名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

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シンコウウインディのイメージビジュアル
シンコウウインディShinko Windy
Shinko Windy

シンコウウインディ

通算成績17戦5勝

獲得賞金22,544万円

生年月日 1993.04.14(平成5年)毛色 栗毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
シンコウウインディの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
4 日本テレビ盃 船橋 ダ1800 4人気 岡部幸雄 1:52.3 上り39.4
6 OP関越S 新潟 ダ1700 3人気 菊沢隆徳 1:46.1 上り36.7
5 OP灘S 阪神 ダ1800 4人気 武幸四郎 1:50.8 上り36.6
13 GI安田記念 東京 芝1600 14人気 後藤浩輝 1:36.7 上り38.0映像
7 帝王賞 大井 ダ2000 2人気 岡部幸雄 2:07.1
5 GIIIアンタレスS 京都 ダ1800 1人気 岡部幸雄 1:51.3 上り37.5
1 GIフェブラリーS 東京 ダ1600 6人気 岡部幸雄 1:36.0 上り36.1映像
1 GIII平安S 京都 ダ1800 3人気 四位洋文 1:49.9 上り36.5
3 ダービーGP 盛岡 ダ2000 1人気 田中勝春 2:07.9
2 スーパーダートダービ 大井 ダ2000 3人気 岡部幸雄 2:06.0
1 GIIIユニコーンS 中山 ダ1800 3人気 岡部幸雄 1:52.8 上り38.2
2 館山特別 中山 ダ1800 1人気 田中勝春 1:52.2 上り38.4
1 あさがお賞 中山 ダ1800 2人気 岡部幸雄 1:53.4 上り38.9
4 ほうせんか賞 東京 芝2000 4人気 橋本広喜 2:01.5 上り36.6
2 こけもも賞 新潟 芝2200 3人気 橋本広喜 2:16.7 上り36.7
4 ふきのとう特別 中京 芝1800 7人気 小林久晃 1:51.0 上り36.2
1 4歳新馬 東京 ダ1200 3人気 岡部幸雄 1:13.8 上り36.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
シンコウウインディの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
デュラブDoulabTopsiderNorthern Dancer
Drumtop
PasserineDr. Fager
Pashamin
ローズコマンダーダストコマンダーDust CommanderBold Commander
Dust Storm
ハマヒリュウパーソロンPartholon
デイックミドリ
STORY

旅程 — この馬の物語

1993年生まれの栗毛の牡馬。父デュラブ、母ローズコマンダー。主な勝ち鞍はフェブラリーS・ユニコーンS・平安S。

荻伏の栗毛、八百九十万円

1993年4月14日、北海道浦河の荻伏、酒井源市の牧場に栗毛の牡馬が生まれた。 父デュラブは、前年に日本で供用が始まったばかりの新種牡馬である。イギリスでジムクラックステークスなどを勝った芝の短距離馬で、アイルランドで五シーズン種牡馬を務めても目立った産駒を出せず、1991年に日本へ渡ってきた。 母ローズコマンダーは1976年生まれ。平地で二勝したあと障害に転じ、そちらでも三つ勝っている。障害を跳んだ牝馬が、十七歳の年に産んだのがこの仔だった。母の父ダストコマンダーは1970年のケンタッキーダービー馬である。前哨戦のブルーグラスステークスを道悪の大穴で拾い、本番でも人気薄のまま、一番人気のマイダッドジョージに五馬身をつけた馬である。 1994年6月、二歳馬の市場に上場された。丈夫そうな馬体が買われた。美浦の調教師・田中清隆が勧め、馬主の安田修が八百九十万円で落札する。 安田は1947年生まれ。中学を出たあと、1973年に外壁材と屋根材を扱う新興産業を興した人である。冠名の「シンコウ」はその社名から取っている。勝負服は黒。大井の馬主から始めて中央へ上がり、1991年に障害でシンコウアンクレー、1993年にはシンコウラブリイのマイルチャンピオンシップと、すでに大きな競走を勝っていた。 ノーザンファームでじっくり乗り込まれ、1995年11月に田中厩舎へ入る。中堅クラスにはなれるだろう、という見立てだった。ただし気性に難がある。いたずら好きで、人によく噛みついた。 1996年1月5日、東京のダート1200メートル、四歳新馬。岡部幸雄を背に先行して抜け出し、初戦を勝った。

