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ニシノフラワー
通算成績16戦7勝
獲得賞金4億3,590万円
生年月日 1989.04.19(平成元年)毛色 黒鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 3人気 | 河内洋 | 1:08.4 | 上り34.6 | 映像 | |
| 13 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 2人気 | 河内洋 | 1:36.6 | 上り36.6 | 映像 | |
| 3 | GIIスワンS | 京都 芝1400 | 2人気 | 河内洋 | 1:22.0 | 上り35.1 | — | |
| 8 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 3人気 | 河内洋 | 2:20.9 | 上り41.2 | 映像 | |
| 10 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:34.1 | 上り35.8 | 映像 | |
| 1 | GII読売マイラーズカップ | 阪神 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:36.4 | 上り47.8 | — | |
| 1 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 2人気 | 河内洋 | 1:07.7 | 上り34.1 | 映像 | |
| 3 | GIエリザベス女王杯 | 京都 芝2400 | 6人気 | 河内洋 | 2:27.7 | 上り46.4 | 映像 | |
| 4 | GII関西TVローズS | 京都 芝2000 | 1人気 | 河内洋 | 2:00.8 | 上り47.8 | — | |
| 7 | GI優駿牝馬 | 東京 芝2400 | 1人気 | 河内洋 | 2:29.5 | 上り37.2 | 映像 | |
| 1 | GI桜花賞 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:37.5 | 上り50.2 | 映像 | |
| 2 | OPチューリップ賞 | 阪神 芝1600 | 1人気 | 佐藤正雄 | 1:39.1 | 上り50.7 | — | |
| 1 | GI阪神3歳牝馬S | 阪神 芝1600 | 1人気 | 佐藤正雄 | 1:36.2 | 上り48.2 | 映像 | |
| 1 | GIIデイリー杯3歳S | 京都 芝1400 | 1人気 | 田原成貴 | 1:23.2 | 上り46.6 | — | |
| 1 | GIII札幌3歳S | 札幌 芝1200 | 4人気 | 佐藤正雄 | 1:10.5 | 上り36.5 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 札幌 ダ1000 | 4人気 | 佐藤正雄 | 0:59.8 | 上り36.2 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父Majestic Light | Majestic Prince | Raise a Native |
| Gay Hostess | ||
| Irradiate | Ribot | |
| High Voltage | ||
| 母デユプリシトDuplicit | Danzig | Northern Dancer |
| Pas de Nom | ||
| Fabulous Fraud | Le Fabuleux | |
| The Bride |
旅程 — この馬の物語
1989年生まれの黒鹿毛の牝馬。父Majestic Light、母デユプリシト。主な勝ち鞍は阪神3歳牝馬S・桜花賞・スプリンターズS。
アルバムに載らなかった一頭
