成貴 | 2:35.3 | 上り38.3 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 4人気 | 田原成貴 | 1:58.8 | 上り34.4 | 映像 | |
| 4 | GII産経賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 田原成貴 | 2:17.6 | 上り37.6 | — | |
| 1 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 1人気 | 田原成貴 | 2:12.0 | 上り34.6 | 映像 | |
| 5 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 田原成貴 | 3:18.8 | 上り36.1 | 映像 | |
| 2 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 田原成貴 | 3:04.9 | 上り34.5 | — | |
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 6人気 | 田原成貴 | 2:33.6 | 上り35.3 | 映像 | |
| 1 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 3人気 | 田原成貴 | 3:04.4 | 上り35.9 | 映像 | |
| 2 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 田原成貴 | 2:11.5 | 上り34.5 | — | |
| 2 | GII神戸新聞杯 | 京都 芝2000 | 5人気 | 田原成貴 | 1:59.8 | 上り36.2 | — | |
| 1 | やまゆりS | 中京 芝1800 | 2人気 | 田原成貴 | 1:49.8 | 上り36.0 | — | |
| 3 | ロイヤル香港JCT | 中京 芝2000 | 5人気 | 田原成貴 | 2:01.3 | 上り36.6 | — | |
| 1 | 4歳500万下 | 中京 ダ1700 | 4人気 | 田原成貴 | 1:46.8 | 上り38.2 | — | |
| 3 | 4歳500万下 | 京都 ダ1200 | 4人気 | 田原成貴 | 1:12.1 | 上り36.1 | — | |
| 3 | 4歳500万下 | 京都 ダ1200 | 3人気 | 武豊 | 1:12.6 | 上り37.1 | — | |
| 1 | 4歳未勝利 | 京都 ダ1200 | 2人気 | 武豊 | 1:13.0 | 上り37.2 | — | |
| 3 | 4歳未勝利 | 京都 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:14.2 | 上り36.6 | — | |
| 3 | 4歳未勝利 | 京都 ダ1200 | 4人気 | 田原成貴 | 1:14.2 | 上り37.6 | — | |
| 5 | 4歳新馬 | 京都 ダ1200 | 1人気 | 武豊 | 1:14.9 | 上り38.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ブライアンズタイムBrian's Time | Roberto | Hail to Reason |
| Bramalea | ||
| Kelley's Day | Graustark | |
| Golden Trail | ||
| 母アルプミープリーズAlp Me Please | Blushing Groom | Red God |
| Runaway Bride | ||
| Swiss | Vaguely Noble | |
| Gala Host |
旅程 — この馬の物語
1992年生まれの栗毛の牡馬。父ブライアンズタイム、母アルプミープリーズ。主な勝ち鞍は菊花賞・有馬記念・宝塚記念。
摩耶の名
