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ナリタタイシン
通算成績15戦4勝
獲得賞金3億5,170万円
生年月日 1990.06.10(平成2年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 16 | GI宝塚記念 | 京都 芝2200 | 7人気 | 山田泰誠 | 2:12.1 | 上り35.4 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(春) | 阪神 芝3200 | 2人気 | 武豊 | 3:22.8 | 上り36.1 | 映像 | |
| 1 | GII目黒記念 | 東京 芝2500 | 2人気 | 武豊 | 2:34.0 | 上り34.7 | — | |
| 17 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 3人気 | 武豊 | 3:14.1 | 上り41.6 | 映像 | |
| 2 | GII高松宮杯 | 京都 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 1:59.2 | 上り34.7 | — | |
| 3 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 3人気 | 武豊 | 2:25.8 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 3人気 | 武豊 | 2:00.2 | 上り34.6 | 映像 | |
| 2 | GII報知杯弥生賞 | 中山 芝2000 | 2人気 | 武豊 | 2:00.4 | 上り35.4 | — | |
| 2 | GIII日刊スポシンザン記念 | 京都 芝1600 | 3人気 | 清水英次 | 1:36.0 | 上り46.9 | — | |
| 1 | GIIIラジオたんぱ杯3歳S | 阪神 芝2000 | 5人気 | 清水英次 | 2:05.8 | 上り49.7 | — | |
| 2 | 千両賞 | 阪神 芝1600 | 6人気 | 清水英次 | 1:38.2 | 上り49.2 | — | |
| 2 | OP福島3歳S | 福島 芝1200 | 7人気 | 清水英次 | 1:10.7 | 上り36.4 | — | |
| 6 | きんもくせい特別 | 福島 芝1700 | 3人気 | 内山正博 | 1:46.3 | 上り39.1 | — | |
| 1 | 3歳未勝利 | 福島 芝1700 | 2人気 | 清水英次 | 1:44.7 | 上り36.8 | — | |
| 6 | 3歳新馬 | 札幌 芝1000 | 1人気 | 横山典弘 | 1:00.3 | 上り36.3 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父リヴリアRivlia | Riverman | Never Bend |
| River Lady | ||
| Dahlia | Vaguely Noble | |
| Charming Alibi | ||
| 母タイシンリリィ | ラディガLadiga | Graustark |
| Celia | ||
| インターラーケン | サミーデイヴィスSammy Davis | |
| シルヴアーファーSilver Fir |
旅程 — この馬の物語
1990年生まれの鹿毛の牡馬。父リヴリア、母タイシンリリィ。主な勝ち鞍は皐月賞・ラジオたんぱ杯3歳S・目黒記念。
新冠の六月