1989年4月19日、北海道鵡川町の西山牧場で、黒鹿毛の牝馬が生まれた。父はアメリカのマジェスティックライト、母はデュプリシト。母は前年の秋に日本へ着く予定だったが、好景気で繁殖牝馬の輸入が立て込み、成田の検疫所が詰まって、実際に海を渡ったのは翌年の二月だった。腹にはすでにこの仔がいた。アメリカで宿し、日本で生まれる。だから内国産の持込馬として扱われ、外国産馬には閉ざされていたクラシックへの道が開いていた。 西山牧場は1966年、西山正行が開いた。生産と所有を兼ねるオーナーブリーダーで、一時は日本一の面積を抱えた大牧場である。それでもGIのタイトルだけが無かった。ときおり大穴を運んでくる馬を出すので、「穴馬製造牧場」という陰口も届いていた。正行の息子・茂行が改革に着手し、屋根付きの馬場を建て、新しい知見を持つ獣医を雇い、繁殖牝馬を入れ替えていく。デュプリシトは、その改革のために約二億円でアメリカから買い付けた受胎済みの四頭のうちの一頭だった。 生まれた仔は、しかし平凡だった。その四頭が産んだ四頭のなかで、評価は下から二番目。病気もせず順調に育ったが、脚ばかり長く、体は薄い。牧場は毎年、その年の生産馬を収めたアルバムを作る。主だった馬の写真が並ぶそのページに、この牝馬の枠は与えられなかった。 名は、冠名の「ニシノ」に「フラワー」を継いで、ニシノフラワーとなった。 厩舎はなかなか決まらなかった。生後一か月のころから調教師が三人検分に訪れ、三人とも細さを嫌って去っている。四人目が、栗東の松田正弘だった。松田もためらった。後年、彼はこう振り返っている。「くしゃみをすると、その勢いで倒れてしまいそうだった」[^1]。それでも松田は引き受けた。理由はうまく説明のつかない直感で、母の父がダンジグであることと、皮膚が薄いことを、あとから理屈として足したのだという。牝馬をあまり預かってこなかった調教師が、この一頭だけは手元に置いた。
出典:ウィキペディア日本語版「ニシノフラワー」(松田正弘の回顧として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/ニシノフラワー 、閲覧日:2026年8月3日。
札幌の夏
デビューは遅れた。調教の負荷が上がると両前脚にソエ——管骨の骨膜炎が出て、目一杯の追い切りができなくなる。当初予定していた六月の新馬戦を見送り、脚元に優しいダートを選んで、1991年7月7日、札幌の1000メートルでゲートに入った。鞍上は佐藤正雄。四番人気だった。好スタートからハナを切り、そのまま後ろを寄せつけない。四馬身差の初勝利である。 三週間後、同じ札幌の芝1200メートルに戻ってきた。札幌3歳ステークス——当時は馬齢の数え方が今と違い、この夏の彼女は三歳、現在の二歳にあたる。この頃の札幌の夏は「この中にダービー馬がいる」と新聞が書き立てるほどの舞台で、シンボリルドルフ産駒のハギノグランドールが一番人気に推されていた。ニシノフラワーは1枠1番、四番人気。前半のハロンが十一秒台から十秒台へ落ちていく激しい流れを、逃げ馬のすぐ後ろで追った。三コーナーで四番手、四コーナーでは二番手。直線は内から抜け出して、後続に三馬身半をつけた。時計は1分10秒5。コースレコードだった。 この日、一番人気のハギノグランドールに跨って四着に終わった騎手の名を、書きとめておきたい。河内洋。「牝馬の河内」と呼ばれた関西の名手である。彼はこの夏、ニシノフラワーの背中を後ろから見ていた。 勝った側にも、長い時間が流れていた。佐藤正雄はデビュー二十三年目。1971年に優駿牝馬(オークス)で人気薄を三着に持ってきたことはあったが、重賞はひとつも勝てないまま、騎乗数は年々細っていた。四十を越えたベテランの、初めての重賞である。「もう勝負服を脱いでもいいくらい」[^1]。喜びは、そういう言葉になって出た。
出典:ウィキペディア日本語版「ニシノフラワー」(佐藤正雄の談話として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/ニシノフラワー 、閲覧日:2026年8月3日。
暮れの阪神、初めての叩き合い
秋。デイリー杯3歳ステークスは、佐藤が騎乗停止のため田原成貴が代役に立った。好位から抜け出して三馬身半、これも独走だった。 十二月一日、阪神3歳牝馬ステークス。この年から番組が改まり、暮れの二歳GIは東西の別ではなく牡と牝で分けられた。二歳牝馬だけのGIが日本に置かれた、その第一回である。舞台は改修されたばかりの阪神の芝1600メートル。直線に坂が新設され、翌春の桜花賞とまったく同じコースだった。騎乗停止の明けた佐藤が戻り、十九歳の息子を競馬場に呼んで、単勝1.9倍の一番人気で臨む。 道中は楽ではなかった。向正面で外から圧力を受け、進路を失って手綱を控える。位置は八番手まで下がった。走る気の勝った馬にとって、この種のブレーキは折り合いを壊しかねない。佐藤はそこで馬を宥め、三コーナーでは三番手あたりまで押し上げ直していた。四コーナーで逃げたファンドリエバートが失速し、代わってユートジェーンが抜け出す。ニシノフラワーはすぐには動かない。坂に入ってから並びかけ、かわした。背後からはサンエイサンキューとシンコウラブリイが迫ってくる。それまで三馬身以上をつけて勝ってきた馬の、初めての叩き合いだった。四分の三馬身、譲らなかった。 四連勝でのGI制覇である。松田正弘は開業十六年目で、佐藤正雄は四十三歳で、そして西山牧場は開場から四半世紀を経て、それぞれ初めてのGIを手にした。細いと言われた一頭が、三人ぶんの「初めて」を同じ日に配って歩いた。 年度表彰では、最優秀3歳牝馬に176票中176票の満票で選ばれた。世代の実力を負担重量に見立てたフリーハンデの数字は56。同じ数字を与えられた牡馬は、無敗で朝日杯3歳ステークスを勝ったミホノブルボンだけだった。
