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メジロアルダン
通算成績14戦4勝
獲得賞金2億4,130万円
生年月日 1985.03.28(昭和60年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 14 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 12人気 | 横山典弘 | 2:27.4 | 上り37.0 | 映像 | |
| 6 | OP富士S | 東京 芝1800 | 1人気 | 田村正光 | 1:48.6 | 上り37.4 | — | |
| 4 | GII日経新春杯 | 京都 芝2200 | 1人気 | 村本善之 | 2:14.1 | 上り46.8 | — | |
| 10 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 河内洋 | 2:34.9 | 上り36.0 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 5人気 | 横山典弘 | 1:58.2 | 上り35.4 | 映像 | |
| 4 | GIII産經賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 菅原泰夫 | 2:13.8 | 上り37.4 | — | |
| 3 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 3人気 | 岡部幸雄 | 1:59.2 | 上り46.2 | 映像 | |
| 3 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 2人気 | 岡部幸雄 | 1:46.9 | 上り46.7 | — | |
| 1 | GII高松宮杯 | 中京 芝2000 | 1人気 | 河内洋 | 1:58.9 | 上り35.6 | — | |
| 1 | OPメイS | 東京 芝2400 | 2人気 | 岡部幸雄 | 2:27.5 | 上り48.1 | — | |
| 2 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 6人気 | 岡部幸雄 | 2:26.4 | 上り47.9 | 映像 | |
| 2 | GIINHK杯 | 東京 芝2000 | 6人気 | 田村正光 | 2:02.0 | 上り47.8 | — | |
| 1 | 山藤賞 | 東京 芝1800 | 1人気 | 岡部幸雄 | 1:49.0 | 上り48.2 | — | |
| 1 | 4歳未出走 | 東京 ダ1200 | 1人気 | 柏崎正次 | 1:13.8 | 上り49.8 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父アスワン | ノーザンテーストNorthern Taste | Northern Dancer |
| Lady Victoria | ||
| リリーオブザナイルLily of the Nile | Never Bend | |
| Nile Lily | ||
| 母メジロヒリュウ | ネヴァービートNever Beat | Never Say Die |
| Bride Elect | ||
| アマゾンウォリアーAmazon Warrior | Khaled | |
| War Betsy |
旅程 — この馬の物語
1985年生まれの黒鹿毛の牡馬。父アスワン、母メジロヒリュウ。主な勝ち鞍は高松宮杯。
伊達の双子
1985年3月28日、北海道伊達市のメジロ牧場で、双子の一頭として生まれた。黒鹿毛の牡。父アスワン、母メジロヒリュウ。 同じ母は、二年前にも同じ牧場で牝を産んでいる。メジロラモーヌ。1986年に桜花賞・優駿牝馬・エリザベス女王杯を勝ち、中央競馬で初めて牝馬三冠を達成した馬である。この黒鹿毛は、三冠牝馬の半弟にあたる。 この年のメジロ牧場は、過去の名馬から名を借りることを命名の決まりの一つにしていた。選ばれたのはアルダン。1944年にフランスでジョッケクルブ賞と凱旋門賞を勝った馬の名だった。ジョッケクルブ賞は、フランスのダービーである。 牧場を興した北野豊吉は、その前の年に亡くなっていた。生涯を天皇賞に懸けた人で、ティターンの仔で天皇賞を勝て、というのが遺言だったと伝わる。その執念はのちに父子三代の天皇賞制覇として実を結ぶ。ただ、この一族には最後まで手に入らないものが一つあった。日本ダービーである。 預けられた先は美浦の奥平真治。半姉ラモーヌに牝馬三冠を獲らせた厩舎である。 もっとも、この仔は体が弱かった。同世代がクラシックの前哨戦を走り出す頃になっても、まだ一度も競馬場に姿を見せていない。デビューは三歳の三月まで遅れる。