1990年6月10日、北海道新冠町で鹿毛の牡が生まれた。生産者は川上悦夫。父リヴリアはアメリカ生まれで、母は名牝ダリア。アメリカとフランスで走ってGIを三つ勝ち、種牡馬として日本へ渡ってきた馬である。この年に生まれた仔たちが、その最初の世代だった。 母はタイシンリリィ。芦毛で、父はラディガ。名の前半「ナリタ」は馬主・山路秀則の冠名で、大阪の自宅の近くにある成田山大阪別院明王院にちなむ。後半は、母の名と重なっている。 一族は地味ではない。半姉のユーセイフェアリーは1992年の阪神牝馬特別を勝っている。近親にはCBC賞を勝ったエリモシルバーとケイスパーコ、そのケイスパーコの娘で優駿牝馬を制したケイキロクがいた。 預けられたのは栗東の大久保正陽厩舎である。1992年7月11日、札幌の芝1000メートルの新馬戦でデビューした。鞍上は横山典弘。1番人気に推されながら6着に終わっている。馬体重は422キロ。牡馬としては小さい。この馬の馬体重が450キロを超えることは、最後までなかった。 レースのあとに球節の疲労が出て、放牧に出される。戻ってきたのは秋の福島だった。10月10日の未勝利戦を清水英次で勝つ。芝1700メートル、二戦目にして初めての一勝である。
後ろから行った日
三戦目のきんもくせい特別は6着。続く福島3歳ステークスと千両賞は、どちらも2着だった。勝ち切れない。 1992年12月26日、阪神。格上挑戦で臨んだラジオたんぱ杯3歳ステークスは5番人気だった。ここで初めて、後ろから行った。道中は馬群の後方に置き、直線で前の各馬をまとめて交わす。重賞初制覇である。 ただ、見栄えのする勝ち方ではなかった。当時の阪神はパワーの要る馬場で、勝ち時計は2分5秒8。レースの上がり三ハロン(最後の600メートル)は38秒1もかかっている。六戦して二勝。この一勝で「クラシック候補」と呼ばれるところまでは行かなかった。 前の週、半姉のユーセイフェアリーが阪神牝馬特別を勝っていた。姉と弟で、二週続けての重賞だった。
二着の冬
年が明けた初戦、京都のシンザン記念でも控える形を取った。直線で伸びたが、先行したアンバーライオンには届かない。2着。 三月の弥生賞から武豊が乗った。中山の芝2000メートル、ウイニングチケットに二馬身離されて、また2着。福島3歳ステークスから数えて四度目の2着である。 そのウイニングチケットは四連勝中だった。若葉ステークスを勝ったビワハヤヒデは、デビューから六戦して一度も連対を外していない。クラシック第一戦は、初めから「二強」の構図で語られていた。 管理する大久保正陽は、1972年に父・亀治を亡くして厩舎を引き継いだ調教師である。それまでに手にした大きな競走は、1976年の天皇賞(春)を12番人気で勝ったエリモジョージ、そして障害から平地に戻して1992年の宝塚記念と有馬記念を続けて勝ったメジロパーマー。常識の外側に置かれた馬を、置かれたまま走らせて勝たせてきた男だった。
中山、残り二百メートル
1993年4月18日、中山の芝2000メートル。十八頭が並んだ。ナリタタイシンは三番人気。馬体重は426キロだった。 一コーナーを回ったとき、この馬は最後方にいた。 ペースは遅い。二強はどちらも前にいる。ビワハヤヒデは先行集団を見る位置の六番手、ウイニングチケットは中団から早めに動いていった。後ろで待つ側にとって、遅い流れはいちばん都合が悪い。前の馬が息を入れられるからだ。 四コーナーでも、まだ十二番手だった。前では二強が馬体を並べ、そのまま決着がつくように見えた。 直線に入る。中山には急な坂がある。残り二百メートルを切ったところで、前を行く二頭の脚色がわずかに鈍った。 そこからだった。最後の三ハロンは34秒6。二着を四度重ねてきた馬の脚とは思えない伸びで、一歩先に抜け出していたビワハヤヒデに、ゴール板の手前で並び、かわした。 クビ差。2分0秒2。二強と呼ばれていた構図は、その半歩で三強になった。
五月の三頭
