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ナイスネイチャ
通算成績41戦7勝
獲得賞金5億1,810万円
生年 1988(昭和63年)毛色 鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 15 | GIIアルゼンチン共和国杯 | 東京 芝2500 | 松永昌博 | — | |||
| 7 | GIIオールカマー | 中山 芝2200 | 松永昌博 | — | |||
| 8 | GIII京阪杯 | 京都 芝2200 | 5人気 | 松永昌博 | — | ||
| 6 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 松永昌博 | — | |||
| 4 | GIII中京記念 | 中京 芝2000 | 7人気 | 松永昌博 | 2:02.6 | — | |
| 9 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 13 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 8 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 松永昌博 | 2:26.0 | — | ||
| 2 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 松永昌博 | — | |||
| 5 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 11人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 11 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 7 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 8 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 松永昌博 | — | |||
| 1 | GII高松宮杯 | 中京 芝2000 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 4 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 4 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 松永昌博 | 映像 | |||
| 2 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 松永昌博 | 2:01.2 | — | ||
| 7 | GIIアメリカジョッキークラブカップ | 中山 芝2200 | 松永昌博 | — | |||
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 10人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 7 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 15人気 | 松永昌博 | 2:25.1 | 映像 | |
| 15 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 3 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 4人気 | 松永昌博 | 1:45.9 | — | |
| 2 | GII産経大阪杯 | 阪神 芝2000 | 2人気 | 松永昌博 | 2:04.1 | — | |
| 3 | GII阪神大賞典 | 阪神 芝3000 | 10人気 | 松永昌博 | 3:09.4 | — | |
| 2 | GII日経新春杯 | 京都 芝2400 | 松永昌博 | 2:14.1 | — | ||
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 松永昌博 | 2:33.7 | 映像 | |
| 3 | GIマイルチャンピオンシップ | 京都 芝1600 | 4人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 4 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 3 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 松永昌博 | — | |||
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 松永昌博 | 2:31.1 | 映像 | |
| 1 | GII鳴尾記念 | 阪神 芝2500 | 1人気 | 松永昌博 | 2:36.3 | 映像 | |
| 4 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 2人気 | 松永昌博 | 映像 | ||
| 1 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 松永昌博 | 2:15.6 | 映像 | |
| 1 | GIII小倉記念 | 小倉 芝2000 | 1人気 | 松永昌博 | 2:02.7 | 映像 | |
| 1 | はづき賞 | 小倉 芝1800 | 1人気 | 松永昌博 | 1:49.6 | — | |
| 1 | 不知火特別 | 小倉 芝1800 | 松永昌博 | 1:49.8 | — | ||
| 2 | なでしこ賞 | 中京 芝1800 | 松永昌博 | — | |||
| 3 | OP若駒ステークス | 京都 芝2000 | 5人気 | 松永昌博 | 2:02.5 | — | |
