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メイショウドトウ
通算成績27戦10勝
獲得賞金9億2,133万円
生年月日 1996.03.25(平成8年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 4 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 安田康彦 | 2:33.3 | 上り34.6 | 映像 | |
| 5 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 3人気 | 安田康彦 | 2:24.6 | 上り35.8 | 映像 | |
| 3 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 安田康彦 | 2:02.6 | 上り36.5 | 映像 | |
| 1 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 安田康彦 | 2:11.7 | 上り35.1 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 3人気 | 安田康彦 | 3:16.3 | 上り35.3 | 映像 | |
| 1 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 1人気 | 安田康彦 | 2:33.7 | 上り34.6 | 映像 | |
| 2 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 安田康彦 | 2:34.1 | 上り36.5 | 映像 | |
| 2 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 5人気 | 安田康彦 | 2:26.1 | 上り35.4 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 的場均 | 2:00.3 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GII産経賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 的場均 | 2:15.8 | 上り35.6 | 映像 | |
| 2 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 6人気 | 河内洋 | 2:13.8 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GII金鯱賞 | 中京 芝2000 | 3人気 | 安田康彦 | 1:58.5 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | OPメトロポリタンS | 東京 芝2300 | 1人気 | 安田康彦 | 2:18.5 | 上り35.5 | — | |
| 3 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 4人気 | 安田康彦 | 2:35.8 | 上り35.8 | — | |
| 1 | GIIIトヨタ賞中京記念 | 中京 芝2000 | 3人気 | 安田康彦 | 1:59.1 | 上り35.9 | 映像 | |
| 2 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 8人気 | 武幸四郎 | 2:24.4 | 上り36.0 | — | |
| 11 | OP六甲S | 阪神 芝2000 | 1人気 | 安田康彦 | 2:04.3 | 上り37.9 | — | |
| 1 | ドンカスターS | 京都 芝1800 | 4人気 | 安田康彦 | 1:46.9 | 上り34.4 | — | |
| 1 | 嵯峨野特別 | 京都 芝2000 | 4人気 | 安田康彦 | 2:02.2 | 上り34.7 | — | |
| 2 | 道新スポーツ賞 | 札幌 芝2000 | 8人気 | 安田康彦 | 2:05.7 | 上り38.2 | — | |
