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メジロパーマー
通算成績38戦9勝
獲得賞金5億2,785万円
生年月日 1987.03.21(昭和62年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | GII日経新春杯 | 阪神 芝2500 | 2人気 | 山田泰誠 | 2:35.8 | 上り38.0 | — | |
| 6 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 9人気 | 横山典弘 | 2:31.9 | 上り36.3 | 映像 | |
| 10 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 11人気 | 山田泰誠 | 2:25.4 | 上り37.3 | 映像 | |
| 11 | GIIスワンS | 京都 芝1400 | 3人気 | 山田泰誠 | 1:22.7 | 上り35.8 | — | |
| 9 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 3人気 | 山田泰誠 | 2:25.7 | 上り38.3 | — | |
| 10 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 山田泰誠 | 2:21.5 | 上り41.6 | 映像 | |
| 3 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 4人気 | 山田泰誠 | 3:17.6 | 上り37.0 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 3人気 | 山田泰誠 | 3:09.2 | 上り50.2 | — | |
| 1 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 15人気 | 山田泰誠 | 2:33.5 | 上り37.3 | 映像 | |
| 17 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 10人気 | 藤田伸二 | 2:00.4 | 上り39.0 | 映像 | |
| 9 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 2人気 | 山田泰誠 | 2:26.1 | 上り48.6 | — | |
| 1 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 9人気 | 山田泰誠 | 2:18.6 | 上り52.2 | 映像 | |
| 1 | GIII新潟大賞典 | 新潟 芝2200 | 7人気 | 山田泰誠 | 2:13.4 | 上り48.5 | — | |
| 7 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 12人気 | 山田泰誠 | 3:22.9 | 上り51.0 | 映像 | |
| 4 | OPコーラルS | 阪神 芝1400 | 7人気 | 安田隆行 | 1:24.8 | 上り49.3 | — | |
| 2 | 障害4歳以上400万下 | 阪神 障3150 | 1人気 | 押田年郎 | 3:32.5 | — | — | |
| 1 | 障害4歳以上未勝利 | 京都 障3000 | 1人気 | 押田年郎 | 3:24.5 | — | — | |
| 7 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 6人気 | 角田晃一 | 2:29.7 | 上り50.4 | — | |
| 5 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 4人気 | 松永幹夫 | 1:59.8 | 上り37.6 | — | |
| 6 | OP巴賞 | 函館 芝1800 | 2人気 | 松永幹夫 | 1:51.7 | 上り38.4 | — | |
| 1 | GIII札幌記念 | 札幌 芝2000 | 4人気 | 松永幹夫 | 2:00.9 | 上り37.0 | — | |
| 1 | 十勝岳特別 | 札幌 芝1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:48.8 | 上り35.4 | — | |
