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シーキングザパール
通算成績19戦8勝
獲得賞金4億7,414万円
生年月日 1994.04.16(平成6年)毛色 鹿毛性 牝
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 3人気 | 武豊 | 1:33.7 | 上り35.3 | 映像 | |
| 2 | GI高松宮記念 | 中京 芝1200 | 1人気 | 武豊 | 1:08.2 | 上り34.4 | 映像 | |
| 4 | GIサンタモニカH | アメリカ ダ1400 | 武豊 | — | — | |||
| 2 | GIスプリンターズS | 中山 芝1200 | 2人気 | 武豊 | 1:08.6 | 上り34.8 | 映像 | |
| 8 | GIマイルチャンピオンS | 京都 芝1600 | 2人気 | 河内洋 | 1:34.3 | 上り37.2 | 映像 | |
| 5 | GIムーラン・ド・ロンシ | フランス 芝1600 | 武豊 | — | — | |||
| 1 | GIモーリス・ド・ゲスト | フランス 芝1300 | 武豊 | 1:14.7 | — | — | ||
| 10 | GI安田記念 | 東京 芝1600 | 4人気 | 武豊 | 1:39.2 | 上り38.7 | 映像 | |
| 4 | GI高松宮記念 | 中京 芝1200 | 1人気 | 武豊 | 1:09.3 | 上り35.2 | 映像 | |
| 1 | GIIIシルクロードS | 京都 芝1200 | 4人気 | 武豊 | 1:08.6 | 上り34.6 | — | |
| 3 | GII関西TVローズS | 阪神 芝2000 | 1人気 | 武豊 | 2:01.9 | 上り35.3 | — | |
| 1 | GINHKマイルカップ | 東京 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:33.1 | 上り34.3 | 映像 | |
| 1 | GIINZT4歳S | 東京 芝1400 | 1人気 | 武豊 | 1:21.1 | 上り34.1 | — | |
| 1 | GIIIフラワーカップ | 中山 芝1800 | 1人気 | 武豊 | 1:51.6 | 上り36.5 | — | |
| 1 | GIII日刊スポシンザン記念 | 京都 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:34.6 | 上り36.5 | — | |
| 4 | GI阪神3歳牝馬S | 阪神 芝1600 | 1人気 | 武豊 | 1:35.3 | 上り37.6 | 映像 | |
| 1 | GIIデイリー杯3歳S | 京都 芝1400 | 1人気 | 武豊 | 1:21.3 | 上り35.3 | — | |
| 3 | GIII新潟3歳S | 中山 芝1200 | 2人気 | 武豊 | 1:10.8 | 上り36.4 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 小倉 芝1200 | 1人気 | 武豊 | 1:09.7 | 上り35.4 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父Seeking the Gold | Mr. Prospector | Raise a Native |
| Gold Digger | ||
| Con Game | Buckpasser | |
| Broadway | ||
| 母ページプルーフPage Proof | Seattle Slew | Bold Reasoning |
| My Charmer | ||
| バーブスボールドBarb's Bold | Bold Forbes | |
| Goofed |
旅程 — この馬の物語
1994年生まれの鹿毛の牝馬。父Seeking the Gold、母ページプルーフ。主な勝ち鞍はNHKマイルカップ・モーリス・ド・ゲスト・デイリー杯3歳S。
