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サクラチトセオー
通算成績21戦9勝
獲得賞金5億1,860万円
生年月日 1990.05.11(平成2年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 小島太 | 2:34.0 | 上り35.0 | 映像 | |
| 1 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 小島太 | 1:58.8 | 上り34.3 | 映像 | |
| 4 | GII毎日王冠 | 東京 芝1800 | 2人気 | 小島太 | 1:49.0 | 上り35.2 | — | |
| 7 | GI宝塚記念 | 京都 芝2200 | 1人気 | 小島太 | 2:10.9 | 上り34.4 | 映像 | |
| 2 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 1人気 | 小島太 | 1:33.2 | 上り34.2 | 映像 | |
| 2 | GII中山記念 | 中山 芝1800 | 1人気 | 小島太 | 1:50.4 | 上り35.1 | — | |
| 1 | GIIアメリカジョッキークラブカップ | 中山 芝2200 | 2人気 | 小島太 | 2:14.4 | 上り34.5 | — | |
| 6 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 5人気 | 小島太 | 2:33.3 | 上り35.8 | 映像 | |
| 1 | OP富士S | 東京 芝1800 | 1人気 | 小島太 | 1:46.9 | 上り34.3 | — | |
| 6 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 4人気 | 小島太 | 1:59.1 | 上り34.9 | 映像 | |
| 1 | GIII京王杯オータムH | 中山 芝1600 | 2人気 | 的場均 | 1:32.1 | 上り33.9 | — | |
| 6 | GI宝塚記念 | 阪神 芝2200 | 4人気 | 小島太 | 2:12.6 | 上り35.7 | 映像 | |
| 1 | OPメトロポリタンS | 東京 芝2300 | 1人気 | 小島太 | 2:20.9 | 上り35.5 | — | |
| 2 | OPエイプリルS | 中山 芝2000 | 1人気 | 小島太 | 2:00.1 | 上り34.7 | — | |
| 1 | GII中山記念 | 中山 芝1800 | 3人気 | 小島太 | 1:48.9 | 上り36.0 | — | |
| 1 | テレビ埼玉杯 | 東京 芝1600 | 1人気 | 小島太 | 1:34.6 | 上り34.6 | — | |
| 3 | 節分賞 | 東京 ダ1400 | 2人気 | 小島太 | 1:26.3 | 上り37.7 | — | |
| 11 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 6人気 | 小島太 | 2:27.9 | 上り38.8 | 映像 | |
| 3 | GIINHK杯 | 東京 芝2000 | 3人気 | 小島太 | 2:01.5 | 上り35.5 | — | |
| 取 | OP青葉賞 | 東京 芝2400 | 小島太 | — | — | |||
| 1 | ひいらぎ賞 | 中山 芝1600 | 2人気 | 小島太 | 1:35.0 | 上り36.0 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 東京 芝1600 | 1人気 | 小島太 | 1:36.3 | 上り35.7 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父トニービンTony Bin | カンパラKampala | Kalamoun |