託された手綱
明けて1992年。当時の呼び方では、この春の彼女は四歳——現在の三歳である。桜花賞の権利は賞金で足りていたから、三月のチューリップ賞はただの叩き台だった。単勝1.2倍。 ところが道中で外から寄られて位置を下げ、三コーナーでは中団、四コーナーでは八、九番手まで沈む。直線でようやく進路を見つけたときには、アドラーブルが独走に入っていた。三馬身半差の二着。初めての敗戦だった。 敗因は不利の連続で、力ではない。周囲はそう見た。だが佐藤の受けとめは違った。彼は自ら鞍を降りることを申し出て、後任まで自分で探している。「これは桜花賞に乗るのは荷が重いなと思って、交替を申し出たんです」[^1]。選んだのが河内洋だった。メジロラモーヌ、アラホウトク、アグネスフローラ——河内はすでに桜花賞を三度勝っている。そしてこの年に限って、桜花賞に乗る馬を持っていなかった。チューリップ賞で彼が跨っていたタケノベルベットは三着で、二着までに与えられる優先出走権に届かなかったからである。前の夏、札幌でこの牝馬に先着された男が、こうして同じ馬の背に回った。 四月十二日、桜花賞。輸送で十二キロ減り、デビュー以来もっとも軽い420キロでの出走になった。前半の800メートルが47秒1という速い流れで、彼女は三番手から五、六番手へ下げて我慢する。動いたのは三コーナーを過ぎてから。四コーナーでは逃げるウィーンコンサートに馬体を並べ、直線を向くと同時に先頭へ出た。半馬身後ろにアドラーブルがいる。振り切った。最後の400メートルが12秒9、13秒2と落ちていく消耗戦のなか、三馬身半。前哨戦の借りを、同じ相手から利息をつけて取り返した。 河内の桜花賞四勝目であり、松田と西山牧場にとっては初めてのクラシックだった。
出典:ウィキペディア日本語版「ニシノフラワー」(佐藤正雄の述懐として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/ニシノフラワー 、閲覧日:2026年8月3日。
二冠の代わりに
前例が期待を膨らませた。最優秀3歳牝馬に選ばれて桜花賞も勝った馬は、それまでに三頭。テスコガビー、テイタニヤ、メジロラモーヌ。三頭とも続く優駿牝馬(オークス)を勝ち、牝馬二冠になっていた。 だが桜花賞のあと、馬は食が細った。420キロは限界の目盛りだったのである。陣営は前哨戦を使わずオークスへ直行し、体を戻すことに専念した。当日は八キロ増やして臨んだが、仕上がりは途上のままだった。一番人気。四コーナーでは先頭集団にいて、直線に入るなり先頭へ出る。そこまでは思い描いたとおりで、そこから先が続かない。府中の長い直線で失速して七着。勝ったのはアドラーブルだった。 秋。ローズステークスは一番人気で四着。エリザベス女王杯は、当時まだ2400メートルで争われる牝馬三冠の最終戦だった。六番人気まで評価を落とし、四コーナーでは中団より後ろにいる。それでも直線で伸び、二着のメジロカンムリにハナ差まで迫って三着に入った。勝ったのは十七番人気のタケノベルベット——春に河内が跨り、二着に入れなかったあの馬である。距離に限界があったことを河内は認め、松田は典型的なマイラーだったと振り返っている。 年内にもう一戦、と陣営は考えた。ただ、どこへ出すかが決まらない。長距離の有馬記念は真っ先に消えた。残ったのは同じ十二月二十日に組まれた二つ——中山の1200メートルで一線級の古牡馬が集まるスプリンターズステークスと、阪神の牝馬限定・ハンデ戦である阪神牝馬特別。悩みぬいた末、陣営は両方に登録し、判断を自分たちではなくハンデキャッパーに委ねた。阪神牝馬特別の斤量が55キロ以下なら阪神へ、56キロ以上なら中山へ。 本番の週の水曜日、答えが出た。56キロ。
大外、あと一完歩
