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メジロドーベル
通算成績21戦10勝
獲得賞金7億3,342万円
生年月日 1994.05.06(平成6年)毛色 鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 吉田豊 | 2:13.5 | 上り34.8 | 映像 | |
| 6 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 7人気 | 吉田豊 | 1:46.4 | 上り35.2 | — | |
| 2 | GIII中山牝馬S | 中山 芝1800 | 1人気 | 吉田豊 | 1:48.7 | 上り36.0 | — | |
| 9 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 7人気 | 吉田豊 | 2:33.2 | 上り37.1 | 映像 | |
| 1 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 吉田豊 | 2:12.8 | 上り33.5 | 映像 | |
| 1 | GIII府中牝馬S | 東京 芝1800 | 1人気 | 吉田豊 | 1:49.3 | 上り36.1 | — | |
| 5 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 6人気 | 吉田豊 | 2:12.4 | 上り35.9 | 映像 | |
| 5 | GII目黒記念 | 東京 芝2500 | 2人気 | 吉田豊 | 2:35.8 | 上り37.2 | — | |
| 2 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 3人気 | 吉田豊 | 2:01.4 | 上り34.2 | — | |
| 8 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 1人気 | 吉田豊 | 2:27.3 | 上り35.8 | — | |
| 8 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 吉田豊 | 2:36.0 | 上り38.3 | 映像 | |
| 1 | GI秋華賞 | 京都 芝2000 | 1人気 | 吉田豊 | 2:00.1 | 上り35.1 | 映像 | |
| 1 | GII産経賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 吉田豊 | 2:16.6 | 上り35.9 | — | |
| 1 | GI優駿牝馬 | 東京 芝2400 | 2人気 | 吉田豊 | 2:27.7 | 上り36.4 | 映像 | |
| 2 | GI桜花賞 | 阪神 芝1600 | 2人気 | 吉田豊 | 1:37.6 | 上り37.8 | 映像 | |
| 3 | GIIIチューリップ賞 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 吉田豊 | 1:38.1 | 上り36.2 | — | |
| 1 | GI阪神3歳牝馬S | 阪神 芝1600 | 2人気 | 吉田豊 | 1:34.6 | 上り36.7 | 映像 | |
| 1 | OPいちょうS | 東京 芝1600 | 2人気 | 吉田豊 | 1:35.0 | 上り35.7 | — | |
| 1 | サフラン賞 | 東京 芝1400 | 1人気 | 吉田豊 | 1:23.5 | 上り34.8 | — | |
| 5 | GIII新潟3歳S | 中山 芝1200 | 3人気 | 吉田豊 | 1:11.4 | 上り37.4 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 新潟 芝1000 | 4人気 | 吉田豊 | 0:58.2 | 上り34.4 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父メジロライアンMejiro Ryan | アンバーシャダイ | ノーザンテーストNorthern Taste |