| 2 | ニセコ特別 | 札幌 芝1800 | 1人気 | 松永幹夫 | 1:48.7 | 上り36.8 | — | |
| 13 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 16人気 | 村本善之 | 3:21.6 | 上り50.8 | 映像 | |
| 4 | OP大阪城S | 京都 芝2400 | 6人気 | 村本善之 | 2:27.2 | 上り48.5 | — | |
| 3 | 大原S | 京都 芝2400 | 11人気 | 角田晃一 | 2:26.5 | 上り49.1 | — | |
| 12 | 鈴鹿S | 中京 芝1200 | 13人気 | 村本善之 | 1:10.8 | 上り36.8 | — | |
| 7 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 10人気 | 松永幹夫 | 2:00.4 | 上り38.6 | — | |
| 8 | OP巴賞 | 函館 芝1800 | 7人気 | 松永幹夫 | 1:48.0 | 上り36.1 | — | |
| 5 | OP道新杯 | 札幌 芝1800 | 11人気 | 松永幹夫 | 1:49.9 | 上り37.5 | — | |
| 6 | 報知杯大雪H | 札幌 ダ1700 | 6人気 | 松永幹夫 | 1:45.1 | 上り38.7 | — | |
| 5 | エルムS | 札幌 芝1800 | 5人気 | 河内洋 | 1:51.7 | 上り39.6 | — | |
| 8 | OP京都3歳S | 京都 芝1600 | 8人気 | 田島良保 | 1:38.2 | 上り49.4 | — | |
| 9 | OP萩S | 京都 芝1200 | 5人気 | 村本善之 | 1:11.9 | 上り48.2 | — | |
| 1 | OPコスモス賞 | 函館 芝1700 | 1人気 | 田面木博公 | 1:47.7 | 上り39.7 | — | |
| 1 | 3歳未勝利 | 函館 芝1200 | 1人気 | 田面木博公 | 1:13.6 | 上り39.2 | — | |
| 2 | 3歳新馬 | 函館 芝1000 | 2人気 | 柴田政人 | 0:59.2 | 上り35.7 | — | |
| 2 | 3歳新馬 | 函館 芝1000 | 1人気 | 柴田政人 | 1:00.1 | 上り36.2 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父メジロイーグル | メジロサンマン | Charlottesville |
| パラデイシア | ||
| アマゾンウォリアーAmazon Warrior | Khaled | |
| War Betsy | ||
| 母メジロファンタジー | ゲイメセンGay Mecene | Vaguely Noble |
| Gay Missile | ||
| プリンセスリファードPrincess Lyphard | Lyphard | |
| ノーラックNo Luck |
旅程 — この馬の物語
1987年生まれの鹿毛の牡馬。父メジロイーグル、母メジロファンタジー。主な勝ち鞍は宝塚記念・有馬記念・札幌記念。
輝峰 ― 三頭目の仔
1987年3月21日、北海道伊達市のメジロ牧場に鹿毛の牡馬が生まれ、「輝峰」という幼名をもらった。同じ年、メジロ系列には三十を超える同期がいた。期待が集まったのはそのうちの二頭である。父アンバーシャダイの「輝光」、のちのメジロライアン。吉田堅牧場産の「オーロラの62」、のちのメジロマックイーン。輝峰は、その列に入っていなかった。 育成を担当した古賀末徳が覚えていたのも、走りではなく性格のほうだった。牡だろうが牝だろうが構わず、ちょろちょろ動いてはちょっかいを出す。可愛いが、それだけの仔だった。牧場の獣医師にいたっては、治療した記憶さえないという。 名前は、牧場がこの年の産駒に定めた命名規則から採られた。アメリカの英雄か、外国の有名スポーツ選手。ゴルファーのアーノルド・パーマーと冠名をつないで、メジロパーマー。 父メジロイーグルは十九戦七勝、勝ち鞍のすべてが逃げ切りという馬である。ただし種牡馬としての人気は乏しく、相手の大半は自家生産馬だった。1986年、牧場がこの父に力を入れる年と決めて繁殖牝馬六頭を割り当てる。その一頭が、母メジロファンタジーだった。血統の格でいえば、これは牧場の本流の配合ではない。 1989年8月12日、函館の芝1000メートル。柴田政人を背に一番人気で迎えたデビュー戦は、出遅れて六馬身差の2着に終わった。二週間後の新馬戦も2着。三戦目の未勝利とコスモス賞を田面木博公が連勝に導き、栗東へ帰る。順調に見えたのは、ここまでだった。
