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ライスシャワー
通算成績25戦6勝
獲得賞金6億6,686万円
生年月日 1989.03.05(平成元年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中 | GI宝塚記念 | 京都 芝2200 | 3人気 | 的場均 | — | 映像 | ||
| 1 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 4人気 | 的場均 | 3:19.9 | 上り36.0 | 映像 | |
| 6 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 1人気 | 的場均 | 2:42.3 | 上り38.5 | — | |
| 6 | GII京都記念 | 京都 芝2200 | 1人気 | 的場均 | 2:12.5 | 上り35.1 | — | |
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 的場均 | 2:33.1 | 上り35.3 | 映像 | |
| 2 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 2人気 | 的場均 | 2:32.8 | 上り36.8 | — | |
| 5 | GII京都記念 | 阪神 芝2200 | 2人気 | 的場均 | 2:18.3 | 上り38.3 | — | |
| 8 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 5人気 | 的場均 | 2:32.1 | 上り35.9 | 映像 | |
| 14 | GIジャパンカップ | 東京 芝2400 | 7人気 | 的場均 | 2:25.9 | 上り37.4 | 映像 | |
| 6 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 1人気 | 的場均 | 1:59.6 | 上り36.8 | 映像 | |
| 3 | GIII産經賞オールカマー | 中山 芝2200 | 1人気 | 的場均 | 2:13.6 | 上り35.0 | — | |
| 1 | GI天皇賞(春) | 京都 芝3200 | 2人気 | 的場均 | 3:17.1 | 上り36.3 | 映像 | |
| 1 | GII日経賞 | 中山 芝2500 | 1人気 | 的場均 | 2:35.8 | 上り34.9 | — | |
| 2 | GII目黒記念 | 東京 芝2500 | 2人気 | 的場均 | 2:32.8 | 上り36.6 | — | |
| 8 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 2人気 | 的場均 | 2:34.1 | 上り35.1 | 映像 | |
| 1 | GI菊花賞 | 京都 芝3000 | 2人気 | 的場均 | 3:05.0 | 上り46.6 | 映像 | |
| 2 | GII京都新聞杯 | 京都 芝2200 | 2人気 | 的場均 | 2:12.2 | 上り47.5 | — | |
| 2 | GIIセントライト記念 | 中山 芝2200 | 3人気 | 田中勝春 | 2:13.6 | 上り36.9 | — | |
| 2 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 16人気 | 的場均 | 2:28.5 | 上り37.6 | 映像 | |
| 8 | GIINHK杯 | 東京 芝2000 | 9人気 | 的場均 | 2:03.4 | 上り36.3 | — | |
| 8 | GI皐月賞 | 中山 芝2000 | 11人気 | 的場均 | 2:02.8 | 上り38.0 | 映像 | |
| 4 | GIIフジTVスプリングS | 中山 芝1800 | 12人気 | 柴田政人 | 1:51.7 | 上り38.5 | — | |
| 1 | OP芙蓉S | 中山 芝1600 | 2人気 | 水野貴広 | 1:36.1 | 上り36.7 | — | |