1992年3月24日、北海道新冠町の川上牧場で栗毛の牡が生まれた。母アルプミープリーズの六番仔である。 生産者の川上悦夫は十八歳から血統を独学した人で、この頃はハイペリオンやリボーの血を追いかけていた。アルプミープリーズは父ブラッシンググルーム、母父ヴェイグリーノーブル。探していた血が両方入っていた。見栄えのする馬ではなく、牧場の経営も苦しかったが、川上は構わず買った。競走馬としては走らずにアメリカで繁殖に上がった牝馬で、半弟には1986年のパリ大賞を勝ったスウィンクがいる。 1991年、その繁殖牝馬に川上が選んだ相手がブライアンズタイムだった。ヘイルトゥリーズンの系統で、リボーの血も持つ。「うまく配合すれば、素晴らしいステイヤーが出来ると確信していた」[^1]。のちに川上はそう振り返っている。 翌1993年、同じ牧場で生まれた先輩のナリタタイシンが皐月賞を勝ち、川上牧場に初めてGIが来た。取材が押し寄せ、次の期待馬を問われた川上は、まだ一歳のこの牡の名を挙げたという。 馬主は、兵庫県神戸市灘区で田所病院を営む内科医の田所祐に決まった。冠名の「マヤノ」は、田所が子供のころに遊んだ神戸の摩耶山から取ったものである。名付けは病院の事務会計係の提案で、当時のアメリカ映画の題名を冠名に足した。マヤノトップガン。 管理は栗東の坂口正大と、生まれる前から決まっていた。1991年の秋に牧場を訪ねた坂口は姉にあたる五番仔を気に入ったのだが先約があり、代わりに腹の中の仔を取り置きしてもらったのだ。坂口の父も調教師で、田所とは父の代からの付き合いがある。田所は坂口の仲人を務めた間柄でもあった。 母は、この仔が走り出すのを見ていない。1994年に牧場が事業に失敗して繁殖牝馬を整理することになり、アルプミープリーズも手放された。移った直後の6月20日、七番仔を産む際に死んでいる。
出典:『優駿』1996年2月号、42-44頁(ja.wikipedia.org/wiki/マヤノトップガン 経由で確認)、閲覧日:2026年8月4日。
揺れた一月
1994年3月、坂口厩舎に入る。ところが調教を始めるとすぐ、右前脚の骨にこぶ状の骨瘤ができて続けられなくなった。厩舎を出されて北海道へ戻り、門別のクローバーファームで放牧に入る。骨瘤は放牧地の川で冷やして癒した。秋に戻ってからも脚への負担が小さいプール調教が中心で、デビューは年明けまでずれ込んだ。 1995年1月8日、京都のダート1200メートル。鞍上は武豊。一番人気に推されたが、のちに桜花賞を勝つワンダーパヒュームに敗れて五着だった。 その九日後の朝、地面が揺れた。 阪神・淡路大震災。栗東にいた馬は無事だった。人はそうではない。坂口は前日の西日本馬主協会の新年会に出た帰り、田所から翌朝届く検査結果を受け取ってから帰れと言われ、田所病院の特別室に泊まっていた。揺れで身体を床に打ちつけて腰を痛め、その夜は田所の車で明かしている。 田所は、弟の順とその夫人を亡くした。病院兼自宅は半壊し、業務が続けられる状態ではなかった。復旧と患者に追われる日々のなかで、唯一の息抜きが自分の馬を応援することだったと、のちに語っている。 阪神競馬場も壊れて使えなくなった。この年の開催は、他場へ振り替えられていく。 馬のほうは、ダートの1200メートルで三着を二度続けたあと、四戦目の3月25日にようやく勝ち上がった。500万下でもまた三着が二つ。転機は5月28日である。武豊がケンタッキーダービーに騎乗するため日本を離れ、代わりに田原成貴が乗った。中京のダート1700メートル、二着に七馬身。以後、引退までこの馬に乗るのは田原になる。 脚元の不安が消え、中京のダート戦が減る季節にさしかかったこともあって、陣営は芝へ矛先を変えた。6月のロイヤル香港ジョッキークラブトロフィーは三着。7月9日、中京のやまゆりステークスを好位から抜け出して三勝目を挙げる。 この一戦で坂口の見方が変わった。この馬にはスケールがある。同じレースを勝ったバンブービギンが1989年の菊花賞を制した前例もあった。目標が三千メートルに定まる。 9月17日の神戸新聞杯は、京都で行われた。阪神競馬場が使えないための代替で、京都開催は二十九年ぶりだった。ダービー馬タヤスツヨシの始動戦である。直線で先頭に立ってタヤスツヨシは突き放したが、後ろから来たタニノクリエイトに半馬身差された。 終いが甘い。三千メートルへの不安は消えない。そこで菊花賞へ直行せず、10月15日の京都新聞杯も使った。今度は控えて運び、逃げるナリタキングオーをゴール前で捕まえかけてクビ差の二着。二度続けて二着で、優先出走権だけが二重に手元へ残った。
