名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
セイウンスカイのイメージビジュアル
セイウンスカイSeiun Sky
Seiun Sky

セイウンスカイ

通算成績13戦7勝

獲得賞金61,028万円

生年月日 1995.04.26(平成7年)毛色 芦毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
セイウンスカイの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
12 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 6人気 横山典弘 3:32.0 上り48.3映像
5 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 1人気 横山典弘 1:58.3 上り35.0映像
1 GII札幌記念 札幌 芝2000 1人気 横山典弘 2:00.1 上り35.9
3 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 横山典弘 3:15.8 上り34.8映像
1 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 横山典弘 2:35.3 上り35.6
4 GI有馬記念 中山 芝2500 1人気 横山典弘 2:32.7 上り37.0映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 横山典弘 3:03.2 上り35.1映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 4人気 横山典弘 2:25.6 上り34.8
4 GI東京優駿 東京 芝2400 3人気 横山典弘 2:26.8 上り36.8映像
1 GI皐月賞 中山 芝2000 2人気 横山典弘 2:01.3 上り36.7映像
2 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 3人気 徳吉孝士 2:01.9 上り36.2
1 OPジュニアカップ 中山 芝2000 3人気 徳吉孝士 2:03.5 上り36.1
1 4歳新馬 中山 芝1600 5人気 徳吉孝士 1:36.7 上り36.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
セイウンスカイの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
シェリフズスターSheriff's StarポツセPosseForli
In Hot Pursuit
Castle MoonKalamoun
Fotheringay
シスターミルミルジョージMill Reef
Miss Charisma
スイトアンジュレモガミMogami
アンジュレスイート
STORY

旅程 — この馬の物語

1995年生まれの芦毛の牡馬。父シェリフズスター、母シスターミル。主な勝ち鞍は皐月賞・菊花賞・京都大賞典。

鵡川に残っていた四頭

1995年4月26日、北海道鵡川町の西山牧場で、芦毛の牡馬が生まれた。母シスターミルの初仔である。母は1990年に浦河で生まれ、一度も競馬場に出ないまま繁殖に上がった牝馬だった。父シェリフズスターはイギリス産の芦毛。産駒に活躍馬が出ず、血統背景にも目立つところがない――のちにJRAが公式にそう書くほど、この配合に期待を寄せる人は少なかった。名は西山家の冠名「セイウン」に大空を継いだもので、JRAが公表する馬名の意味も「冠名+大空」である。 育成に上がっても評判は変わらない。入厩の話を進めていた栗東のある調教師は、結局この馬を受け取りに来なかった。 同じころ、美浦でひとつの厩舎が畳まれようとしていた。保田隆芳。1936年にデビューし、日本にモンキー乗り――アメリカ帰りの短い鐙の乗り方――を広めた名手である。1970年に鞍を降りて調教師に転じ、トウショウボーイやメジロアサマを預かった。その厩舎が定年を迎えた。 入れ違いに調教師免許を取ったのが、長男の一隆だった。1979年から父の厩舎で調教助手を務め、1997年3月、父の場所を引き継ぐ形で自分の看板を掲げる。管理する馬を集めなければならない。一隆は、父の代から付き合いのあった西山牧場を訪ねた。入厩先の決まっていない2歳馬は、四頭しか残っていなかった。 そのうちの一頭が、馬体のバランスが悪く、毛色もくすんで見える芦毛だった。それでも厩舎の頭数の釣り合い上、牡馬がどうしても要る。母系の良さに変わり身を期待して、一隆はその一頭を引き取った。西山茂行はのちに、シェリフズスターの産駒を手放す直前、隆芳から息子のために一頭残しておいてくれと頼まれたのだと語っている。 デビューは1998年1月5日、中山の芝1600m。鞍上は徳吉孝士。フルゲート16頭の大外枠で、単勝は5番人気だった。それが道中3、4番手から三コーナーで先頭に立ち、6馬身ちぎった。中二週で使ったジュニアカップは、今度は自分からハナを切って5馬身。二戦で評価はひっくり返る。 ただ、そのジュニアカップの枠入りで、悪い置き土産をもらった。ゲートの後ろで立ち止まったところを、スターターにステッキで叩かれたのである。以来この馬はゲートを嫌うようになり、それは生涯消えなかった。

三強、そして乗り替わり

1998年のクラシック戦線には、三つの名が並んだ。武豊のスペシャルウィーク、福永祐一のキングヘイロー、そしてセイウンスカイ。三頭が初めて同じレースに揃ったのが、3月8日の弥生賞である。 セイウンスカイは10番からハナを切った。刻んだラップは、12秒5、10秒9、12秒0、13秒0、12秒8。二つ目の10秒9で後続を突き放し、四つ目からいきなり13秒台へ落として息を入れる。この馬はもう、自分の逃げ方を知っていた。四コーナーも先頭。それでも直線でスペシャルウィークに半馬身、捉えられた。 この日、13頭の最後尾でゴールした9番人気の馬がいる。ハギノユメドリーム。鞍上は横山典弘だった。 弥生賞のあと、陣営は手綱を託す相手を替えた。デビュー8年目・26歳の徳吉から、13年目・30歳の横山へ。 4月19日、皐月賞。18頭立ての3番。セイウンスカイは道中2、3番手に控え、三コーナーでコウエイテンカイチと並び、四コーナーで先頭に立った。中山の直線で、キングヘイローに半馬身、スペシャルウィークにさらに1馬身を残す。2分1秒3。 厩舎を開いて二年目の春だった。保田一隆にとって、初めてのGIだった。