| クリアアンバーClear Amber | ||
| メジロチェイサー | メジロサンマン | |
| シエリルCheryl | ||
| 母メジロビューティー | パーソロンPartholon | Milesian |
| Paleo | ||
| メジロナガサキ | ネヴァービートNever Beat | |
| メジロボサツ |
旅程 — この馬の物語
1994年生まれの鹿毛の牝馬。父メジロライアン、母メジロビューティー。主な勝ち鞍は阪神3歳牝馬S・優駿牝馬・秋華賞。
二割に入らなかった父
1993年、北海道伊達市のメジロ牧場で、メジロビューティーがサンデーサイレンスの牡馬を産んだ。仔は生まれてすぐ重い黄疸を出し、輸血を繰り返した末に感染症を併発して死んだ。原因を調べるため、母の血液が検査に回された。 結果は厄介だった。メジロビューティーの血液型は特殊で、血の合う種牡馬は日本にいるうちの二割ほどしかいない。このとき母の腹にはもう次の仔がいて、その父メジロライアンは、その二割に入っていなかった。血の合わない母の乳を飲めば、仔は貧血を起こす。かといって初乳を飲まなければ、免疫がつかない。 1994年5月6日に生まれた鹿毛の牝馬は、だから母の乳を飲まなかった。同じころ出産を控えていた隻眼の繁殖牝馬メジロローラントが、代わりに初乳を分けた。翌1995年の初めには骨折した。関節の中に骨のかけらが浮く重い折れ方で、社台ファームの獣医スタッフが総がかりで加わった手術が、どうにか成功する。 父メジロライアンは1991年の宝塚記念を勝った馬で、この年が種牡馬としての初年度だった。母は素質を買われながら故障し、二勝で引退している。母の母の母――曾祖母は、1965年の最優秀三歳牝馬メジロボサツ。メジロ牧場でいちばん古く、いちばん深く根を張った牝系の名である。冠名のメジロは、創業者の自宅があった東京・目白の地名から採られている。続く「ドーベル」は、犬のドーベルマンに由来する。 牧場は当時、作り直しの最中にあった。1987年生まれのメジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマーで頂点を極めたあと、下の世代が続かない。牧草も、放牧の仕方も、育成の施設も、全部を改めた。その改革を経て育った最初の世代が、この牝馬と、同じ父を持つ同期の牡馬メジロブライトだった。 1996年の二月まで牧場で過ごし、福島の天工牧場を経て、美浦の大久保洋吉厩舎に入る。大久保はこの牝系の代々を預かってきた男である。初めて見たときの印象を、大久保はのちにこう振り返っている。兄や姉は胴が長く、どちらかといえば長距離向きの体つきをしていた。この仔は胴が詰まって見えた。上とは少しタイプが違うのかもしれない、と。
一九九六年十二月一日、阪神 ― 三人の初GI
デビューは1996年7月13日、新潟の芝1000メートルの新馬戦だった。四番人気。好位から直線で後続を離して勝った。 鞍上は吉田豊。茨城の生まれで、乗馬の経験がひとつも無いまま競馬学校へ入り、1994年の三月にデビューしたばかりの若手である。この牝馬が生まれたのは、その二か月後にあたる。所属は大久保洋吉厩舎。初年度は六勝、二年目に二十八勝。関東のホープと呼ばれ始めてはいたが、重賞はまだひとつも勝っていなかった。 二戦目の新潟三歳ステークスは中山で行われ、道中で進路が狭まる不利もあって五着に沈む。秋にサフラン賞といちょうステークスを連勝し、暮れの阪神へ向かった。当時の馬齢は数え年で、いまより一つ多い。三歳女王を決める阪神三歳牝馬ステークスである。 断然の人気は単勝1.5倍のシーキングザパール。メジロドーベルは5.8倍の二番人気だった。十頭立ての流れは速い。二ハロン目と三ハロン目がいずれも10秒8で、隊列は縦に長く伸びた。彼女は五番手あたりでその流れをやり過ごし、三コーナーから四コーナーにかけて前へ取りつく。直線で抜け出し、二着シーズプリンセスに二馬身。1分34秒6は、前年の勝ち馬の記録を0秒1上回るレースレコードだった。 この一鞍で、三人が同時に初めてのGIを手にしている。吉田豊は、重賞の初勝利がいきなりGIになった。大久保洋吉も調教師として初のGIだった。そしてもう一人、担当厩務員の堀口良吉。かつてメジロファントムなどを手掛けたベテランで、定年まではまだ間があったのに「3歳っ子をもらうのはおそらく最後だから」[^1]と口にしては、この牝馬を「ベルちゃん」と呼んで可愛がっていた。 翌年一月、彼女はその年の最優秀三歳牝馬に選ばれる。父メジロライアンは新種牡馬の一位に立った。輸入種牡馬の産駒と外国産馬が上位を占めていた時代に、内国産の血から出てきた一頭だった。
