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サッカーボーイ
通算成績11戦6勝
獲得賞金2億1,993万円
生年月日 1985.04.28(昭和60年)毛色 栃栗毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 3人気 | 河内洋 | 2:34.3 | 上り35.5 | 映像 | |
| 1 | GIマイルCS | 京都 芝1600 | 1人気 | 河内洋 | 1:35.3 | 上り35.2 | 映像 | |
| 1 | GIII函館記念 | 函館 芝2000 | 1人気 | 河内洋 | 1:57.8 | 上り35.6 | — | |
| 1 | GIII中日スポーツ賞4歳S | 中京 芝1800 | 2人気 | 河内洋 | 1:48.9 | 上り34.1 | — | |
| 15 | GI東京優駿 | 東京 芝2400 | 1人気 | 河内洋 | 2:28.0 | 上り36.8 | 映像 | |
| 4 | GIINHK杯 | 東京 芝2000 | 1人気 | 河内洋 | 2:02.4 | 上り35.8 | — | |
| 3 | GII弥生賞 | 東京 芝2000 | 1人気 | 内山正博 | 2:01.5 | 上り35.5 | — | |
| 1 | GI阪神3歳S | 阪神 芝1600 | 1人気 | 内山正博 | 1:34.5 | 上り36.2 | — | |
| 1 | OPもみじ賞 | 京都 芝1600 | 1人気 | 内山正博 | 1:36.4 | 上り36.8 | — | |
| 4 | GIII函館3歳S | 函館 芝1200 | 3人気 | 内山正博 | 1:12.9 | 上り37.2 | — | |
| 1 | 3歳新馬 | 函館 芝1200 | 1人気 | 内山正博 | 1:14.5 | 上り39.2 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父ディクタスDictus | Sanctus | Fine Top |
| Sanelta | ||
| Doronic | Worden | |
| Dulzetta | ||
| 母ダイナサッシュ | ノーザンテーストNorthern Taste | Northern Dancer |
| Lady Victoria | ||
| ロイヤルサッシュRoyal Sash | Princely Gift | |
| Sash of Honour |
旅程 — この馬の物語
1985年生まれの栃栗毛の牡馬。父ディクタス、母ダイナサッシュ。主な勝ち鞍は阪神3歳S・マイルCS・中日スポーツ賞4歳S。
白老の栃栗毛 ― 足もとの弱さと一緒に
1966年にイギリスで生まれたロイヤルサッシュは、競走馬としては一度走って勝てなかった。1973年に日本へ渡り、北海道白老町の社台ファームで母になる。その娘が1979年生まれのダイナサッシュ。この母も競走馬としては9戦して未勝利で、生まれた牧場に戻って繁殖入りした。 ダイナサッシュがフランス産の種牡馬ディクタスとの間に産んだ2番仔が、1985年4月28日、白老に生まれた栃栗毛の牡馬である。当時の白老の牧場長・大須賀康忠は、生まれたころは小さく、とくべつ大物という印象はなかったと述懐している。 ところが育つにつれて手に負えなくなった。牧柵を飛び越える。後ろ脚二本で立って歩く。気の強さと運動能力が同じ速さで伸びていた。その一方で、この馬は生まれつき脚に不安を抱えてもいる。蹄の壁が割れる裂蹄の危険が、いつも足もとにあった。 離乳後に移った苫小牧の育成牧場では、牧場長の大沢俊一が太鼓判を押した。長年この仕事をしているが、乗っていて背筋がぞくぞくしてきた馬はこれが初めてだ、と。 社台レースホースの所有馬となり、サッカーボーイという名が付いた。1987年5月、栗東の小野幸治厩舎へ入る。
弾丸シュート ― 一九八七年の四戦