| State Pension | ||
| Severn Bridge | Hornbeam | |
| Priddy Fair | ||
| 母サクラクレアー | ノーザンテーストNorthern Taste | Northern Dancer |
| Lady Victoria | ||
| クレアーブリッジClare Bridge | Quadrangle | |
| Abeyance Lass |
旅程 — この馬の物語
1990年生まれの黒鹿毛の牡馬。父トニービン、母サクラクレアー。主な勝ち鞍は天皇賞(秋)・中山記念・京王杯オータムH。
四千万円の牝馬
1982年、北海道早来町の社台ファームに父ノーザンテーストの牝馬が生まれた。買ったのは、冠名「サクラ」を使う馬主・全演植。値は四千万円だった。推したのは静内で谷岡牧場を営む谷岡幸一で、血統よりも馬そのものの見栄えを買っていたという。売る側の吉田善哉は、母の父クァドラングルがその年の皐月賞を勝ったアズマハンターと同じであることを説いていた。 サクラクレアーと名づけられたその牝馬は、美浦の境勝太郎厩舎に入り、オークスのトライアルで二着まで走った。本番は大敗に終わる。秋を迎えてまもなく後肢を折り、そのまま引退した。走ることより、脚を守ることに時間を使った馬だった。 繁殖に上がってからの配合は、全から谷岡に任された。二番仔のサクラヤマトオーはオープンを三つ勝ち、重賞でも二着に届くところまで出世している。四年目、谷岡が選んだ相手はトニービンだった。イタリアで走って凱旋門賞を勝ち、ジャパンカップを最後に日本へ渡ってきたばかりの種牡馬である。産駒はまだ一頭も走っていなかった。 1990年5月11日、谷岡牧場でその四番仔が生まれる。サクラチトセオー。二年後の二月に美浦の境厩舎へ入り、担当の厩務員には佐々木義男がついた。桜花賞で四着に入ったスイートローザンヌ、朝日杯で二着に粘ったサクラサエズリを手掛けてきた男である。この一頭に、佐々木は四年を使うことになる。
化骨が来ない
入厩した時点では、三歳の夏に北海道でデビューさせる計画だった。それが崩れる。骨が固まりきる「化骨」が追いつかず、負荷の強い調教を課すたびに跛行した。跛行とは、痛む脚をかばって歩様が崩れることをいう。速い時計を出させれば、翌朝には脚を引く。要するに、鍛えられないのだ。 四月から、佐々木はこの馬を毎日トレーニングセンター内の診療所へ引いた。マイクロレーダーによる電気治療である。脚の痛みはデビューしてからも消えなかった。縁が切れるのは六歳になってから、つまり競走馬としての最後の一年に入ってからだった。間隔を詰めて使えない。一度走れば消耗が深く、戻すのに時間がかかる。この馬の出世が遅れた理由は、能力ではなくそこにあった。 1992年10月11日、東京の芝千六百メートル。ろくに追い切れないまま出た新馬戦で、それでも一番人気に推された。好位から直線で抜け出し、一馬身。勝ってしまった。 次までに二か月空いた。暮れのひいらぎ賞は後方からまくり気味に上がって先頭に立ったが、終いでカノープスに交わされる。そのカノープスが進路妨害を取られて十三着まで降着し、二勝目が転がり込んだ。そのあと、また脚が止まる。三歳戦はそれきりだった。
府中で十一着、暮れに訃報
1993年の春、戦線に戻る。二勝馬でクラシックに乗り込むのは無理筋だったが、陣営はダービーを諦めなかった。五月一日の青葉賞で優先出走権を取りにいく。ところが前夜、右の口角に癤ができているのが見つかって出走取消になった。膿を出せば治る程度のものだったという。 それでも諦めない。翌週のNHK杯へ横滑りで強行した。出遅れて後方、直線は外から伸びたが、先に抜け出したマイシンザンには五馬身千切られている。三着。脚に気を配って全力までは求めない、と決めて乗った小島太が、権利だけを拾った形だった。 五月三十日、東京優駿。