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メジロブライト
通算成績25戦8勝
獲得賞金8億3,258万円
生年月日 1994.04.19(平成6年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 8 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 5人気 | 石橋守 | 2:27.0 | 上り33.9 | 映像 | |
| 5 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 河内洋 | 2:37.5 | 上り34.8 | 映像 | |
| 11 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 3人気 | 河内洋 | 1:59.1 | 上り35.3 | 映像 | |
| 2 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 2人気 | 河内洋 | 2:24.4 | 上り34.1 | — | |
| 2 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 3人気 | 河内洋 | 3:15.4 | 上り34.0 | 映像 | |
| 2 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 河内洋 | 3:13.5 | 上り37.5 | — | |
| 1 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 1人気 | 河内洋 | 2:31.4 | 上り34.6 | — | |
| 2 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 河内洋 | 2:32.2 | 上り34.5 | 映像 | |
| 5 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 河内洋 | 2:00.1 | 上り36.8 | 映像 | |
| 2 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 1人気 | 河内洋 | 2:25.7 | 上り34.5 | — | |
| 11 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 河内洋 | 2:13.2 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 河内洋 | 3:23.6 | 上り34.3 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 河内洋 | 3:09.3 | 上り33.8 | — | |
| 1 | GIIアメリカジョッキークラブカップ | 中山 芝2200 | 1人気 | 河内洋 | 2:15.3 | 上り34.5 | — | |
| 1 | GIIステイヤーズS | 中山 芝3600 | 1人気 | 河内洋 | 3:48.7 | 上り35.6 | — | |
| 3 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 2人気 | 松永幹夫 | 3:07.9 | 上り34.1 | 映像 | |
| 3 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 松永幹夫 | 2:13.3 | 上り34.1 | — | |
| 3 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:26.2 | 上り34.5 | 映像 | |
| 4 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 1人気 | 松永幹夫 | 2:02.2 | 上り35.4 | 映像 | |
| 2 | GIIフジTVスプリングS | 中山 芝1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:52.3 | 上り36.6 | — | |
| 1 | GIII共同通信杯4歳S | 東京 芝1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:47.5 | 上り34.8 | — | |
| 1 | GIIIラジオたんぱ杯3歳S | 阪神 芝2000 | 2人気 | 松永幹夫 | 2:03.1 | 上り37.1 | — | |
| 2 | GIIデイリー杯3歳S | 京都 芝1400 | 7人気 | 松永幹夫 | 1:22.1 | 上り34.7 | — | |
