名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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メジロラモーヌのイメージビジュアル
メジロラモーヌMejiro Ramonu
Mejiro Ramonu

メジロラモーヌ

通算成績12戦9勝

獲得賞金3300万円

生年月日 1983.04.09(昭和58年)毛色 青鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
メジロラモーヌの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム映像
9 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 河内洋 2:34.6 映像
1 GIエリザベス女王杯 京都 芝2400 1人気 河内洋 2:29.1 映像
1 GIIローズS 京都 芝2000 1人気 河内洋 2:01.3
1 GI優駿牝馬 東京 芝2400 1人気 河内洋 2:29.6 映像
1 GII4歳牝馬特別(東) 東京 芝1800 1人気 河内洋 1:50.8
1 GI桜花賞 阪神 芝1600 1人気 河内洋 1:35.8 映像
1 GII4歳牝馬特別(西) 阪神 芝1400 1人気 河内洋 1:23.9
4 GIIIクイーンC 東京 芝1600 1人気 柏崎正次 1:36.5
1 GIIIテレビ東京賞3歳牝馬S 中山 芝1600 2人気 柏崎正次 1:34.9
1 寒菊賞 中山 芝1600 1人気 柏崎正次 1:35.7
4 GII京成杯3歳S 東京 芝1400 1人気 小島太 1:23.9
1 3歳新馬 東京 ダ1400 1人気 小島太 1:26.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
メジロラモーヌの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
モガミMogamiLyphardNorthern Dancer
Goofed
ノーラックNo LuckLucky Debonair
No Teasing
メジロヒリュウネヴァービートNever BeatNever Say Die
Bride Elect
アマゾンウォリアーAmazon WarriorKhaled
War Betsy
STORY

旅程 — この馬の物語

1983年生まれの青鹿毛の牝馬。父モガミ、母メジロヒリュウ。主な勝ち鞍は桜花賞・優駿牝馬・エリザベス女王杯。

針峰の名 ― 一九八三年、伊達

1983年4月9日、北海道伊達市のメジロ牧場で牝馬が生まれた。父はモガミ、母はメジロヒリュウ。幼名を「俊飛」といった。 期待された仔ではない。両後脚の飛節に難があり、性格も大人しく、周囲を色めき立たせるところがなかった。同期の牝馬一頭とともに預かり先が最後まで決まらず、翌年の7月になってようやく、美浦の奥平真治が管理を引き受けることに決まる。奥平はメジロ商事社長の北野俊雄と親交があり、以前からメジロ牧場の馬を預からないかと打診されていた。俊飛は、その第一号だった。 育成が進むうちに飛節の難は消え、黒光りする青鹿毛の、均整の取れた馬体になっていく。競走年齢に達した夏に競走名をもらい、函館へ移った。名は、フランス・アルプスのモンブラン山系にある鋭い岩峰、ラモーヌ針峰から採られている。頭に付く「メジロ」は、牧場を興した北野豊吉が東京・目白に構えていた自宅の地名だ。豊吉は1967年に伊達で牧場を開き、天皇賞にこだわって、長い距離をこなす馬を作り続けた。長距離のメジロ、と呼ばれた牧場である。 父モガミはフランスで走った馬で、シンボリ牧場の和田共弘と北野豊吉が共同で所有していた。1981年に種牡馬として日本へ渡り、最初の産駒からシリウスシンボリが出て、1985年の日本ダービーを勝つ。二年目の産駒がこの牝馬だった。モガミ自身は腹の垂れた不格好な体つきで、それが仔に出ることも多かったという。娘も大きな腹をしていた。担当厩務員の小島浩三は、そこに不格好さではなく、心肺機能の高さを見ている。 豊吉は、この馬が走るところを見ていない。1984年に世を去った。ラモーヌがデビューする、一年前のことである。 母メジロヒリュウは6勝した牝馬で、その半弟には京都新聞杯を勝ったメジロイーグルがいる。ラモーヌの半弟には、のちに1989年の高松宮杯を勝つメジロアルダン。姪のメジロランバダは日経新春杯と中山牝馬ステークスを勝った。血の周りには、すでに重賞の名が並んでいる。 1985年10月13日、東京の新馬戦。芝から替わったダート1400メートルを、小島太がスタートから先頭に立てて運び、最終コーナーからは後続を突き放した。2着に3秒1の大差。圧倒的な1番人気に、これ以上ない応え方をした。