| 6 | 福寿草特別 | 京都 芝2000 | 3人気 | 松永昌博 | — | ||
| 1 | 新馬 | 京都 ダート1400 | 1人気 | 松永昌博 | 1:26.1 | — | |
| 2 | 新馬 | 京都 ダート1400 | 松永昌博 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ナイスダンサーNice Dancer | ノーザンダンサーNorthern Dancer | ニアークティックNearctic |
| ナタルマNatalma | ||
| ナイスプリンセスNice Princess | ルボープリンスLe Beau Prince | |
| ハッピーナイトHappy Night | ||
| 母ウラカワミユキUrakawa Miyuki | ハビトニーHabitony | ハビタットHabitat |
| コーティアスレディCourteous Lady | ||
| ケンマルミドリKenmaru Midori | ケンマルチカラ | |
| ケンミドリ |
引退後・牧場での映像
ゴール板の先の時間旅程 — この馬の物語
有馬記念3年連続3着の『ブロンズコレクター』。引退後はバースデードネーションで引退馬支援の顔になった。
浦河の、ミユキの仔
1988年4月16日、北海道浦河町の渡辺牧場に鹿毛の牡が生まれた。母の名はウラカワミユキ。浦河の地名を名に負った牝馬で、中央で三勝し、1984年のチューリップ賞を勝っている。その馬に乗った騎手の一人が、栗東・松永善晴厩舎の松永昌博だった。 場主の渡辺一馬の目に、この仔は平均的な馬と映った。特徴らしい特徴がない。育成に出しても目立たない。同じナイスダンサーの仔で、きさらぎ賞と京都記念を勝ったナイスナイスナイスくらいには走るだろうか、という程度の見立てだったという。管理することになる松永善晴のほうは違った。早くから、いい馬だと言っていた。 名は英語の nice と nature を継いだ。素晴らしい素質、という意味である。父ナイスダンサーの一語が、そのまま息子の名の頭に残った。 1990年の夏、栗東の松永厩舎へ入る。姉が初戦で筋を痛めてそのまま引退していたため、調教は慎重に積まれた。デビューが12月まで延びたのはそのせいである。京都の新馬戦、直線で進路を塞がれながら僅差の2着。中一週で臨んだ二戦目、ダートの千四百を1番人気で勝ち上がった。鞍上は松永昌博。母に乗った男が、その仔にも乗っていた。
夏に、化ける
年が明けて、福寿草特別は6着。勝ったのは、のちの桜花賞馬シスタートウショウだった。中一週で格上挑戦した若駒ステークスは3着で、前にいたのはトウカイテイオー。同じ世代の頂に立つ二頭に、一月のうちに続けてぶつかっている。 そこで骨膜炎が出た。春は棒に振り、皐月賞も日本ダービーも他人事のまま過ぎていく。 復帰は七月の中京で、2着。小倉へ移って不知火特別、はづき賞と条件戦を連勝し、そのまま8月25日の小倉記念へ向かった。重賞は初挑戦、相手は古馬。それでも1番人気に推された。最後の六百メートル——競馬でいう上がり三ハロンを34秒6でまとめ、ヌエボトウショウに2馬身の差をつける。 一か月半後の京都新聞杯では、前年の阪神三歳ステークスを勝ったイブキマイカグラが1番人気、ナイスネイチャが2番人気になった。中団で待ち、直線で一度進路をなくす。立て直してから、前で競り合う二頭をまとめて交わした。二着は同着だった。かわされたイブキマイカグラと、皐月賞2着のシャコーグレイド。条件戦から数えて四連勝である。 夏の上がり馬という言葉が、この馬のために用意されたように使われた。菊花賞の主役の一角は、浦河生まれの目立たない仔だった。
暮れの中山、はじめての三着
11月3日の菊花賞は2番人気。二周目の三コーナーから追走に苦労し、直線でも伸び切れずレオダーバンの4着に終わった。夏から使い詰めだったが、レースのあとに疲れは出ていない。12月8日の鳴尾記念を勝ち、デビューから一年で重賞三勝目を挙げた。 二週間後、中山。初めての有馬記念に、2番人気で入った。 十五頭。三コーナーを回っても、彼の位置は後ろから数えたほうが早い。四コーナーでも十二番手にいた。前ではメジロマックイーンが抜け出しにかかり、そこへ十四番人気のダイユウサクが飛んできて、レコードで勝ち去っていく。ナイスネイチャは大外から脚を伸ばし続け、三着でゴール板を過ぎた。二着のメジロマックイーンとは1馬身3/4、勝ち馬とは0秒5の差だった。 デビュー二年目の暮れとしては、上々の結果だった。このときの三着は、まだ一度きりの三着でしかない。
勝てない馬、と呼ばれる
古馬になった1992年、持病の骨膜炎が悪化して春をまるごと失った。復帰は10月の毎日王冠で3着。天皇賞(秋)はトウカイテイオーに次ぐ2番人気で4着、京都のマイルチャンピオンシップは3着。二千でも千六百でも、上位までは来る。あと一歩が縮まらない。 12月27日、二度目の有馬記念。枠は最も内だった。逃げたメジロパーマーが道中で一度息を入れ、そこから後続を突き放しにかかる。ナイスネイチャは四番手で直線を向き、追いすがった。届かない。メジロパーマーとレガシーワールドがハナ差で決着し、そこから1馬身1/4差の三着。二年続けて、同じ着順だった。 年が明けても数字は動かない。日経新春杯2着、産経大阪杯はメジロマックイーンの2着。四月に骨折が判明して、また休養に入る。 デビューから一年で重賞を三つ勝った馬が、いつのまにか勝てない馬と呼ばれていた。呼んだ人たちは、それでも彼の馬券を買い、栗東の厩舎を訪ねてきた。馬房の扉には、送られてきた千羽鶴が束になって下がっていた。
一九九三年十二月二十六日