息の入らない二千四百

6月7日、稍重の東京優駿。18頭立て、3番人気。 先手を取ったのはキングヘイローだった。福永の乗る2番が飛び出し、12番のセイウンスカイがすぐ後ろにつく。一コーナーから四コーナーまで、この二頭は先頭を譲らずに走り続けた。 その日のラップを並べると、負けた理由が見える。12秒8、11秒2、11秒7、12秒4、12秒5、12秒1、12秒2、12秒6、12秒5、12秒7、11秒2、11秒9。スタートの一ハロンを除けば、12秒7より遅い区間がひとつも無い。弥生賞で13秒台に落として一息入れた、あの緩みをどこにも作れなかった。隣に並んだ馬が、緩めることを許さなかったのだ。 直線でスペシャルウィークが伸びて、セイウンスカイは4着。勝ち馬から1秒。ペースを作った相方のキングヘイローは14着まで沈んだ。二頭で作った流れに、二頭とも呑まれた。

淀の下見

秋、陣営は分かれ道に立った。古馬に混じって天皇賞(秋)へ行くか、同世代の菊花賞へ回るか。牧場の西山茂行と保田が話し合い、菊花賞と決めた。 問題はその前の一戦だった。ふつうならトライアルの京都新聞杯を使う。だが京都新聞杯から本番までは中二週しかない。ゲートを嫌うこの馬が再審査を課されれば、菊花賞に間に合わなくなる。皐月賞を勝った賞金があるから、トライアルで出走権を取る必要もない。陣営は一週早い京都大賞典を選んだ。古馬の一線級が集まる一戦である。 10月11日、京都の芝2400m。わずか7頭立て。三歳のセイウンスカイは57キロ、天皇賞馬メジロブライトと有馬記念馬シルクジャスティスは59キロを背負っていた。単勝は4番人気。 ゲートが開くと、1番枠のセイウンスカイは二番手を大きく引き離して逃げた。一コーナーでも二コーナーでも、その差は縮まらない。 ラップはこうだ。13秒4、11秒0、11秒2、12秒0、12秒2、12秒3、13秒0、13秒5、12秒2、12秒2、11秒1、11秒5。序盤で突き放し、中盤を13秒台まで落として休み、最後の二ハロンを11秒1、11秒5で締める。上がり三ハロン――最後の600メートル――は34秒8。二千四百メートルを先頭で運んできた馬が出す数字ではない。 メジロブライトが追い上げて、クビ差。届かなかった。 四週間後、同じ京都の芝で、この馬はまったく同じ形をもう一度描くことになる。

三千メートルの呼吸

11月8日、京都、芝3000m、17頭。一番人気はスペシャルウィーク、セイウンスカイはその次に支持されていた。 ゲートは五分に開いた。4番のセイウンスカイは気合をつけて先頭に立つ。 最初の五ハロンが、13秒3、11秒5、11秒7、11秒7、11秒4。一周目の千メートルが59秒6。三千メートルの競走で切ってよい数字ではない。一コーナーを回るころ、集団はもう、二番手のレオリュウホウからさらに大差というところまで置いていかれていた。 向正面に入って、時計が緩む。 六ハロン目、12秒1。七ハロン目、13秒1。八ハロン目、13秒5。走るのをやめたのではない。息を吐いているのだ。一歩ごとに肺が落ち着き、脚に血が戻る。逃げ馬が緩めば、後ろは差を詰めにかかる――はずだった。だが詰まらない。三コーナーに差しかかったとき、セイウンスカイと二番手のあいだにも、同じ「大差」が開いていた。二周目の千メートルは64秒3。一周目より、丸々五秒近く遅い。 その坂を下りながら、ラップがふたたび締まる。12秒3、11秒9、11秒6、11秒5。四コーナーで後ろがようやく動き出したときには、もう届く距離ではなかった。最後の千メートルは59秒3。三千メートルを走ってきた馬が、一周目とほとんど同じ速さで終いを駆けていた。 時計は3分3秒2。レコードだった。追い込んできたスペシャルウィークは、三馬身半うしろにいた。