| 4 | 大倉山特別 | 札幌 芝1800 | 3人気 | 安田康彦 | 1:51.4 | 上り36.6 | — | |
| 8 | ポプラS | 札幌 芝1500 | 8人気 | 安田康彦 | 1:30.7 | 上り36.3 | — | |
| 8 | OP香港JCT | 中京 ダ1700 | 6人気 | 安田康彦 | 1:46.9 | 上り38.4 | — | |
| 1 | かいどう賞 | 中京 ダ1700 | 1人気 | 安田康彦 | 1:46.9 | 上り38.1 | — | |
| 4 | 4歳500万下 | 阪神 ダ1800 | 1人気 | 安田康彦 | 1:52.7 | 上り37.2 | — | |
| 1 | 4歳新馬 | 京都 ダ1800 | 1人気 | 安田康彦 | 1:55.7 | 上り37.8 | — | |
| 2 | 4歳新馬 | 京都 ダ1800 | 1人気 | 安田康彦 | 1:56.6 | 上り36.5 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父Bigstone | ラストタイクーンLast Tycoon | トライマイベストTry My Best |
| Mill Princess | ||
| Batave | ポツセPosse | |
| Bon Appetit | ||
| 母プリンセスリーマPrincess Reema | Affirmed | Exclusive Native |
| Won't Tell You | ||
| First Fling | Nijinsky | |
| Fast Approach |
旅程 — この馬の物語
1996年生まれの鹿毛の牡馬。父Bigstone、母プリンセスリーマ。主な勝ち鞍は宝塚記念・トヨタ賞中京記念・金鯱賞。
四百万円
1996年3月25日、アイルランドで鹿毛の牡馬が生まれた。生産者はP・ハーディー。その年の暮れ、委託元のメドウランズスタッドがイギリスのタタソールズの当歳セールに上場し、ジョン・ファーガソン・ブラッドストックが落札して日本へ運んだ。 ところが来日したあと、持ち主が馬主をやめることになる。手放されたその馬を四百万円で買ったのが、兵庫県明石市の松本好雄だった。船舶用部品メーカーを経営し、1974年から馬を持っている。冠名の「メイショウ」は明石の松本で「明松」、同じ音の「名将」にもかけてあった。 母はプリンセスリーマ。アメリカ産で、母の父はアメリカ三冠馬アファームドである。この牝馬は六年前にも牡馬を産んでいた。ペイミーバックという。イタリアへ渡り、1993年に伊セントレジャーを勝った。生涯七十戦二十勝。八歳になっても重賞で走っていた。長く走り続ける血は、母の側にあった。 父のビッグストーンはサセックスステークスやクイーンエリザベス2世ステークスを勝ったマイラーで、欧州では目立った産駒を残せず、1999年に中国へ輸出されている。 栗東の安田伊佐夫厩舎に入った。開業から二十年あまり、まだGIを勝ったことのない厩舎である。主戦に決まったのは安田康彦。師の息子だった。1991年に騎手になり、この馬がデビューした年の秋、ブゼンキャンドルの秋華賞で自身初のGIを手にする。 1999年1月6日、京都のダート1800メートル。一番人気に推されて二着。十日後、同じ京都の同じ条件でもう一度走り、今度は勝ち上がった。 アイルランド産のこの馬に、当時の規定ではクラシックの出走権がない。デビューが年明けにずれこんだせいで、外国産馬のために新設されたNHKマイルカップにも間に合わなかった。行ける場所は、最初から限られていた。 4月、中京のかいどう賞を後方から差し切って二勝目。五戦目まではダートを使い、秋に芝へ替えてから嵯峨野特別とドンカスターステークスを連勝してオープンに上がる。暮れの六甲ステークスは一番人気で、十一頭立ての最下位に終わった。この年、十一戦して四勝。
時計が動きはじめる
2000年1月の日経新春杯は武幸四郎が乗り、八番人気でマーベラスタイマーの二着に来た。0.1秒差である。 3月5日、中京記念。安田が鞍上に戻った。好位から抜け出してブリリアントロードを三馬身突き放し、1分59秒1のレコードで重賞を初めて勝つ。日経賞三着、東京のメトロポリタンステークス一着を挟み、5月の金鯱賞で重賞二勝目。年明け五戦して三勝、うち重賞が二つ。 6月25日、阪神。宝塚記念。初めてのGIだった。陣営は河内洋に乗り替わる。四週間前にアグネスフライトで日本ダービーを勝ったばかりの男である。それでも単勝は23.0倍、六番人気だった。この日の一番人気は皐月賞馬テイエムオペラオー、二番人気はグラスワンダー。下馬評は「オペラオー対グラスワンダー」で決まっていた。 メイショウドトウは出るとすぐ二番手につけた。直線はジョービッグバンを間に挟んで三頭の叩き合いになり、外から伸びてきたテイエムオペラオーにゴール前で交わされる。二着。時計は勝ち馬と同じ2分13秒8だった。 クラシックに出られなかった外国産馬が、初めてのGIで、勝ち馬と同じ時計まで来ていた。