中山の芝には、この暮れから冬でも枯れない洋芝が混ぜられていた。師走の直線に、まだ緑が残っている。 ゲートが開く。二ハロン目が十秒台に入り、1200メートルという距離が持つ最も速い部分を、先行した牡馬たちが削り合っていく。ひと月前に2400メートルを走ってきたばかりの牝馬に、その流れは速すぎた。河内は促した。前へ寄せようとして、寄らない。三コーナーを回るとき、彼女は十六頭のうち十二番目にいる。 四コーナー。前は壁だった。内から中ほどまで馬が並び、空いているのは大外だけである。河内はそこへ持ち出した。前とは、まだ遠い。 坂の下で、先に動いた者たちの脚が鈍りはじめる。速すぎた前半の代償が、一斉に請求されていた。最内からヤマニンゼファーが抜け出す。五十七キロを背負った古馬の牡馬が坂を上り切り、単独の先頭に立った。決着したように見えた。 ニシノフラワーは、いちばん外を走っていた。五十三キロ。前の脚が止まるぶんだけ、差が詰まる。詰まるが、ゴール板は近い。残りは、もう数完歩しかない。 最後の一完歩ぶんだけ、間に合った。クビ差。
一年後の三着
1990年にGIへ格上げされて三年目のスプリンターズステークスだった。「電撃の六ハロン」と呼ばれるこの一戦を制した当時の四歳牝馬——いまの数え方なら三歳の牝馬は、彼女が初めてである。河内にとっては、前年のダイイチルビーに続く二年連続の戴冠でもあった。年度表彰では、最優秀4歳牝馬と最優秀スプリンターを二つとも受け取っている。 年が明けて二月、阪神のマイラーズカップで再びヤマニンゼファーと出会う。牝馬に与えられる斤量の恩恵は二キロだけに縮んでいた。今度は逃げ馬のすぐ後ろ、三番手。ヤマニンゼファーは彼女の背後でマークしている。直線、追いかけたのは向こうだった。並ばせないまま三馬身半を突き放す。暮れの中山とは、前と後ろが入れ替わっていた。重賞六勝目である。 春の二戦は噛み合わなかった。この年から国際競走になった安田記念は一番人気で、馬群のなかで掛かり、ぶつけられて十着。宝塚記念も道中で掛かって八着だった。 秋、力関係が静かに入れ替わる。スワンステークスでは、二年前の阪神3歳牝馬ステークスで三着に退けていたシンコウラブリイに、初めて人気で下回った。結果も三着。不良馬場のマイルチャンピオンシップでは三コーナーの下りでのめるように走り、十三着に沈む。そのレースを勝ったシンコウラブリイは、それを最後に現役を退いている。 十二月十九日、連覇のかかったスプリンターズステークス。三番人気。中団から追ったが、一年前と違って前が止まらない。サクラバクシンオーが勝ち、ヤマニンゼファーが続き、彼女はその四分の三馬身後ろの三着だった。これが最後の一戦になった。 翌1994年一月九日、阪神競馬場で引退式が行われた。河内が跨った。ゼッケンは9——桜花賞の日と同じ番号だった。
クビ差の幅
引退後は西山牧場へ戻り、繁殖牝馬になった。十一頭を産み、うち七頭が勝ち上がっている。初仔のニシノセイリュウはデビューから二連勝で若駒ステークスを勝ち、皐月賞へ駒を進めた。半妹ニシノタカラヅカの産駒ネロは、京阪杯を二年続けて勝つスプリンターになる。速さは、一族に確かに流れていた。 九番仔のニシノマナムスメは、父にアグネスタキオンを迎えて生まれた。新馬から預かったのは、騎手を退いて調教師になった河内洋である。河内はこの牝馬を三連勝でオープンまで引き上げた。そして2008年四月十九日、阪神の芝1600メートル——母が十五年前に三馬身半突き放して勝ったマイラーズカップに、娘が八番人気で出走する。直線で先頭のカンパニーに並びかけ、並んだままゴール板を通過した。クビ差の二着。母仔制覇は、首の長さぶん届かなかった。 同じ幅である。1992年の暮れ、母はクビ差だけ前に出て、五十七キロを背負った古馬から一つの季節を奪った。2008年の春、娘はクビ差だけ後ろで、母の勝ったレースを取り逃した。跨るほうから預かるほうへ回った河内洋は、そのどちらの首の長さにも立ち会っている。彼は2003年に鞍を置き、2005年に厩舎を構え、2025年三月の定年まで調教師を務めた。競馬という競技は、一頭ぶんの首の長さで、人を何十年もつなぎ止める。 血は下へ流れた。曾孫にあたるニシノデイジーは2018年に札幌2歳ステークスを勝っている。曾祖母がレコードで抜け出した、あの札幌の重賞である。その馬はのちに障害へ転じ、2022年と2024年の中山大障害を勝った。ニシノフラワー自身は2020年二月五日、西山牧場で老衰により死んだ。三十一歳だった。 三人の調教師が細すぎると言って背を向け、四人目がためらいながら引き受けた馬である。その一頭が、牧場に最初のGIを、厩舎に最初のGIを、四十三歳の騎手に最初のGIを運んできた。牧場のアルバムに、その年の写真は無い。くしゃみで倒れてしまいそうだと言われた牝馬の姿は、代わりに師走の中山のいちばん外側に、一頭ぶんの首の幅で残っている。
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