| 11 | GIII新潟3歳S | 新潟 芝1200 | 3人気 | 菅原泰夫 | 1:11.7 | 上り37.0 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 新潟 芝1000 | 2人気 | 水野貴広 | 0:58.6 | 上り34.8 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父リアルシャダイReal Shadai | Roberto | Hail to Reason |
| Bramalea | ||
| Desert Vixen | In Reality | |
| Desert Trial | ||
| 母ライラックポイント | マルゼンスキーMaruzensky | Nijinsky |
| シルShill | ||
| クリカツラ | ティエポロTiepolo | |
| クリノホシ |
旅程 — この馬の物語
1989年生まれの黒鹿毛の牡馬。父リアルシャダイ、母ライラックポイント。主な勝ち鞍は菊花賞・天皇賞(春)・日経賞。
小さな黒鹿毛
1989年3月5日、北海道登別市のユートピア牧場で黒鹿毛の牡馬が生まれた。父はリアルシャダイ、母はライラックポイント。牧場は栗林運輸の会長・栗林英雄が持っていた。 小柄だった。ただ体のつくりのバランスがよく、近隣の牧場から来た人が譲ってほしいと申し出るほどだったという。翌1990年の10月末には千葉県の分場・大東牧場へ移り、育成が始まる。見た目には身体の硬そうな馬に映ったが、跨った担当者は雲の上に乗っているようだと言った。馴致に手のかかるところはひとつもなく、仕上がりはいつも他の馬より先を行った。 その大東牧場は、英雄の父・栗林友二が興した牧場である。友二は1943年、クリフジで東京優駿と京都農商省賞典四歳呼馬を勝った。1952年には自身の牧場で生まれたクリノハナが皐月賞と東京優駿を制している。クリノハナと父も母も同じ牝馬がクリノホシで、ライスシャワーの三代母にあたった。母系をたどれば、この小さな黒鹿毛は栗林家が半世紀かけて重ねてきた血の先端にいたことになる。母ライラックポイントは39戦4勝、1982年の優駿牝馬にも出走した。その産駒には1989年のフラワーカップで2着に入ったクリダリア、4勝を挙げたライラックスマイルがいる。 1991年3月23日、茨城県の美浦トレーニングセンター、飯塚好次厩舎に入った。4月4日に「ライスシャワー」と登録される。結婚式で新郎新婦に降りかかる米のように、この馬に触れる人すべてに幸福が訪れるように、という願いが込められていた。飯塚は、牡馬にしては小さくて大物という感じはしなかった、ただ体型のバランスがいいのでうまくいけば中堅どころまでは行くかと思った、と後に語っている。担当厩務員になった川島文夫は、その小ささを見て、期待より不安のほうが大きかったという。 7月に熱発があって札幌のデビューは見送られ、初戦は8月10日の新潟、芝1000メートルになった。鞍上は同じ厩舎の若手・水野貴広。先行して、直線でダイイチリュモンをクビ差だけ抑え込んだ。 二戦目の新潟3歳ステークスは、水野が前日に騎乗停止となって菅原泰夫が代役に立った。スタートで遅れ、馬群の内に包まれたまま11着。菅原は、短いところで忙しい競馬をするより長い距離でじっくり勝負するタイプだと言い残している。三戦目の芙蓉ステークスは格上挑戦で、水野が戻り、直線の入口で先頭に立ってアララットサンとの競り合いを制した。二勝目である。 そのレースのあと、右前脚の骨折が見つかった。全治三か月と診断された。
断った男
1992年3月29日、中山のスプリングステークスで戻ってきた。若い水野には荷が重いという判断で、鞍上はベテランの柴田政人。的場均にも声はかかっていたが、先約があるという理由で断られていた。 このレースを2着に7馬身差をつけて勝ったのがミホノブルボンである。ライスシャワーは12番人気の4着だった。柴田は、いまは差が決定的だが、体が良くなって距離が延びればかなりのところまで行く馬だ、この一回きりで乗らなくなるのが惜しい、と述べている。 皐月賞から的場が乗った。11番人気。最終コーナーの手前で失速して8着。トライアルのNHK杯も8着。的場は、最初から過度の期待はしていなかった、相手の力と比べればこのままでは本番も苦しいと考えていた、と振り返っている。 5月31日、東京優駿。18頭立ての16番人気だった。