| 2 | OPすずらん賞 | 函館 芝1800 | 2人気 | 横山賀一 | 1:51.5 | 上り35.0 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 函館 芝1800 | 6人気 | 千田輝彦 | 2:01.6 | 上り35.3 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父メジロライアンMejiro Ryan | アンバーシャダイ | ノーザンテーストNorthern Taste |
| クリアアンバーClear Amber | ||
| メジロチェイサー | メジロサンマン | |
| シエリルCheryl | ||
| 母レールデュタン | マルゼンスキーMaruzensky | Nijinsky |
| シルShill | ||
| ケイツナミ | ラディガLadiga | |
| ハイビスカス |
旅程 — この馬の物語
1994年生まれの鹿毛の牡馬。父メジロライアン、母レールデュタン。主な勝ち鞍は天皇賞(春)・ラジオたんぱ杯3歳S・共同通信杯4歳S。
乗り味のいい牝馬
1982年、北海道新冠町の錦岡牧場に、父マルゼンスキー、母ケイツナミの牝馬が生まれた。レールデュタンという。栗東の浅見国一厩舎からデビューし、中京の特別を二つ勝って、二十二戦四勝で競走生活を終えている。重賞には手の届かなかった牝馬である。 それでも国一は、この馬を手放したくなかった。乗り味がいいから繁殖に残したい。そう考えて馬主の内田恵司を説得し、レールデュタンは北海道伊達市のメジロ牧場へ送られる。自分の管理馬を他人の牧場の繁殖牝馬にする話で、調教師としての得は何もない。 そのメジロ牧場は、当時うまくいっていなかった。メジロライアン、メジロパーマー、メジロマックイーンで宝塚記念を三年続けて勝ったあと、重賞の勝ち馬がぱたりと出なくなる。時代はサンデーサイレンスやブライアンズタイムといった輸入種牡馬の産駒に移り、外国産馬にも門戸が開きつつあった。自家生産の内国産馬にこだわるという創業者・北野豊吉以来の理念が、そのまま不利になっていく時期である。 レールデュタンが牧場で産んだ仔たちも、恵まれなかった。三番仔のメジロモネが後に中央から高崎へ移って重賞を勝つほかは、骨折や脚部不安でおおむね競馬場に立てないままだった。 1993年、牧場は自分たちの繁殖牝馬五頭を、種牡馬になったばかりのメジロライアンにつけた。「内国産の二代目は種牡馬として成功しない」という通説のせいで、良血の相手が集まらない父である。レールデュタンはその五頭の一頭だった。二頭は受胎したまま出産を待たずに死に、生まれたのは三頭だけ。牝馬二頭は、後にメジロブルテリア、メジロドーベルと名付けられる。 残る一頭が、1994年4月19日、予定日より六日遅れて生まれた鹿毛の牡馬だった。平均が五十五キロのところ、四十九キロしかない。父ライアンは骨太の大型馬だったが、この仔は脚が細長く、小さかった。牧場が褒めたのは元気の良さだけだったという。冠名の「メジロ」に、長岡と金沢を結んでいた在来線特急「かがやき」から採った「ブライト」が付く。母と同じ、浅見国一の厩舎へ入った。
千八を二分で走るような馬
1996年8月31日、函館の芝1800メートル。六頭立ての新馬戦で、メジロブライトの単勝は五十八倍九分だった。他の五頭は一倍二分から十三倍五分の間に収まっている。ソエ(若い馬の前脚に出る骨膜炎)を抱えて追い切りでも併せ馬に遅れ、ゲートも下手で、期待を一つも背負っていなかった。 出遅れて最後方。先頭が前半の1000メートルを1分12秒で通過する、前にいる馬ほど有利な超スローペースである。そこから大外を回って一頭ずつ抜き、先に抜け出していた一番人気パームシャドウまで捕まえて半馬身。ただし走破時計は2分1秒6で、芝2000メートルの決着に相当する遅さだった。 その直後、栗東で調教師の伊藤修司が国一に軽口を叩いている。定年で厩舎を畳む男に、何かいい馬を回してくれよ、と。国一が新馬を勝ったばかりのこの馬はどうかと持ちかけると、返ってきたのは即答だった。「あれだけは要らん。千八を2分で走るような馬なんて」[^1] 三週後のすずらん賞は2着。ただし時計は1分51秒5で、新馬戦より十秒以上速い。距離を四百メートル詰めたデイリー杯3歳ステークスでは七番人気に落ちたが、また最後方から追い込んで2着に入った。前を行ったのはコースレコードで駆けたシーキングザパールである。国一がこの馬を本物だと認め直したのは、この一戦だったという。 ところがソエは骨折寸前まで悪化し、二か月の休養に入る。復帰戦のラジオたんぱ杯3歳ステークスを二馬身差で勝ったとき、それはメジロ牧場の重賞百勝目でもあった。二十日前には、同じメジロライアン産駒のメジロドーベルが阪神3歳牝馬ステークスを勝っている。三年ぶりの重賞勝ちが、二十日のうちに二つ。止まっていた牧場の時計を動かしたのは、どちらもライアンの初年度産駒だった。
出典:ウィキペディア日本語版「メジロブライト」(伊藤修司の発言は『優駿』2003年5月号62頁に基づく記述)、https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロブライト、閲覧日:2026年8月3日。
二月の定年
