名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

この世代(生まれ年)

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メジロライアンのイメージビジュアル
メジロライアンMejiro Ryan
Mejiro Ryan

メジロライアン

通算成績19戦7勝

獲得賞金48,693万円

生年月日 1987.04.11(昭和62年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
メジロライアンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
1 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 横山典弘 2:38.3 上り37.8
6 GIIアメリカジョッキークラブカップ 中山 芝2200 1人気 的場均 2:13.6 上り35.8
12 GI有馬記念 中山 芝2500 5人気 横山典弘 2:32.0 上り36.8映像
1 GI宝塚記念 京都 芝2200 2人気 横山典弘 2:13.6 上り47.7映像
4 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 横山典弘 3:19.3 上り47.7映像
2 GII中山記念 中山 芝1800 1人気 横山典弘 1:47.9 上り35.5
2 GI有馬記念 中山 芝2500 3人気 横山典弘 2:34.3 上り35.1映像
3 GI菊花賞 京都 芝3000 1人気 横山典弘 3:06.6 上り47.4映像
1 GII京都新聞杯 京都 芝2200 1人気 横山典弘 2:12.3 上り46.6
2 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 横山典弘 2:25.5 上り35.6映像
3 GI皐月賞 中山 芝2000 2人気 横山典弘 2:02.5 上り36.7映像
1 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 2人気 横山典弘 2:05.4 上り38.2
1 OPジュニアカップ 中山 芝2000 2人気 横山典弘 2:04.6 上り36.5
1 ひいらぎ賞 中山 芝1600 7人気 横山典弘 1:35.4 上り36.1
5 葉牡丹賞 中山 芝2000 1人気 安田富男 2:03.2 上り37.5
1 3歳未勝利 東京 芝1600 2人気 横山典弘 1:37.5 上り48.6
3 3歳未勝利 京都 芝1400 4人気 横山典弘 1:24.9 上り49.5
6 3歳新馬 函館 芝1200 1人気 柏崎正次 1:12.5 上り37.1
2 3歳新馬 函館 芝1200 2人気 柏崎正次 1:12.4 上り37.4

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
メジロライアンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
アンバーシャダイノーザンテーストNorthern TasteNorthern Dancer
Lady Victoria
クリアアンバーClear AmberAmbiopoise
One Clear Call
メジロチェイサーメジロサンマンCharlottesville
パラデイシア
シエリルCherylスノッブ
Chanel
STORY

旅程 — この馬の物語

1987年生まれの鹿毛の牡馬。父アンバーシャダイ、母メジロチェイサー。主な勝ち鞍は宝塚記念・報知杯弥生賞・京都新聞杯。

ノーラン・ライアンという名

1987年4月11日、北海道伊達市のメジロ牧場で鹿毛の牡馬が生まれた。 母はメジロチェイサー。現役では26戦3勝、引退後はこの牧場で仔を産み続けた牝馬である。1984年に産んだ2番仔はメジロフルマーと名づけられ、1988年の日経賞と目黒記念を勝った。1986年の4番仔メジロアニタは、1990年の京都大障害(春)を勝つ。この鹿毛は、その下の5番仔にあたった。 父はアンバーシャダイ。牧場は湿気の多い土地にあり、交配相手には骨の丈夫な馬、重心の低い馬を求めていた。牧場長の武田茂男は、アンバーシャダイは骨質が頑丈にできている点が魅力だと語っている。近親には天皇賞(秋)を勝ったメジロティターンがいた。血の格は足りていた。脚長で幅のある馬体もよく、牧場史上まれな豊作といわれた1987年産駒のなかでも上位の評価を受けている。 ただ、預かった調教師の見方は少し違った。奥平真治は、同じ厩舎にいたメジロアルダンと比べると首も脚も太く垢抜けない、と感じていた。並の馬で、そこそこの期待。それが最初の値踏みだったと、のちに述懐している。 馬名は、冠名の「メジロ」に「ライアン」を継いだ。メジャーリーグで通算最多の奪三振を積み上げた投手、ノーラン・ライアンからである。速い球を投げ続けた男の名を、伊達で生まれた鹿毛が背負うことになった。 1989年7月9日、函館の芝1200メートルの新馬戦でデビュー。鞍上は柏崎正次。まっすぐ走らせるのに苦労して2着に終わり、二週間後の同じ条件では6着に沈んだ。そのあと骨膜炎が出て、二か月休んだ。