1987年8月9日、函館の芝1200メートル。内山正博を背にしたデビュー戦は、直線だけで9馬身の差がついた。次の函館3歳ステークスは出遅れて4着。それでも京都のもみじ賞では、また出遅れたうえで最終コーナーから内を選び、後続を10馬身突き放している。負け方より、勝ち方のほうが異様だった。 12月20日、阪神3歳ステークス。当時の数え方で三歳、いまでいう二歳の暮れの決勝戦である。先頭が前半800メートルを46秒1で通過する速い流れを中団で追い、三コーナーで外へ持ち出すと、先行勢に取り付けたのは彼一頭だけだった。直線で逃げ粘るジンデンボーイを外から差し切り、あとは独走。8馬身差の圧勝で、走破時計は1分34秒5。16年間動かなかったこのコースの記録を0.6秒縮めた。 ミスターシクレノンで8着に敗れた田原成貴は、あまりに速すぎて、かえってクラシックが心配になるほどだと評した。褒め言葉の形をした予言だった。 この年のJRA賞最優秀3歳牡馬には、全143票のうち127票を集めて選ばれる。ハンデキャッパーが与えた評価は56キロ。世代の頭ひとつぶん上という数字で、テンポイントの同時期と並んだ。新聞の見出しは関東にまで「テンポイントの再来」と躍った。
府中の大外 ― 一番人気が沈んだ日
1988年、中山競馬場はスタンドの建て替えに入っていた。春の中山開催は東京へ移され、弥生賞も皐月賞も府中の芝で行われている。 3月6日の弥生賞は単勝1.6倍。逃げたサクラチヨノオーを捕まえきれず3着に終わった。皐月賞は蹄の状態が悪化し、飛節炎も出て回避する。足もとの弱さが、初めて出走そのものを奪った。 目標はダービーひとつに切り替わり、5月8日のNHK杯から鞍上が河内洋になった。中団の内で我慢しての4着。持ち帰ったのは優先出走権だけだった。 5月29日、東京優駿。24頭立ての8枠22番。年が明けてから一度も勝っていないにもかかわらず、皐月賞を勝ったヤエノムテキを押しのけて単勝5.8倍の1番人気に推された。前年の王者への信頼は、それだけ深かった。 ゲートが開くと後方。直線で全く伸びず、15着。 「ダービーは状態もいまひとつの上に24頭立ての22番枠だったので参考外」[^1]。河内は後年そう振り返っている。ただしその日の府中が見たのは、期待を裏切った一番人気という一行だけだった。
出典:スポーツニッポン(スポニチ競馬Web)「【1988年・函館記念】河内騎手 自信の追い込み生んだ名馬の記憶」2020年7月17日配信、https://keiba.sponichi.co.jp/news/20200716s00004048559000c 、閲覧日:2026年8月3日。
中京の半馬身 ― 河内が降りなくなる
夏休みは取らなかった。7月3日、中京の中日スポーツ賞4歳ステークス。皐月賞馬ヤエノムテキも休まず続戦しており、単勝1.8倍で1番人気。サッカーボーイは3.4倍の2番人気。単枠指定は二頭ともに出された。 流れは遅く、前が止まらない。サッカーボーイは後方のまま四コーナーを回り、直線で大外へ持ち出す。そのときすでに、二番手から抜け出したヤエノムテキが先頭にいた。届く形ではなかった。届いた。ゴール手前で半馬身、皐月賞馬を差し切っている。年が明けて初めての勝利だった。 この一戦で、河内は馬を掴む。小細工はいらない、少々外を回っても気分よく走らせればはじける――そう分かったと語っている。以後、彼はこの馬から降りなくなった。「他馬の騎乗依頼も来たけど“100%勝てる馬がいるから”と言って全てお断りしました」[^1] 気性は決して素直ではない。それでも河内が自信を持てた背景には、かつて天皇賞(春)をともに勝ったカツラノハイセイコの記憶があった。掛かり、行きたがらず、真っ直ぐ走らない馬をなだめて走らせた経験が、この栃栗毛に生きたのだと本人は言っている。
出典:スポーツニッポン(スポニチ競馬Web)「【1988年・函館記念】河内騎手 自信の追い込み生んだ名馬の記憶」2020年7月17日配信、https://keiba.sponichi.co.jp/news/20200716s00004048559000c 、閲覧日:2026年8月3日。
函館、一分五十七秒八