1997年、目標は当然クラシックだった。ところが浅見国一の定年は二月末に来る。この馬と一緒に走れる時間は、もう一か月も残っていなかった。 国一は、本来なら休ませておくべきメジロブライトを、無理を承知で2月9日の共同通信杯4歳ステークスに出した。東京へは当日輸送である。競走馬を馬運車でレース当日に運ぶという方法を日本の競馬に持ち込んだのは、もともとこの人だった。 もう一人、国一が連れ出した人がいる。メジロの総帥・北野ミヤ。1991年の天皇賞(秋)でメジロマックイーンが一位入線から十八着に降着となって以来、彼女は東京競馬場に足を向けていなかった。国一はその人を誘い、スタンドに座らせている。 単勝一倍六分。大外枠から出ていつものように最後方に控え、直線で外に持ち出すと、全部を差し切った。四分の三馬身差。1分47秒5は、三年前にナリタブライアンが記録したレースレコードに並ぶ時計だった。国一は、ダービーではファンと一緒に応援するつもりだと言い残して、二月末に厩舎を解散する。 管理は息子の浅見秀一に移った。担当調教助手の山吉一弘も同じ厩舎へ移り、空いた馬房をそのまま秀一が吸収したので、メジロブライトの部屋も変わらない。変わったのは、調教師の名前だけだった。
父と同じ順番で
父メジロライアンは、皐月賞3着、東京優駿2着、菊花賞3着。三冠のすべてで上位に食い込みながら、一つも獲れずに終わった馬である。息子は、その負け方をなぞった。 転厩初戦のスプリングステークスは初めての稍重で末脚が鈍り、先に抜け出したビッグサンデーを捕まえられずに2着。一番人気の皐月賞では、逃げたサニーブライアンを大外から追ったが、二桁人気の三頭にまで先着を許して4着。やはり一番人気だった東京優駿でも、同じ相手に同じ形で逃げ切られ、シルクジャスティスにも先着されて3着に終わる。秋は京都新聞杯で内を通ったマチカネフクキタルに屈して3着。菊花賞では仕掛けを早め、四コーナーで先頭を狙える位置まで押し上げたが、直線に脚が残っていなかった。またマチカネフクキタルの3着である。 三つのクラシックすべてで人気を背負い、一つも勝てない。負け続けてなお人を惹きつけるところまで、父に似ていた。 十一月二十九日、中山の芝3600メートル。ステイヤーズステークスは、それまで乗っていた松永幹夫が阪神のワールドスーパージョッキーズシリーズに参加して騎乗できず、秀一は河内洋に代打を頼んだ。重馬場。二周目の三コーナーから外に持ち出して先頭に並びかけ、直線では促されないまま抜け出し、そのまま後続を突き放していく。着差は「大差」。二着との開きは1秒8あった。 この一戦を見て、秀一は翌年の目標を天皇賞(春)に定める。そして代打で乗った河内が、以後この馬の主戦になった。
ハナ差の三連勝
1998年1月、中山のアメリカジョッキークラブカップ。最後方でスローペースを追い、四コーナーで大外へ持ち出して全部を差し切った。二馬身半差の完勝である。 三月の阪神大賞典は、同期のシルクジャスティスとの三度目の対戦だった。相手はダービー2着、菊花賞5着とクラシックを無冠で終えたあと、古馬になって京都大賞典と有馬記念を勝っている。実績で先を行かれていたのは、こちらのほうだった。 またしてもスローペース。シルクジャスティスは早々に流れを見切って好位まで上がり、二周目の三コーナーから先に動く。直線で抜け出したその背中を、メジロブライトが外から追った。捕まえて、並んだ。そこから決勝線までが長かった。二頭は後続を置き去りにしたまま競り合い、わずかにハナだけ前に出ていたのがメジロブライトである。 重賞三連勝。ただし斤量は相手より一キロ軽かった。次は同じ斤量で、同じ相手と、京都の三千二百メートルを走る。
三千二百の、最後の千
1998年5月3日、京都。曇り。芝は良。十四頭立ての天皇賞(春)で、単勝の一番人気はシルクジャスティス、二番人気がメジロブライトだった。 ゲートが開いて、メジロブライトはまた出遅れた。だが今度はすぐに盛り返し、内から数えて六番目に収まる。一つ前にシルクジャスティスがいた。追うべき相手を前に置いたまま走れる位置である。 先頭が最初の1000メートルを通過したのは63秒4。三千二百メートルの競走としても、遅い。そして遅さはそこから深くなる。レースの中ほど、八つ目のハロンは14秒1まで落ちた。十四頭は一団のまま、歩くような足取りで進んでいた。 長距離戦がこうなると、勝負は最後の1000メートルに全部押し込まれる。この日はまさにそうなった。終いの千は60秒4。三千二百のマラソンの尻尾に、千メートルのスプリントを接ぎ木したようなレースである。 二周目の向正面で、メジロブライトはシルクジャスティスの背後から外へ持ち出し、その傍らまで上がった。ここまでは、追う者の動きだ。 三コーナー。仕掛けたのは、追う側が先だった。相手の動き出しを待たず、メジロブライトが自分から加速して前へ出る。通過順位はこの区間で入れ替わっている。三角を回り終えたとき、シルクジャスティスは背中側にいた。この馬はそれまで、ほとんどいつも待つ側だった。誰かが抜け出すのを見てから、大外を回って追いかける馬だった。その馬が、この日は先に動いた。 四コーナーを回って直線。内からシルクジャスティスが抵抗してきたが、ほどなくそれも止んだ。あとは、後ろから来るものを待つだけの時間になる。ステイゴールドとローゼンカバリーが伸びた。届かなかった。 二馬身。父メジロライアンが1991年に4着で終えた競走を、その初年度産駒が勝った。メジロの名を持つ馬の天皇賞制覇は、メジロマックイーン以来である。そして河内洋にとっての天皇賞は、1981年春のカツラノハイセイコ以来だった。あの馬もまた、輸入種牡馬全盛の時代を走った父内国産馬である。
