名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ロイスアンドロイスのイメージビジュアル
ロイスアンドロイスRoyce and Royce
Royce and Royce

ロイスアンドロイス

通算成績28戦3勝

獲得賞金21,175万円

生年月日 1990.03.10(平成2年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ロイスアンドロイスの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 14人気 坂井千明 3:20.3 上り37.4映像
8 GII日経賞 中山 芝2500 4人気 岡部幸雄 2:38.4 上り37.9
4 GIIアメリカジョッキークラブカップ 東京 芝2200 3人気 横山典弘 2:15.6 上り34.1
7 GI有馬記念 中山 芝2500 8人気 横山典弘 2:34.8 上り36.1映像
7 GIジャパンカップ 東京 芝2400 8人気 横山典弘 2:25.4 上り35.1映像
3 OP富士S 東京 芝1800 3人気 田中勝春 1:47.8 上り34.8
4 GII産経大阪杯 京都 芝2000 4人気 横山典弘 1:59.5 上り35.4
3 GIジャパンカップ 東京 芝2400 8人気 横山典弘 2:23.8 上り36.1映像
3 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 11人気 横山典弘 1:58.9 上り34.5映像
3 GIII産経賞オールカマー 中山 芝2200 4人気 横山典弘 2:15.0 上り35.9
1 サロベツS 札幌 芝2000 1人気 横山典弘 2:01.9 上り35.2
8 GIIIエプソムカップ 東京 芝1800 2人気 後藤浩輝 1:47.9 上り34.2
1 むらさき賞 東京 芝1800 1人気 後藤浩輝 1:47.5 上り36.1
2 薫風S 東京 芝2000 4人気 後藤浩輝 2:01.7 上り37.0
5 冬至S 中山 芝2500 3人気 坂井千明 2:35.5 上り37.1
7 GI菊花賞 京都 芝3000 4人気 横山典弘 3:06.5 上り35.6映像
2 GIIセントライト記念 中山 芝2200 7人気 坂井千明 2:15.1 上り36.4
2 赤倉特別 新潟 芝2000 1人気 坂井千明 2:04.2 上り37.1
2 笹山特別 新潟 芝1800 1人気 岡部幸雄 1:49.8 上り36.2
3 GIIIラジオたんぱ賞 福島 芝1800 6人気 竹原啓二 1:48.8 上り37.7
1 4歳未勝利 東京 芝1800 1人気 後藤浩輝 1:50.6 上り37.1
3 OP青葉賞 東京 芝2400 6人気 安田富男 2:28.1 上り36.0
2 4歳未勝利 中山 芝2200 1人気 坂井千明 2:16.3 上り37.3
2 4歳未勝利 中山 芝2000 1人気 坂井千明 2:06.4 上り39.4
2 4歳未勝利 中山 芝2200 2人気 坂井千明 2:18.4 上り37.8
3 4歳未勝利 東京 ダ1600 1人気 坂井千明 1:41.9 上り40.9
2 3歳新馬 中山 芝2000 2人気 坂井千明 2:03.9 上り37.5
2 3歳新馬 中山 芝1600 5人気 坂井千明 1:37.1 上り35.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ロイスアンドロイスの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
トニービンTony BinカンパラKampalaKalamoun
State Pension
Severn BridgeHornbeam
Priddy Fair
ザツツマイパルThat's My PalKey to the MintGraustark
Key Bridge
Beautiful MemoryBoldnesian
My Dear Girl
STORY