今年は神戸だ
11月5日、京都、菊花賞。皐月賞馬ジェニュインは天皇賞(秋)へ回って不在、ダービー馬タヤスツヨシはトライアルを二度落として評価を下げていた。一番人気は、オークスを勝ってフランス遠征から帰ってきた牝馬ダンスパートナー。マヤノトップガンは三番人気である。重賞はまだ一つも勝っていない。 好位の四番手を進んだ。ペースは速くない。二周目の三コーナーから四コーナーにかけて前の三頭の脚色が鈍り、押し出されるように先頭へ出た。そのまま直線で押し切る形になる。 後ろからダンスパートナー、トウカイパレス、ホッカイルソーが差を詰めてきた。詰めてきただけだった。一馬身半。3分4秒4は前年を0秒2縮める菊花賞レコードである。 重賞初勝利がGIになった。田原にとってはクラシック初制覇でもある。レース前、田原と坂口は京都新聞杯より前で運ぼうと決めていたが、田原自身は勝ち筋を描けずにいた。兄弟子で1980年にノースガストで菊花賞を勝った田島良保から、スタートから二ハロンを気分よく走らせろと助言され、迷いが消えたという。 坂口にとっても初めてのGIだった。1976年の開業から十九年。管理馬の菊花賞は1978年キャプテンナムラの二着が最高で、それきり出走すら叶わずにいた。スタンドで足を床に打ちつけて我を失っていたという。その様子は翌週の放送でも流れた。 実況していた杉本清は、こう伝えている。「今年は神戸だ!マヤノトップガン!!」[^1] その秋、神戸を本拠地とするオリックス・ブルーウェーブがパ・リーグを制していた。
出典:『優駿』2001年11月号、53-57頁(ja.wikipedia.org/wiki/マヤノトップガン 経由で確認)、閲覧日:2026年8月4日。
風に向かって
一月にデビューして、菊花賞までに十二戦している。疲れは出ていた。それでも放牧に出さず、暮れの有馬記念を目指した。状態の悪いまま走って凡走すれば菊花賞馬の名が傷つく。坂口は五着以内に入る見込みがあるなら面目は保てると考え、出走を決めたのは一週間前だった。 12月24日、中山。十二頭立て。人気は前年のこのレースで一着と二着だったナリタブライアン、ヒシアマゾンに集まり、マヤノトップガンは六番人気に留まった。 典型的な逃げ馬がいない。タイキブリザードが行くと見られていたが、田原は自分でレースを支配するほうがこの馬のためだと考えていた。ただしその日の中山には、逃げる側に不利な強い風が吹いている。 ゲートを出るとタイキブリザードを制してハナを奪った。抵抗はない。単騎になってからペースを落としていく。二周目の三コーナー、後方にいたナリタブライアンとヒシアマゾンが動き出した。ナリタブライアンは並びかける勢いで来た。 直線は最内を回って粘る。追ってきた二頭のほうが先に止まった。二馬身。 デビューした年に有馬記念を勝ったのは、1976年のトウショウボーイ以来である。この年は有馬記念の前まで、GIを二つ勝った馬が一頭もいなかった。JRA賞の投票では百七十七票のうち百六十票を集め、年度代表馬に選ばれた。最優秀四歳牡馬は百七十三票だった。 四日後の12月28日、田所は有馬記念で得た賞金から一千万円を日本赤十字社兵庫県支部へ寄付している。秋からの連勝を、この馬主はこう受け取っていた。「死んだ弟が、あの世から後押してくれたんや」[^1]
出典:『優駿』1996年2月号、100-102頁(ja.wikipedia.org/wiki/マヤノトップガン 経由で確認)、閲覧日:2026年8月4日。
アタマ差と、錯覚