二度の骨折
秋の京都でオープンを二度続けて負け、そして骨折した。長い休養が明けたのは翌1990年の6月である。復帰後の四戦は、中団から下がるだけの内容が続いた。 手がかりらしいものは、その夏の函館記念にあった。実績のないこの馬に与えられた斤量は48キロ。トップハンデの馬とは9.5キロ違う。陣営はその軽さを使い、初めてスタートから逃げに出した。最終コーナーでかわされて7着。それでも逃げるという形に手応えを得た矢先に、また骨折している。 1991年3月、半年ぶりの復帰。1200メートルで12着、距離を2400メートルに替えて逃げて3着、大阪城ステークスも逃げて4着。三戦して勝てないまま、4月の天皇賞(春)へ向かった。 このレースに「花の62年組」の三頭が揃う。菊花賞を勝ったメジロマックイーンが1番人気、クラシックで三度上位に食い込んだメジロライアンが2番人気。メジロパーマーは十八頭中の16番人気だった。 下馬評のとおりに終わった。マックイーンが勝ち、ライアンが4着。パーマーは勝ち馬から2秒8離された13着である。三頭が同じ芝を同時に走ったのは、これが最初で最後になった。
障害帰り
オープンでも重賞でも歯が立たない。この春、調教師の大久保正陽はこの馬に障害を跳ばせることを決めた。刺激を与えたかったのだという。試しにハードルを跳ばせてみると、飛越がうまく、時計もよかった。 ところが6月のクラス再編で、平地の500万円以下に降級することが判明する。大久保は転向を保留し、もう一度平地を確かめることにした。札幌のニセコ特別は逃げて2着。6月22日の十勝岳特別は単勝1.1倍に支持され、後続を10馬身以上ちぎる大差で逃げ切った。十二まで伸びていた連敗が、ここで止まる。約一年九か月ぶりの勝利だった。 状態がいい。連闘で臨んだ札幌記念は格上挑戦の51キロ。鞍上の松永幹夫は逃げるつもりでいたが行き場を塞がれ、いったん好位に控えた。第2コーナーの手前で馬のほうが前へ行きたがる。松永は方針を変え、前の二頭をかわして先頭に立った。半馬身差。重賞初勝利である。 それでも夏から秋にかけて三連敗した。出遅れて逃げられない日があり、逃げても直線で伸びない日があった。持ち越していた障害転向が本決まりになる。障害試験はレコードタイムで合格した。11月2日、京都の障害未勝利を六馬身差で快勝。しかし次の阪神では飛越が低くなり、前脚を障害物にぶつけて腫らし、体じゅうに擦過傷を負って2着に終わる。このままでは事故になる。そう判断した大久保は、障害で出世させる道を諦めた。 当時、障害を経験して平地へ戻ることを「障害帰り」と呼んだ。褒め言葉ではない。むしろ蔑みの語だった。この馬は、その札を貼られたまま平地へ戻ってくる。 後年、大久保はこの回り道をこう振り返った。障害を走らせたくて走らせたのではない。それ以前の彼は一本調子で引っかかってばかりだったが、障害を経験して緩急を覚え、レースぶりに幅が出た、と。
気楽に逃げてくれたらいい
1992年4月26日の天皇賞(春)で、初めて山田泰誠が乗った。ここまで二十四戦で九人が乗り替わっている。レース中に遊びながら走るこの馬に、わがままを許さない性格のデビュー四年目が充てられた。調教で跨った山田の第一印象は、気が強くて頑固な馬。大久保の指示は短かった。「気楽に逃げてくれたらいいから」[^1] 結果はメジロマックイーンから三秒近く離された7着。それでも山田は手応えを掴んでいる。5月の新潟大賞典では斤量が四キロ軽い54キロになった。思い切ってハイペースで飛ばしてみると、この馬はバテなかった。2着に4馬身。重賞二勝目である。逃げてもスタミナが切れないという発見が、ここで転がり込んだ。 宝塚記念のファン投票では、一万一千四百三十票を集めて三十六位。出走権は届かない。新潟の内容が評価され、推薦馬として滑り込む形になった。 6月14日の阪神は、天皇賞を連覇したメジロマックイーンと、そこで初めて敗れたトウカイテイオーの再戦の場になるはずだった。二頭とも骨折で回避する。残った十三頭でGIを勝っていたのはダイユウサクとダイタクヘリオスだけで、『優駿』はこの顔ぶれを「GIとしては小粒」と書いた。メジロパーマーは9番人気だった。 牧場は応援団を送るつもりでホテルも飛行機も押さえていたが、一週間前にマックイーンの骨折がわかると、そのすべてを取り消した。