8月21日の函館記念が、古馬との初対戦になった。相手が濃い。ダービー馬が二頭――メリーナイスとシリウスシンボリ。牝馬二冠のマックスビューティもいる。夏のローカルとは思えない顔ぶれの中で、単勝2.2倍の1番人気に支持されたのは、古馬ではなくサッカーボーイだった。 後方から三コーナーで外を上がり、最終コーナーでは先頭のトウショウサミットに並びかける。直線で前に出ると、好位で待っていたダービー馬たちは反応できなかった。差は開くだけ開いて、5馬身。 1分57秒8。二年前にニッポーテイオーがこのコースに残していた記録を0.8秒、サクラユタカオーが天皇賞(秋)でつくった芝2000メートルの日本記録を0.5秒、まとめて削り取った時計だった。 この数字は、その後およそ37年、函館の芝2000メートルに立ち続ける。破られたのは2025年6月29日、同じ函館記念でのことである。中央競馬の芝コースに残る記録のうち、昭和に出されたものとして最後まで生きていたのが、この一分五十七秒八だった。
京都、坂を下る ― 十一月二十日
秋は天皇賞にも菊花賞にも色気があった。だが前哨戦に選んだ京都新聞杯の前に左前脚の球節を捻挫し、その二つが同時に消える。残ったのが、京都のマイルだった。 ゲートが開く。いつもどおり後ろにいる。京都の外回りは、三コーナーの手前から四コーナーにかけて長い坂を下っていく。ここで脚を使わされる馬もいれば、下りで気分の乗る馬もいる。この日は後者だった。坂を下りるときの行きっぷりが良かったので四コーナーで勝てると思った、と河内はのちに語っている。 外へ持ち出して四コーナーを回った。前は遠い。逃げるミスターボーイとの間は、まだ五馬身ある。京都の直線は、そう長くない。 残り二百メートル。そこで前の馬をかわした。並んで競り合う時間はなかった。かわしてから、差がもう一度開きはじめる。 ゴール板の前で四馬身。二つ目のGIを、この馬は自分の脚が最も速く回る場所で獲った。
歯を折った暮れ
12月25日、中山の有馬記念。単枠指定は三頭だった。タマモクロス、オグリキャップ、そしてサッカーボーイ。人気もその順に並んだ。 異変は枠入りの直後に起きる。発馬機の中で暴れ、歯を折り、鼻血を出した。そのままスタートで出遅れ、最後方からの競馬になる。 直線は大外を回って伸びた。だが前では、二番手から抜け出したタマモクロスを、五、六番手を進んでいたオグリキャップが四コーナーからの進出でかわしている。二頭に2馬身届かない四位入線。三位で入ったスーパークリークが他馬の進路を妨害して失格となり、着順は3着に繰り上がった。 この年のJRA賞では最優秀スプリンターに選ばれる。河内はこの年、重賞を13勝して自身の年間記録を塗り替えている。うち三つが、この馬の勝ち鞍だった。 1989年はマイラーズカップから始める予定だったが、骨折で崩れる。続いて「砂のぼり」と呼ばれる蹄の病が右後脚を襲った。夏には函館へ入厩し、秋の天皇賞まで見据えていたのに、脚元の不安が戻ってきて結局戻れない。11回ゲートに入り6回勝った競走生活は、1988年の暮れで終わっていた。
速さで残る
種牡馬になると、距離が持たないと言われた馬の産駒が、長い距離を勝ちはじめた。1999年、ナリタトップロードが菊花賞を制す。2002年にはヒシミラクルが同じ京都の3000メートルを勝ち、翌年には天皇賞(春)と宝塚記念を続けて獲った。母の父としても、ダンスインザダーク産駒のツルマルボーイが2004年の安田記念を勝っている。 血のほうも太くなった。全妹のゴールデンサッシュがサンデーサイレンスとの間に産んだのがステイゴールドで、サッカーボーイにとっては甥にあたる。その甥からオルフェーヴルとゴールドシップが出た。 2011年10月7日、社台スタリオンステーションで死んだ。26歳。死因は蹄葉炎だった。白老の放牧地で裂蹄を心配されていたころから、この馬はずっと自分の足もとと付き合ってきたことになる。 河内洋は、府中で15着に沈んだ日から12年後の2000年、アグネスフライトでダービーを勝つ。デビュー27年目、45歳。ずっと憧れてきたレースだったと語ったその一勝を、彼は四十代の半ばまで手にできずにいた。 阪神の暮れに、速すぎてクラシックが心配だと評された馬は、評されたとおりクラシックを一つも獲れなかった。代わりに、夏の函館へ時計を置いていった。37年、その数字は動かなかった。だから人がこの馬を思い出すとき、口をつくのは冠の数ではない。函館の直線をひとりで駆け抜けた、あの夏の速さのことだ。
産駒 — 旅を継ぐ馬
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