名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
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名馬録

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ノーリーズンのイメージビジュアル
ノーリーズンNo Reason
No Reason

ノーリーズン

通算成績12戦3勝

獲得賞金18,601万円

生年月日 1999.06.04(平成11年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ノーリーズンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 GIII朝日チャレンジカップ 阪神 芝2000 4人気 安藤勝己 2:02.2 上り33.7
4 GII阪神大賞典 阪神 芝3000 3人気 小牧太 3:06.6 上り35.2
5 GII京都記念 京都 芝2200 2人気 武豊 2:16.8 上り34.8
6 GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 蛯名正義 2:33.7 上り35.6映像
8 GIジャパンカップ 中山 芝2200 4人気 蛯名正義 2:13.0 上り36.0映像
GI菊花賞 京都 芝3000 1人気 武豊 映像
2 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 2人気 武豊 1:59.5 上り35.0映像
8 GI東京優駿 東京 芝2400 2人気 蛯名正義 2:26.9 上り35.6映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 15人気 B.ドイル 1:58.5 上り35.0映像
7 OP若葉S 阪神 芝2000 2人気 福永祐一 2:02.4 上り35.7
1 こぶし賞 京都 芝1600 2人気 武豊 1:35.5 上り35.6
1 3歳新馬 京都 芝1800 2人気 武豊 1:50.2 上り36.2

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ノーリーズンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ブライアンズタイムBrian's TimeRobertoHail to Reason
Bramalea
Kelley's DayGraustark
Golden Trail
アンブロジンAmbrosineMr. ProspectorRaise a Native
Gold Digger
バラダBaradaDamascus
Courtly Dee
STORY

旅程 — この馬の物語

1999年生まれの鹿毛の牡馬。父ブライアンズタイム、母アンブロジン。主な勝ち鞍は皐月賞。

新冠の鹿毛

1996年、1頭の繁殖牝馬がドバイのシェイク・モハメドから譲り受けられ、日本へ渡ってきた。アンブロジンという。父はミスタープロスペクター、母はバラダ。そのバラダの母コートリーディーは、1983年にアメリカの年度代表繁殖牝馬に選ばれた牝馬である。 3年後の1999年6月4日、北海道新冠のノースヒルズマネジメントで、アンブロジンが鹿毛の牡馬を産んだ。父はブライアンズタイム。ノーリーズンという名がついた。No Reason——理由がない、という意味の言葉である。 馬主は前田晋二。ノースヒルズを率いる前田幸治の弟で、このときはまだGIを勝ったことがなかった。預けられたのは栗東の池江泰郎厩舎である。騎手時代を「逃げの池江」と呼ばれ、八大競走にはついに手が届かなかった人が、調教師に転じてメジロマックイーンステイゴールドを手がけていた。 2002年1月5日、京都の芝1800メートル。鞍上は武豊だった。2番人気に応えて1分50秒2で勝ち、ひと月後のこぶし賞も同じ手綱で勝つ。デビューから2連勝である。 アンブロジンの仔は、ほかにもいた。3つ上の半姉サンタムール。2つ下の半弟グレイトジャーニーは、兄と同じ池江厩舎に入り、のちにシンザン記念を勝つことになる。

抽選

3戦目に選んだのは、皐月賞トライアルの若葉ステークスだった。2着までに入れば、本番への優先出走権が手に入る。 若葉ステークスの鞍上は福永祐一だった。武豊はこの年、落馬骨折で長く乗れない時期を挟んでいる。結果は11頭立ての7着、勝ち馬から0秒9離された。優先出走権は取れなかった。皐月賞への出走は、抽選待ちになる。 その抽選に、当たった。 鞍上に決まったのはブレット・ドイルだった。1988年にイギリスで免許を取り、その後は香港を拠点にしていた騎手である。2月20日から4月19日までの短期免許で来日し、2月23日の中山が中央での初騎乗。3月8日にアイマストウインで初勝利を挙げていた。ノーリーズンに跨るのは、この日が初めてになる。 4月14日、中山、18頭立て。単勝は115倍を超えた。15番人気だった。