真珠を探して
1994年4月16日、アメリカ・ヴァージニア州のレイジーレーンステーブルズで一頭の牝馬が生まれた。翌1995年7月、キーンランドのセリに上場されたが買い手がつかず、主取りになる。売れ残ったその馬を18万5000ドルで買ったのが、日本の植中昌子だった。ケンタッキーのストーンファームで四か月を過ごし、その年の11月に日本へ運ばれ、北海道早来町のノーザンファームで育成を積み、1996年5月に栗東の佐々木晶三厩舎へ入った。 名は父から採った。金を探す、という父シーキングザゴールドの名からの連想で、真珠を探す、と付けた。ただし探し物には持ち主がいる。昌子の誕生石が真珠だった。馬主として名義を届け出た娘の倫子は、この名に「馬があなたを探してくれた」という意味を込めたのだという。探されていたのは、母のほうである。 1996年7月20日、小倉の芝千二百メートル。デビュー戦の鞍上は武豊だった。栗東では調教の動きがかねて評判で、単勝は1.2倍。ゲートを出るとすぐ先頭に立ち、二着に七馬身の差をつけて帰ってきた。 つまずいたのは次だった。9月1日、中山で行われた新潟3歳ステークス。スタート直後に外へ大きく逸れ、後方からの競馬になる。直線で追い込んで三着。武豊は原因が分からなかったといい、この馬は普通の「いいコ」ではないと感じたと後に語っている。それでも10月のデイリー杯3歳ステークスでは気難しさのかけらも見せず、のちに天皇賞・春を勝つメジロブライトに五馬身の差をつけ、その世代の芝千四百メートルの日本レコードで走った。 12月1日、阪神3歳牝馬ステークス。単勝1.5倍。先行して直線で失速し、メジロドーベルの四着に沈む。四コーナーまでは普通に走っていたのに突然手応えが悪くなった、と武豊は振り返った。佐々木も説明がつかないと言った。倫子は、初めての荒れた馬場に嫌気がさしたのだろうと見ている。理由の分からない二つの敗戦のせいで、その年の暮れには「気性難」という札が貼られていた。
二月五日
1997年の初戦、シンザン記念を三馬身差で勝った。年が明けても速さは変わっていない。 変わったのは所属である。2月5日、佐々木厩舎から森秀行厩舎への転厩が発表され、馬はその日のうちに移された。以後のローテーションをめぐって馬主側と佐々木の間に意見の対立があったと伝えられる。受け入れた森は1993年に厩舎を開いたばかりで、日本の枠組みから外へ飛び出していけば、力さえあれば賞金の上限は無限に近くなる、と語ってきた調教師である。 当時、外国産馬にはクラシック競走への出走が認められていなかった。桜花賞にも優駿牝馬にも、この馬の名前は書けない。代わりに春の目標へ据えたのが、前年に新設されたばかりのNHKマイルカップである。外国産馬に門戸を開くために作られたGIだった。 フラワーカップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスと重賞を連勝し、5月11日の東京へ向かう。有力候補の一頭スピードワールドが捻挫で回避したこともあり、単勝2.0倍の一番人気。レースは前半六百メートル35秒0という遅い流れになった。六、七番手で我慢し、直線の半ばで先頭に立って、二着ブレーブテンダーに一馬身四分の三の差をつけた。牡馬混合の重賞を、すでに三度勝っている牝馬だった。
息のできない四百メートル
秋、桜花賞を勝ったキョウエイマーチ、その桜花賞で二着に敗れてから優駿牝馬を制したメジロドーベルと並び、世代の牝馬は三強と呼ばれた。目標は秋華賞。前哨戦のローズステークスで、シーキングザパールは単勝1.4倍の一番人気に推された。 9月21日、阪神。キョウエイマーチが逃げ切り、シーキングザパールは直線で伸びずに三着へ終わる。理由はその日には分からなかった。 秋華賞へ向けた調整のさなか、コンディション検査で喉頭蓋エントラップメントが見つかる。気管の入口が皺で塞がれてしまう症状だった。秋華賞は断念し、喉に手術を受けた。のちに昌子は、症状はローズステークスの時点ですでに出ていて、あの日の残り四百メートル、この馬は呼吸ができないまま走っていたのだと語っている。 一番人気で三着。成績表に残るのは、その一行だけである。 秋華賞はメジロドーベルが勝った。シーキングザパールがターフに戻るまでには、七か月かかった。