秋の天皇賞は2番人気で15着。直線で追い出されてから急に止まった。初めての二桁着順である。続くジャパンカップも7着。三度目の有馬記念で、単勝は十番人気まで落ちた。 中山の芝二千五百。この日、スタンドの目は一年ぶりに帰ってきたトウカイテイオーに集まっている。 一コーナーの通過順位で、ナイスネイチャの馬番はトウカイテイオーの馬番と同じ位置に括られている。二頭は並んで走っていた。向正面でレースが緩む。ラップの一区間が十三秒三まで落ちた。そこだけ、レースがほどけたようになる。 そして締まっていく。区間ごとに刻みが短くなり、十二秒台の前半から、十一秒台へ。三コーナーで彼は八番手。四コーナーで六番手。直線を向いたとき、前ではトウカイテイオーとビワハヤヒデが叩き合いに入っていた。 その決着から三馬身半。届かない。届かないまま、脚を止めない。追い込んできたマチカネタンホイザとの差は、アタマだった。 三年続けて、同じレースの、同じ場所。相手が違う。ペースも違う。位置取りに至っては毎年違った。それでも終わってみると、同じところに立っていた。
二年七か月
1994年はアメリカジョッキークラブカップの7着から始まった。産経大阪杯2着。天皇賞(春)は4着、宝塚記念も4着。どちらもビワハヤヒデが勝っている。掲示板には載る。勝ち鞍からは遠い。 七月十日、中京の高松宮杯。前年のダービー馬ウイニングチケットが1番人気で、河内洋のスターバレリーナ、武豊のマーベラスクラウン、岡部幸雄のアイルトンシンボリが並んだ。ナイスネイチャは五番人気。この日、初めてメンコを外して出てきた。 一コーナーでは十三頭の後ろから二頭目にいる。向正面から押し上げ、四コーナーを四番手で回った。直線で競り合う三頭を捉えて、半馬身。1991年12月の鳴尾記念以来、二年七か月ぶりの勝利だった。 その日の中京競馬場には六万五千人を超える人が入っている。ハイセイコーが走った1974年以来の入りだった。七月の、GIでもない一戦にである。勝った直後、鞍上と調教師の口から先に出たのは喜びではなく、安堵だった。負けても負けても応援してくれた人たちのことを思うと、と松永昌博は言葉を継いでいる。
三十四回
その秋は掲示板を外し続け、四年連続の有馬記念は5着。三コーナー過ぎに位置を押し上げたが、直線は伸びなかった。 1995年1月、馬主の豊嶌正雄が世を去る。売却の話も出たという。二月の京都記念で2着に粘ったこの馬は、息子の泰三へ引き継がれた。その後、左前脚を骨折。秋に戻ってからは順位が上がらず、暮れの有馬記念は9着に終わる。 1996年は三月の中京記念の4着が、最後に掲示板へ載ったレースになった。それでも使われ続けた。年末の有馬記念に出走していれば六年連続だったが、右前脚に不安が出て回避し、そのまま引退が決まる。ラストランは十一月の東京、アルゼンチン共和国杯だった。 1991年8月の小倉記念から、その最後の一戦まで、三十四回。この馬はその間、重賞だけを、休まずに使われ続けた。強い馬にしか回ってこない番組表を、三十四回、自分の脚で埋めたということである。
四月十六日
1997年から日高スタリオンステーションで種牡馬になり、産駒のセイントネイチャーが中央で三勝した。2001年に種牡馬登録を抹消され、生まれた渡辺牧場へ帰る。以後は引退馬協会のフォスターホースとして、浦河で暮らした。 1999年、JRAがワイド馬券の発売を始めたとき、キャンペーンのポスターに立ったのはこの馬だった。三着まで当たりになる馬券である。走り終えた一頭の名前が、そのまま新しい馬券の説明になった。 2017年、二十九歳の誕生日から、協会がバースデードネーションを始める。最初の年は四十八人、十九万八千円だった。それが年ごとに増えていく。2021年には目標を一日で超え、一万六千人を上回る人が集まった。翌年はさらに増え、三十五歳を迎えた2023年には七千四百万円を超えた[^1]。集まった金は彼の飼い葉には使われない。名前も知らない引退馬たちの、次の行き先に回された。 2023年5月30日。その月に入って食欲が落ちていた。朝から心拍数が上がり、腸の動きも鈍る。昼前、放牧地で自ら横たわり、そのまま立てなくなった。獣医師と相談のうえ苦しまないように薬が使われ、午後零時四十分。相棒のメテオシャワーと牧場の人たちに見守られ、眠るように逝ったと協会は伝えている[^2]。三十五歳だった。母ウラカワミユキも同じ牧場で三十六歳まで生き、2017年の、自分の誕生日に死んでいる。母は生涯に十一頭の競走馬を送り出した。半妹ゲッケイジュの孫にあたるサヨノネイチヤは、2024年の大井記念を含めて地方の重賞を三つ勝っている。 松永昌博は、その日こう言った。「大往生だし、ここまでみんなにかわいがられてきたのだから、幸せな一生だったと思う」[^3]。母のウラカワミユキにも乗っていた、特に思い入れの深い馬だった、と続けている。 その男がナイスネイチャの背でGIを勝つことは、ついになかった。2002年に鞍を降り、調教師になる。2011年11月、京都の千六百でエイシンアポロンがマイルチャンピオンシップを勝った。騎手時代を含めても、初めてのJRAのGI制覇だった。十九年前、同じ京都の千六百を、彼とナイスネイチャは三着で走っている。 馬が死んだ翌年も、四月十六日は来た。寄付の名はメモリアルドネーションに変わり、額は前の年を上回った。浦河の放牧地に、もうあの鹿毛はいない。それでも四月が来るたび、会ったこともない人たちが一斉にその名を打ち込み、名前を知られていない一頭が、どこかの牧場で次の春を迎えている。
出典:日刊スポーツ「ナイスネイチャ35歳で死亡 有馬記念3年連続3着の個性派 存命中のJRA重賞勝ち馬で最高齢」2023年5月30日配信、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202305300000475.html 、閲覧日:2026年8月3日。/スポニチ競馬Web「個性派ナイスネイチャ死す 「眠るように」大往生35歳 伝説の有馬記念3年連続3着、重賞4勝」2023年5月30日配信、https://keiba.sponichi.co.jp/news/20230530s00004048247000c 、閲覧日:2026年8月3日。/日刊スポーツ「ナイスネイチャの主戦騎手・松永昌博調教師「特に思い入れの深い馬。冥福を祈ります」」2023年5月30日配信、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202305300000575.html 、閲覧日:2026年8月3日。
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