四戦目の直線

10月29日、京都の未勝利戦で復帰する。鞍上が替わっていた。横山典弘。デビュー四年目の見習騎手で、調教師・奥平真治の甥にあたる。腕は買われていたが、まだ若さの目立つ騎手だった。この日は斜行して3着。それでも、以後はこの男が主戦となる。 11月18日、東京の芝1600メートル。初めて後方に控える競馬を試した。直線だけを使って前をすべて差し切り、四戦目で初勝利を挙げる。12月3日の葉牡丹賞は安田富男が乗って5着。12月23日のひいらぎ賞は横山に戻り、また後方から差して2勝目とした。 年が明けた1月20日のジュニアカップでは、三連勝中でクラシック候補と目されていたプリミエールを差し切る。厩舎がクラシックに手応えを得たのは、この一戦からだという。 3月4日、弥生賞。前日まで雨が降り続き、馬場は不良になった。1番人気は前年の朝日杯3歳ステークスを勝ったアイネスフウジンで、一頭だけを一つの枠に入れる当時の単枠指定を受けていた。メジロライアンは大外の14番から2番人気に推された。逃げるアイネスフウジンが荒れた内を嫌って外へ持ち出すのを見て、横山は空いた内へ潜り込む。残り200メートルで内から先頭に立ち、外から迫ったツルマルミマタオーを半馬身抑えて入線した。重賞初勝利である。 ゴールの瞬間、この先が全部見えた気がした。皐月賞も、ダービーも――横山はのちにそう語っている。

三度、あと一歩

4月15日、皐月賞。アイネスフウジンが1番人気、メジロライアンが2番人気、五連勝中のハクタイセイが3番人気で続いた。後方の内で待機したが、直線で進路を失う。大外へ持ち出してから追い出したときには、先に抜け出したハクタイセイとアイネスフウジンが遠かった。1馬身3/4差の3着。 5月27日、東京優駿。入場者は19万6517人を数え、ダービー史上最多となった。1番人気は単勝3.5倍のメジロライアン。生産者でもあるメジロ牧場は、1961年のメジロオー以来この競走で三度2着に泣いており、期待は馬だけに向いていたわけではなかった。 アイネスフウジンが単騎で逃げ、ライアンは10番手前後を進む。第3コーナーから外へ出して押し上げた。逃げ馬は中盤にいったん息を入れ、残り800メートルからは200メートルごとに11秒8を並べている。それを追ったライアンの最後の600メートルは、レース全体より1秒速い。それでも1馬身1/4届かなかった。勝ち時計2分25秒3は、従来を1秒縮めるレースレコードである。メジロにとっては、四度目のダービー2着だった。 ゴールのあと、スタンドから「ナカノ、ナカノ」と勝った騎手の名を呼ぶ声が湧いた。観衆が優勝者の名を唱和した最初の例とされる出来事である。フジテレビの解説席にいた大川慶次郎は、自ら本命に推したライアンが負けたにもかかわらず、その声に落涙した。横山は、当時メジロの総帥だった北野ミヤに申し訳なかった、と語っている。 夏は函館で立て直すはずが、調整中に脚を捻って函館記念を回避。10月14日の京都新聞杯で始動し、重馬場を2分12秒3のコースレコードで差し切った。 11月4日、菊花賞。皐月賞馬もダービー馬も故障で不在となり、単勝2.2倍の1番人気に支持される。後方から二周目の外を回って上がったが、先に抜け出したメジロマックイーンは止まらなかった。2馬身半以上を離された3着。奥平は、追い切りで当時は格下だったマックイーンに先着できなかったことから、負けるとすればあの馬だろうと予感していたという。 三冠すべてで3着以内に入り、三冠すべてを落とした。同じ轍を踏んだ馬は、シンザンが三冠を達成した1964年のウメノチカラまで遡る。26年ぶりのことだった。