一週間、早いレース
1998年4月26日、京都のシルクロードステークス。手術明けの長期休養、プールを主体にした調整過程。四番人気の評価だった。二番人気のマサラッキをクビ差で捉えて勝つと、この一勝で夏のヨーロッパ遠征が決まった。 5月24日の高松宮記念は一番人気。雨で稍重になった中京で先行し、伸び切れずに四着。6月14日の安田記念はもっと悪かった。前走以上の雨が降り、騎手たちがここ数年記憶にないと言うほど馬場が荒れた。武豊との折り合いも欠き、十着に大敗する。勝ったのはタイキシャトルだった。あの馬もこの夏の渡欧を控えていて、この日は壮行戦のつもりで走っていた。海を渡る二頭の明暗は、誰の目にもはっきり分かれて見えた。 森が初めに考えていた遠征先は、ドーヴィルではない。八月のフランスで日本の馬が狙うなら千六百メートルのジャック・ル・マロワ賞だと踏んでいた。ところが、イギリスのサセックスステークスを予定していたタイキシャトルが、コース適性を理由に同じレースへ目標を切り替えてきた。千六百メートルではあの馬に勝てない。森はそう判断する。 「それなら格は下でも1週早いモーリス・ド・ギース賞を狙って、日本で最初に海外のGIを勝つ調教師になってやろうと思った」[^1] 選んだのは、一週間早く行われる、格の一つ下のレースだった。 7月21日、一行はイギリスへ発つ。翌日、ニューマーケットのジェフ・ラグ厩舎に入った。フランスのシャンティイを滞在先にしなかったのは、乾いた気候が喉を切った馬に合わないと森が考えたからである。ニューマーケットには「サイドヒル」というウッドチップのコースがあり、日本で使っているウッドチップの坂路に近かった。能力の高い馬ならどこで調教しても勝てる、この馬はそうはいかない、これ以上ないというくらい仕上げなければ勝負にならないと思った——森は後にそう振り返っている。8月5日には武豊が日本から駆けつけ、最終調教で三ハロン(六百メートル)を推定35秒5。単勝は10.4倍、五番人気の評価だった。レースは8月9日である。
出典:日本語版ウィキペディア「シーキングザパール」(森秀行の発言として記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/シーキングザパール 、閲覧日:2026年8月3日。
七十四秒七
ドーヴィル競馬場。 八月のノルマンディーは雨の多い季節で、森が最後まで恐れていたのは馬場が緩むことだった。その年は、降らなかった。数十年ぶりといわれる硬い芝が、雨を知らないまま乾いている。 モーリス・ド・ゲスト賞の千三百メートルは、曲がり角のない一本の直線である。逃げても差しても、隠れる場所はない。 ゲートが開く。誰も出ていかない。押し出されるような格好で、日本から来た牝馬が先頭に立った。 武豊は外の柵沿いへ寄せなかった。馬場の真ん中を、まっすぐ走らせている。 残り三百メートルで仕掛けた。追ってきたのはフランスのジムアンドトニック。差は詰まらない。半馬身を残したまま、先頭でゴール板を過ぎた。 時計は1分14秒70。このコースの記録が、十七年ぶりに書き換わった。
ロケット弾
地元紙『パリチュルフ』は、この勝利を一面で伝えた。見出しはこうである。「ロケット弾、その名はシーキングザパール」[^1] イギリスの『レーシング・ポスト』も一面から三面までを割き、1958年からアメリカへ渡ったハクチカラ以来の、日本馬の遠征の歴史を並べて報じた。日本で調教された馬が海外のGIを勝ったのは、これが初めてだった。 武豊にとっては、フランスの牝馬スキーパラダイスで勝ったムーラン・ド・ロンシャン賞に続く欧州GI二勝目になる。それでも喜びの質が違う、と彼は言った。日本の馬と日本のチームで勝てた、これは自分ひとりの勝利ではない、と。森は勝因の第一に騎乗を挙げ、涼しいニューマーケットでの調教と、負担重量と距離を計算してこのレースを狙った甲斐があったと述べた。 翌週、ジャック・ル・マロワ賞をタイキシャトルが勝つ。二週続けて、日本の馬がノルマンディーの一線級を負かした。JRAが出した褒賞金は、タイキシャトル陣営に約1億6800万円、シーキングザパール陣営に約9200万円。対象競走にはランクがあり、ジャック・ル・マロワ賞はA、モーリス・ド・ゲスト賞はBだったからである。格の下のレースを選んだ側が、一週間早く扉を開けていた。 その扉を、彼女はもう一度くぐろうとする。9月6日のムーラン・ド・ロンシャン賞。相手はアイリッシュ2000ギニーを勝ったデザートプリンス、フランス1000ギニーを勝ったザライーカ。他陣営のペースメーカーに絡まれながらの逃げになり、雨で不良馬場。七頭立ての五着だった。展開だけでなく、馬場も相手も前走よりきつかった——武豊はそう振り返っている。
