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ナリタトップロード
通算成績30戦8勝
獲得賞金9億9,011万円
生年月日 1996.04.04(平成8年)毛色 栗毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 4 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 渡辺薫彦 | 2:33.4 | 上り35.8 | 映像 | |
| 10 | GIジャパンカップ | 中山 芝2200 | 2人気 | 四位洋文 | 2:13.1 | 上り36.3 | 映像 | |
| 2 | GI天皇賞(秋) | 中山 芝2000 | 2人気 | 四位洋文 | 1:58.6 | 上り34.1 | 映像 | |
| 1 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 1人気 | 四位洋文 | 2:23.6 | 上り34.0 | 映像 | |
| 3 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 3:19.6 | 上り34.3 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 3:07.9 | 上り34.5 | 映像 | |
| 1 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 3人気 | 渡辺薫彦 | 2:11.8 | 上り34.3 | 映像 | |
| 10 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 渡辺薫彦 | 2:33.9 | 上り34.6 | 映像 | |
| 3 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 5人気 | 渡辺薫彦 | 2:24.4 | 上り35.3 | 映像 | |
| 中 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 2人気 | 渡辺薫彦 | — | 映像 | ||
| 3 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 3:16.4 | 上り36.0 | 映像 | |
| 1 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 3:02.5 | 上り34.8 | 映像 | |
| 3 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 1人気 | 的場均 | 2:12.5 | 上り34.6 | — | |
| 9 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 的場均 | 2:35.1 | 上り38.0 | 映像 | |
| 4 | GIIステイヤーズS | 中山 芝3600 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 3:45.9 | 上り36.2 | — | |
| 5 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 3人気 | 渡辺薫彦 | 2:00.5 | 上り35.4 | 映像 | |
| 2 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 2:26.0 | 上り33.5 | 映像 | |
| 3 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 3:17.8 | 上り34.7 | 映像 | |
| 3 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 3人気 | 渡辺薫彦 | 3:09.8 | 上り35.6 | 映像 | |
| 2 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 2:13.8 | 上り34.4 | 映像 | |
| 7 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 渡辺薫彦 | 2:37.8 | 上り35.9 | 映像 | |
| 1 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 3人気 | 渡辺薫彦 | 3:07.6 | 上り34.0 | 映像 | |
| 2 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 2:12.3 | 上り34.8 | — | |