人気を集めたのは皐月賞の上位を占めたナリタタイシン、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットたちで、サクラチトセオーは六番人気だった。先行したものの、最初のコーナーで他馬と接触してかかり、そこで終わった。十一着、勝ち馬から二秒四。馬体重は四五六キロで、生涯でいちばん軽い数字だった。 そのダービーを勝ったのはウイニングチケットである。父はトニービン。サクラチトセオーと同じ、供用初年度の産駒だった。父の名が日本のダービーに刻まれたその日、同じ父を持つこの馬は、十一番目に決勝線を通っている。 静内の新和牧場へ放牧に出され、その年はもう走らなかった。十二月、馬主の全演植が急性肺炎で世を去る。1978年にサクラショウリでダービーを勝った人が、この馬の出世を見ないまま逝った。所有は息子の全尚烈へ引き継がれる。
一着と、六着と
年が明けて帰厩すると、あれほど付きまとった跛行がいくらか軽くなっていた。芝に手頃な番組がなく、やむなくダートで復帰する。二月五日の節分賞は三着。このときの馬体重は四八二キロ。ダービーの日より二十六キロ重い体で戻ってきた。 二週間おいて芝のテレビ埼玉杯を勝つ。次に陣営が選んだのは、自分の条件戦ではなく格上の中山記念だった。三番人気。ややハイペースの中団から大外を回り、内で粘る各馬をゴール前で捉える。クビ差。重賞初制覇である。ただし終いに内へ寄れており、小島には騎乗停止が課された。 春はエイプリルステークス二着、メトロポリタンステークス一着、宝塚記念六着。秋の初戦、京王杯オータムハンデキャップは小島が騎乗停止中で、代打に的場均が乗った。トップハンデの五十八キロを背負い、出遅れて最後方から進み、最終コーナーを十番手で回る。そこから直線だけで前を飲み込んだ。エアリアルに四分の三馬身。中山の芝千六百メートルを一分三十二秒一。1987年にダイナアクトレスが出した記録を七年ぶりに塗り替えた。 目標に据えた天皇賞(秋)は四番人気。好位の内、大本命ビワハヤヒデの傍をマークしながら直線を向く。ところが先に抜け出したネーハイシーザーがこちらへ寄ってきて、進路が消えた。外へ出し直したときには、もう届く距離ではない。六着だった。 富士ステークスを勝ち、有馬記念は六着。この年の五月から暮れまで、一着と六着をきれいに交互に並べている。いつしか「イチロー」というあだ名がついた。
クビ、ハナ、そして七着
1995年一月のアメリカジョッキークラブカップは、雨と濃霧の中山だった。ツインターボが大きく引き離して逃げ、それが垂れたところで後ろが一斉に動く。直線で内から抜け出したホクトベガたちを、サクラチトセオーはゴール寸前でまとめて差し切った。クビ差。境勝太郎は、四歳のころの弱さがすっかり消えて本格化してきたと語り、今年は大きいところを狙えると言い添えた。 三月の中山記念は単勝一・四倍。前年に下したフジヤマケンザンと、また同じ二頭で決着した。順番だけが入れ替わって、クビ差の二着。 そのあと骨膜炎が出て二か月休み、五月十四日の安田記念へ向かった。マイルでは一度も負けておらず、レコードも持っている。一番人気は自然に回ってきた。湿った馬場を気にしてハミの収まりが悪く、小島は最後方に控える。大外へ出して、溜めた脚を一気に放った。タイキブリザードを捉え、残るはハートレイク一頭。二頭は並んだまま決勝線を通る。写真判定は、ハナ差でハートレイクだった。 六月四日、宝塚記念。この年の阪神競馬場は震災で使えず、開催は京都へ移されていた。ここでも一番人気。最後方、ライスシャワーの外側につけて三コーナーの下りへ入る。そこでライスシャワーが転倒した。左第一指関節の開放脱臼。その場で予後不良と診断された。外にいたサクラチトセオーは接触こそ免れたが、目の前で起きたことに集中を失い、直線で脚を使えなかった。七着。 クビ差、ハナ差、そして一番人気での七着。勝ちきれない馬という評判が、そのまま秋へ持ち越された。
四角まで、動かない