五着より下に落ちたのは三度だけ
七月の宝塚記念で、メジロブライトはゲートの中で立ち上がった。扉を開けて馬体検査、異状なし。しかし枠を外され、大外からの発走になる。発走は五分遅れた。逃げるサイレンススズカを追って三コーナーから動いたが、四コーナー手前で、前を走って失速していたホウエイコスモスをまともに受け、最後方まで押し戻される。挽回のしようがなく十一着。秀一は、具合が良すぎてレース前に闘争心があふれてしまったのかもしれない、と振り返っている。 秋の京都大賞典は、大逃げを打ったセイウンスカイをクビ差捕まえられずに2着。天皇賞(秋)では、陣営が異例の先行策を選んだ。六連勝中のサイレンススズカを早めに捕まえに行く作戦である。ところが前を行くその馬が故障して失速し、外へ逸れてきた。避けるために、メジロブライトだけが四コーナーを大きく膨らんで回らされる。内をまっすぐ走れた馬たちが直線で伸び、五着。打ち破るつもりで追いかけていた相手が、その場所で走れなくなった。この日の五着は、作戦の失敗というより、居合わせてしまった位置の結果である。 年末の有馬記念は、抜け出したグラスワンダーを外から追って半馬身差の2着。この年のJRA賞で、メジロブライトは最優秀父内国産馬に選ばれる。父が内国産馬であることが条件になる部門で、二百八票のうち百七十八票を集めた。 1999年は、トップハンデの五十九キロ半を背負った日経新春杯をクビ差で凌いで始まった。これが生涯八つ目の勝利になる。以後、一着はなかった。阪神大賞典はスペシャルウィークに四分の三馬身、天皇賞(春)は同じ相手に半馬身、秋の京都大賞典はツルマルツヨシに四分の三馬身。三戦続けて、勝ち馬との差は0秒1だった。天皇賞(春)のあと、河内は漏らしたという。「もうあれ以上は絞り出せないよ」[^1] 天皇賞(秋)はスペシャルウィークの復活を見届ける十一着、有馬記念はまたグラスワンダーの背中を見ての五着。その後に左前脚の浅屈腱炎が出た。一年近くを休み、2000年10月の京都大賞典に戻ってきたが、鞍上は石橋守に替わり、八着。屈腱炎の再発が分かって、競走馬をやめた。 二十五戦して、五着より下に落ちたのは三度だけである。八勝、二着八回。勝った数と、あと一歩だった数が、ちょうど同じだった。
出典:ウィキペディア日本語版「メジロブライト」(河内洋の発言は『優駿』誌の記述に基づく)、https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロブライト、閲覧日:2026年8月3日。
三代の放牧地
引退後、メジロブライトは静内のアロースタッドで種牡馬になった。同じ場所に、父メジロライアンと、その父アンバーシャダイがいる。日本で生まれた父から、日本で生まれた父へ。三代が一つの牧場に並んで立った。 初年度は九十一頭の繁殖牝馬が集まった。ただしそれは、人気の父ライアンの種付料に手が届かない生産者が流れてきた分でもある。二年目は三十頭、三年目は十二頭。2003年の秋に新冠のビッグレッドファームへ移り、翌春はいくらか持ち直した。そして2004年5月16日、その年三十二頭目の種付けを終えた直後に心臓発作を起こし、十歳で死んだ。 血統登録された産駒は四世代八十六頭。そのうちの一頭、マキハタサイボーグが2007年のステイヤーズステークスを勝っている。父が河内洋を背に大差で駆け抜けた、あの中山の三千六百メートルである。産駒の重賞勝ちは、結局この一つきりだった。 母レールデュタンは、メジロブライトの四年後に、サンデーサイレンスとの間に牡馬を産んだ。半弟のメジロベイリーである。2000年の朝日杯3歳ステークスを勝ち、その年の最優秀3歳牡馬に選ばれた。そして、メジロ牧場が送り出す最後のGI馬になった。浅見国一が「乗り味がいいから」と繁殖に残させた一頭の牝馬から、牧場の終わりを飾る二頭が出たことになる。 その国一は、騎手だった1961年に、ヤマニンモアーで天皇賞(春)を勝っている。調教師としての三十三年ではオークスを二度制し、阪神3歳牝馬ステークスも勝った。ただし天皇賞は、この人の管理馬の勝ち鞍に残っていない。彼が最後に見つけた小さな鹿毛は、彼の手を離れて一年余りのち、その天皇賞を勝った。息子・浅見秀一にとってのGI初勝利であり、二十年後、秀一はレインボーラインで同じ京都の三千二百をもう一度勝つことになる。国一が世を去ったのは2012年5月、九十歳だった。 輸入種牡馬の血が競馬場を埋めていく時代に、三代続けて日本で生まれた父たちが、静内の放牧地に並んで草を食んでいた時期がある。真ん中の一頭が届かなかった京都の五月を、いちばん小さく生まれた一頭が勝った。四十九キロで生まれ、要らないと言われた馬だった。
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