旅程 — この馬の物語

1990年生まれの鹿毛の牡馬。父トニービン、母ザツツマイパル。

二着から始まった

1992年12月13日、中山競馬場の芝1600メートル。五番人気の鹿毛の牡馬が、勝ち馬から0秒1差の二着に入った。ロイスアンドロイスという。父はトニービン、母はアメリカ生まれのザツツマイパル。北海道早来町の社台ファームに生まれ、美浦の松山康久が管理していた。鞍上は坂井千明である。 二週間後、同じ中山の芝2000メートルでもう一度走り、また二着だった。差はまた0秒1。 年が明けても、同じことが続く。二月に東京のダートで三着、二月末の中山で二着、三月の中山で二着、四月の中山でまた二着。負かされる相手はそのつど違う。二着で終えた三戦は、いずれも0秒1か0秒2の差だった。六戦して勝ち星がなく、そのうち三度は単勝一番人気を背負っている。 六戦すべてに坂井が乗った。1970年に免許を取り、このとき四十を過ぎたベテランである。手綱が動かなかったのは、動かす理由が誰にも見つからなかったからだろう。走る馬なのは目に見えている。ただ、勝たなかった。 父トニービンは1988年のジャパンカップを最後に現役を退き、日本で種牡馬になった。ロイスアンドロイスは、その最初の世代の一頭である。同じ父から同じ年に生まれた馬たちがこれから何をするのか、この時点ではまだ分からない。

勝たなければ、ダービーはない

五月一日、東京。ロイスアンドロイスは未勝利のまま青葉賞に出走した。 当時の青葉賞はオープン特別で、上位二頭に日本ダービーの優先出走権が与えられた。春の三歳GIトライアルは、例外的に未勝利馬にも門を開いている。ただし東京優駿そのものに未勝利馬は出走できない。つまり二着で権利を取っても意味がなく、この馬がダービーへ行くには青葉賞を勝つしかなかった。 二着の多い馬に、二着では足りない一戦が回ってきたことになる。 手綱は安田富男に替わった。六番人気。結果は三着で、勝ったステージチャンプから二馬身半だった。 門は閉じた。この馬の名は、その年のダービーの出馬表には載らない。

五馬身

六月六日、東京の芝1800メートル。未勝利戦の鞍上は後藤浩輝だった。前の年にデビューしたばかりの十九歳で、重賞はまだ一つも勝っていない。 ロイスアンドロイスは一番人気に応え、二着に五馬身の差をつけた。八戦目の初勝利である。0秒1や0秒2しか動かせなかった馬が、この日は後ろを気にしなかった。 後藤は後年、この馬を、初めてその背中に感動した一頭として書き残している。調教では日々のメニューを頭に入れていて、乗り手の指示にはまるで従わない。それでいて、調教師が出した追い切りの内容だけは正確に消化してみせる。その賢さがレースでは邪魔をしたのではないか、二着や三着という数をこの馬は数えていたのではないか——そう後藤は振り返っている。 七月は福島のラジオたんぱ賞で三着。夏の新潟では二度走り、二度とも二着だった。九月のセントライト記念では七番人気を覆して二着に入り、一勝馬のまま菊花賞への道が開く。 十一月七日、京都。相手はビワハヤヒデウイニングチケットナリタタイシン。その春の二冠は、この三頭のものだった。皐月賞を勝ったのがナリタタイシン、東京優駿を勝ったのがウイニングチケットで、ビワハヤヒデはそのどちらでも二着に入っている。一勝馬のロイスアンドロイスは四番人気に支持された。単勝で四番人気、複勝では三番人気。買う側の読みははっきりしている。勝つ馬だとは思われていない。それでも三着までなら来る、と見られていた。 七着だった。ビワハヤヒデから1秒8。この日は、その三着にも届かなかった。

一秒に足りない差の中で

1994年、ロイスアンドロイスは五月に復帰した。東京で二着、続くむらさき賞を勝ってオープンに上がる。六月のエプソムカップは二番人気で八着。一度は条件戦に落ちたが、八月の札幌でサロベツステークスを勝ち、また戻ってきた。この三勝目が、生涯最後の勝利になる。 秋から横山典弘との組み合わせが本格化する。九月のオールカマーは重馬場の三着。勝ったのはビワハヤヒデだった。 十月三十日、東京。天皇賞は十三頭立てで、この馬は十一番人気だった。単勝は六十五倍を超えている。 ラップの緩まないレースだった。最初の200メートルの13秒4を過ぎると、あとは11秒5から12秒0のあいだを最後まで刻み続けている。息の入らない流れである。ロイスアンドロイスは二コーナーで五番手から七番手のかたまりにいて、四コーナーでは七番手から九番手のかたまりに落ちていた。 直線で、上がり三ハロン——最後の600メートル——を34秒5でまとめる。勝ったネーハイシーザーとの差は0秒3。二着のセキテイリュウオーとはクビ差の三着だった。 一着から十三着までが0秒9の中に収まっている。その0秒9の内側で、彼は一番人気のビワハヤヒデより前、前年のダービー馬ウイニングチケットより前でゴール板を過ぎた。二頭はこのレースで屈腱炎を発症し、そのまま競走馬を退いている。 ウイニングチケットは、ロイスアンドロイスと同じトニービンの、同じ年に生まれた馬である。六着のサクラチトセオーも同じ父の同じ世代だった。翌年の天皇賞を勝つことになる馬が、この日は彼の後ろにいた。

