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ツルマルツヨシ
通算成績11戦5勝
獲得賞金1億7,428万円
生年月日 1995.04.06(平成7年)毛色 黒鹿毛性 牡
全成績
主要戦績(抜粋)・新しい順| 年月日 | 着順 | レース | コース | 人気 | 騎手 | タイム | 上り3F | 映像 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 中 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 4人気 | 藤田伸二 | — | 映像 | ||
| 6 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 3人気 | 藤田伸二 | 2:26.7 | 上り34.0 | 映像 | |
| 4 | GI有馬記念 | 中山 芝2500 | 6人気 | 藤田伸二 | 2:37.3 | 上り34.8 | 映像 | |
| 8 | GI天皇賞(秋) | 東京 芝2000 | 2人気 | 藤田伸二 | 1:58.6 | 上り35.6 | 映像 | |
| 1 | GII京都大賞典 | 京都 芝2400 | 4人気 | 藤田伸二 | 2:24.3 | 上り34.3 | — | |
| 1 | GIII朝日チャレンジカップ | 阪神 芝2000 | 5人気 | 藤田伸二 | 1:59.5 | 上り35.6 | — | |
| 3 | GIIITV西日本北九州記念 | 小倉 芝1800 | 3人気 | 藤田伸二 | 1:46.0 | 上り35.3 | — | |
| 1 | 三河特別 | 中京 芝1800 | 1人気 | 藤田伸二 | 1:48.8 | 上り35.2 | — | |
| 取 | 稲荷特別 | 京都 芝2000 | 藤田伸二 | — | — | |||
| 1 | 犬山特別 | 中京 芝2000 | 2人気 | 佐藤哲三 | 2:02.1 | 上り35.5 | — | |
| 5 | 逢坂山特別 | 京都 芝1800 | 8人気 | 藤田伸二 | 1:47.3 | 上り35.4 | — | |
| 1 | 4歳未勝利 | 京都 ダ1400 | 5人気 | 藤田伸二 | 1:25.6 | 上り37.7 | — |
血統
金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ| 父シンボリルドルフSymboli Rudolf | パーソロンPartholon | Milesian |
| Paleo | ||
| スイートルナ | スピードシンボリSpeed Symboli | |
| ダンスタイムDance Time | ||
| 母スィートシエロSweet Cielo | Conquistador Cielo | Mr. Prospector |
| K D Princess | ||
| Change Water | Swaps | |
| Portage |
旅程 — この馬の物語
1995年生まれの黒鹿毛の牡馬。父シンボリルドルフ、母スィートシエロ。主な勝ち鞍は朝日チャレンジカップ・京都大賞典。
沙流郡の黒鹿毛
1995年4月6日、北海道沙流郡のシンボリ牧場で黒鹿毛の牡馬が生まれた。父はシンボリルドルフ。無敗の三冠を含めてGIを七つ勝ち、引退後はシンボリ牧場で種牡馬になった、あの皇帝である。 母スィートシエロはアメリカ産だった。その姉フォールアスペンは米GIメイトロンステークスを勝った名牝で、産駒には1994年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬ティンバーカントリーや、のちにドバイミレニアムを産むコロラドダンサーがいる。血の上では、どこに出しても見劣りしない一頭だった。 馬主は宮崎県三股町の鶴田任男。冠名は「ツルマル」、勝負服は紫地に黄の山形二本輪、袖だけが桃色という配色である。鶴田は所有馬の命名を、はじめは自分でしていたが、のちには調教師や担当厩務員に任せるようになったという。この馬に付いたのは、ツヨシという、人の名前のような四文字だった。預けられたのは栗東の二分久男厩舎。日々この馬の世話をしたのは、中西繁夫という厩務員である。 競走馬としての登録は1997年10月。ところが、初めてゲートに入ったのは年が明けた1998年5月2日だった。新馬戦を一度も使えないまま、京都のダート1400メートルの未勝利戦に遅れて出てきて、5番人気でそれを勝った。鞍上は藤田伸二。以後この馬の背には、ほとんど一人しか乗らない。
出ては、休んだ
体は、血ほど強くなかった。 1998年の秋、京都の逢坂山特別で8番人気の5着。三週間後、中京の犬山特別を勝つ。この一戦だけ手綱を取ったのは佐藤哲三だった。年が明けて京都の稲荷特別に名を連ねたが、この馬はゲートに入らないまま出走を取り消している。体質が弱く、使っては休みに戻るローテーションが続いた。デビューからの一年で、実際に走れたのは三戦しかない。 順調に使えるようになったのは1999年の夏からである。6月、中京の三河特別を1番人気で勝った。7月の北九州記念ではハンデが51キロ。小倉の芝1800メートルを九番手あたりで折り合い、四コーナーで四、五番手まで押し上げて3着に届いた。勝ったエイシンビンセンスはこの日、コースレコードを出している。重賞でも足りる——それだけが手土産だった。 9月12日、阪神の朝日チャレンジカップ。斤量は54キロ、5番人気。四コーナーを回ってもまだ十二頭の八、九番手にいた。そこから追い出されると、直線だけで先頭に立った。1馬身半差の1着、重賞初制覇である。 この日、同じ紫の勝負服がもう一頭走っていた。鶴田のツルマルガイセンが6着。そして同じ二分厩舎のテイエムオオアラシが12着だった。鶴田が馬主として初めて重賞を勝ったのも、五年前のこのレースである。 父にとっても久しぶりの報せだった。二世代目のアイルトンシンボリたちが走ったあと、シンボリルドルフは中央の重賞勝ち馬を出せずにいる。その空白を破ったのが、この馬だった。
一九九九年十月十日、動かない四番手
京都の芝2400メートルに十頭が並んだ。晴れ、馬場は良。 先手を取ったのはミスズシャルダン、二番手にブリリアントロード。ツルマルツヨシは三番手から五番手の一団のなかにいて、武豊のスペシャルウィークも同じ塊にいた。藤田伸二は、そこから一度も動かない。 最初の三ハロンは13秒1、12秒0、11秒7。向正面に入ると流れが緩む。12秒8、12秒6。息を入れる時間が、たっぷりとあった。 三コーナーに入るころ、スペシャルウィークが前の二頭に並びかけ、先頭集団が三頭になる。ツルマルツヨシは動かない。四番手のまま、テイエムオペラオーとステイゴールドを従えて、そのまま四コーナーを回った。 残り800メートルの標識のあたりで、一ハロンが11秒2に速くなる。そこからゴールまで、ラップは11秒台のまま落ちなかった。11秒5、11秒2、11秒8。最後の800メートルを45秒7で駆ける、長い追い比べになる。 坂を下って直線を向き、藤田がようやく追い出した。前にいたスペシャルウィークは、そこから後退していく。ツルマルツヨシは上がり三ハロン——最後の600メートル——を34秒3でまとめ、2分24秒3で先頭のままゴール板を通った。 後方の一団から、一頭だけ脚色の違う馬が迫っていた。メジロブライトである。届いた差は四分の三馬身。そのクビ差の内で、テイエムオペラオーが三着に入っている。ステイゴールドは六着、スペシャルウィークは七着だった。
五十八キロの秋
京都で4番人気だった馬は、三週間後の東京で2番人気に推された。天皇賞・秋。GIは、これが初めてである。 京都大賞典でのツルマルツヨシの斤量は57キロだった。メジロブライトとスペシャルウィークは59キロを背負っていた。天皇賞は定量で、その2キロの差が消える。おまけに枠は十七頭立ての大外、十七番だった。 道中は十番手前後。直線で35秒6の脚を使って追い上げたが、前とは0秒6の差が残った。8着。勝ったスペシャルウィークは1分58秒0のレコードだった。同じ相手に、同じ重さで、逆の答えが返ってきたことになる。 12月26日、中山。有馬記念に6番人気で出走した。 三コーナーまでは中団の八番手前後。四コーナーで藤田が一気に押し上げた。曲がり終えたとき、ツルマルツヨシは三、四番手にいた。すぐ隣を回っていたのがグラスワンダーである。 直線、グラスワンダーとスペシャルウィークがハナ差でもつれ、そこへテイエムオペラオーがクビ差で加わった。三頭の時計は2分37秒2。その半馬身後ろ、2分37秒3で四番目にゴール板を通ったのがツルマルツヨシだった。いまも語り継がれるあの決着の、すぐ後ろにこの馬はいた。 だが代償があった。このあと骨瘤を発症し、長い休養に入る。ターフに戻れたのは翌年の秋である。
最後の直線
2000年10月8日、京都大賞典。一年ぶりの実戦を3番人気で迎えた。位置取りは前年とほぼ同じ四、五番手。上がりは34秒0で、決して見劣りする脚ではない。それでも6着だった。勝ったテイエムオペラオーとは0秒7。一年のあいだに、あの日すぐ後ろで回っていた馬は、その年を一度も負けずに走り切る馬になっていた。 12月24日、中山。二年続けての有馬記念に4番人気で臨む。三コーナーではまだ十二番手あたりにいたが、四コーナーを回るときには隊列の最後尾に下がっていた。 直線に入って、藤田は追うのをやめた。左前脚の繋靭帯が断裂していた。競走能力喪失。11戦5勝で、この馬の競走生活は終わる。種牡馬入りは見送られた。
走らない馬の仕事
宮崎の保養センターで静養したあと、ツルマルツヨシは去勢手術を受け、誘導馬になるための訓練を始めた。2002年の第5回京都開催から、京都競馬場の誘導馬として本馬場に立つ。 自分が四番手で回った同じ芝を、今度は先頭を歩き、これから走る馬たちを従えて入場する。走れなくなった馬に残された、走る馬の隣にいる仕事だった。その仕事も脚の状態が悪化して、2007年の第4回京都開催を最後に終わる。 次に向かったのは宮崎である。引退名馬繋養展示事業の助成を受け、宮崎市の乗馬クラブで暮らした。宮崎は、馬主・鶴田任男が生まれ育った土地でもあった。 2011年10月17日、その鶴田が八十歳で死去する。馬主を失った引退馬の余生は、そこで途切れてもおかしくない。 途切れなかったのは、厩舎にいた男が動いたからだった。翌2012年、現役時代にこの馬を担当していた厩務員・中西繁夫らが「ツルマルツヨシの会」を立ち上げる。引退馬協会の支援を受け、会員たちが飼葉代と世話を引き受けた。馬房を掃除していた人間が、十年余りを経て、もう一度その馬の生活を背負ったことになる。 2017年11月、宮崎県綾町の吉野牧場へ移った。そこが終の住処になる。
八月二日
2026年8月2日の朝、ツルマルツヨシはいつもどおり放牧場に出た。一時間後、横になったまま起き上がれなくなった。獣医師が駆けつけたが、治療は効かなかった。吉野牧場の家族に見守られ、午前十時十五分に息を引き取る。三十一歳だった。 会のブログはその日のうちに、「静かにねむりにつきました」[^1]と書いた。前日まで、放牧場の青草を食べていたという。 同じ日、鹿児島の乗馬クラブでもう一頭が旅を終えていた。テイエムオオアラシ、三十三歳。栗東・二分久男厩舎の管理馬で、JRAの平地重賞を勝った馬のなかでは最年長の存命馬だった。1999年9月12日の朝日チャレンジカップを、二頭は同じレースで走っている。ツルマルツヨシが一着、テイエムオオアラシが十二着。同じ厩舎から世に出た二頭が、二十七年後の同じ日に、別々の県で生を終えた。 ツルマルツヨシが競走馬としてゲートに入ったのは十一回だけである。京都で誘導馬を務めた五年あまりのほうが長く、宮崎で草を食べた歳月は、そのどちらよりもはるかに長い。名を残したのは1999年の秋の二つの重賞、なかでも十月十日の午後の、四分の三馬身だった。 それでも、走り終えたあとの二十五年余りを支えたのは、あの午後を憶えていた人たちである。馬房を掃除していた厩務員が会の代表になり、会員が飼葉代を出し、牧場の家族が毎朝この馬を放牧場へ出した。呼び名は最後まで「ツヨシ」のままだった。厩舎でその名を呼んでいた男は、二十年以上たっても、まだその名を呼ぶ側にいる。 八月二日の朝も、ツヨシはいつもどおり放牧場へ歩いていった。
出典:日刊スポーツ『重賞2勝ツルマルツヨシ死す、31歳「静かにねむりにつきました」担当厩務員らが余生を支援』2026年8月3日配信、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202608020001973.html、閲覧日:2026年8月3日。
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