出典:大塚美奈『馬と人、真実の物語』(アールズ出版、2002年)pp.169-170。ウィキペディア日本語版「メジロドーベル」 https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロドーベル 経由で確認、閲覧日:2026年8月3日。
ベルちゃん
1997年の一月末、堀口良吉が突然倒れた。二月十九日に亡くなる。GIを勝ってから、二か月半しか経っていなかった。 担当は、大久保厩舎の番頭格だった安瀬良一が引き継いだ。数々の活躍馬を手掛けてきた男でも、この牝馬の気性は手に余った。馬のほうも、堀口を相手にしていたときより苛立った。手替わりから最初の出走となった三月のチューリップ賞では、単勝1.3倍の一番人気に支持されながら、抑えようとする吉田の手綱に逆らって首を高く上げたまま走り、三着に敗れる。厩舎に戻って馬房に入れても、興奮はしばらく収まらなかった。 安瀬は夜ごと馬房へ通うようになる。桜花賞を迎えるころには彼女も安瀬を受け入れ、やがて馬房の中を後ろについて歩くほどになった。 四月六日の桜花賞は、雨で不良馬場になった。十八頭。一番人気は五戦四勝のキョウエイマーチで、メジロドーベルは二番人気。キョウエイマーチが前々で運ぶのに対し、メジロドーベルは後方に置かれた。二コーナーでは最後方の一団にいる。三コーナーで十二番手、四コーナーでは五、六番手まで押し上げた。 そこから先が泥だった。最後の一ハロンに13秒3かかっている。前を行くキョウエイマーチも脚は上がっていたはずだが、彼女の脚はもっと上がった。四馬身差の二着。大久保はのちに、桜花賞は外を回ったぶんのコースロスがあった、力はこちらが上だと信じていた、と語っている。 負けた相手は同じ世代の一番人気で、負け方には言い訳が立つ。それでも、桜花賞という名前は、この馬の戦績表にとうとう入らなかった。
三十一年後の東京
五月二十五日、東京競馬場に十五万人が入った。芝は重。距離は桜花賞から八百メートル延びて2400メートルになる。血統に距離の不安は無いが、道中で吉田と折り合えるかどうかが問題だと見られていた。 彼女はスタート直前まで覆面をかぶせられていた。焦れていた桜花賞のときとは違い、この日はひどく落ち着いていたという。 ゲートが開くと、キョウエイマーチが押し出されるように先頭へ出た。前半1000メートルの通過は60秒7。オークスとしては速い。メジロドーベルは前走と同じく後ろから、今度は吉田の呼吸に合わせて走った。 中盤で流れが緩む。ある一ハロンは12秒9まで落ちた。緩んだ流れは、行きたがる馬にとっていちばん危ない。彼女は行かなかった。残り400メートルからの一ハロンが11秒8に跳ね上がり、そこでレースが始まる。四コーナーを回った時点で、前にはまだ八頭ほどがいた。 直線、馬場の中央から一気に出た。二着ナナヨーウイングに二馬身半。逃げたキョウエイマーチは残り300メートルから急に止まり、十一着まで下がっていた。直線の半ばで勝ったと確信できた、と吉田はレース後に語っている。 このレースには、厩舎にとっての因縁があった。曾祖母メジロボサツを管理していたのは、大久保洋吉の父・末吉である。ボサツは1965年に朝日杯三歳ステークスを勝った牝馬で、翌1966年の桜花賞で三着、オークスでは二着に敗れていた。桜花賞で足りず、オークスで届かなかった血が、三十一年後の同じ二つのレースで、同じ順に並べ替えられた。 口取りの写真を撮るとき、メジロ牧場の代表を務めていた北野ミヤは、人ひとりぶんの隙間を空けたままそこに立った。「ここは、堀口さんの場所」[^1]と言ったと伝えられている。
出典:ウィキペディア日本語版「メジロドーベル」(逸話節)、https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロドーベル 、閲覧日:2026年8月3日。
二冠