当日、阪神に来たメジロの関係者はメジロ商事社長の北野俊雄ひとり。レースが終わり次第すぐ帰れるよう、場外に車を待たせての観戦である。 八枠十二番から出た馬は、逃げを宣言していたオースミロッチもマイル王ダイタクヘリオスも相手にせず、ハナを奪って単騎で行った。三コーナー手前で後続が動き、四コーナーでは自分にも鞭が入る。最後の200メートルに14秒もかかる、力の要る馬場だった。それでも2着カミノクレッセに三馬身。GI初制覇である。二十一歳の山田にとっても、最初のGIだった。 北野俊雄はゴールの直後に泣いた。人数の揃わない表彰式の記念写真が、その日の牧場の事情をそのまま写している。 評価は「フロック」だった。決着時計2分18秒6はレコードより三秒遅く、ひと月前に自分が新潟で出した勝ち時計よりも五秒ほど遅い。改修されたばかりの阪神の芝は洋芝を混ぜた一年目で、春の天候不順と梅雨で荒れていた。良馬場と発表されても、実際は力の要る馬場である。追う側は脚を取られ、直線を向く頃には差す余力を残していなかった。数字だけを見れば、たしかに平凡だった。
出典:大久保正陽調教師の指示=ウィキペディア日本語版「山田泰誠」、https://ja.wikipedia.org/wiki/山田泰誠 、閲覧日:2026年8月3日。
秋 ― 二度目の、選ばれなかった馬
秋は10月の京都大賞典から始まった。2番人気。この日の山田は前日のレースで落馬して骨折しており、怪我を押して騎乗している。他馬のマークが厳しく楽には行かせてもらえず、最終コーナーの手前でかわされて9着に沈んだ。 11月1日の天皇賞(秋)は山田の復帰が間に合わず、藤田伸二に乗り替わる。10番人気。ゲートを出るとダイタクヘリオスとハナを争う形になり、前半1000メートルを57秒5で通過した。逃げ馬が二頭で潰し合う典型である。直線に余力はなく、17着。 二戦続けての大敗でジャパンカップを見送り、有馬記念へ直行することが決まった。そのファン投票は四万一千百十六票の十七位。ここでもまた、ファンはこの馬を選ばなかった。二度目の推薦馬である。 下馬評は単純だった。ダイタクヘリオスとパーマーがまたハナを争い、速い流れになって両方潰れる。だから支持は、その流れで差してくる馬に集まった。1番人気はジャパンカップで復活を遂げたトウカイテイオー。2番人気はミホノブルボンの三冠を止めたライスシャワー。メジロパーマーは十六頭立ての15番人気、ブービーだった。
暮れの中山 ― 六十二秒六
この馬はゲートが難しかった。扉が開く前に突進してしまう。だから山田は、枠の中で馬の顔をずっと横に向けておき、自分だけが前を向いていた。開いた瞬間に顔を正面へ戻す。それが二人の出方の儀式だった。 扉が開く。いつものように前へ出る。ただしこの日は、競りかけてくる馬がいなかった。秋の東京で心中したダイタクヘリオスは、今度は離れた二番手に控えている。 単騎になった逃げ馬は、手綱の中で息を入れられる。最初の千メートルを、山田は六十二秒六で通した。二か月前に自分が刻んだペースより、五秒も遅い。 そこからのラップは、坂を下るように緩んでいった。十二秒台の半ばが後半になり、向正面の途中で十三秒に届く。逃げ馬が息を入れている音が、そのまま数字になって残っている。 その緩みに、後ろが耐えられなくなった。ダイタクヘリオスが動く。第2コーナーから向正面にかけて差を詰め、三コーナーで馬体を並べ、そして前に出た。区間の時計は跳ね上がる。十三秒だったものが十一秒台の前半になり、次はさらに速くなった。先頭が替わったからである。 山田は追わなかった。前を譲り、この馬の呼吸のままで走らせた。逃げ馬が先頭を明け渡すのは、普通なら終わりの合図だ。だがこの日、終わったのは前に出たほうだった。掛かってしまったヘリオスは、故障したかのように止まっていく。 最終コーナー。メジロパーマーは、もう一度先頭にいた。三番手の馬がそのコーナーを回るとき、二頭はすでに六馬身前にいる。緩く刻んできた道中が、そっくり貯金になって手元に残っていた。 直線を向いて、後ろの十四頭がいっせいに動き出す。内からレガシーワールド、外からナイスネイチャとオースミロッチ。貯金は削られていく。この馬の脚も、坂を上がるあたりで鈍っていく。それでも切り崩す速さのほうが、削られる速さをわずかに上回っていた。 残り十メートル。レガシーワールドが並びかける。並びかけたところが、決勝線だった。 写真判定。ハナ差。
フロックと呼ばれて
