名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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シリウスシンボリのイメージビジュアル
シリウスシンボリSirius Symboli
Sirius Symboli

シリウスシンボリ

通算成績26戦4勝

獲得賞金1870万円

生年月日 1982.03.26(昭和57年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
シリウスシンボリの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム映像
7 GI天皇賞・秋 東京 芝2000 5人気 加藤和宏 2:00.3 映像
2 GII毎日王冠 東京 芝1800 4人気 加藤和宏 1:49.4
4 GIII函館記念 函館 芝2000 2人気 加藤和宏 1:59.0
2 青函トンネル開通記念 函館 芝1800 3人気 加藤和宏 1:46.3
9 GI天皇賞・秋 東京 芝2000 5人気 加藤和宏 2:01.4 映像
8 GII毎日王冠 東京 芝1800 3人気 加藤和宏 1:47.0
7 GIガネー賞 ロンシャン 芝2100 M.フィリッペロン 2:15.1
8 GIIアルクール賞 ロンシャン 芝2000 M.フィリッペロン 2:08.1
4 GIIIエドモンブラン賞 サンクルー 芝1600 M.フィリッペロン 1:53.7
4 GIIコンセイユ・ド・パリ賞 ロンシャン 芝2400 M.フィリッペロン 2:35.1
14 GI凱旋門賞 ロンシャン 芝2400 M.フィリッペロン 2:27.7
2 GIIIフォワ賞 ロンシャン 芝2400 M.フィリッペロン 2:38.7
4 GIIIゴントー・ビロン賞 ロンシャン 芝2000 A.レグリ 2:06.5
5 GIミラノ大賞典 サンシーロ 芝2400 G.モッセ 2:29.3
3 シーシック賞 ロンシャン 芝2000 G.モッセ 2:17.1
5 GIIIエドウビル賞 ロンシャン 芝2400 G.モッセ 2:57.6
3 GIロイヤルオーク賞 ロンシャン 芝3100 G.モッセ 3:22.7
6 プランスドランジュ賞 ロンシャン 芝2000 A.レグリ 2:12.0
4 GIバーデン大賞典 バーデンバーデン 芝2400 岡部幸雄 2:37.8
8 GIキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス アスコット 芝2400 岡部幸雄 2:27.6
1 GI東京優駿 東京 芝2400 1人気 加藤和宏 2:31.0 映像
1 若葉賞 中山 芝2200 1人気 岡部幸雄 2:16.2
1 府中3歳S 東京 芝1800 1人気 加藤和宏 1:50.1
2 いちょう特別 東京 芝1600 2人気 加藤和宏 1:34.8
10 芙蓉特別 中山 芝1600 1人気 加藤和宏
1 3歳新馬 中山 芝1600 2人気 加藤和宏 1:37.1

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
シリウスシンボリの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
モガミMogamiLyphardNorthern Dancer
Goofed
ノーラックNo LuckLucky Debonair
No Teasing
スイートエプソムパーソロンPartholonMilesian
Paleo
シレトコShiretokoタカウォークTakawalk
Pochette
STORY

旅程 — この馬の物語

1982年生まれの鹿毛の牡馬。父モガミ、母スイートエプソム。

ゲートを教えた男

1982年3月26日、北海道門別のシンボリ牧場で鹿毛の牡が生まれた。父はモガミ。フランスで二十戦して三つ勝った馬で、大レースには手が届かなかった。シンボリ牧場の和田共弘とメジロ牧場の北野豊吉が共同で持ち、引退した1981年に日本へ渡って種牡馬になっている。初年度の種付けは三十二頭にとどまった。その最初の世代から、いきなりダービー馬が出る。二世代目には牝馬三冠のメジロラモーヌが出た。共同で持った二つの牧場に、一頭ずつ旗が立った形になる。 母スイートエプソムは、競走に出た記録を持たない。その母シレトコはイギリスから来た牝馬で、和田の持ち馬だったスピードシンボリの子を何頭も産んでいる。シリウスはおおいぬ座の星の名で、夜空でいちばん明るく見える恒星のことだ。母の名に入った「エプソム」は、イギリスのダービーが行われる町の名である。 この馬にはデビュー前からゲート難があった。発馬機からの出が下手だという意味で、放っておけば競走にならない。その癖を根気よく矯正したのが、美浦・二本柳俊夫厩舎の主戦騎手、加藤和宏だった。加藤は1956年、夕張の炭鉱で働く家に生まれている。炭鉱の先行きを見た父に連れられて一家で浦河へ移り、中学三年のとき、騎手候補生を探していた二本柳に近所の牧場が引き合わせた。それが始まりである。 1984年9月16日、中山の芝千六百メートル。出遅れながら、シリウスシンボリは勝った。鞍上は加藤。ゲートの下手さと、それでも間に合う脚。この馬の輪郭は、最初の一戦にもう出ていた。