噛む

新馬を勝ったあとの三戦は芝だった。中京のふきのとう特別で四着、新潟のこけもも賞で二着、東京のほうせんか賞で四着。惜しいところまでは行くのに、勝ちきれない。 陣営はダートに戻した。6月29日、中山のあさがお賞。ふたたび岡部が乗り、二着に0.6秒の差をつけて楽に勝つ。ダートなら走る。この日を境に芝は使われなくなり、次に芝を走るのは三年後の一度きりになった。 夏を休んで、秋の初戦が中山の館山特別である。重馬場の十六頭立て、一番人気。鞍上は田中勝春だった。中団から進み、直線で抜け出す。あとは押し切るだけだった。 そこで、この馬は内にいたダイワオーシャンに口を伸ばした。 走るのをやめて、隣の馬を噛みに行ったのである。当然、脚は鈍る。クビ差、届かない。勝ったのはダイワオーシャンだった。 条件戦の一鞍で終わるはずのレースが、たちまち話題になった。他の馬に噛みついて負けた馬がいる、と。シンコウウインディの名は、そこで一気に広まる。名を運んだのは、まだ強さではなかった。

拾った勝ちと、落とした勝ち

この年、四歳のダート馬には三つの目標が並べられていた。中山のユニコーンステークス、大井のスーパーダートダービー、盛岡のダービーグランプリ。当時そう呼ばれた三冠路線である。 9月28日、その第一戦。陣営の狙いは勝つことではなく、二着までに入って賞金を積むことだった。レースは一番人気のバトルラインが押し切り、シンコウウインディは離された二番手で入線する。ところが裁決でバトルラインが降着となり、繰り上がって一着。重賞初制覇は、そういう勝ち方だった。 十一月一日、大井。今度は逃げるサンライフテイオーに口を伸ばした。速度が鈍り、一馬身届かず二着。 三週間後、盛岡のダービーグランプリでは一番人気に推される。鞍上は館山特別と同じ田中勝春。結果は、勝ったイシノサンデーから五馬身半離された三着だった。長距離の輸送で食が細るたちで、遠征のたびに目方を落としている。中山で五百四キロあった馬体は、盛岡では四百九十五キロまで減っていた。 他馬の降着で転がり込んだ勝ちと、自分の口で逃した勝ち。四歳の秋には、その二つが並んだ。

目隠し

年が明けて1997年1月6日、京都競馬場。関東の馬が遠征しての平安ステークスで、鞍上は四位洋文に替わった。そしてこの日から、ブリンカーを着けた。両目の外側を覆って視野を狭める馬具である。横が見えなければ、噛む相手も見えない。 稍重の馬場、十六頭立ての十三番。スタートで少し出遅れた。それでも直線では猛然と追い上げ、粘るトーヨーシアトルと馬体を並べたままゴールへ飛び込む。結果は一着同着。重賞で一着が同着になるのは、九年ぶりのことだった。 目を塞がれた途端、この馬には走ることだけが残った。

1997年2月16日、東京競馬場。フェブラリーステークスは、この年からGIになった。中央競馬が初めてダートに置いた、最高格の競走である。 空は晴れていた。それなのに馬場は不良だった。砂は水を含んで重く沈み、泥田のようだと言われる状態である。 単勝の上位は同期の馬たちが占めた。一番人気は連勝を重ねてきたストーンステッパー。シンコウウインディは六番人気だった。 ハロンごとの時計は前半が速く、そこから先はじりじり落ちていく。その前を作った一頭がバトルラインである。秋の中山で、入線一位から降着になった、あの馬だった。 三コーナー。シンコウウインディは中団にいる。前には四頭。まだ動かない。 四コーナー。先頭は三頭になり、そのすぐ後ろにこの馬がいる。三角から四角までの短い間に、隊列の中をひとつ上がった。 直線に向いて、先に抜け出したのはストーンステッパーだった。先行から押し切る形に持ち込む。東京の長い直線には坂がある。泥に脚を取られながら、二頭はそこを上りきり、平坦に出ても離れない。 真横に馬がいて、鼻面の触れそうな距離が続く。館山特別も、大井も、この馬が口を伸ばしたのはまさにこの形だった。 この日、噛みつきに行った記録は残っていない。 差はクビ。その首ひとつで、中央競馬で最初のダートGI馬が決まった。「初代ダート王」という呼び名は、この日から付いたものである。