秋の初戦に大久保が選んだのは、年上の牡馬も出てくるオールカマーだった。九頭立て。ここでも折り合いを欠いたが、吉田は抑えるのをやめ、行きたがるままに先頭へ出した。前に馬がいなくなると、彼女は落ち着いた。そのまま最後まで誰も来ない。クラシック世代の牝馬が、年上の牡馬を相手に逃げ切った。 十月十九日、京都。牝馬三冠の最終戦・秋華賞は、まだ第二回でしかない新しいレースだった。外国産馬のためクラシックに出られず、春にNHKマイルカップを勝っていたシーキングザパールは、気管の疾病でここにいない。残ったのはメジロドーベルとキョウエイマーチである。単勝1.7倍。この年、初めてメジロドーベルがキョウエイマーチより上の人気になった。 キョウエイマーチが二番手を追走し、メジロドーベルは中団にいた。道中で12秒8まで緩んだ流れが、残り600メートルから11秒9、11秒9と締まる。直線で先に抜け出したのはキョウエイマーチだった。彼女がその背中を捉えたのは残り100メートル。二馬身半つけて先に決勝線を通った。牝馬二冠である。 二頭の対戦は、これが最後になった。キョウエイマーチは以後、短距離へ路線を移す。春に四馬身離された相手を、秋に二馬身半突き放して、彼女は借りを返し終えた。 暮れの有馬記念には、ファン投票の三位で選ばれて出た。十三万二千六百九十票。三番人気に支持され、四コーナーで先団に取りついたところまでは形になったが、直線で伸びず八着。中山の二千五百は、この時点ではまだ遠かった。 年度表彰では最優秀四歳牝馬と最優秀父内国産馬を受賞する。年度代表馬は、天皇賞(秋)を勝ったエアグルーヴだった。
追われる側になった年
1998年は、勝てない半年から始まった。 一月の日経新春杯は一番人気で八着。四月の産経大阪杯では、単勝1.2倍のエアグルーヴが立ちはだかった。前年の年度代表馬で、暮れの有馬記念でも先着されている相手である。この日は苦手なスローになり、直線では進路まで失った。それでも上がり三ハロン――最後の600メートル――を34秒2でまとめ、四分の三馬身差の二着まで迫っている。惜しいが、負けは負けである。 六月の目黒記念が五着、七月の宝塚記念も五着。宝塚記念を勝ったのはサイレンススズカで、エアグルーヴはここでも三着に先着していた。ここで休養に入る。 同じ春、同じ父を持つ同期の牡馬メジロブライトが天皇賞(春)を勝っている。改革後のメジロ牧場が送り出した最初の世代は、牝と牡の両方で頂点に届いた。 函館で立て直し、秋は府中牝馬ステークスから始めた。斤量は58キロ。重馬場で、グレースアドマイヤにハナ差まで詰め寄られながら凌ぎ切った。秋華賞以来、一年ぶりの勝利である。 三歳の暮れに二番人気で頂点に立った馬が、五歳の秋には58キロを背負って牝馬同士のハナ差を守っていた。追う側から追われる側へ、立場だけが静かに入れ替わっていた。
十三秒の向正面 ― 一九九八年十一月十五日、京都
枠は、内から一番目だった。 一番人気はエアグルーヴ。天皇賞(秋)を回避してここに来ており、陣営はジャパンカップへの叩き台だと公言していた。前年の年度代表馬である。メジロドーベルは二番人気だった。 発走のあと、彼女はまた首を上げた。行きたがっている。吉田は逆らわず、しかし譲りもしない。馬群の真ん中あたりに置いたまま、一コーナーを回った。前には八頭ほどがいる。 先頭は流れを緩めていった。二コーナーから向正面にかけて、区間の時計は13.0まで落ちる。一ハロンに十三秒。走っているというより、順番を待っているのに近い時間である。行きたい馬にとっては、いちばん長い数十秒だ。 そこで彼女は落ち着いた。吉田は動かない。 三コーナーの入口で、前は四頭になっていた。外から押し上げてくる馬もいる。吉田はそちらへ出さなかった。ラチ沿いを選んだ。狭くて、開くとは限らない場所である。前が壁になれば終わり、開けばいちばん短い距離が残る。半々の賭けを、この鞍上は内側で引いた。 四コーナー。内が開く。 そこから最後の二ハロンが11.2、11.2。緩めたぶんを、まとめて最後の600メートルで払わされる競馬になった。その中で彼女が使った脚は33秒5。一度たるんだ流れの終いとしては、当時、破格の数字である。 ラチ沿いから抜け出した。外から追ってきたランフォザドリームは届かない。エアグルーヴは、そのさらに後ろでゴール板を過ぎた。 四度目の対戦だった。前の三度は、いつも彼女のほうが後ろにいた。
連覇、そして十六番