使い詰めだった前年の疲れを抜くことから1996年は始まった。春の目標は天皇賞(春)。当初は産経大阪杯から始める予定だったが、田原の助言でもっとゆったり運ぶことになり、前哨戦を阪神大賞典に替えた。 そこにナリタブライアンがいた。新旧の年度代表馬が三千メートルで顔を合わせる。疲労を抜くことを優先したぶん調教は進まず、出来は万全と言えなかったが、人気は二頭に集中し、わずかの差でマヤノトップガンが一番人気になった。 スローで流れる。ナリタブライアンを背負う形で四番手を進んだ。二周目の三コーナーから動いて先頭に立ち、後続を突き放す。ただ、ナリタブライアンだけが離れなかった。外から並ばれ、抵抗し、横並びのまま四コーナーを回る。三着は九馬身も後ろに置き去りになっていた。 直線、二頭はほとんど同時にゴール板を通過した。写真判定。アタマ差で、先着したのはナリタブライアンだった。 坂口はここで考えを一つ間違える。調教が足りないままでこれなら、鍛え上げればどこまで行くのか。必要な段階を踏まないまま自分の気持ちだけで調教を重ねてしまったと、のちに本人が認めている。 4月21日、京都の三千二百メートル。ナリタブライアンとの再戦で、今度は一番人気を譲った。先行してスローを追い、二周目の三コーナーから外にナリタブライアンを引き連れて上がっていく。阪神大賞典と同じ形で四コーナーを回った。 そこから先が違った。直線に入ってまもなく脚が上がる。後方から来たサクラローレル、ハギノリアルキング、ホッカイルソーに交わされて五着。勝ったサクラローレルとは一秒の差がついた。 行きたがる馬を御しきれず、折り合いを欠いたためだった。その原因は調教のやり過ぎで馬の機嫌を損ねたことにある——坂口はそう振り返り、自分の錯覚だったと言い切っている。
七夕の阪神
まず機嫌を直させることから始めた。石川県小松市の小松温泉牧場へ短期放牧に出し、疲れとストレスを抜く。 七夕の日の宝塚記念は、この年から七月上旬の開催になっていた。ナリタブライアンは故障で去り、サクラローレルは一足早く休養へ入り、ヒシアマゾンもステージチャンプもいない。その年のクラシックを勝った馬たちも来なかった。メンバーは手薄と見られ、マヤノトップガンが一番人気になる。 このレースには、もう一つの名前が付いていた。震災復興支援競走。壊れて使えなくなっていた阪神競馬場は、前年の暮れに開催を再開している。 カネツクロスが大きく飛ばして逃げた。平均ペースの三番手で追い、三コーナーから動く。四コーナーでカネツクロスに並びかけると、軽く促されただけで反応した。直線に入ってすぐ先頭。抵抗らしい抵抗を受けないまま、一馬身半の差をつけてゴール板を通過する。 グレード制が導入されてから十八頭目のGI三勝馬になった。有馬記念と宝塚記念、春秋のグランプリを続けて勝ったのは1992年のメジロパーマー以来、七頭目である。 菊花賞も有馬記念も、田所にとっては遠い競馬場での出来事だった。地元の阪神でよくGIを勝ってくれた、これで神戸の皆さんが少しでも元気を出してくれたら、と田所は言った。そして最後に、馬というのは不思議な生き物だ、と付け足している。
三番目の馬
もう一度小松へ出て、暑さに負けずに戻ってきた。秋の目標は天皇賞(秋)。前哨戦のオールカマーはサクラローレルとの再戦になったが、重馬場の中山で直線がまったく伸びず四着。サクラローレルに五馬身半離された。 10月27日、東京。評価は四番人気まで落ちていた。それでも当日の状態はよく、田原は厩務員の足立信之に、今日のトップガンはちょっと違う、と伝えている。 先行したが、絶好の位置は一つ下の世代のバブルガムフェローに取られた。その直後を進み、直線で外から並びかけて、いったんは先頭に立つ。相手が盛り返した。差し返されて半馬身。田原はのちに、枠順が逆であれば主導権を握れていただろうと述べている。勝ったほうの鞍上が勝因に少しの運を挙げるほどの、際どい競馬だった。 ジャパンカップは使わず、有馬記念で連覇を狙った。サクラローレルに次ぐ二番人気。先行して二番手を進んだが、道中で息を入れる場面がないまま運ぶことになり、直線ではもう余力がなかった。サクラローレルに交わされて七着。 この年の年度代表馬はサクラローレルが満票で選ばれた。マヤノトップガンには一票も入らなかった。 GIを三つ勝っても、評価はついてこない。菊花賞は牝馬が一番人気の年、有馬記念は逃げの奇襲、宝塚記念は有力馬が揃わなかった——そう説明されるたび、この馬の強さは相手関係と鞍上の判断に還元されていった。三強と呼ばれても、順番はいつも三番目だった。
大外へ