出典:日本語版ウィキペディア「シーキングザパール」(フランス紙『パリチュルフ』の見出しとして記載)、https://ja.wikipedia.org/wiki/シーキングザパール 、閲覧日:2026年8月3日。
アタマ差の年
9月10日に帰国した。11月22日のマイルチャンピオンシップは、鞍上が河内洋になる。結果は八着。五馬身差で圧勝したタイキシャトルの、はるか後ろだった。 12月20日、中山のスプリンターズステークス。手綱は武豊に戻った。タイキシャトルの引退レースで、単勝はその馬が1.3倍、シーキングザパールが10.5倍。道中は最後方に控えている。直線で追い込み、ゴール寸前でついにタイキシャトルを捉えた。だが、先に抜け出していた七番人気のマイネルラヴには、アタマ差だけ届かない。武豊は後年のインタビューで、自分の騎手人生でいちばん悔しかったレースにこの一戦を挙げている。 年が明けた1月9日、森が突然アメリカ遠征を発表した。23日、サンタアニタのサンタモニカハンデキャップ。八頭立ての緩い流れを三、四番手で進んだが、要所でペースが上がると一度置かれ、直線で盛り返して四着。アメリカ遠征はこの一戦だけで切り上げ、馬は日本へ戻った。 5月23日の高松宮記念は一番人気で二着。前を行ったのは、一年前のシルクロードステークスでクビ差だけ先んじたマサラッキだった。6月13日の安田記念は三番人気。最終コーナーを十番手で回って追い込み、エアジハードとグラスワンダーから二馬身差の三着まで来た。走りは戻っている。ただ、ドーヴィルのあと、勝ち鞍はひとつも増えなかった。
最初と、最後
1999年7月2日、中央競馬の登録が抹消された。ニュージャージーのジェイエフビーステーブルズへのトレードが発表され、馬はふたたび海を渡る。その秋アメリカで走ったのを最後に、競走生活を終えた。 繁殖牝馬としてケンタッキーのクレイボーンファームに入り、産んだ仔は三頭だけである。初仔はストームキャットとの間に生まれた牡で、シーキングザダイヤと名付けられて日本で走った。重賞を五つ勝ち、GIでは九度、二着に敗れている。勝った重賞のひとつはニュージーランドトロフィー。母が勝ったのと同じレースである。そして2004年、この息子はドーヴィルのモーリス・ド・ゲスト賞に出走し、十五着に終わっている。母が半馬身で勝ち切った一本道を、息子は最後尾の近くで駆け抜けた。 2005年6月10日、レーンズエンドファームの放牧地で、シーキングザパールは倒れているところを見つかった。馬体に傷はなく、暴れた跡もない。落雷だろうと言われた。十一歳だった。 森はその後もアグネスワールドを連れて海を渡り、1999年にアベイ・ド・ロンシャン賞、翌2000年にはイギリスのジュライカップを勝った。いずれ関東へ遠征するくらいの気軽さで海外へ行きたい、とこの調教師は語っていた。日本の馬が海外のGIを勝つことは、そのうち驚きではなくなっていく。 ドーヴィルの1分14秒70は、日本の競馬にとって最初の海外GIであり、この馬自身にとっては最後の勝利になった。格は下でいい、一週間早いレースでいい——そう決めた人間の判断だけが、その一勝を引き寄せた。名の意味は「真珠を探して」。娘が母のために込めた意味は、その逆で、馬があなたを探してくれた、だった。探す側であり続けた馬が最後に差し出したのは、日本の競馬がまだひとつも持っていなかった真珠である。それは、数十年ぶりに乾いて硬くなったノルマンディーの芝の上に落ちていた。
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