直線、外から一頭

十一月二十七日、東京。その年のジャパンカップは、日本の出走枠が奇妙な形で埋まった。 ビワハヤヒデウイニングチケットは前走で去った。天皇賞を勝ったネーハイシーザーも、三冠を達成したナリタブライアンも出てこない。選ばれた日本馬に、GIを勝った馬は一頭もいなかった。日経賞と菊花賞で二着していたステージチャンプは補欠に回り、代わりにロイスアンドロイスの名が残る。一年半前の春、青葉賞で彼の前を走り抜けていった馬である。 晴れ、良馬場。大外の枠から出て、ロイスアンドロイスは五番手につけた。 流れは前半で速くなり、中盤で緩む。四コーナーを回るとき、前にいたのは五頭だった。横山典弘は、そこから外へ出した。 東京の直線は長い。前の馬群が割れ、外から一頭が伸びてくる。 ジャパンカップの直線で、ロイスアンドロイスが先頭にいた。 内では二頭が抵抗していた。マーベラスクラウンとパラダイスクリークである。外から出てきた馬に、二頭は差し返しにかかる。抜けたはずの先頭は、そこから先へ行かせてもらえなかった。 ゴールでは、マーベラスクラウンとパラダイスクリークがハナ差で並んでいた。その一馬身と四分の一うしろに、ロイスアンドロイスがいた。 三着。ひと月のうちに、GIで二度目の三着だった。

最初の鞍上が、最後の鞍上に

1995年、この馬はもう勝たなかった。春の産経大阪杯は四着。長い休みを挟んだ秋、富士ステークスは田中勝春を背に三着。ジャパンカップ七着、有馬記念七着。 1996年は三戦した。アメリカジョッキークラブカップ四着、日経賞八着。そして四月二十一日、京都の芝3200メートル。天皇賞は十六頭立ての十四番人気で、十一着だった。勝ったサクラローレルから2秒5離されている。 その日の鞍上は坂井千明だった。1992年の暮れ、中山の新馬戦でこの馬に初めてまたがった男である。1993年の暮れを最後に手綱から離れ、二年四か月ぶりに戻ってきた。これが最後の一戦になった。 六月十三日に競走馬登録が抹消され、その翌日、立て直しのために出されていた放牧先で腸捻転を起こして死んだ。六歳の夏を迎える前だった。

三着という二文字

後藤浩輝は、この馬は自分の着順を数えられたのだと書いた。頭が良すぎて、勝たなくてよい位置を知っていたのだ、と。けれど数えていたのは、たぶん馬のほうではない。二着が九回、三着が七回と数えたのは、いつも見ている側だった。彼自身は二十八回とも最後まで走り切っている。途中で走るのをやめたことは、一度もない。 トニービンが日本で最初に送り出した世代からは、ダービー馬が出て、オークス馬が出て、マイルの女王が出た。重賞をひとつも勝てなかった一頭は、それでも1994年秋の東京で、その何頭かの前にいた。坂井千明は2004年まで鞍を降りず、鞭を置いてからは若い騎手に乗り方を教える側に回っている。後藤浩輝は2015年に急逝した。二人のうち一人は勝たせられないまま六戦を任され、一人は五馬身の差をつけて勝たせた。 記録に残るのは三着という二文字だけである。東京の直線で外から先頭に出て、内の二頭に差し返されるまでの数秒を、その二文字は何も語らない。

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