「ライアン!」

暮れの有馬記念のファン投票で、メジロライアンは11万6982票を集めて4位に入った。菊花賞を勝ったメジロマックイーンは投票16位にとどまり、この年は出走しなかった。 12月23日、中山。1番人気は菊花賞2着のホワイトストーン、2番人気は同じ奥平厩舎のメジロアルダン、3番人気がメジロライアン。この一戦を最後に引退すると宣言していたオグリキャップが、4番人気で続いた。 オサイチジョージが逃げて流れは落ち着き、中盤は200メートルあたり13秒4まで緩んだ。直線に向いて先に抜け出したのはオグリキャップだった。内からホワイトストーン、外からメジロライアンが迫る。三頭が並んで走り、3/4馬身が詰まらない。二着争いを制したところが、ライアンのゴールだった。 このとき、フジテレビ『スーパー競馬』の解説席から「ライアン!」という叫びがマイクに乗り、全国へ流れた。大川慶次郎である。実況がオグリキャップの名しか呼んでいないのだから二着も言わなければ、というつもりだったと本人は説明している。優勝したオグリキャップのファンだった明石家さんまが、録画に変なおっさんの声が入っていたと自分の番組で話の種にするほど、その一声は広まった。 勝ち切れないまま、人気だけが膨らんでいった。判官贔屓と呼ばれ、とりわけ女性の支持が厚い。JRAがポスター「ヒーロー列伝」でこの馬に与えた惹句は、「本当の強さは、誰も知らない」[^1]。 年が明けた1991年3月10日の中山記念は単勝1.4倍。スローで逃げたユキノサンライズを捉えきれず2着に終わる。4月28日の天皇賞(春)では、メジロマックイーン、ホワイトストーンとともに三頭が単枠指定を受け、前年までの平成三強になぞらえて「新三強」と呼ばれた。最内枠から後方に控え、二周目の第3コーナーで動こうとしたが馬群が開かない。抜け出したマックイーンには届かず、7番人気ミスターアダムスと12番人気オースミシャダイにも先着されて4着だった。

出典:ウィキペディア日本語版「メジロライアン」(JRA「ヒーロー列伝」のキャッチコピーに関する記述)、https://ja.wikipedia.org/wiki/メジロライアン 、閲覧日:2026年8月3日。

六月九日、坂を下る

阪神競馬場が改修中だったため、その年の宝塚記念は京都に移された。芝2200メートル、10頭立て。曇り。メジロライアンに与えられた馬番は1で、ゼッケンも1だった。馬体重は512キロ。1番人気はメジロマックイーンである。 いつもなら、もっと後ろから行く。この日は違った。 1コーナーで他馬と接触し、ライアンは行きたがる素振りを見せる。横山はそれを抑えなかった。抑えれば喧嘩になる。手綱を譲るようにして、馬が行きたいぶんだけ位置を上げさせた。向正面では三番手。前にいるのは逃げるイイデサターンと、二番手のホワイトストーン。マックイーンは後ろにいた。 京都の第3コーナーには坂がある。上って、下る。その下りにかかったところで、時計が動いた。それまで12秒台で刻まれていた200メートルごとの時計が、11秒8、11秒7と詰まる。レースの流れが変わったのは、この数百メートルだった。ライアンは、その加速に素直に乗る。イイデサターンをかわし、ホワイトストーンに並びかけ、そのまま前へ出た。四コーナーを回るとき、単独の先頭にいたのはゼッケン1である。 直線。内は荒れている。横山は外へ持ち出した。背後からマックイーンが追ってくる。だが差は詰まらない。残り100メートルで独走になり、1馬身半をつけて入線した。 「いつもどおり、あいつと仲よく走ればいいなと思って、そのとおりに走れました」[^1]。レースのあと、横山はそう言った。 GI六度目の出走で、初めての勝利だった。二着は同じ勝負服のメジロマックイーン。メジロによる一二着独占は、1971年のメジロムサシとメジロアサマ以来、20年ぶりになる。そのムサシに乗って宝塚記念を勝ったのは横山富雄――横山典弘の父だった。ウイニングランを終えて引き揚げるとき、横山はヘルメットを取ってスタンドに一礼している。