ところが最終追い切りで的場は状態の上向きを感じ取り、いい位置で粘りきることがこの馬の力を引き出す一番の方法だと考える。逃げるミホノブルボンに続く二番手。四コーナーを回るまで、その位置を動かなかった。 稍重の直線でブルボンとの差は詰まらない。後ろから伸びてきたマヤノペトリュースに一度は交わされ、そこから差し返してゴールした。勝ち馬から4馬身、三着とはハナ差の2着である。ライスシャワーの複勝は1990円、二頭の組み合わせの馬連には2万9580円がついた。 直後の的場は、すべてがうまく運んで2着に入ったのだと思っていたという。ただ、日が経つほどに、この馬であのミホノブルボンに三冠最後の一戦で立ち向かいたい、という気持ちが強くなっていった。春に一度断った男が、そこから降りなくなった。
十二万人が待っていた三冠
秋の復帰戦となったセントライト記念に、的場は乗っていない。函館でインターマイウェイに騎乗する先約があり、田中勝春が代わりを務めた。先行したレガシーワールドを三コーナーから捉えにいって、アタマ差届かずの2着。飯塚は不快感を示し、乗り替わりの話まで出たが、それを知った的場が謝りに行って収まった。この馬はもう必要な教育ができているから誰に手綱を譲っても安心だが、若い馬はそうはいかない、先々を考えて選んだのだ、というのが的場の説明だった。ただ、函館のテレビでその2着を見ながら、夏を越して体が逞しくなった、望みはある、とも思ったという。 京都新聞杯では的場が戻り、ブルボンから1馬身半差の2着。四度目の対戦で、四度目の敗北だった。それでも本番は3000メートルになる。的場も飯塚も、そこでの逆転に自信を深めていった。レースのあと的場は、オーナーの栗林英雄の夫人・育子に、逃げ馬のキョウエイボーガンさえ出てくればブルボンを負かせる可能性がある、と話しかけている。ふだん馬主に自分から親しく声をかける人ではなかったから、育子は驚いたという。 11月8日、京都競馬場に12万人が入った。史上五頭目、無敗では二頭目の三冠がかかるミホノブルボンが単勝1.5倍。ライスシャワーは7.3倍の二番人気だった。 宣言どおりキョウエイボーガンが飛び出し、ブルボンは競り合いを避けて二番手につけた。最初の1000メートルは59秒7。3000メートルの競走としては異例の速さで、馬群は縦に伸びる。ライスシャワーは五番手にいた。 中盤、ラップは13秒台へ落ちた。13秒1、13秒1、13秒2、13秒3、13秒0。五ハロン続けて時計がかかり、そのあいだ隊列はほとんど動かない。二周目の三コーナーを回ってもライスシャワーの位置は変わらなかった。四コーナーで力尽きたキョウエイボーガンをブルボンがかわして先頭に立ち、ライスシャワーはその後ろの一団で直線を向いた。 そこからの三ハロンが、11秒6、11秒8、11秒6。3000メートルを走ってきた馬たちの刻む数字ではない。残り100メートルでライスシャワーが前に出て、1馬身1/4差をつけた。3分5秒0は、芝3000メートルの日本レコードだった。 重賞は初勝利で、それがクラシックだった。飯塚にとっては初めてのGIでもある。そして栗林英雄は、1943年にクリフジで京都農商省賞典四歳呼馬を勝った父・友二に続いて、父子二代でこの競走のオーナーになった。的場は、人馬ともブルボンを負かしてやろうという気持ちでいた、それが実って嬉しいと語っている。 ただ、競馬場の空気は違った。栗林育子は、拍手もなく、ブーイングのような雰囲気だったと振り返っている。12万人が見に来たのは、三冠だった。
三分十七秒一
年末の有馬記念は二番人気で8着。的場は、後方にいたトウカイテイオーの不調に気づかず仕掛けが遅れた、自分が乗ったなかでこの馬に最も失礼なレースだったと書いている。 明けて1993年は、春の天皇賞ひとつに狙いを定めた。始動戦の目黒記念は59キロ。的場は、天皇賞を獲るには自力で勝負できる格が要ると考え、菊花賞3着のマチカネタンホイザを自分から追いかけて差しにいく競馬を試した。結果は2馬身半離された2着。仕上げ途上での中身に、陣営はむしろ納得している。続く日経賞では初めて1番人気に推され、それに応えて勝った。 本番へ向けた調教は苛烈だった。馬を虐め過ぎではないか、メジロマックイーンに勝つ前に馬が潰れる、と揶揄されるほどの追い方をした。当日の馬体重は430キロ。前走から12キロ減らして、ダービーのとき以来の数字まで絞り込んでいた。的場はその日の馬体を、そばに寄ると火を吹かれそうな、馬ではない別の生き物のようだったと形容している。