空白の欄

フェブラリーステークスに勝ったこの馬は、ホクトベガに続いてダート界を引っ張る存在と見られていた。その二か月足らずのちの4月3日、ホクトベガはドバイで転倒し、複雑骨折のため安楽死処分となる。日本のダートは、中心にいた牝馬を失った。 5月3日、京都のアンタレスステークス。五十八・五キロのトップハンデを課され、それでも一番人気に推されたが、直線で伸びずに五着。6月24日の大井の帝王賞は、勝ったコンサートボーイから大きく離された七着だった。 帝王賞のあと放牧に出され、その先で脚部不安が見つかる。休養は二年に及んだ。 この年のJRA賞で、最優秀ダートホースの欄には「該当馬なし」と記された。中央競馬で唯一のダートGIを勝った馬がいたのに、賞は誰にも渡らなかった。 翌1998年のフェブラリーステークスは、同じ田中清隆厩舎の、同じ岡部幸雄が乗るグルメフロンティアが二着に四馬身をつけて勝った。厩舎はこのGIを連覇したことになる。そのときシンコウウインディは牧場にいた。 復帰は1999年6月13日。二年ぶりの実戦に選ばれたのは、東京のマイル、それも芝の安田記念だった。1996年6月のほうせんか賞以来、三年ぶりの芝である。十四頭立ての十四番人気で十三着。馬体重は五百二十八キロあり、休みに入る前より四十二キロ重かった。 その後はダートに戻り、阪神の灘ステークスで五着、新潟の関越ステークスで六着。9月15日、船橋の日本テレビ盃で四着に入ったところで脚部不安が再発した。関係者の協議の末、引退が決まる。あの泥の東京から、二年七か月が経とうとしていた。

甘噛み

2000年、門別のシンコーファームで種牡馬になった。安田が1997年に開いた自身の生産牧場である。 翌2001年、新興産業の経営が傾く。安田は所有していた馬をすべて手放し、JRAの馬主登録を抹消した。種付けをしても買い取りの見込みが立たない種牡馬に、申し込みは急速に減る。2003年からは、種付けそのものが無くなった。 2006年に用途変更となり、翌年から日高町のダーレー・ジャパンで暮らした。仕事は試情馬である。牝馬の発情を確かめるために当てられる牡馬のことで、繁殖の現場には欠かせないが、名前の残る役目ではない。 そこでこの馬は、飛び抜けてうまかった。長年いろいろな試情馬を見てきたが、こんな馬はめったにいない。牧場のスタッフはそう評したという。気性は丸くなり、あれほど激しかった噛み癖も、甘噛み程度になっていた。 産駒は中央で一頭も勝ち上がらず、牝系にもこの馬の血は残っていない。ブラッドスポーツとしての競馬において、彼が残せたのは血ではなく、走った記録のほうだった。 2023年9月27日に死んだ。三十歳だった。 表彰の欄は、ついに埋まらなかった。この馬が生涯で受け取ったいちばん確かな評価は、賞の席ではなく種付け場の隅にあった――こんな馬はめったにいない。走ることをやめてから、ようやくそう言ってもらえたのである。 安田修は、あれから馬主として競馬の表に戻ることはなかった。長く消息が伝わらないまま、その死が公になったのは、この馬が死んだ年の暮れである。2023年12月28日、中山競馬場。騎手生活を終える田中勝春が、左右で色の違う勝負服でパドックに立った。片側は安田の黒。もう片側は、同じくすでに世を去っていた別の馬主の色だった。田中はその服を「馬主とジョッキーという枠を超えた付き合いをさせてもらった勝負服で」[^1]と説明している。安田がもういないことは、その日、田中の口から初めて公になった。 田中勝春は、二十七年前の中山で、直線から他馬に口を伸ばした四歳馬の背にいた男である。 あの栗毛は、その三か月前に三十年の生涯を閉じている。黒は半身だけになって、最後にもう一度、パドックを回った。

出典:中日スポーツ「田中勝春騎手、引退式で"カッチースマイル"崩れ「やっぱり泣けるわな」【競馬】」2023年12月28日配信、https://www.chunichi.co.jp/article/829448、閲覧日:2026年8月3日。

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