暮れの有馬記念は、また折り合いを欠いて九着に終わる。このレースを最後にエアグルーヴが引退した。年度表彰では、そのエアグルーヴと、フランスでヨーロッパのG1を勝ったシーキングザパールを抑えて、メジロドーベルが最優秀五歳以上牝馬に選ばれた。 1999年は難所続きだった。二月の中山牝馬ステークスは楽な相手と見られていたが、58.5キロを背負い、5.5キロ軽い九番人気のナリタルナパークに先着を許して二着。さらに後躯の左側に外傷を負い、デビューから初めての長期休養に入る。復帰は秋の毎日王冠で、ここも六着だった。ただ、そこからエリザベス女王杯までの過程で状態は上がり、直前には前年以上と言われるところまで戻った。 十一月十四日、京都。十八頭。一番人気は前年の二冠牝馬ファレノプシス、三番人気は前年のオークス馬エリモエクセル、メジロドーベルはその間の二番人気だった。三強と呼ばれた。 スローに落ちた流れの向正面で、その三頭は横一線に並んで走っている。ところが残り600メートルの地点から、ファレノプシスもエリモエクセルも他馬と接触するなどして順調に運べなくなった。三頭のうち、まっすぐ進めたのは一頭だけだった。抜け出した彼女を、外からフサイチエアデールが追う。四分の三馬身。このレースで連覇を果たした馬は、それまでいなかった。 レースのあと、吉田は人前で泣いた。理由を訊かれて「今年はいろいろとあったから」[^1]とだけ答えている。馬主側の北野俊雄は、最後のレースにふさわしい競馬だったと述べ、これでメジロラモーヌを超えたと評した。 有馬記念へ向かう選択肢もあったが、ここで引退が決まる。十一月二十一日、東京競馬場で引退式。彼女はオークスを勝った日と同じゼッケン十六番をつけて、最後に人の前へ立った。十二月三日、伊達へ帰っていった。 牝馬による中央のGI五勝は、2009年にウオッカが更新するまで最多記録だった。四年続けて年度表彰を受けたのは中央では史上初で、四年連続のGI制覇は、同じ馬主のメジロマックイーンに並ぶ数字である。
出典:『優駿』1999年12月号、p.33。ウィキペディア日本語版「吉田豊 (競馬)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田豊_(競馬) 経由で確認、閲覧日:2026年8月3日。
乗せ続けた四年
二十一戦、鞍上は一度も替わらなかった。 これは当たり前のことではない。GIを五つ勝つ馬には、たいてい途中でどこかの名手が乗る。実際には、彼女が一番人気を裏切った日も、二番人気で女王を負かした日も、乗っていたのは同じ男だった。 吉田豊は、この牝馬が生まれる二か月前にデビューしている。初年度は六勝。重賞をひとつも勝たないまま三年目に入り、その三年目の暮れに、初めての重賞がいきなりGIになった。翌年は八十三勝を挙げて全国六位まで上がり、関西の武豊になぞらえて「東のユタカ」と呼ばれるようになる。師の大久保洋吉は、のちにこう言っている。「この馬で競馬を覚えたというのはあると思います」[^1] 吉田自身は、デビュー間もない自分を乗せ続けてくれたのは師のおかげ以外の何物でもない、とのちに語っている。それはそのとおりだろう。ただ、機会を与えたのが厩舎だとして、腕を鍛えたのは馬のほうである。行きたがる首を無理に抑えないこと。開くかどうか分からない内を選ぶこと。二十一回のうち十回、彼女は先頭で戻ってきて、そのたびに答えをひとつずつ渡していった。 大久保は2015年の二月に定年で厩舎を閉じた。最後の重賞勝ちは前年の青葉賞で、勝ったショウナンラグーンはメジロドーベルの孫にあたる。いちばん嬉しい勝利だ、と大久保は涙ぐんで言った。その馬の担当厩務員は、かつて堀口良吉から「ベルちゃん」を引き継いだ安瀬良一だった。 吉田は2017年の暮れに落馬して首の骨を折り、一年三か月かけて鞍に戻った。それから海を渡り、パンサラッサでドバイターフとサウジカップを勝った。四十代の半ばを過ぎていた。日本の調教馬が日本の騎手を乗せてサウジカップを勝ったのは、それが初めてである。 最初の一頭は、母の乳を飲めずに生まれた仔だった。飲ませてくれる馬がいて、砕けた骨を継いでくれる手があって、名を付けてくれる家があった。もらったぶんを、彼女は四年かけて、人のほうへ返していった。
出典:競馬ラボ「ドーベルらを輩出 そして受け継がれる師弟関係・大久保洋師」2015年2月22日配信。ウィキペディア日本語版「吉田豊 (競馬)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田豊_(競馬) 経由で確認、閲覧日:2026年8月3日。
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