| 2 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 2:25.4 | 上り35.0 | 映像 | |
| 3 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 2:00.7 | 上り35.2 | 映像 | |
| 1 | GII報知杯弥生賞 | 中山 芝2000 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 2:03.5 | 上り35.3 | — | |
| 1 | GIIIきさらぎ賞 | 京都 芝1800 | 2人気 | 渡辺薫彦 | 1:49.1 | 上り35.5 | — | |
| 3 | 福寿草特別 | 京都 芝2000 | 3人気 | 渡辺薫彦 | 2:02.3 | 上り35.0 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 2:04.0 | 上り37.0 | — | |
| 2 | 3歳新馬 | 阪神 芝2000 | 1人気 | 渡辺薫彦 | 2:06.2 | 上り35.9 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父サッカーボーイSoccer Boy | ディクタスDictus | Sanctus |
| Doronic | ||
| ダイナサッシュ | ノーザンテーストNorthern Taste | |
| ロイヤルサッシュRoyal Sash | ||
| 母フローラルマジックFloral Magic | Affirmed | Exclusive Native |
| Won't Tell You | ||
| Rare Lady | Never Bend | |
| Double Agent |
旅程 — この馬の物語
1996年生まれの栗毛の牡馬。父サッカーボーイ、母フローラルマジック。主な勝ち鞍は菊花賞・きさらぎ賞・報知杯弥生賞。
門別の六番仔
1996年4月4日、北海道門別町の佐々木牧場で栗毛の牡馬が生まれた。 母はフローラルマジック。アメリカ産で、父はアファームドである。向こうで二十四戦して六勝を挙げ、ダートの八ハロン戦を勝ち、サンタイネスステークスで三着に入った。繁殖に上がって最初に産んだのが牝馬のペイパーレインで、その仔を産み落とした直後、佐々木牧場の佐々木孝がこの牝馬を買い、1991年に日本へ運んでいる。門別で産んだ三番仔ホウシュウサルーンは全日本3歳優駿を勝ち、五番仔グリーンプレゼンスは若葉ステークスを勝った。栗毛の牡馬は、その六番仔だった。 父はサッカーボーイ。1988年のマイルチャンピオンシップを勝ち、その年のJRA賞最優秀スプリンターに選ばれた馬である。速さで鳴らした父だった。ところがこの父からGIを勝った産駒には、菊花賞と天皇賞(春)と宝塚記念を勝ったヒシミラクル、秋華賞のティコティコタック、そしてこの六番仔が並ぶ。短い距離で名を上げた血が、長い距離で実った。 馬主は山路秀則。大阪で建設会社を営み、冠名の「ナリタ」は自宅の近くにある成田山大阪別院明王院から採っている。二年前、その冠名を背負った馬が三冠を獲っていた。ナリタブライアンである。 1998年、栗東の沖芳夫厩舎へ入った。主戦には厩舎所属の渡辺薫彦が決まる。渡辺の父・薫は、この厩舎の厩務員だった。息子は1994年にここから騎手になり、以来ずっと同じ厩舎に籍を置いている。 真面目で頑張り屋。ただし気性は易しくなかった。放馬している馬をよく見たらこの馬だった——そんなことがあったと、渡辺はのちに振り返っている。デビューからの二戦は、口角から血がにじむほど行きたがった。 1998年12月5日、阪神の芝2000メートル。一番人気に支持されながら、マイネルサクセスにクビ差届かず二着。三週間後、同じ阪神の同じ距離でもう一度走り、今度は勝ち上がった。当時は同じ開催であれば、新馬戦に何度でも出走できた。 明けて1月の福寿草特別は三着。折り合いがついたのはこのあたりからである。2月7日のきさらぎ賞は、条件馬による格上挑戦だった。圧倒的な一番人気だったエイシンキャメロンを退けて重賞初制覇。鞍上にとっても、初めての重賞である。 3月7日、報知杯弥生賞。中山の芝は稍重。一番人気はアドマイヤベガだった。ナリタトップロードは2分03秒5で先着し、0.2秒の差をつける。前年の日本ダービー馬スペシャルウィークと同じ道筋を辿ってきたこともあって、この馬は一気にクラシックの主役の一頭になった。渡辺は1994年のデビューから六年目を迎えていた。それまでGIに乗った経験は、二度しかない。
三強と呼ばれた春