二度、取りこぼす

二戦目の芙蓉特別は一番人気だった。一位でゴール板を過ぎている。しかし斜行を取られて失格となり、成績表に残ったのは最下位の数字だけだった。裁定に文句のつけようはない。自分たちの走りで手放した勝利である。 三戦目のいちょう特別は四コーナーで不利を受けて二着。続く府中三歳ステークスをクビ差で勝ち、三歳(現在の二歳)の秋を四戦二勝で終えた。 勝った二つより、負けた二つのほうが人の記憶に残る。それが翌春、この馬の立つ場所を大きく揺らすことになる。

乗せる、乗せない

年が明けて、馬主の和田共弘が動いた。二本柳に、鞍上を岡部幸雄へ替えるよう求めたのである。言い分ははっきりしていた。二度もミスを犯した騎手を降ろすのは当然で、強い馬には最高の騎手を乗せるのが競馬の筋だ、という主張だった。当時の和田はシンボリルドルフを持つオーナーブリーダーである。その言葉には重みがあった。 二本柳は退かなかった。管理馬には自分の門下生を乗せる。それがこの調教師の流儀だった。加藤が岡部に見劣りすることは断じてない、ゲート難のシリウスを一人前にした苦労はどうなるのか、と譲らなかったという。 和田はシリウスを畠山重則厩舎へ移した。日々世話をしてきた厩務員たちごと切り離すやり方は厩舎の外にも反発を呼び、厩務員組合が声を上げ、やがて日本調教師会が仲裁に入る騒ぎになる。折衝の末、馬は二本柳厩舎へ戻された。若葉賞は岡部、ダービーの前哨戦であるNHK杯からは加藤、という妥協で話がついた。 岡部の若葉賞は快勝だった。皐月賞には、この騒ぎの影響で出走できていない。加藤で臨むはずだったNHK杯も脚部不安で回避となった。ダービーへは、ぶっつけで向かうことになる。

五月二十六日、重

東京の芝は重かった。空は曇り。二十六頭が枠に入る。皐月賞馬ミホシンザンは骨折で回避していて、シリウスシンボリが一番人気に推されていた。 馬主が望んだ騎手も、この日の輪の中にいる。岡部幸雄はスクラムダイナの背にいた。 スダホークを、田原成貴は後ろに置いた。三コーナーで進路を内に取り、最終コーナーで先頭に並びかける。直線を向いたとき、前は空いていた。いける、と田原は思ったという。 加藤は大外にいた。重い芝で外を回るのは、普通なら損な選択である。 そこから、シリウスシンボリが伸びた。スダホークが先頭に立ってから交わされるまでは、田原の感覚では一瞬だったという。競り合いにはならなかった。三馬身の差をつけてゴール板を過ぎる。田原の後ろでは、岡部のスクラムダイナがハナ差まで詰めていた。 ゴールを過ぎて、加藤はガッツポーズをした。レース後のインタビューでは、観客の前で、好きな映画の主人公にならって妻の名を叫んでいる。 和田は風邪を理由に競馬場へ来ていない。レースのあと、仕掛けが早すぎたという趣旨の談話が出た。 調教師のほうは、何も言う必要がなかった。二本柳俊夫は1955年にオートキツでこのレースを勝っている。騎手としても調教師としても東京優駿を勝った人間は、日本の競馬に数えるほどしかいない。