1分58秒5

晴れていた。芝は良。 ゲートが開くと、メジロマイヤーとダイタクフラッグの2頭が前へ出た。最初の200メートルが12秒0、次の200メートルが10秒9。立ち上がりから速い流れになった。ノーリーズンは10番手あたりにいた。 1コーナー、2コーナー。位置は動かない。向正面でも動かない。前の2頭は逃げ止まる気配がなく、後ろの馬たちも詰めにいかない。3コーナーを回るとき、この馬はまだ9番手あたりにいる。 そこから、200メートルごとの時計が11秒8、11秒7、11秒7と続いた。長い区間が速いまま流れていく。こういうレースでは、前を行く馬に余力が残る。後ろで脚を溜めた馬は、追い出す場所を失う。 ドイルは、その区間で押し上げた。4コーナーを回るときには6番手あたりまで来ている。 直線。逃げたダイタクフラッグはまだ止まらない。後ろではタニノギムレットが追い出されていた。この日のタニノギムレットは、最後の600メートルをレース全体より1秒速く走っている。それでも、4コーナーではまだ14番手あたりにいた。 残り400メートルからの200メートルで、隊列の時計が12秒2まで鈍った。脚が上がる区間である。そこでノーリーズンが前へ出た。最後の200メートルは11秒9。鈍ったのは前を行く馬たちのほうだった。 1馬身3/4の差がついた。2着タイガーカフェ、3着タニノギムレット、4着ダイタクフラッグ——2着から4着まではハナ、アタマの差で固まっている。抜け出したのは1頭だけだった。 時計は1分58秒5。ナリタブライアンが持っていた皐月賞のレコードを、0秒5縮めていた。

1万1590円

単勝の払戻は1万1590円だった。皐月賞で単勝が万馬券になったのは、この一度きりである。2着にも8番人気のタイガーカフェが入り、馬連は5万3090円になった。 勝った騎手も、2着の騎手も、外から来た人だった。ドイルは中央のGIに初めて騎乗して初めて勝ち、タイガーカフェのミルコ・デムーロがその後ろにいた。前田晋二にとっては、初めての大レースである。 ところが、ドイルは日本ダービーの鞍上に座らなかった。ダービー騎乗を依頼されて短期免許を延長しながら、4月27日からの騎乗を急に取りやめ、帰国したのである。以後、日本では乗っていない。皐月賞は、この人が日本で勝った唯一のGIになった。 ダービーの鞍上は蛯名正義になる。2番人気に推されたが、直線の坂で伸びずに8着。勝ったのは、皐月賞で3着だったタニノギムレットだった。レースのあとで軽い骨折が見つかり、ノーリーズンは休みに入る。

一完歩

秋、鞍上に武豊が戻った。 9月22日、阪神の神戸新聞杯。ダービーのあとの骨折から明けた、復帰戦である。2番人気に推され、勝ったシンボリクリスエスから2馬身半差の2着。走れる状態にあることは、それで分かった。 10月20日、京都。菊花賞。 ダービー馬タニノギムレットは屈腱炎で秋を待たずに引退していた。神戸新聞杯を勝ったシンボリクリスエスは、菊花賞ではなく天皇賞(秋)へ向かった。世代の上位が2頭とも消え、残った皐月賞馬に支持が集まる。単勝2倍5分。12戦のうち、この馬が1番人気になったのは、この一度だけである。 雨が降っていた。芝は良。3枠6番。 ゲートが開いた。出た直後に、前のめりに躓いた。武豊が落ちた。競走中止である。 このレースを伝えた関西テレビの馬場鉄志は、のちにこの一言を自分の代表的な実況のひとつとして挙げている。「あっ、ノーリーズン落馬だ!」[^1]。誰よりも早く気づいた、と本人は言う。 この馬から買われた馬券は、菊花賞の売り上げのおよそ半分——110億円あまりにのぼったと報じられている。それが、数秒で無効になった。人にも馬にも怪我はなかった。 勝ったのは10番人気のヒシミラクル、2着に16番人気のファストタテヤマ。馬連は9万6070円で、半年前にこの馬自身が作った波乱を上回った。 皐月賞はドイル、ダービーは蛯名、菊花賞は武豊。3つの冠のすべてで鞍上が違う皐月賞馬になった。そして勝ったのは、武豊が乗らなかった1つだけである。

出典:Number Web「『あっ、ノーリーズン落馬だ!』『え~っ!』競馬実況アナウンサーが語る名ゼリフが生まれる瞬間」2020年10月10日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/845361 、閲覧日:2026年8月2日。