4月18日、皐月賞。昼過ぎから雨が落ちて、中山の芝は湿った。大きなストライドで飛ぶこの馬は良馬場の鬼と言われていて、緩んだ芝は天敵である。中団からじりじりと差を詰めたが、先に抜け出したオースミブライトには届かず、そこへ外からテイエムオペラオーが全部まとめて差していった。三着。 二着のオースミブライトは、桃に紫の山形一文字——同じ勝負服だった。山路秀則はこの日、自分の馬で二着と三着を分け合ったことになる。 良馬場の広いコースなら、という見方があった。6月6日、東京優駿。ファンはこの馬を一番人気に推す。道中は皐月賞馬テイエムオペラオーをマークするように運んだ。残り二百メートル、その馬を競り落として先頭に出る。府中の直線で、ナリタトップロードは確かに先頭にいた。だが、さらに外から一頭が伸びてきた。アドマイヤベガである。クビ差だった。 レースのあと、渡辺は悔し涙を流した。 秋初戦の京都新聞杯も、またアドマイヤベガの二着。着差はやはりクビだった。春の二冠も秋の前哨戦も、勝ったのはいつも他の馬である。同じ競馬を続けていては勝てない。そんな声が、菊花賞を迎える頃には大きくなっていた。
淀の、残り三百メートル
11月7日、京都。芝三千メートル。一枠一番。 単勝の支持は三番手だった。前に並ぶのはアドマイヤベガとテイエムオペラオー。春から秋にかけてこの馬に先着した二頭が、そのまま人気の上にいる。 渡辺が決めたのは、待つのをやめることだった。この馬の持ち味は、長く脚を使えること。長く使える脚は、直線の四百メートルでは使い切れない。 ゲートが開く。内から出して四番手。前を行く馬たちは急がない。三千メートルは、走る側にとっても長い。向正面から三コーナーへ向かう淀の坂を上って下り、スタンド前を過ぎて、もう一度同じ坂を上って下る。時計は流れない。 四コーナーを回る。渡辺は待たなかった。 残り三百メートル。ナリタトップロードが先頭に立った。 三千メートルを走ってきた馬がそこからもう一段上げるというのは、脚を残していたということではない。使い続けてきた脚を、まだ使えるということだ。 後ろから二頭が来る。テイエムオペラオーと、ラスカルスズカ。京都の直線は四百メートルほどしかない。残りは二百になり、百になる。 先頭でゴール板を過ぎたのはナリタトップロードだった。クビ差。三着のラスカルスズカまで、さらにクビ。 最後の六百メートルを、この馬は34秒0で走っている。三千メートルの果てで、である。 渡辺は大きなガッツポーズをつくった。1994年にこの厩舎から騎手になって以来、初めてのGIだった。
覇王の年
暮れの有馬記念は七着。掲示板を外したのは、これが初めてだった。 2000年は、ほとんど同じ景色の繰り返しになる。京都記念二着、阪神大賞典三着、天皇賞(春)三着。秋も京都大賞典二着、天皇賞(秋)五着。勝ったのは、その五つとも全部テイエムオペラオーである。 ジャパンカップは選出に漏れて除外された。走ることすらできない。代わりに向かったのが、一週間後の中山、芝三千六百メートルのステイヤーズステークスだった。単勝1.3倍。直線で伸びず、ホットシークレットの四着に終わる。 このレースのあと、渡辺は沖と話し合ったうえで鞍を降りた。 暮れの有馬記念は的場均が乗って九着。勝ったのはテイエムオペラオーで、その馬はこの年、八回走って八回勝ち、満票で年度代表馬に選ばれた。 同じ一年、ナリタトップロードは一度も勝たなかった。
八馬身
2001年も的場で始まった。京都記念は三着。そのあと的場が騎手を引退し、渡辺が戻ってくる。 沖はのちに、この乗り替わりの意図を明かしている。暮れの荒れた中山の馬場はこの馬に合わない、そこで負ければ渡辺の評判が落ちる、的場はすでに調教師試験に受かっていて遠からず鞍を降りる——つまり、返す前提の預け先だった、と。師匠は弟子の名前を守っていた。 3月18日、阪神大賞典。三千メートル。渡辺は直線で追い続けた。二着エリモブライアンとの差は八馬身。3分02秒5は、当時の芝三千メートルの世界レコードである。菊花賞から一年四か月ぶりの勝利だった。 4月29日、天皇賞(春)。またテイエムオペラオーとメイショウドトウに先着され、三着に終わる。前年と同じ着順である。 10月7日の京都大賞典では、直線でステイゴールドに前を塞がれ、馬体が接触して渡辺が落馬した。競走中止。脚に打撲を負い、天皇賞(秋)を回避することになる。裁決はステイゴールドを失格とした。 ジャパンカップは三着。この一戦で、初めてメイショウドトウより前でゴールした。暮れの有馬記念は十着。古馬になってから、この馬はテイエムオペラオーの前でゴール板を過ぎたことが一度もない。 「あの2頭さえいなければ……と考えたこともあったけど、彼らがいたからこそ頑張れた面もありました」[^1]。二十年以上が経ってから、渡辺はそう話している。
出典:Number Web「[主戦騎手が語る]渡辺薫彦『ナリタトップロードがすべての礎です』」2022年10月22日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/855039 、閲覧日:2026年8月2日。
六十キロ