掛かる ― 秋の敗戦と、冬の落とし穴

次走は重賞の京成杯3歳ステークス。デビューから圧勝を続けていたダイナアクトレスとの初対戦が注目を集めたが、その馬は故障で回避し、牡馬のダイシンフブキを抑えて1番人気に推された。ところがゲートで他馬と衝突して興奮し、道中ずっと掛かり通しになる。掛かるとは、抑えようとする騎手と行きたがる馬の呼吸が噛み合わないことだ。噛み合わないまま直線を迎えれば、脚は残らない。5頭立ての4着だった。 レースのあと疝痛を起こし、ソエも出て、調教を控える時期があった。それでも四週間後には中山の寒菊賞をほとんど追わずに勝ち、暮れのテレビ東京賞3歳牝馬ステークスでは2番人気からダイナフェアリーに3馬身半差をつけた。1分34秒9。当時、その年齢で1600メートルを1分35秒より速く走った馬は、マルゼンスキーとコーネルランサーしかいなかった。人馬ともに初めての重賞制覇である。年間4戦3勝で、最優秀3歳牝馬に選ばれた。 年が明けて1月26日、東京のクイーンカップ。人気馬を一頭だけで一枠に入れる単枠指定を受け、単勝1.2倍。だがレース前から激しく焦れ込み、先行して直線で失速し、4着に沈んだ。勝ったのはスーパーショット。1秒の差をつけられた。 柏崎正次は、4コーナーの手応えは手が痺れるほどだった、なぜ負けたのか分からない、と首をかしげた。一方、メジロの総帥だった北野ミヤは、レース前からこの日の様子を訝しみ、今日は負けると口にしていたという。掛かる馬、気持ちの昂ぶる馬。この時点のラモーヌは、強さより危うさのほうが目立っていた。

関西の鞍上 ― 一九八六年四月六日

奥平厩舎にはひとつの方針があった。関西で走るときは、関西の騎手に乗せる。この馬が三歳のうちから決まっていたその方針で手綱を託されたのが、河内洋である。1974年にデビューし、武田作十郎厩舎で十一年を過ごして、前年の春からフリーになっていた。 初コンビは3月16日、阪神の報知杯4歳牝馬特別。稍重の1400メートルで、道中は中団から後方を進んだ。3コーナーで失速してきた先行馬にあおられ、直線の入口ではほとんど最後方まで下がっている。そこから一気に追い込み、ゴール寸前でチュウオーサリーをクビ差捉えた。 三週間後の桜花賞は22頭立て。5枠13番、単枠指定、単勝1.6倍。前半が異様に速い。二つ目と三つ目のハロン——200メートルごとの区切りのことだ——が、どちらも10秒9で流れている。ラモーヌは中団で我慢し、3コーナーではまだ七、八番手。そこから押し上げて、4コーナーでは三番手まで来ていた。直線は早めに抜け出し、追ってきたマヤノジョウオに1馬身3/4。 メジロ牧場にとって、初めてのクラシック制覇だった。のちに桜花賞男と呼ばれる河内にとっても、これが最初の桜花賞である。 勝った馬を関係者が囲んで撮る口取りの写真で、河内は馬上から一枚の写真を高く掲げた。二年前に亡くなった北野豊吉の遺影だった。

二千四百メートル ― 二冠

二冠のかかる優駿牝馬は東京競馬場で行われる。そしてこの馬がそれまでに喫した二つの負けは、どちらも東京だった。その不安を消すために、陣営はトライアルのサンスポ賞4歳牝馬特別を使う。桜花賞に出ていなかったダイナアクトレスとの初対戦になり、直線で先に抜け出したその馬を一気に交わして1馬身半。桜花賞馬がこのレースを勝つのはリーゼングロス以来四年ぶりで、東京での重賞は、これが初めての勝利だった。 5月18日、優駿牝馬。22頭。トライアルを勝った馬はオークスを勝てない、というジンクスが言われていた。 スタートで躓き、1コーナーでは15番手あたりを走っている。この日の流れに緩みはない。序盤を過ぎると、12秒台のハロンが延々と並んだ。瞬発力を溜めて弾く競馬ではなく、同じ脚をどれだけ長く使えるかの競馬である。ラモーヌはラチ沿い、つまり内柵ぎわの最短距離を通って少しずつ位置を上げ、直線の半ばで先頭に立った。2着ユウミロクとの差は2馬身半。最後の600メートルは37秒8。決して速い数字ではない。速い数字が要らないレースだった。 テイタニヤ以来十年ぶり、史上7頭目の牝馬二冠。ジンクスは消えた。野平祐二はオークス史上まれに見る強さだと評し、河内はこの一戦でテスコガビーを超えたと思ったと語っている。三冠のうちで最も楽だったレースにも、彼は後年このオークスを挙げた。