屈腱炎

その秋はまだ続いた。東京競馬場の改修で中山に舞台を移したジャパンカップは8着。暮れの有馬記念は稍重の馬場で6着。どちらも蛯名が乗った。 4歳になり、京都記念は武豊が乗って5着、阪神大賞典は小牧太で4着。順位は上がってこない。天皇賞(春)へ向けて乗り込んでいる最中に、屈腱炎が出た。 戻ってくるまで1年半かかった。2004年9月11日、阪神の朝日チャレンジカップ。鞍上は安藤勝己。11頭立ての11着だった。レースのあと、また屈腱炎が出る。9月17日、競走馬登録が抹消された。12戦3勝。勝ったのは新馬とこぶし賞、そして皐月賞である。 2005年から優駿スタリオンステーションで種牡馬になった。産駒がデビューした2008年は、1頭も勝ち上がらなかった。翌年の種付けは2頭。2010年1月1日付で用途変更となる。GI馬が種牡馬でいられたのは5年だった。産駒のなかでは、キスミープリンスが鎌倉記念を、コスモノーズアートが九州ダービー栄城賞を勝っている。池江泰郎のほうは、この3年後にディープインパクトで三冠を勝った。 血が途切れたわけではない。3つ上の半姉サンタムールの孫にワンアンドオンリーが出て、2014年の東京優駿を勝つ。生産はノースヒルズ——ノーリーズンと同じ牧場である。 馬主のもとにも、あとから馬が来た。2013年の東京優駿を勝ったキズナは前田晋二の所有で、鞍上は武豊だった。2020年にはコントレイルが無敗の三冠を取る。その鞍上の福永祐一は、18年前の若葉ステークスでノーリーズンに乗った騎手でもあった。皐月賞、東京優駿、菊花賞。ノーリーズンが1つだけ勝ち、1つは8着に終わり、1つはゲートを出た直後に終わった3つを、同じ馬主の馬が18年後にまとめて持っていったことになる。

烏崎の砂

2010年12月、この馬は福島県南相馬市の松浦ライディングセンターへ移った。引退名馬けい養展示事業の助成を受ける功労馬としてである。もう乗馬だった。 3か月後に、3月11日が来る。 地震のあと、原発の事故で自主避難の対象区域になり、ノーリーズンは一時、宇都宮大学へ避難した。南相馬へ戻り、2014年11月、同じ市内の鹿頭ステーブルに入る。代表の鹿頭芳光は、そこから亡くなるまでの10年近くを、この馬と過ごした。 来たときの気性は険しかったという。人を噛み、ほかの馬にも当たりが強い。相馬野馬追に使う予定があり、人に怪我をさせては申し訳ないというので、すぐに去勢した。 相馬野馬追は千年以上続く神事である。3日間の行程の2日目、400騎の騎馬武者が街を進む「お行列」から始まり、祭場地では甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる。神旗争奪戦では、打ち上げられた花火から落ちてくる2本の御神旗を、馬上の武者たちが奪い合う。 祭りが近づくと、鹿頭は2か月前から乗り込みを始めた。午前3時半に馬房へ行き、4時ごろ出発する。調教は市内の烏崎海公園で、砂浜を30分から40分。1キロ以上ある浜を、ゆっくりとはいえ2往復か3往復する。戻って馬を洗い、手入れをして飼葉をやると、もう6時になっている。そこから鹿頭は仕事へ出た。 野馬追は和鞍で乗るぶん、普通の乗馬より難しい。鹿頭は独学で馬乗りを覚えた人である。その鹿頭とノーリーズンで、御神旗を2本取った。息子も1本取っている。 去勢して2、3年が経つころには、子どもでも乗れるようになっていたそうだ。物覚えがよく、物怖じせず、乗りやすく、悪いこともしない。それが鹿頭の評価だった。 2020年、感染症の流行で野馬追が中止になる。それを境に、神旗争奪戦には出なくなった。2年ぶりに通常開催となった2022年は、お行列だけに加わる。20歳を越えていたし、24歳で引退させると決めていたからである。 2024年5月7日、鹿頭ステーブルで息を引き取った。25歳。その月の末に、野馬追が開かれた。 馬を飼うのには金がかかる。5頭積める大型の馬運車まで持てば、維持費もかかる。そのうえで、鹿頭はこう言った。「俺たちはそこまで懸けてやってるんですよ、野馬追が好きで」[^1] 中山で万馬券をつけて勝った理由も、京都でゲートを出た直後に躓いた理由も、24年経ったいまも誰にも説明できていない。この馬の競走生活は、説明のつかない数分を2つ抱えている。名前のとおりだった、と言うほかない。けれど南相馬に、理由は要らなかった。12戦で6人の騎手が乗った背に、いちばん長く跨ったのは、独学で馬を覚えた男である。 午前4時、まだ暗い浜へ2人で出ていって、波打ち際を何度も往復した。そうして迎えた夏の午後、花火の下へ落ちてくる御神旗の真下まで、その背は2度、鹿頭を運んでいる。

出典:テレ東スポーツ「ノーリーズン『野馬追でも活躍した衝撃の皐月賞馬』【もうひとつの引退馬伝説】」2026年4月19日配信、https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2026/04/041563.html 、閲覧日:2026年8月2日。

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