同じ時計
秋、鞍上がまた替わった。9月24日のオールカマーは的場均。重馬場の中山を単勝1.9倍の一番人気で勝ち、重賞三勝目とする。 10月29日、天皇賞(秋)。二番人気に推されたが、テイエムオペラオーに二馬身半、0.4秒離された二着だった。 この敗戦を境に、手綱はデビューから乗っていた安田康彦へ戻る。以後、引退まで替わらなかった。 11月26日、ジャパンカップ。五番人気。ステイゴールドが引っ張る流れを先団で追い、直線はテイエムオペラオーと、外のファンタスティックライトとの三頭になった。クビ差の二着。時計は同じ2分26秒1。 12月24日、有馬記念。二番人気。四コーナーを大外から回って直線を向き、馬場の真ん中で先頭に立ったダイワテキサスを追った。テイエムオペラオーはその四コーナーで進路を失い、この馬のうしろにいる。そこから、外のメイショウドトウと内のトーホウシデンのあいだにできたわずかな隙間へ入ってきて、前へ出た。ダイワテキサスは捉えた。前の一頭には、ハナ差だけ足りない。時計は同じ2分34秒1だった。 有馬記念の前、安田は馬の能力に差はない、勝つ乗り方をすると語っている。言葉のとおり、この年、三度も勝ち馬とまったく同じ時計でゴール板を過ぎた。 2000年の成績は十戦四勝、二着五回、三着一回。一度も四着以下に落ちなかった一年である。それでも、大きなレースの勝ち馬の名前は、いつも同じだった。
三千二百メートル
2001年、陣営は打倒テイエムオペラオーを公然と掲げて動きはじめた。3月24日の日経賞は単勝1.1倍。マチカネキンノホシとの直線勝負を制して重賞四勝目とする。 4月29日、天皇賞(春)。京都の芝三千二百メートルは、この馬が走ったことのない距離だった。距離は長すぎると見られていたが、テイエムオペラオーが前哨戦の産経大阪杯で四着に敗れて連勝が止まっていたこともあり、単勝6.5倍の三番人気に落ち着く。 それまでの四戦は、いずれも前で受けて差された。この日は変えた。テイエムオペラオーのうしろで脚を溜め、直線で追う。前では、先頭のナリタトップロードをテイエムオペラオーが交わして抜け出していた。その背中を追いかける形で二着。タイム差は0秒1。 五度目だった。同じ相手に、五回続けてGIの二着。 それでもレース後の安田の言葉は湿っていない。初めての距離でスタミナが保つか半信半疑だった、馬はよく伸びた、今日は本当に収穫があった、これで次は逆転できる――そう語っている。
六度目
6月24日、阪神競馬場の芝、二千二百メートル。 安田はレースの前から、先に行くと公言していた。瞬発力の勝負を挑めば分が悪い。相手の脚を、こちらの脚が残っているうちに使い切らせる。それしかない、と。 ゲートは互角に出た。四番手の外につける。最初の直線で、安田は一度うしろを振り返っている。テイエムオペラオーがどこにいるかを、目で確かめるためだった。位置がわかると、あとはハミを外させて折り合いに専念した。 向正面。流れが緩い。緩いまま直線を迎えるのが、いちばん困る。三コーナーを過ぎたところで、安田は自分から動いた。まだ誰も動いていない。外を回りながら、前との差を削っていく。 四コーナー。内でホットシークレットが逃げている。曲がりきる前に、その横へ並んだ。並んで、抜いた。直線を向いたとき、先頭にいたのはメイショウドトウだった。 うしろでは、テイエムオペラオーが囲まれていた。四コーナーで前が壁になり、進路が見つからない。 坂。安田は右のステッキを続けざまに入れた。外から猛烈な脚で追ってくる馬がいるのはわかっている。わかっているのに、視界には入ってこない。いつ来るのか、いつ来るのか、と思っているうちに、ゴール板が来た。 一馬身四分の一。 検量室から出てきた安田に、集まっていた関係者と報道陣が拍手を送った。異例のことだった。 「うれしい。騎手をやめてもいいぐらいうれしいよ」[^1]