六十三日
1988年3月27日、東京のダート1200メートル。不良馬場の未出走戦に、柏崎正次を乗せて出た。単勝1.5倍。二着に0秒1だけ先んじて勝つ。生涯でダートを走ったのは、この一度きりである。 三週間後、芝1800メートルの山藤賞。鞍上が岡部幸雄に替わった。岡部はこのあと十四戦のうち五つでこの馬に乗る。誰よりも多い数である。ここも1番人気で勝ち、二連勝とした。 5月8日、NHK杯。当時はダービーのトライアルだった。サッカーボーイらが顔を揃え、アルダンは6番人気にとどまる。それでも好位から粘り、勝ったマイネルグラウベンとタイム差のない2着に入る。ダービーの出走権を手に入れた。 未出走戦から本番まで、六十三日。三戦しか走っていない馬が、二十四頭立ての十八番に入った。単勝10.9倍の6番人気。下馬評では、皐月賞馬ヤエノムテキやサッカーボーイの後ろに置かれていた。
あと一完歩
1988年5月29日、東京競馬場。晴れ、芝は良。発走は午後三時三十五分だった。 大外のアドバンスモアが飛び出していった。逃げというより暴走に近い脚で、第一コーナーを回るとき、二番手との差は七、八馬身あった。 アルダンは五番手あたりにいる。岡部は動かない。向正面で流れが緩むと、いったん九番手まで下げた。それでも追わない。前が近づいてくるのを待つのではなく、前が落ちてくるのを待っていた。 三コーナーの手前で、大逃げの脚が上がる。四コーナー、先頭には三頭が横に並んだ。その一列後ろまで、アルダンは押し上げてきている。 直線。府中は長く、半ばに坂がある。坂にかかったところで、内からアルダン、外からコクサイトリプル、いちばん外からヤエノムテキが追い上げた。三方から前を包む形である。包まれた真ん中にいたのが、皐月賞で三着に敗れていたサクラチヨノオーだった。 残り四百メートルからの一ハロンを、レースは十一秒八で走っている。終盤でいちばん速い区間だった。その加速に乗ったのはアルダンのほうだ。坂を上りきり、残り二百メートルの標識を通るとき、内の黒鹿毛が半馬身だけ前に出ていた。 そこから決勝線までの二百メートルに、レースは十二秒五かかっている。全馬が止まりかけていた。止まりかけた馬群の中で、一度かわされた馬がもう一度伸びるということが起きる。 半馬身が縮む。首の分だけ縮む。ゴール板の手前で、前後がもう一度入れ替わった。 クビ。勝ったサクラチヨノオーの時計は二分二十六秒三で、六年前のレースレコードを0秒2縮めていた。アルダンはその十分の一秒あとにいる。三着まではさらに半馬身。三頭を並べても、馬一頭の長さに足りない。 レースのあと、骨が折れていることが分かった。
一年後の中京
丸一年、競馬場から消えた。 戻ってきたのは1989年5月27日、東京のメイステークス。休み明けの2番人気で、二着に0秒2差をつけて勝った。乗ったのは岡部である。 次が中京の高松宮杯。当時は芝2000メートルの重賞だった。ここで手綱を取ったのは河内洋。三年前、半姉メジロラモーヌの三冠すべてに乗っていた騎手である。姉に三つの王冠を獲らせた鞍上が、弟の背に回ってきた。 相手にはその年の安田記念を勝ったバンブーメモリーがいた。馬場は稍重。アルダンは1番人気に応え、二馬身半をつけて突き放す。一分五十八秒九。レコードでの勝利だった。 重賞のタイトルは、この一つ。安田記念馬を、渋った馬場のレコードで負かして獲ったものである。
第百回のクビとクビ
秋、毎日王冠。八頭立ての小頭数に、オグリキャップとイナリワンがいた。アルダンは2番人気で、その二頭に続く三着に入る。馬体は512キロまで増えていた。 三週間後の東京、第100回天皇賞(秋)。節目の一戦にオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンが揃った。平成三強と呼ばれた三頭である。四番目の柱として名を並べられたのが、メジロアルダンだった。 レースは一度も緩まなかった。終いの五ハロンがすべて十一秒台で刻まれ、最後の二百メートルは十一秒四。レースの上がり三ハロン(最後の六百メートル)は三十四秒八。位置取りの駆け引きが効かず、走力だけを問う流れである。 アルダンは四コーナーまで四、五番手を進んだ。直線で三頭が横に並ぶ。スーパークリーク、オグリキャップ、メジロアルダン。 一分五十九秒一。一分五十九秒一。一分五十九秒二。 クビ、クビ。一着から三着までが、半馬身ほどの中に収まっていた。 そしてこのレースのあと、屈腱炎が出た。脚の腱を痛める故障で、競走馬にとっては最も戻りにくい部類に入る。二度目の長期休養だった。