飯塚は、見た目は特別変わらないのに内から溢れ出るものが違う、今日は勝つと初めて確信した、と語った。 相手のメジロマックイーンはこの競走を二連覇していて、三連覇がかかっていた。鞍上の武豊にいたっては、天皇賞(春)を四年続けて勝っている。 4月25日は晴れ、良馬場。メジロパーマーが逃げ、マックイーンがそれを見る位置につき、ライスシャワーはさらにその直後にいた。二周目の三コーナーで四番手。四コーナーでは、その三頭だけが後続を離していた。 直線、残り400メートルから200メートルまでの一ハロンが11秒4。3200メートルを十六に割った区間のうち、いちばん速い。そこでライスシャワーがマックイーンを捉えた。最後の200メートルは12秒6まで落ちている。着差は2馬身半。3分17秒1は、菊花賞に続く二つ目のレコードだった。 勝利騎手インタビューで的場が訊かれたのは、勝った感想ではなく、三連覇を阻止した感想だった。この日から「関東の刺客」「レコードブレイカー」という呼び名が定着する。的場はのちに、自分たちはただ勝ちにいっているのであって、そこに悪役も何もないはずだと書いている。勝つために積み上げる戦略のどれかひとつでも違っていたら勝てない、その中身をこそ見てほしい、と。
行き先が見つからない
放牧を挟んだ秋、オールカマーは1番人気だった。後続を大きく離して逃げたツインターボを最後まで捕まえられず、6馬身近く離された3着。春秋連覇を狙った天皇賞(秋)も1番人気で6着。ジャパンカップ14着、有馬記念8着。 飯塚は当時の状態について、見た目は春とほとんど変わらない、調教も走るし内臓に悪いところもない、それでもどこか足りない、精神的な原因かと考えたがそれが何かは分からない、そういう状態がその季節ずっと続いた、と述べている。 1994年は、関西のほうが合うのではないかという飯塚の考えで、阪神で行われた京都記念から始めた。前年の菊花賞馬ビワハヤヒデの5着。的場は、直線の動きに一瞬あれっと思うところがあった、もうひと追いすれば伸びる予感がした、長いトンネルの出口かとも思った、と振り返っている。関東に戻った日経賞では直線で先頭に立ち、差してきたステージチャンプにハナ差の2着。戻りかけていた。 連覇のかかる天皇賞に向けて栗東に入り、その前の週の調教中に、右前の管骨をまた折った。デビューの年の秋に折ったのと同じ場所である。今度は競走生命が危ぶまれる重傷で、引退と種牡馬入りが検討された。だが長距離以外の実績に乏しいこと、馬体が小さいことが敬遠されて、受け入れる先が見つからない。現役続行が決まった。 故郷のユートピア牧場に帰って療養した。復帰は翌春になると見られていたが、回復は予想より早く、10月の末に厩舎へ戻ってきた。
九か月ぶりの三着
復帰戦は、12月25日の有馬記念になった。前走の日経賞から九か月ぶりの実戦である。この年に三冠を達成したナリタブライアン、当時最強牝馬と呼ばれたヒシアマゾンに続く3着。四番人気だった。 年が明けて、京都記念は60キロ、日経賞は59キロを背負った。どちらも1番人気に推され、どちらも6着に終わる。斤量は響いた。淀のレコードを二つ持っている馬が、二年近く勝っていなかった。 もう終わったのだろう、という見方が、この時期の下馬評だった。
淀の坂を、三コーナーから
1995年4月23日の京都は曇りで、芝は重かった。前哨戦を圧勝したナリタブライアンが回避し、逃げ馬らしい逃げ馬もいない。ライスシャワーは四番人気だった。 ペースは上がらなかった。前を行くクリスタルケイの後ろで馬群は塊のまま、一周目の正面を過ぎ、向正面に入る。 そこで、馬が自分から行きたがった。 的場は迷ったはずである。京都の3200メートルで三コーナーから動くのは、教科書に反する。淀の下り坂を勢いのまま降りて、残り800メートルを先頭で持たせるということだ。しかも馬場は重い。ゴール前で誰かに差される絵が浮かび、負けたときの言い訳まで考えたと、のちに書いている。 それでも仕掛けた。絶好調ならこの乗り方は絶対に選ばない、しかし無難に乗れば着順がいいところで終わる、勝つ確率が少しでも上がるほうに賭けた――そういう判断だった。 三コーナーへ差しかかる一ハロンが11秒8。その前の三ハロンは13秒3、12秒8、12秒4と流れていたから、重い馬場でこの馬だけが別の速さに入ったことになる。三コーナーの通過順は、もう先頭だった。 四コーナーを回っても先頭。直線を向いても先頭。