レースの前日、府中には雨の予報が出ていた。雨の馬場でこの馬が走れないことを、厩舎の人間は全員知っている。直前の毎日王冠も、重い馬場に脚を取られて終いが使えなかった。佐々木の妻は、てるてる坊主を作って吊るした。 当日は曇り。雨は落ちてこなかった。馬場は良。境は、デビュー以来でいちばんの出来だと言った。六歳になって、長く付きまとった脚の痛みは、ようやく引いていた。 白帽、一枠一番。十七頭のいちばん内から出て、小島は前を追わなかった。トーヨーリファールが逃げ、ジェニュインが二番手で続く。サクラチトセオーの位置は、後ろから数えて二頭目だった。先行に出たナリタブライアンの、さらに後ろ。 馬群は縦に伸び、ペースは平均に落ち着いた。前が止まらない流れである。ふつうなら、向正面のうちに動く。動かなかった。三コーナーでも動かない。四コーナーを回りきるまで、この馬は後方の集団にいた。 ようやく大外へ持ち出す。前ではナリタブライアンが伸びを欠き、代わりにジェニュインがトーヨーリファールを交わして先頭に立っていた。逃げ切りの形である。 「まだだ、チー坊」[^1]。小島は鞍上で、この馬に話しかけ続けていた。 内へ寄れながら、それでも脚色は他と段違いだった。詰まる。まだ詰まる。ステッキが入り、終いがもう一度伸びる。並んだ、と見えた瞬間が決勝線だった。 写真判定。ハナ差、サクラチトセオー。七度目のGI挑戦で、この馬は初めて一着の枠に名前を置いた。
出典:Number Web(NumberPREMIER)軍土門隼夫「「まだだ、チー坊」“引退目前”小島太が鞍上でサクラチトセオーと会話を続けたわけ「俺の“神業”だったと思います」【神騎乗列伝:1995年天皇賞・秋】」2024年10月29日配信、https://number.bunshun.jp/premier/articles/18114、閲覧日:2026年8月3日。
四年目の、いちばん軽い脚
二週間後の十一月十二日、京都のエリザベス女王杯を半妹のサクラキャンドルが勝った。母は同じサクラクレアー、父はサクラユタカオー。単勝は二十六倍を超えていた。好位から抜け出して押し切ると、ゴールを過ぎたあと、小島が馬上で目もとを拭う姿が場内のターフビジョンに映し出されている。これが小島の騎手生活で最後のGI勝ちになった。兄が天皇賞(秋)を、妹がエリザベス女王杯を同じ年に勝った例は、ニッポーテイオーとタレンティドガール、タマモクロスとミヤマポピーに続く三組目である。 暮れの有馬記念が引退レースになった。中山の坂を上がって外から伸び、ヒシアマゾンもナリタブライアンも捉えた。届かなかったのは、前で粘るマヤノトップガンとタイキブリザードだった。三着。年が明けてのJRA賞では、最優秀五歳以上牡馬に選ばれている。 1996年一月七日、東京競馬場で引退式が行われた。天皇賞のときの白帽とゼッケンを着けて現れ、スタンド前でキャンターを見せる。一ハロン十一秒台。境は、この馬を見てきた四年間でこんなキャンターは初めてだ、と漏らしたという。四年かけて治しつづけた脚がいちばん軽く動いたのは、もう追い切りも本番もない朝だった。 その天皇賞は、「サクラ」にとってサクラユタカオー以来の勝利でもあった。ユタカオーの担当厩務員は千葉里見といい、佐々木義男はその娘婿である。鞍上の小島は、調教師・境勝太郎の娘婿だった。所有者は全演植から息子の尚烈へ移っていた。ひとつの冠を、三組の親子が順に受け取ったことになる。表に名前が出たのは騎手と調教師だが、四年ものあいだこの馬の脚に付き合いつづけたのは、名前の出ない側の人間である。 1993年の春、ダービーに敗れたサクラチトセオーが送られたのは、静内の新和牧場だった。種牡馬を退いたあと、功労馬として戻されたのも同じ新和牧場である。2014年一月三十日、老衰。二十四歳だった。負けて帰った牧場へ、最後にもう一度帰ったことになる。毎朝この馬を診療所へ引いていった男がいなければ、府中の大外から一頭だけ伸びてくる十月の午後は、来なかった。
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