京都、三コーナーの下り

夏に躓いた。函館で調教を再開して一週間で夏負けを起こし、美浦へ帰って全身に笹針を打つことになる。さらに調教中の挫石で歩様が乱れ、復帰は遅れた。 10月のローズステークスは、疲れが残っていないか半信半疑のままの復帰戦だった。先に抜け出したポットテスコレディとの叩き合いを、ゴール前でようやくクビ差交わす。切れ味が鈍ったのは馬場のせいだと河内は言った。奥平の見立てでは、本番に向けての出来は七割ほどだったという。 十一月二日、京都、芝2400メートル。19頭。 道中は緩い。中盤の三つのハロンが13秒3、13秒2、13秒0と並ぶ。息の入る流れだ。ラモーヌは先頭集団のすぐ後ろ、前から四番目にいた。引っ張るのはマチカネエルベ、その直後にスーパーショット。一月の東京で、彼女に一秒の差をつけた馬である。 ゴールまで八百メートル。京都の3コーナーは下っている。河内が動いたのは、ここだった。 その二百メートルが11秒7。続く二百メートルが11秒3で、この日いちばん速い区切りになる。坂を下る勢いのまま押し上げたラモーヌは、4コーナーを回るところで前の二頭に馬体を並べていた。仕掛けは、明らかに早い。テレビ中継で実況していた杉本清が、思わず河内の名を二度呼び、これでいいのか、と口にしたのはこの場面である。のちに河内は、馬群に包まれるのが怖かったのだと理由を語った。 直線を向く。三頭が横に並び、そこから彼女が抜け出す。だが最後の二百メートルは12秒3まで落ちた。一秒近く鈍った脚に、スーパーショットが迫ってくる。あの一月に先着した馬が、いまは後ろから来ている。 半馬身。時計にして0.1秒。凌ぎ切った。 桜花賞、優駿牝馬、エリザベス女王杯。史上初の牝馬三冠だった。三つの本番だけでなく、その前哨戦もすべて勝っていたことから、完全三冠とも呼ばれる。報知杯から数えた重賞六連勝は、当時の記録である。 口取りの写真で、河内はまた遺影を掲げた。三度とも、同じことをした。

中山の隙間 ― 十二月二十一日

エリザベス女王杯の前から、有馬記念を最後に引退することは決まっていた。ジャパンカップに出したらどうかという声も上がったが、北野ミヤは、あの子は花のうちに牧場へ戻してやります、と改めて言い切った。 ファン投票はミホシンザン、サクラユタカオーに次ぐ三位。稍重の中山2500メートル、12頭立ての2番人気。馬体重は466キロで、これはデビュー戦と同じ数字である。454キロで桜花賞を勝った馬が、秋を越えて元の大きさに戻っていた。奥平は、これまでで最高の体調だと言っていた。 中団のまま4コーナーを回り、直線で抜け出しにかかる。そこで前が塞がった。一頭ぶんしか空いていない隙間へ、ラモーヌとスダホーク、フレッシュボイスが同時に突っ込む形になり、急ブレーキがかかる。態勢は最後まで戻らなかった。9着。勝ったのは同期のダービー馬ダイナガリバーで、差は0.6秒である。 奥平は、不利さえなければダイナガリバーにも負けなかったと述べた。大川慶次郎も、まともに走れていればあんなものではなかったと言っている。 年度代表馬の投票は、直接対決で先着したダイナガリバーへ流れた。トウメイ以来二十五年ぶりに牝馬の年度代表馬が誕生するかと注目されていた。大川は二頭を選ぶことはできないのかと競馬会に問い合わせ、特別賞の提案とともに退けられている。ただ、専門家がその年の実力を斤量に置き換えるフリーハンデでは、彼女に62キロが与えられた。テスコガビー、インターグロリア、ハギノトップレディの60キロを超える、当時の同世代の牝馬として史上最高の評価である。 12戦して9勝。負けたのは三度きりだった。獲得賞金は三億円を超え、牝馬では初めてのことだった。 1987年2月8日、東京競馬場で引退式が行われた。エリザベス女王杯のときと同じ「13」のゼッケンを着けて、最後の姿を見せている。同じ年、シンボリルドルフとともに顕彰馬に選ばれた。