2002年、テイエムオペラオーは引退した。ナリタトップロードは、六歳になっても走り続けた。 2月16日の京都記念。斤量は六十キロである。前年暮れの大敗もあって三番人気に落ちていたが、マチカネキンノホシとの叩き合いを制した。翌月の阪神大賞典では、前年の年度代表馬ジャングルポケットが相手だった。勝ったのはナリタトップロードで、同じ重賞を二年続けて獲ったことになる。重賞の連勝は三年ぶりだった。 4月28日、三度目の天皇賞(春)。GIで一番人気に推されたのは、三年前の日本ダービー以来である。直線でマンハッタンカフェを捉えきれず、外からジャングルポケットにも差された。三着。三年続けて、同じレースの同じ着順だった。有馬記念で三年続けて三着に入ったナイスネイチャと並ぶ記録になる。 秋、渡辺は落馬の怪我で戦列を離れた。鞍上は四位洋文に替わる。10月6日の京都大賞典は、前年に落馬したのと同じレースだった。四位はツルマルボーイとタップダンスシチーを抑えて勝ち、この馬に五つ目のGIIをもたらす。GII五勝は、当時の日本タイ記録である。 その秋のGIは中山で行われた。東京競馬場が改修に入っていたためである。天皇賞(秋)は中山の二千メートル。三歳のシンボリクリスエスに0.1秒届かず二着。ジャパンカップも中山に移り、こちらは十着だった。 三十戦のうち六着以下に沈んだのは四度きりで、その四度はすべて中山の中長距離戦である。最後の秋、この馬はいちばん向かない競馬場で、いちばん大きなレースを走ることになった。
ゼッケン一番
陣営は引退レースに香港ヴァーズを考えていた。ところが有馬記念のファン投票で、この馬が一位に選ばれる。その年、GIをひとつも勝っていない馬である。香港行きは取りやめになった。 12月22日、中山。芝は稍重。渡辺薫彦が三度目の復帰で鞍上に戻った。ファンの声もあった。渡辺自身は、四位が京都大賞典を勝ち天皇賞(秋)で二着に来たのを見て、もう自分のところへは戻ってこないと思っていたという。 道悪を見越して、先行させた。直線は大外から伸びて、一番人気のファインモーションの前でゴールする。四着。勝ったのは、二か月前に先着を許したシンボリクリスエスだった。 年が明けて、京都競馬場で引退式が行われた。背に着けたのは、菊花賞のときと同じゼッケン一番である。関係者インタビューで、渡辺は涙で声を詰まらせた。三十戦八勝、重賞七勝。 社台スタリオンステーションで種牡馬になり、三世代を残した。娘のベッラレイアは2007年のフローラステークスを勝って産駒初の重賞をもたらし、続く優駿牝馬では一番人気に推される。直線で先頭に立ちながら、ローブデコルテにハナ差で交わされて二着だった。父が府中でやったことを、娘がそのままなぞっている。 母がアメリカで産んだ初仔のペイパーレインは、この馬がクラシックを走った1999年、その血統に目をつけた岡田スタッドに買われて日本へ来た。つけられたのはサンデーサイレンス。2003年に生まれた仔がマツリダゴッホである。2007年の有馬記念を勝った。ナリタトップロードが四度走って一度も勝てなかった中山の二千五百メートルを、姉の仔が勝ったことになる。 2005年11月7日午前一時、心不全で死んだ。九歳。その年の二月に見つかった膀胱結石の手術を、種付けシーズンを終えてから受けたばかりだった。菊花賞を勝った日から、ちょうど六年後の同じ日である。
礎
渡辺薫彦は2012年の暮れに騎手を辞めた。中央での勝ち星は三百三十九。GIは、あの秋の一つきりである。辞めたあとも沖厩舎に残って調教助手を務め、2015年に調教師になり、翌年、師匠の厩舎をそのまま引き継いで自分の看板を掲げた。父が厩務員として働き、自分が騎手として通い続けた、同じ場所である。2022年11月27日、その厩舎のヴェラアズールがジャパンカップを勝つ。調教師として初めてのGIである。ナリタトップロードが二度走って、三着と十着に終わったレースでもあった。 「ナリタトップロードがすべての礎です」[^1]。あの暮れ、ファン投票の一位にこの馬の名が来たのは、その年にGIを勝ったからではない。三千メートルの一勝を除けば、いちばん強い相手にいつも半歩だけ足りなかった。それでも次の春には阪神の三千に立ち、次の秋には淀へ帰ってきた。四年ぶんのその繰り返しを、見ていた人たちが覚えていた。 短い距離で名を上げた父から生まれ、三千メートルの果てで一度だけ先頭に立った馬である。最後の一走を決めたのは、走らせる側ではなく、見ている側だった。稍重の中山、最後のゲート。ファンが選んだ馬と、ファンが呼び戻した男が、もう一度だけそこに並んだ。
出典:Number Web「[主戦騎手が語る]渡辺薫彦『ナリタトップロードがすべての礎です』」2022年10月22日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/855039 、閲覧日:2026年8月2日。
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