出典:島田明宏「『この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す』メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?」Number Web、2025年6月14日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/866163 、閲覧日:2026年8月3日。

荒れた内を、まっすぐ

夏は函館で過ごした。調教中に軽い脚部不安が出て、右前脚に屈腱炎が見つかる。 暮れの有馬記念のファン投票では、また4位に入った。11万4216票。長い休み明けでそこへ出て12着。年明けのアメリカジョッキークラブカップは的場均が乗って6着で、連敗となった。 3月22日、中山の日経賞。馬場は重。中団から少しずつ位置を上げ、四コーナーを先頭で回った。直線で横山が選んだのは内である。ふつうなら荒れているとされる側だった。その日の第9レースに乗って、内も外も同じくらい悪い、むしろ内のほうが締まっている、と踏んでいたのだという。加えてこの馬は道悪がうまい。他馬が避けるぶん、こちらが得をする。読みどおりだった。2馬身半をつけて抜け出し、宝塚記念以来の勝利で重賞は4勝目になった。 四年前、同じ奥平厩舎から日経賞を勝っていたのは、半姉のメジロフルマーである。 その後、屈腱炎が再発した。天皇賞(秋)に目標を置いたが、戻ってくることはなかった。10月25日、東京競馬場で引退式。宝塚記念のときのゼッケン「1」を着け、スタンドの前を走った。挨拶に立った横山は、ライアンの仔に乗ってGIを勝ちたい、と言った。そして人前で泣いた。理由を問われて、ひどく寂しかった、と答えている。

墓碑に彫られた言葉

種牡馬入りは、楽ではなかった。シンジケートは一株480万円を50口、総額2億4000万円という安値に設定されたのに、繋養先のある静内の生産者からはほとんど相手にされない。募集地域を広げて、ようやく満口になった。集まったのは小さな牧場が大半で、一流の繁殖牝馬は望めなかった。日本産の父から出た日本産の種牡馬は成功しない。当時、そういう通説があった。 1996年、初年度産駒が走り出す。12月、メジロドーベルが阪神3歳牝馬ステークスを勝った。メジロブライトがラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝った。その年の新種牡馬ランキングで首位に立つ。日本産の種牡馬としては、シンボリルドルフ以来六年ぶりだった。翌1997年春の種付け株の競り市では、交配権にその年の日本産種牡馬で最高額がついている。 メジロドーベルは、当時の牝馬として最多となるGI五勝を積み上げた。メジロブライトは1998年、父が4着に終わった天皇賞(春)を勝つ。「ライアン2世」と呼ばれた馬である。 種牡馬を退いたあとは、生まれた牧場で暮らした。2007年、2008年、2010年には函館競馬場のイベントに姿を見せている。競走用の馬装に、宝塚記念のゼッケン「1」。跨っていたのは、メジロの勝負服を着た横山典弘だった。本馬場に出て、キャンターを踏んだ。 2016年3月17日、老衰。29歳だった。旧メジロ牧場を引き継いだレイクヴィラファームの一角に墓が建てられ、費用は横山が出した。墓碑には、そう申し出たときの横山の言葉が彫られている。「この馬のおかげで今の俺があるのだから、俺が金を出す」[^1] クラシックは三つとも獲れず、GIは一つきり。ポスターの惹句は、その物足りなさを裏返した慰めのようにも読める。だが、この馬の強さは勝ち鞍では測れなかった。若さの目立った四年目の騎手は、その背でクラシックを三度取りこぼし、勝てない自分と向き合い、やがて全国リーディングに届く。クラシックを勝てなかったのは自分が未熟だったからで、ライアンが勝たせなかったのだ――横山はのちにそう振り返っている。惹句が言い当てていたのは、たぶん馬の脚のことではなかった。 毎年三月、この牧場に眠る馬たちのなかで、いちばん多くの花が届くのはライアンの墓だという。

出典:島田明宏「『この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す』メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?」Number Web、2025年6月14日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/866163 、閲覧日:2026年8月3日。

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