同じ年の春と暮れ、ファン投票で決まる二つのレースを両方勝った馬は、これで史上五頭目になった。推薦馬での優勝は前年のダイユウサクに続く史上六頭目。父が内国産の馬が有馬記念を勝ったのは、1962年のオンスロート以来三十年ぶりの七頭目だった。そして「障害帰り」がGIを勝ったのは、このときが初めてである。JRA賞では最優秀5歳以上牡馬と最優秀父内国産馬に選ばれた。年度代表馬の票は、ミホノブルボンへ流れた。 それでも「まぐれ」「漁夫の利」という評は消えなかった。年明けの阪神大賞典では、有馬記念で負かしたはずのナイスネイチャが1番人気に推された。エリザベス女王杯と鳴尾記念を連勝したタケノベルベットにも支持が集まり、パーマーは3番人気にすぎない。レースでは単騎で大逃げを打ち、直線で二頭に並ばれた。鞍上は後続が来るのを待ってから追い出した。差し返して半馬身。山田は後年、着差以上に強い内容だったと振り返っている。 4月の天皇賞(春)も、また単騎の大逃げだった。二周目の三コーナー、坂の上りと下りでライスシャワーとメジロマックイーンに並ばれ、直線でかわされる。それでも失速せず、マックイーンと二着争いを続けて競り負け、3着を確保した。勝ったライスシャワーの3分17秒1はレコードだった。その日の淀のペースを最初に決めたのは、二年前に同じコースを16番人気で13着に敗れた、この逃げ馬である。 種牡馬入りの話は一度出て、見送られた。血統がやや地味で、厩舎の手駒も薄く、なにより馬自身が元気だったからである。 以後の五戦は、いずれも五着以内に入れなかった。宝塚記念と京都大賞典はメジロマックイーンが勝ち、ジャパンカップはレガシーワールドが勝った。暮れの有馬記念にはトウカイテイオーが一年ぶりに帰ってきて勝ち、パーマーは6着だった。中山でハナ差だけ先着した相手も、自分が逃げ切った日の1番人気も、それぞれの物語を完成させていく。その脇で、この馬は勝てないまま走り続けた。 1994年1月23日、日経新春杯。トップハンデの60.5キロを背負って逃げ、前を譲ったのはムッシュシェクル一頭だけだった。2着。復調を思わせる走りだったが、レース後に右前脚の屈腱炎が判明する。夏を越えても完治の目処は立たず、9月22日付で競走馬登録が抹消された。
馬房を建てた馬
北海道のアロースタッドで種牡馬になった。初年度に集まった三十八頭が生涯のピークで、五年目からは一桁が続く。2002年の種付けを最後に引退し、故郷のメジロ牧場洞爺――のちのレイクヴィラファーム――で功労馬として過ごした。2012年4月7日、心臓麻痺で死んだ。二十五歳だった。産駒からは京都ハイジャンプを勝ったメジロライデンが出ている。障害を跳ばされた父の仔が、障害の重賞を勝った。 牧場の獣医師、田中秀俊がこんな言葉を残している。「屋内運動場を建ててくれたのはマックイーンとライアンです。そして、休養馬の馬房を建ててくれたのはパーマーです」[^1] 屋内運動場は、速い二頭が建てた。休養馬の馬房を建てたのは、二度骨折し、障害へ回され、蔑称を貼られ、そのたびに帰ってきては休んだ馬のほうだった。そして完成したその馬房を、彼自身が使った。伊達の牧場に彼が遺したのは血ではなく、傷んだ脚が戻ってくるための場所だった。 ファン投票では、二度とも選ばれなかった。三十六位と、十七位。それでもファンが選ぶレースを、同じ年に二つとも勝ってしまった。選ばれなかった側が、選ぶ側の祭りを二度さらっていったのである。だからフロックと呼ばれた。呼ばれるたび、彼はまた先頭に立って走り、また休んだ。 山田泰誠は2003年10月で騎手を退き、調教助手として厩舎に残った。平地で二千八百を超える騎乗を重ねた騎手人生の頂点は、二十一歳の夏と暮れ、どちらもこの馬の背にあった。有馬記念の副賞は高級車だった。運転免許を持っていなかった若者は、この勝利を機に師匠から取得を許される。以後、騎手名鑑の愛車欄に他の騎手が車種名を並べるなか、山田はこう書き続けた。「パーマー号!」[^2] 逃げるというのは、後ろを見ないということだ。この馬は生涯そうやって走り、そのたび脚を痛めては牧場へ帰った。帰る場所は、自分で建てたものだった。
出典:田中秀俊の談話=ウィキペディア日本語版「メジロパーマー」、https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロパーマー 、閲覧日:2026年8月3日。/山田泰誠の愛車欄=ウィキペディア日本語版「山田泰誠」、https://ja.wikipedia.org/wiki/山田泰誠 、閲覧日:2026年8月3日。
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