三十九年

菊花賞は長く、逃げ馬の鬼門と呼ばれてきた。三千メートルという距離が、先頭に立った馬の脚を必ず奪う。逃げたら勝てない。それが鉄則だった。 最後にその鉄則を破ったのは1959年である。ハククラマという馬が逃げ切った。手綱を取っていたのは保田隆芳。この年から三年続けてリーディングジョッキーに立ち、1968年には八大競走のすべてを勝った最初の騎手となり、通算1295勝を積んで1970年に鞍を降りた、あの人だった。 三十九年ぶりにその鉄則を破った馬の名札には、こう書かれていた。美浦・保田一隆厩舎。 父が最後に開けた扉を、息子が開け直した。厩舎を構えて、まだ二年目のことだった。

追われる側

12月27日、有馬記念。菊花賞馬は初めて一番人気に推された。中山の2500m、11番から今度も大きく離して逃げ、四コーナーまで先頭を守る。 だが中山の坂は、京都のようには休ませてくれなかった。この日のラップに13秒台は一度も現れない。息を入れる場所がないまま直線へ入り、グラスワンダーメジロブライトステイゴールドに前を許した。三着とはクビ差の4着。勝ち馬からは0.6秒だった。 明けて1999年。3月の日経賞では、同じシェリフズスターを父に持ち同じ西山牧場に生まれたセイウンエリアを五馬身ちぎった。5月の天皇賞(春)は京都の3200mを一コーナーから四コーナーまで先頭で運び、最後の四ハロンを11秒8、11秒4、11秒5、11秒4という叩き合いにしてなお踏みとどまった。スペシャルウィークメジロブライトに前へ出られて3着。差は0.5秒。 8月の札幌記念で、この馬は別の顔を見せる。背負ったのは59キロ。横山は行かせず、馬の行くに任せた。一コーナーでは十頭立ての七番手にいる。そこから三コーナーで一気に押し上げて先頭集団に取りつき、四コーナーでは二番手。四キロ軽い牝馬のファレノプシスを、半馬身だけ抑えてゴールした。 逃げなくても勝てる。二冠を獲ったあとで、この馬はまだ引き出しを増やしていた。

五分間と、五十八秒三

10月31日、東京、天皇賞(秋)。一番人気。 本馬場入場でダイワテキサスと接触した。そこから枠入りを嫌がり、五分ほどゲートの前で立ち止まった。ジュニアカップの日に背中を叩かれて以来ずっと抱えてきたものが、いちばん大事な日に噴き出した。 発走。セイウンスカイは逃げていない。二コーナーで八番手あたり、四コーナーでも十番手前後にいた。府中の直線で押し上げて0.3秒差の5着まで詰めたが、勝ったスペシャルウィークは1分58秒0のレコードで先へ行っていた。 レース後、屈腱炎が見つかった。ここから、長い休養に入る。 復帰まで一年半かかった。2001年4月29日、京都の天皇賞(春)。6番人気。馬体は494キロまで増え、イレ込みは激しかった。 ゲートが開くと、この馬はタガジョーノーブルと並んで飛び出し、千メートルを58秒3で通過する。彼が経験したなかで、いちばん速い前半だった。一年半の空白などなかったかのように。 だが今度は、緩める場所を見つけられなかった。先頭を譲り、二周目の三コーナーで失速し、十二頭の最後尾から大差をつけられてゴールした。勝ったテイエムオペラオーとの差は15秒8。 7月、橈骨を痛めていたことが分かって引退が決まった。8月19日、札幌競馬場で引退式が行われた。

青雲

2002年、アロースタッドで種牡馬になった。血統の評価は最後まで低いままで、集まる牝馬の数は伸びなかった。2007年12月、生まれた西山牧場へ帰る。 2011年8月16日、その馬房で立ち上がる拍子に頭を強く打った。十六歳。JRAが死亡を発表し、死因は頭部の打撲ではなく心臓発作と伝えられた。生まれた土地の、生まれた牧場で死んだ。 墓は西山牧場に建てられた。石には、西山茂行の言葉が刻まれている。「青雲の空を 駆け抜けた稲妻よ 永遠なれ」[^1] のちに、この馬を母の母の父に持つニシノデイジーが2022年12月24日の中山大障害を勝ち、その血から初めてのGI級勝ち馬が出た。保田一隆は2012年11月に調教師を勇退した。 1959年に淀を逃げ切った騎手は、2009年に世を去った。自分が最後だった逃げ切りを息子の預かる馬が引き継ぐ日を、その目で見届けたあとだった。 逃げたら勝てないと言われ続けた三千メートルで、セイウンスカイは誰にも追いつかせなかった。それを可能にしたのは、脚の速さよりも、いちばん見られている場所でわざと緩めるという胆力のほうだ。速く走れる馬はいる。速く走りながら、途中で息を吐ける馬は、めったにいない。 秋の淀の坂を、後ろに誰も連れないまま下っていく芦毛。三十九年待たされた景色は、ほんの数十秒で通り過ぎた。それでも人はいまだに、その数十秒の話をしている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア日本語版』「セイウンスカイ」、https://ja.wikipedia.org/wiki/セイウンスカイ、閲覧日:2026年8月3日。

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース