名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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スーパークリークのイメージビジュアル
スーパークリークSuper Creek
Super Creek

スーパークリーク

通算成績16戦8勝

獲得賞金55,610万円

生年月日 1985.05.27(昭和60年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
スーパークリークの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 1人気 武豊 2:26.9 上り46.5
1 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 1人気 武豊 3:21.9 上り48.0映像
1 GII産經大阪杯 阪神 芝2000 1人気 武豊 2:02.9 上り49.6
2 GI有馬記念 中山 芝2500 2人気 武豊 2:31.7 上り36.4映像
4 GIジャパンカップ 東京 芝2400 1人気 武豊 2:22.7 上り48.1映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 武豊 1:59.1 上り46.3映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 1人気 武豊 2:25.0 上り46.6
GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 武豊 2:34.1 上り35.6映像
1 GI菊花賞 京都 芝3000 3人気 武豊 3:07.3 上り47.5映像
6 GII京都新聞杯 京都 芝2200 4人気 武豊 2:15.6 上り49.2
3 GII神戸新聞杯 阪神 芝2000 4人気 武豊 2:05.5 上り49.0
1 OPすみれ賞 阪神 芝2200 3人気 武豊 2:18.8 上り48.0
3 GIIIきさらぎ賞 京都 芝2000 4人気 南井克巳 2:04.5 上り47.0
4 福寿草特別 京都 芝2000 1人気 田原成貴 2:06.5 上り49.3
1 3歳新馬 阪神 芝2000 1人気 田原成貴 2:03.7 上り48.6
2 3歳新馬 阪神 芝2000 4人気 田原成貴 2:03.1 上り48.9

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
スーパークリークの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ノーアテンションNo AttentionGreen DancerNijinsky
Green Valley
No No NanetteSovereign Path
Nuclea
ナイスデイインターメゾIntermezzoHornbeam
Plaza
サチノヒメSayajirao
セントマキシムSainte Maxime
STORY

旅程 — この馬の物語

1985年生まれの鹿毛の牡馬。父ノーアテンション、母ナイスデイ。主な勝ち鞍は菊花賞・天皇賞(秋)・天皇賞(春)。

二度、売れ残った仔

1985年5月27日、北海道門別町の柏台牧場に鹿毛の牡馬が生まれた。左の前脚が外を向いていた。生まれつきの歪みで、これは生涯なおらない。 柏台牧場は、天皇賞(春)や菊花賞を勝てる馬をつくるという方針を掲げていた。この仔の配合を考えたのは、牧場と親しかった岡田繁幸である。父ノーアテンションは現役時代のステイヤー。母の父インターメゾと、祖母の父サヤジラオは、どちらもイギリスの長距離の大競走セントレジャーを勝っている。当時としても、ここまで長距離に振り切った血は珍しかった。 ただ、市場が見たのは血ではなく脚だった。当歳の夏のセリで買い手がつかない。翌年の夏も同じだった。二度の主取り、つまり二度、売れ残ったことになる。 惜しんだのが栗東の調教師・伊藤修司である。歩かせてみると動きがいい、脚に難はあるがこれぐらいなら何とかなる。そう見た伊藤は、馬主の木倉誠に購買の話を持ちかけた。木倉と、柏台牧場を営む相馬和胤が旧知だったこともあって、話は秋のセリでまとまる。落札額は八百十万円。開始価格に十万円を足しただけの値だった。 名前は、その値段の上に置かれた。今は小川でも、いつか大河になってほしい——スーパークリーク。 母のナイスデイは地方競馬で一勝している。母の従兄弟には、大阪杯と金杯を勝ったケイタカシ、日経新春杯を勝ったケイシュウがいた。華やかではないが、長い距離で粘る一族ではあった。 デビューは遅れた。夏に函館へ入ったところで重い下痢をして、初戦は十二月の阪神まで延びる。田原成貴が乗った一戦目は、直線で内へ内へと斜行しながらの2着。三週間後の二戦目で勝ち上がった。田原はこのとき、この馬はひょっとすると大変な大物かもしれない、と口にしている。

「様子を見てきてくれ」

1988年の年明け、京都の福寿草特別。1番人気に推されて4着に敗れた。勝ったのはマイネルフリッセである。 重賞初挑戦のきさらぎ賞は南井克巳が手綱を取って3着。そして三月、阪神のすみれ賞で、デビュー二年目の武豊が初めてこの馬に跨がった。 伊藤からの指示は一つだけだった。「脚を痛がっているから、様子を見てきてくれ」[^1] 武は道中をそっと運び、勝負どころで軽く仕掛けた。返ってきた反応が鋭かった。前をまとめて差し切って、二勝目。様子を見るだけのはずの一鞍で、若い騎手は自分が何に乗っているのかを知ってしまった。 目標は東京優駿(日本ダービー)に定まる。ところが青葉賞へ向けた調教で、左の前脚を骨折した。ダービーは断念。休養は半年に及んだ。生まれたときから外を向いていた脚が、最初の期限を切った。

出典:Number Web「<武豊 8大競走名勝負ギャラリー>1988 菊花賞 スーパークリーク『“天才”が目覚めた日』」2016年10月20日配信、https://number.bunshun.jp/articles/-/838210 、閲覧日:2026年8月3日。

逆指名

九月、半年ぶりの実戦となった神戸新聞杯は重馬場の3着。それでも陣営には手ごたえがあった。ふつうに走れさえすれば五着以内は堅い——そう見て、五着までに菊花賞の優先出走権が出る京都新聞杯へ向かう。 ところが直線に向いてすぐ、前が壁になった。そのうえ隣を走るガクエンツービートの鞍上が振るう左ステッキが、何発もクリークの顔に当たっている。6着。優先出走権は取れなかった。伊藤はあんなバカなことがあるかと血相を変え、武はあれほどの不利を受けたのは初めてだと言った。 菊花賞には三十六頭が登録し、獲得賞金の順でクリークは十九番目だった。回避する馬が出なければ、そもそもゲートに入れない。 武豊には、ほかに三頭、乗れる登録馬があった。それでも武は動かなかった。クリークで出られないのなら、菊花賞に参加できなくてもかまわない。そう言い切って、待った。 動いたのは、この馬の配合を考えた岡田繁幸である。自分が運営するクラブの所有馬マイネルフリッセの出走辞退を表明した。年明けの福寿草特別で、クリークを負かしていた馬だった。さらにセンシュオーカンが回避し、クリークは抽選を経ずに枠へ滑り込む。 強い馬が走るべきだ、という理屈だけで、一頭ぶんの椅子が空いた。

五馬身

十一月六日、京都、芝三千メートル。十八頭立ての3番人気。上にはヤエノムテキとディクターランドがいた。 十七番の外枠から出て、中団のやや後ろにつける。一周目のスタンド前では、仮柵が外されて踏み荒らされていない内側の五メートル——「じゅうたんコース」と呼ばれた帯——に馬体を入れた。長い一周のなかで、脚を使わずに得をする場所である。 第2コーナーで、もうヤエノムテキが射程に入っていた。第4コーナーからは内を突いて一気に押し上げる。直線は独走だった。二着に五馬身。 その二着に来たのがガクエンツービートである。賞金の順で最後尾を争い、そろって回避馬を待っていた二頭が、そのまま一着と二着で菊花賞を分け合った。 人にとっても馬にとっても、初めてのGIだった。武豊は十九歳。菊花賞を勝った最年少の騎手であり、この記録はいまも書き換えられていない。父・武邦彦との菊花賞親子制覇でもあった。伊藤修司にとっては、1965年の札幌記念から数えて二十四年続けての重賞勝ちだった。 菊花賞を勝てる馬をつくる。柏台牧場が掲げた方針は、書かれたとおりの場所に着地した。

着順表に残らなかった三着

十二月二十五日、中山。ファン投票の上位に名前はなく、推薦委員会の選考枠で有馬記念に出た。単勝七・四倍の4番人気。上にはタマモクロスオグリキャップサッカーボーイが並んでいる。 レジェンドテイオーが逃げ、オグリキャップが六番手、クリークはそれをマークする位置を進んだ。第3コーナーからタマモクロスが大外を一気にまくり、第4コーナーでオグリキャップに並びかける。直線はその二頭の競り合いになった。クリークは内を割って伸び、三番目にゴール板を過ぎた。 それでも、着順表に三着とは残らなかった。残り一ハロン、スズパレードの外へ出ようとしたときにメジロデュレンの前をふさいでいる。裁決は失格。三着はうしろから来たサッカーボーイに繰り上がり、武豊はこの年三度目の騎乗停止を受けた。走った脚は正しかった。進路の取り方が正しくなかった。 年が明けて昭和が終わり、この一戦は昭和最後のGIとして語られるようになる。クリークにとっては、そこからが長かった。後脚の筋肉痛が抜けず、1989年の春は一戦も使えない。天皇賞(春)も宝塚記念も、走らないまま過ぎた。 その春の天皇賞を勝ったのは、武豊である。かかる癖のある馬をなだめられる騎手として、イナリワン陣営が指名した。主戦馬が戦線を離れていたから受けられた依頼だった。父・邦彦が十九度挑んで届かなかったレースを、息子は初挑戦で勝っている。 クリークが戻ってきたのは十月だった。京都大賞典で、エリモジョージが十三年守っていたコースレコードを塗り替える。休み明けの一戦である。

クビ

十月二十九日、東京。第100回天皇賞。オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン——のちに平成三強と呼ばれる三頭が、初めて同じレースに揃った日である。 枠は八枠十四番。いちばん外だった。当時の東京の芝二千メートルで、大外枠は不利とされていた。最初のコーナーまでが短く、外の馬ほど位置を取りにくいからである。 ゲートが開く。レジェンドテイオーが前へ出た。武は迷わなかった。大外から押していって、三番手を確保する。不利だと言われていた枠から、いちばん楽な場所を先に押さえてしまった。オグリキャップは七番手。イナリワンは後方にいる。 向正面のなかほどで、時計がいちど緩んだ。発走直後を別にすれば、この日いちばん遅い区間である。息を整えられるのは、そこまでだった。 そこから先、時計は一度も戻らなかった。二百メートルごとのラップは緩むことなく刻まれ、最後の二百メートルがこの日いちばん速い。息を入れる場所が、どこにもない。前にいる馬ほど脚を削られていく形である。 直線に向いて残り四百メートル、メジロアルダンがレジェンドテイオーを交わして先頭に立った。クリークは、まだ動かない。オグリキャップは前を探していた。開かない。 残り二百メートルで、武が仕掛ける。クリークがアルダンを飲み込んで、先頭に出た。 ここからが、この馬のいちばん危ないところだった。先頭に立つと気を抜くところがある——勝ったあとで武はそう明かしている。抜け出したあとの二百メートルは、追い出しの二百メートルであると同時に、気を抜かせない二百メートルでもあった。 オグリキャップが追ってくる。並ばない。届かない。クビ。時計は二頭とも同じだった。 レース後、武は百二十パーセントの騎乗ができたと言った。伊藤は、玄人が見ても一分の隙もない乗り方だったと評している。オグリキャップの南井克巳は、直線で進路が無くなったことだけは悔いが残ると語り、その夜は眠れなかったという。

三強のなかの一頭

一か月後のジャパンカップで、クリークは1番人気に推された。勝ったのはホーリックス、二着がオグリキャップ。二頭が刻んだのは当時の世界レコードで、クリークはそこから三馬身半うしろの4着だった。負けたというより、置いていかれた。 十二月二十四日、雨の中山。有馬記念は、オグリキャップとクリークの二頭だけが単枠に指定される「二強」のムードで始まる。 ダイナカーペンターが逃げ、先行策を打ち合わせていたオグリキャップが二番手、クリークは四番手を進んだ。第4コーナーでオグリキャップが先頭に立つ。クリークはすぐに交わした。坂を上りきって、あとは押し切るだけだった。 残り百メートル。外から来たのはイナリワンである。武はそのとき、オグリキャップが差し返してきたのだと思ったという。ゴール板の上で入れ替わり、ハナ差の2着。イナリワンシンボリルドルフのレースレコードを一秒一縮めていた。 1989年の古馬戦線は、この三頭の名前でほぼ埋まった。平成三強という呼び名が定着したのも、この秋である。ただ、三頭のなかでクリークの立ち位置だけは少し違った。 天皇賞でオグリキャップを負かしたあと、武のもとには嫌がらせの手紙が山のように届いたという。オグリキャップは競馬場の外まで届く人気の中心にいて、クリークはそれを止めた馬だった。勝つほど、恨まれる側へ回る。

秋のつぎに、春

1990年4月1日、阪神の産經大阪杯。五十九キロを背負って1番人気に応え、危なげなく勝った。母の従兄弟のケイタカシが名を残したのと同じレースである。長距離を意識して組まれた血は、二千メートルでも足りていた。 四月二十九日、京都。芝三千二百メートルの天皇賞(春)。1番人気。イナリワンを半馬身抑えて、先にゴールへ入った。 前の年の春、この長い一周を勝ったのは武豊とイナリワンだった。今度は武豊がクリークに乗って、イナリワンの前へ出た。天皇賞は三度続けて、この騎手のものになる。 天皇賞を続けて二つ勝った馬は、1988年のタマモクロスに次いで史上二頭目である。菊花賞、天皇賞(秋)、天皇賞(春)。柏台牧場が作りたかった馬の履歴書が、ここで完成した。 次は宝塚記念のはずだった。筋肉痛が出て回避する。取り沙汰されていた凱旋門賞への遠征も、そこで白紙になった。 秋は京都大賞典から戻ってきた。六頭立ての重馬場を五十九キロで勝ち、グレード制が敷かれてから初めての同レース連覇となる。 そのレースの直後、左前脚に繋靭帯炎——球節を支える靭帯の炎症が見つかった。天皇賞(秋)を回避。そのまま、戻ってこなかった。生まれたときから外を向いていた脚が、最後の期限を切った。

大河

1991年1月、中山と京都でそれぞれ引退式が行われた。総額十五億円のシンジケートが組まれ、北海道浦河町の日高スタリオンステーションへ入る。オグリキャップも、イナリワンも、同じ年に種牡馬になった。 供用された十数年で、菊花賞や天皇賞に届く産駒は出ていない。ブラッドスポーツの尺度で言えば、この馬が遺したのは血ではなく、走った記録のほうである。 それでも、名前が約束したものは別の場所で果たされた。1990年、武豊は木倉誠の助力でフランスへ渡っている。二戦目で勝ち、キャッシュ・アスムッセンとの縁を持って帰ってきた。関西の若い騎手が、外へ出ていく最初の一歩だった。 のちに武は、この馬との出会いを自分の原点だと言うようになる。あの馬がいなかったらこれほどGIに乗ることはなかった、この馬と一緒に全国区になったのだ、と。 2010年8月29日、日高で息を引き取った。二十五歳。夏の終わりだった。 あの秋、オグリキャップを負かしたことで山のように届いた手紙は、もうどこにも残っていない。残ったのは、いまもあの騎手が自分の原点として名を挙げる馬のほうだった。八百十万円で誰も手を挙げなかった鹿毛。左の前脚は、最後まで外を向いていた。 今は小川でも、いつか大河に。名づけた人が思い描いたのは、たぶん血の流れのことだったろう。水は別の方角へ落ちて、いまも一人の騎手の名前のなかを通っている。

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