六歳になった年の初めに、この年限りでの引退が決まった。最後の春の目標は天皇賞(春)。 その前に、3月の阪神大賞典があった。ゲートを出ると、田原はこの馬を最後方に置いた。二周目の三コーナーから外を回して押し上げ、四コーナーまでに好位、直線に入ってすぐ先頭。三馬身半差の圧勝で、宝塚記念以来の勝利だった。 逃げ先行こそこの馬の持ち味だ、というのが世間の見方であり、厩舎の見方でもあった。田原の考えは違う。五歳になってからのこの馬は、前へ行きたがる精神状態にない。無理に先行させれば折り合いを欠き、終いに使う脚が残らない。前年の敗戦はその繰り返しだった。だから位置を取りにいかず、馬の気持ちに任せる。阪神大賞典はその実践だった。 それは一度きりの奇策と受け取られた。本番は正攻法で来るだろう、と。坂口も直前に先行するよう指示している。田原はその場で断った。 4月27日、京都。十六頭。サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーが三強と呼ばれていた。 ゲートが開く。田原はこの馬を後方の、内側へ置いた。前へ行きたがる素振りが出る。だが内には進路がない。行き場のないまま走るうちに、落ち着きが戻った。折り合いがついた。 ビッグシンボルが平均より少し速い流れで逃げていく。サクラローレルとマーベラスサンデーは、マヤノトップガンより前、中団にいた。 二周目の三コーナー。サクラローレルが掛かり気味に上がり、マーベラスサンデーがその後を追った。二頭が動いたことで周りの馬も動き、道中の流れが乱れる。 そこで、動かない。先行集団の背後に潜んだまま三コーナーを過ぎ、四コーナーへ入っていく。手応えは残っていた。 コーナーを抜けながら、大外へ持ち出す。直線。内ではサクラローレルがマーベラスサンデーを制して抜け出しにかかっている。 田原の鞭に応えて、外の一頭が伸びた。抵抗する余力は、前の二頭にもう残っていない。差は一馬身と四分の一。 時計は3分14秒4。1993年にライスシャワーが作ったこのレースの記録を、2秒7も縮めていた。三千二百メートルを走り切って、上がり三ハロン——最後の600メートルは34秒2である。うまく配合すれば素晴らしいステイヤーが出来る——そう信じて交配相手を決めた牧場主の見立てが、六年越しで数字になった。
五本の指
天皇賞のあとは宝塚記念を使わずに夏休みへ入り、秋は天皇賞(秋)とジャパンカップを目指していた。9月25日、左前脚に浅屈腱炎が出た。腱を傷める、競走馬にはつきものの故障である。程度は軽かったが、その秋には間に合わない。引退が前倒しで決まった。11月30日の昼休み、阪神競馬場で引退式が行われている。 天皇賞のあと、坂口が残した言葉がある。この馬は近年でも五本の指に入ると思っているのに、報道では弱い弱いと書かれる。三強と言ってもらえても、あくまで三番目の馬なんです、と苦笑したうえで、こう続けた。「やっぱりうちの馬がいちばん強かったじゃないかって」[^1] その坂口は、のちにキングヘイローで高松宮記念を、デュランダルでスプリンターズステークスとマイルチャンピオンシップを勝った。2011年2月、定年で厩舎を閉じている。開業から十九年目にようやく届いた最初のGIは、結局、九つに増えた。 馬は新冠の優駿スタリオンステーションで種牡馬になり、産駒から重賞勝ち馬が十五頭出た。そのうちの一頭チャクラの馬主は田所英子——田所祐の娘である。父が持った馬の仔を娘が持って、2003年のステイヤーズステークスと翌年の目黒記念を勝った。長いところで走る血は、そのまま次へ渡っていた。 田所祐は2005年1月13日に亡くなった。八十歳。震災から十年になる日の、四日前だった。馬はそれから十四年生き、2019年11月3日に老衰で死んだ。二十七歳である。 摩耶山は、いまも神戸の街の後ろに立っている。震災のあった年、その山から取られた名前が京都で呼ばれ、暮れの中山でもう一度呼ばれた。聞いていたのは、まだ元通りになっていない街だった。
出典:『優駿』1997年6月号、41-44頁(ja.wikipedia.org/wiki/マヤノトップガン 経由で確認)、閲覧日:2026年8月4日。
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