皐月賞でウイニングチケットは五着に入線し、前を走ったガレオンの降着によって四着へ繰り上がっていた。三頭は掲示板のなかで並び直したことになる。 ひとつ、巡り合わせがあった。ビワハヤヒデ陣営は前哨戦の敗戦のあとに鞍上を替えており、その候補として武豊の名も挙がったが、最終的に岡部幸雄に落ち着いていた。調教師の浜田光正は後年、乗ってもらおうとして見送った相手に差されたのだから皮肉なものだ、と振り返っている。 5月30日、東京優駿。単勝はウイニングチケットが3.6倍、ビワハヤヒデが3.9倍、ナリタタイシンが4.0倍。人気は三つに割れた。ナリタタイシンの枠は一枠一番だった。 三頭とも中団から後方に控えた。動いたのは三コーナーから四コーナーにかけてである。ビワハヤヒデは荒れた内側を避けて外へ持ち出し、その直後にいたウイニングチケットは、他馬が避けた内の最短距離を突いて先頭に立った。柴田政人にとって初めてのダービー制覇になる。 ナリタタイシンも直線で追い込んだ。上がりは35秒9。だが最内の枠が響き、前の二頭には届かなかった。三着。皐月賞と同じ形に持ち込みながら、今度は間に合わなかった。 夏、京都の高松宮杯で初めて1番人気に支持される。逃げたロンシャンボーイを捕まえきれず、また2着だった。
肺と、父
秋の始動は京都新聞杯の予定だった。その一週前の追い切りで、運動誘発性肺出血を発症する。強い運動によって肺の毛細血管が破れ、出血する疾患である。出走はできなくなった。 菊花賞にはぶっつけで向かった。三番人気。だが終始後方のまま一度も進出できず、十七着。勝ったビワハヤヒデから9秒4離され、上がりは41秒6かかっている。三強の最後の対決は、対決にならなかった。 その秋、もうひとつのことが起きていた。9月8日、父リヴリアが腸捻転で死んだ。十一歳。日本で残せた産駒は五世代だけである。それでも初年度のその世代から、中央の重賞を勝つ馬が五頭出た。四月に息子が中山で挙げた一勝を、父はまだ生きて迎えている。
五十八キロ半
年が明け、東京の目黒記念から始動した。ハンデは58.5キロ。前年の皐月賞馬に課された重さである。馬体重は446キロまで増えていた。デビュー戦から24キロ。その体で直線を一気に差し切り、皐月賞以来の勝利を挙げた。 4月24日、阪神の天皇賞(春)。3200メートル。相手はまたビワハヤヒデだった。 前の週、同じ厩舎の、同じ勝負服を着た一頭が中山で皐月賞を勝っている。ナリタブライアン。大久保正陽の厩舎から、二年続けて皐月賞馬が出たことになる。 レースでナリタタイシンは三コーナーから捲った。長距離戦の定石よりずいぶん早い。奇襲である。ビワハヤヒデは掛かる素振りを見せながらも直線で抜け出し、追ってくる相手を待ってからもう一度仕掛けた。差は一馬身あまり。2着。 これが、この馬が上位で戦った最後のレースになった。天皇賞のあと右後脚に軽い骨折が見つかって宝塚記念を回避。秋は京都大賞典を下痢で取りやめ、天皇賞(秋)の前に屈腱炎を発症して、一年近く休んだ。 1995年6月4日、京都の宝塚記念で復帰する。鞍上は山田泰誠。一年一か月ぶりの実戦で十六着だった。そして高松宮杯へ向けて調整している最中に屈腱炎が再発し、そのまま引退した。
日高の春
種牡馬としての供用は六シーズン。2003年にその役目も終え、北海道日高町のベーシカル・コーチング・スクールで功労馬として暮らした。競馬場から遠い牧場に、人が会いに来る馬だった。 2020年4月13日、老衰で死んだ。三十歳。繋養先の高橋司代表は「タイシンにとって、悔いのない人生だったと思います」[^1]と悼んでいる。六日後の日曜日、中山では皐月賞が行われた。 大久保正陽は2006年の定年まで厩舎を張り、2023年1月21日に八十七歳で亡くなった。調教師になった息子の龍志は、この世界での師匠は父ひとりだと語っている。常識の外側を走らせ続けた人の手から、皐月賞馬は二年続けて出た。 あの中山の直線が語られるとき、出てくるのは時計でも着差でもない。飛んできた、と言われる。前の二頭しか見ていなかった目には、そう映るよりほかになかったからだ。新冠に生まれ、栗東で走り、日高で最後の春まで数えたナリタタイシンは、その一語のかたちで残っている。
出典:デイリースポーツ「93年皐月賞馬ナリタタイシン死す」2020年4月13日配信、https://www.daily.co.jp/horse/2020/04/13/0013267547.shtml、閲覧日:2026年8月3日。
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