三つ目の冠

繁殖牝馬としてのラモーヌは、恵まれなかった。受胎率が悪く、一年に何度も種付けを重ねることになり、双子を宿すことも多かった。メジロティターンとの初年度は不受胎。翌年に生まれた初仔メジロリュウモンは9戦して未勝利に終わる。三年目にはシンボリルドルフが配された。三冠馬同士の仔として生まれたメジロリベーラは、二頭の冠を合わせて十冠ベビーと呼ばれ、成長の様子が逐一報じられたが、脚元が弱く、一戦しただけで骨折して競走馬をやめた。母を思わせる産駒は、ついに出なかった。 2005年9月22日、生まれた牧場で老衰により死んだ。二十二歳。墓は、その牧場の中に建てられている。 血のほうは、細く長く伸びた。彼女が死んだ三年後、メジロリベーラの孫フィールドルージュが川崎記念を勝ち、この牝系から初めての最高格の勝ち馬が出る。メジロリベーラの曾孫コウソクストレートは2017年のファルコンステークスを、メジロルバートの孫グローリーヴェイズは2019年の香港ヴァーズを勝った。 河内洋は1999年、それまでに乗ったなかで最も強かった馬にラモーヌの名を挙げている。早くに引退したので分からない部分もあるが、牡馬より強いことを証明したかった——そう言い添えたという。その証明は、中山の隙間に消えたままである。 だが、証明は本当に必要だっただろうか。牝馬三冠は、十七年後にスティルインラブが続き、その後も達成された。ただし1996年に三冠目が秋華賞へ移ったので、桜花賞と優駿牝馬に続けてエリザベス女王杯を勝ち、その順序で三つを締めくくった馬は、後にも先にも彼女しかいない。同じ道をもう一度通ることは、誰にもできない。 河内は2003年に鞍を降り、2005年に栗東で厩舎を構えた。2023年、アイコンテーラーという牝馬で、調教師として初めて最高格の一戦を勝つ。2025年3月、七十歳の定年で競馬場を去った。半世紀に及ぶ競馬人生のなかで彼が最強に挙げたのは、一年二か月しか走らなかった牝馬である。その十四か月の終わりに、彼は三度、馬上から一枚の写真を高く掲げた。伊達に牧場を興し、フランスから一頭の種牡馬を連れて帰り、その仔が走り出す前に逝った男の顔は、三度とも、勝った牝馬の傍らで掲げられていた。

NAMESAKE

馬名のルーツを巡る

ラモーヌ針峰(モンブラン山系)フランス・イタリア・スイス国境の山群海外

無数の針のひとつ——モンブラン山系のラモーヌ針峰

馬名は、馬主の冠名「メジロ」に、モンブラン山系の岩峰ラモーヌ針峰を重ねたもの。アルプスでは、鋭く尖った岩峰を「エギーユ」——針と呼ぶ。シャモニーの谷を囲む花崗岩の峰々が、氷と風に削られて針の形になったものだ。

ラモーヌ針峰は、その無数の針のひとつである。名だたる高峰の並ぶモンブラン山系にあって、この峰は地図でも影が薄い——記録に残るのは、1902年、シャモニーの名ガイドたちが初めて登ったということくらいだ。つまり、名の知られた山ではない。名を上げたのは、馬のほうである。

それでも、針峰たちの風景そのものは、アルプスで最も劇的だ。シャモニーからロープウェイでエギーユ・デュ・ミディ(3,842m)へ上がれば、雪と花崗岩の針が林立する、世界がすべて垂直でできた眺めの中に立てる。無数の針のどれか一本がラモーヌだと思って眺めれば、それでこの巡礼は成立する。

その名を負った青鹿毛の牝馬は、1986年、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯を勝ち——中央競馬史上初の牝馬三冠馬になった。誰も立ったことのない頂に、初めて立った牝馬。無名の針峰の名を背負った馬が、日本の競馬に新しい頂をひとつ増やしたのである。山の名は馬が有名にした——名前の旅としては、これ以上ない結末だろう。

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