岡部の選択
1990年9月、中山のオールカマーで復帰した。重馬場の1番人気で四着。菅原泰夫が乗っている。 六週間後、東京。第102回天皇賞(秋)。 この日、岡部幸雄はメジロアルダンの背にいなかった。ヤエノムテキに乗っていた。皐月賞のあとGIから遠ざかっていた同世代で、岡部はその春から手綱を任されている。レースのあと、岡部は、これまで自分が乗ったことのある馬の中から選んだ一頭で勝てたのが嬉しい、という意味のことを語っている。選んだ、という言葉が使われている。選ばれなかった側に、メジロアルダンがいた。 代わって乗ったのは横山典弘、二十二歳。調教師・奥平真治の甥である。この時点で、まだGIを勝っていない。 四枠に、二頭は並んで入った。七番がヤエノムテキ、八番がメジロアルダン。 前半の千メートルが五十八秒二という速い流れになる。岡部は最内を動かなかった。アルダンもその一つ後ろの内で我慢した。直線、岡部が早めに動く。進路を塞がれるのを嫌い、外の各馬が脚を溜めているうちに抜け出した。 横山はその背中を追った。終いの二ハロンで差が詰まり、ゴール板の手前で二頭は並ぶ。 アタマ。一分五十八秒二はレースレコードだった。二頭は同じ時計で走り、記録に名が残ったのは一頭だけだった。 横山典弘はその二週間後、キョウエイタップでエリザベス女王杯を勝ち、初めてのGIを手にする。奥平厩舎の馬ではない。 この年、奥平真治はGIを一つも勝たないまま、日本で最も賞金を稼いだ調教師になっている。メジロライアン、メジロモントレー、そしてこのアタマ差。二着の積み重ねが、そういう順位を作ることがある。 暮れの有馬記念、アルダンは2番人気に支持された。馬体は520キロ、十六キロ増えていた。結果は十着。その日の主役は、引退レースを走っていたオグリキャップだった。
白に緑の一本輪
1991年1月、京都の日経新春杯。1番人気で四着。村本善之が乗った。このあと屈腱炎が再発する。三度目の、そして最後の長期休養になった。 秋に戻ってきたが、体のほうは戻っていなかった。11月10日の富士ステークスで六着。11月24日、ジャパンカップ。十二番人気の十四着で、これが最後の一戦になった。 デビューから引退まで三年八か月。そのうち半分以上を、一度の骨折と二度の屈腱炎で休んでいる。走ったのは十四回、先頭でゴール板を通ったのは四回だった。 引退後は種牡馬になり、2000年の秋に中国へ渡る。北京の牧場で繋養され、2002年6月18日、種付けの最中に心臓発作を起こして死んだ。十七歳。墓はその牧場にある。かの地に残した産駒からは、2015年に現地の協会から最優秀種牡馬に選ばれた馬も出た。 奥平真治が調教師をやめたのは2007年2月である。三十六年で重賞を四十九、GI級を六つ勝った。日本ダービーには三度、二着で終わっている。1988年のメジロアルダン、1990年のメジロライアン、1991年のレオダーバン。現役中は、典でダービーを勝つのが夢だと語っていた。典とは、甥の横山典弘のことである。その夢は果たされなかった。 2007年2月25日、中山競馬場で引退式が行われた。騎手を代表して花束を渡したのは横山典弘だった。着ていたのは、メジロ牧場の勝負服である。 メジロという牧場は、天皇賞を父子三代で勝ち、顕彰馬を二頭出し、障害の頂点にも何度も立った。日本ダービーだけは、四十四年のあいだ勝てないまま終わっている。二着が四回。メジロアルダンは、その三度目だった。 名の由来になったアルダンは、フランスのダービーを勝った馬である。日本のアルダンは、そのダービーでクビだけ足りなかった。第百回の天皇賞ではクビとクビ、第百二回ではアタマ。三度とも、あと一完歩あれば足りていた。ただし一完歩というのは、最後まで脚が残っていた馬にしか使えない単位でもある。 白地に、緑の一本輪。1988年5月29日、その服が日本ダービーの先頭にいた時間は、二百メートルに満たない。牧場は2011年に解散する。あの二百メートルは、返してもらえないまま終わった。
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