出典:日刊スポーツ「【G1復刻】メイショウドトウ6度目挑戦で大願成就 天敵オペラオー超え果たす/宝塚記念」2022年6月24日配信(2001年6月25日付紙面の復刻)、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202206220000837.html 、閲覧日:2026年8月2日。
二十八年目のタイトル
この馬を担当していた千田智久厩務員は、昼も夜もなく世話を続けてきた。一度は勝ちたいと思っていた、ここしかないと思ってやってきた、と言った。当日の馬体重は五百八キロ。六キロ絞って持ってきた数字である。 安田伊佐夫は厩舎を開いて二十二年目だった。これが初めてのGIで、調教師として唯一のGIにもなる。調教師と騎手が父子でGIを勝ったのは、このときが史上二組目だった。 松本好雄は、馬主になって二十八年目である。同じ時代に平成のシンザンと呼ばれる馬がいて、GIを勝つのは本当に大変なのだと感じていた、と後年に振り返っている。簡単に勝てていたら、この重みは知らないままだっただろう、とも。オーナーと調教師は抱き合った。 秋は天皇賞(秋)から始めた。逃げ馬と目されていたサイレントハンターが出遅れ、成り行きでメイショウドトウが先頭に立つ形になる。そのまま直線に入ったが伸びを欠き、真ん中からテイエムオペラオーに突き放された。そこへ大外からアグネスデジタルが来て、二頭まとめて抜き去っていく。三着。 ジャパンカップでは一コーナーを過ぎたあたりで外国馬ゴーランに進路を塞がれた。落馬しかねない不利で、そのとき前脚を打っている。人馬の折り合いは大きく狂い、馬群に閉じ込められて外へ出すこともできず、荒れた内ラチ沿いを走らされた。直線で内から追い上げて先頭に迫ったものの、そこまでだった。五着。 12月23日、有馬記念。二頭そろっての引退レースである。宝塚記念と同じように三コーナーから四コーナーで早めに動き、馬場の真ん中で直線を向いた。外から差してきたマンハッタンカフェにはかなわない。それでも、うしろから来たテイエムオペラオーには、ゴール前で踏ん張って先着を許さなかった。四着。五着がテイエムオペラオーだった。 二頭は九度戦った。メイショウドトウが前でゴール板を過ぎたのは二度だけである。その二度は、初めてのタイトルと、最後の一戦だった。 2002年1月13日、京都競馬場。二頭は並んで引退式を迎えた。
順番
種牡馬になった。行った先はイーストスタッドで、そこにはテイエムオペラオーもいた。十年の供用で二百七十頭が血統登録され、二百四十一頭が競馬場に出ていった。大井記念のライジングウェーブ、王冠賞のフーガ、中京2歳ステークスのシャイン。父と同じ舞台の主役になった仔はいない。 種付けの数が減っても、松本好雄はこの馬を一生涯自分で面倒を見るつもりでいた。そこへ引退馬協会から、協会の「顔」になってほしいという話が来る。松本はそれを受けた。2017年からフォスターホースとなり、翌2018年11月にヴェルサイユファーム、2021年6月に北海道新冠町のノーザンレイクへ移っている。手放したあとも、松本は牧場へ会いに通い続けた。 2025年8月23日、中京の第3競走をメイショウハッケイが勝ち、松本好雄は個人馬主として初めてJRA通算二千勝に届いた。1974年の登録から、半世紀を越えた末の数字である。その六日後、8月29日の未明に膵臓がんで亡くなっている。八十七歳。この人が座右の銘にしていたのは「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」[^1]という言葉だった。 2026年3月25日、メイショウドトウは三十歳になった。 四百万円で引き取られた馬は、GIで五度、同じ一頭の背中しか見せてもらえなかった。六度目に、その背中を消した。厩舎にとって初めてのタイトルであり、父と子が並んで受け取った史上二組目の記録であり、明石の男が二十八年待った一枚だった。 待っていた人は、もういない。待たれていた馬のほうが、三十度目の春を越えた。順番は、あの言葉のとおりに回っている。
出典:デイリースポーツ「“メイショウ”の松本好雄さんが死去 87歳 8月23日に個人馬主史上初のJRA通算2000勝達成 武豊ら競馬関係者やファンに慕われた名物オーナー」2025年9月2日配信、https://www.daily.co.jp/umaya/news/2025/09/02/0019423318.shtml 、閲覧日:2026年8月2日。
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