後ろからハギノリアルキングとステージチャンプが、重馬場を苦にせず伸びてくる。ゴール前でステージチャンプが並びかけ、二頭は馬体を重ねたままゴール板を通過した。 写真判定になった。ステージチャンプの蛯名正義は、ゴールの直後に拳を突き上げている。的場は何もしなかった。この人は、大きなレースを勝ってもガッツポーズをしない騎手だった。勝ったのは自分ではなく馬が勝たせてくれたのであり、自分ひとりの勝ちでもなく、何より馬を無事に止めて馬房へ帰すまでがレースだから、というのがその理由だった。 差はハナ。約10センチだけ、ライスシャワーが前にいた。1993年の同じ競走以来、728日ぶりの勝利である。 関西テレビで実況していた杉本清は、判定を待たずに勝ったと伝え、メジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいることだろう、と続けた。二年半前、この馬が三冠を止めた日に拍手のなかった競馬場である。阻んだ相手の名を並べて祝福される勝ち方を、ライスシャワーは自分の脚で手に入れた。
一九九五年六月四日
その年の宝塚記念は、ファン投票の一位に選ばれた。1月の兵庫県南部地震で阪神競馬場が使えず、開催は得意の京都に移っている。ナリタブライアンはここも出走しない。斤量は近走より軽い56キロ。天皇賞の疲れを見て放牧に出す案もあったが、条件が揃いすぎていた。 6月4日、曇り、稍重。三番人気。ゲートが開くと、いつもより後ろにいた。 的場は最初のコーナーを回った時点で、様子がおかしいと感じている。今日は勝つどころではない、慎重に回ってこよう、と考えたという。 三コーナーで、馬は自分からスピードを上げた。その直後に前のめりになり、いったん身体を起こして、倒れた。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折。診療所まで運ぶことができず、その場に幔幕が張られ、安楽死の措置が執られた。 的場は打撲ですんだ。最期を看取り、亡骸を運ぶ馬運車に、深く頭を下げたまま見送っている。厩務員の川島文夫は、手綱を握りしめたまま泣いていたという。
呼び名は人がつけた
7月3日、生まれたユートピア牧場に墓が建った。表に「ライスシャワー ここに眠る」とあり、裏に戦績が刻まれている。1995年度のJRA賞では、特別賞が贈られた。翌1996年の9月には、京都競馬場の職員たちが自分たちで言い出して、遺髪を納めた記念碑を場内に建てている。 亡くなった馬の蹄鉄は、ふつうトレーニングセンターの馬頭観音に納める。飯塚好次は、この馬の蹄鉄だけそうすることができなかった。最後の一戦で着けていた蹄鉄を、その日の京都の土がついたまま手元に置き、いつか自分の棺に入れてもらおうか、と笑って話している。 的場均は2001年の2月に騎手を引退し、翌月から調教師として美浦に厩舎を構えた。ライスシャワーについては、一緒に走っているあいだは無我夢中で気づかなかったが、振り返るほど、馬が人間には計り知れないものをどれだけ持っているかを教えられた気がする、出会う前にそれを分かっていたらもっといい接し方ができたかもしれない、と述べている。 死のあと、この馬を悼む言葉が一気に溢れた。当時、それに対して、悲劇の部分だけを取り出して美化するなという批判も出ている。元気に走っていた頃、どれだけ思い入れていたのかという問いだった。厳しいけれど、筋は通っている。 だから、走り方のほうで憶えていたい。刺客と呼ばれ、憎まれ役と書かれたが、呼んだのも書いたのも人である。馬のほうは、京都の上り下りで余計な力みを見せず、指示した分だけ走り、指示しないことは何ひとつしなかった。あれほど賢い馬はいなかったと、的場は言っている。3000メートルを59秒7から入って終いの三ハロンを11秒台で揃え、重馬場の3200メートルでは三コーナーから八百メートル動いて10センチ残した。淀の坂を二度、味方につけた馬だった。 触れる人すべてに幸福が訪れるように、という願いで付けられた名前だった。願いの向きは、途中から逆になったのかもしれない。幸福を受け取ったのは、この馬に触れた側だった。 京都競馬場の碑には、栗林育子の姉が詠んだ句が刻まれている。「疾走の馬 青嶺の魂となり」。菊花賞と天皇賞の日、淀の坂へ向かう後輩たちを、その碑は静かに見送っている。
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