ひとりで発つ

この馬には、ダービーのあとに海を渡る計画があった。同じ和田の持ち馬シンボリルドルフとともにイギリスへ向かい、キングジョージ六世&クイーンエリザベスステークスを使う。ところがルドルフが左肩を痛めて宝塚記念を取り消し、遠征そのものが立ち消えになった。渡欧したのは、シリウスシンボリだけだった。 アスコットのキングジョージに日本の馬が初めて出走したのは、1969年のスピードシンボリである。シリウスシンボリの母の母シレトコに、何頭も子を産ませた馬だった。十六年を経て、同じ競走の枠に、その牝馬の孫が入る。 岡部はすでにヨーロッパにいた。ルドルフの遠征に備えて先に発っていたためで、アスコットとバーデンバーデンではこの馬の鞍上に座っている。キングジョージは八着。ドイツのバーデン大賞典は四着。九月のロンシャン、プランスドランジュ賞は六着だった。 十月二十七日、ロイヤルオーク賞。芝三千百メートルで争われるフランスの長距離GIである。シリウスシンボリは三着に入った。この競走の歴史を記した年表にも、この年に日本調教馬が三着へ食い込んだことが書き留められている。海の向こうのGIでは、これがこの馬の最高着順になった。

ロンシャンの二年

年が明けても、この馬はヨーロッパに残った。1986年はロンシャンが主戦場になる。四月のエドウビル賞で五着。五月のシーシック賞は三着。六月にはイタリアへ渡ってミラノ大賞典を五着。夏のゴントー・ビロン賞が四着で、九月のフォワ賞では二着まで来た。 十月五日、凱旋門賞。この年の勝ち馬はダンシングブレーヴである。十五頭立ての十四着だった。 父モガミの産駒は、スタミナで押す馬が多く、決め手の勝負を苦手とした。気性の難しさでも知られた血である。その特徴が、ヨーロッパの芝で実を結ぶことはなかった。二週間後のコンセイユ・ド・パリ賞が四着。翌春はサンクルーのエドモンブラン賞四着、アルクール賞八着、そして1987年5月2日のガネー賞七着を最後に、この馬は帰国する。 海を渡ってからの十四戦。一度も勝てなかった。二本柳の厩舎からも、加藤の手からも離れた二年だった。

戻ってきた背中

1987年10月11日、東京の毎日王冠。鞍上は加藤に戻っていた。日本のレースに出るのは、ダービー以来である。結果は八着。勝ったのはダイナアクトレス。三週間後の天皇賞・秋は九着で、勝ったニッポーテイオーから一秒七も離された。 1988年は夏の函館から始めた。青函トンネル開通記念で二着。函館記念は、レコードで駆け抜けたサッカーボーイの四着だった。 十月九日、毎日王冠。ゲート入りの前にシリウスシンボリは他馬を蹴り、レジェンドテイオーは発走除外になった。この馬の気性は、最後まで角が取れなかったのである。それでもレースでは、勝ったオグリキャップから〇秒二差の二着に踏ん張っている。七歳(現在の六歳)の秋だった。 十月三十日の天皇賞・秋は七着。勝ったのはタマモクロス。レース後に骨折が判明し、この馬は現役を退いた。 最初の一戦と、最後の一戦。どちらもこの馬の背には、加藤和宏がいた。

三十歳

1989年から、日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬になった。大きく走る産駒は出なかった。1996年の種付けを最後に種牡馬を退き、シンジケートの会長を務めた沖田正憲の牧場へ移る。以後の十五年余りを、この馬は日高で過ごした。生まれた門別町も、2006年の合併でいまは日高町の一部である。 2012年4月8日の夕方、馬房で立てなくなった。午後十時ごろ、眠るように息を引き取ったという。三十歳。そのとき生きていたダービー馬のなかで、いちばんの長寿だった。沖田は、年齢が年齢だから仕方がないと前置きしたうえで、「ファンの多い馬だったので残念です」[^1]と言葉を残している。 加藤和宏は1989年に二本柳厩舎を出てフリーになり、1993年のエリザベス女王杯をホクトベガで勝った。2005年に騎手を引退し、美浦に自分の厩舎を開く。調教師として初めてGIを勝ったのは2014年、シドニーのランドウィックである。ハナズゴールのオールエイジドステークス。海の向こうで掴んだ、初めての大レースだった。 仕掛けが早すぎた、と馬主は言った。けれど着差は三馬身あり、それから三年半のち、骨折で競走をやめるまでこの馬の背にいたのも同じ男である。ヨーロッパの十四戦で、勝ち馬の欄にこの名が載ることはなかった。それでも一頭と一人は、海を渡って帰ってきたという一点を、最後まで分け合っていた。門別の三月に生まれた鹿毛は、名を変えた同じ町で、三十度目の春を見終えた。

出典:スポーツニッポン「30歳眠るように…85年ダービー馬シリウスシンボリ死す」2012年4月10日配信、https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/04/10/kiji/K20120410003013810.html、閲覧日:2026年8月3日。

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