名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
ツルマルツヨシのイメージビジュアル
ツルマルツヨシTsurumaru Tsuyoshi
Tsurumaru Tsuyoshi

ツルマルツヨシ

通算成績11戦5勝

獲得賞金17,428万円

生年月日 1995.04.06(平成7年)毛色 黒鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ツルマルツヨシの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 藤田伸二 映像
6 GII京都大賞典 京都 芝2400 3人気 藤田伸二 2:26.7 上り34.0映像
4 GI有馬記念 中山 芝2500 6人気 藤田伸二 2:37.3 上り34.8映像
8 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 2人気 藤田伸二 1:58.6 上り35.6映像
1 GII京都大賞典 京都 芝2400 4人気 藤田伸二 2:24.3 上り34.3
1 GIII朝日チャレンジカップ 阪神 芝2000 5人気 藤田伸二 1:59.5 上り35.6
3 GIIITV西日本北九州記念 小倉 芝1800 3人気 藤田伸二 1:46.0 上り35.3
1 三河特別 中京 芝1800 1人気 藤田伸二 1:48.8 上り35.2
稲荷特別 京都 芝2000 藤田伸二
1 犬山特別 中京 芝2000 2人気 佐藤哲三 2:02.1 上り35.5
5 逢坂山特別 京都 芝1800 8人気 藤田伸二 1:47.3 上り35.4
1 4歳未勝利 京都 ダ1400 5人気 藤田伸二 1:25.6 上り37.7

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ツルマルツヨシの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
シンボリルドルフSymboli RudolfパーソロンPartholonMilesian
Paleo
スイートルナスピードシンボリSpeed Symboli
ダンスタイムDance Time
スィートシエロSweet CieloConquistador CieloMr. Prospector
K D Princess
Change WaterSwaps
Portage
STORY

旅程 — この馬の物語

1995年生まれの黒鹿毛の牡馬。父シンボリルドルフ、母スィートシエロ。主な勝ち鞍は朝日チャレンジカップ・京都大賞典。

沙流郡の黒鹿毛

1995年4月6日、北海道沙流郡のシンボリ牧場で黒鹿毛の牡馬が生まれた。父はシンボリルドルフ。無敗の三冠を含めてGIを七つ勝ち、引退後はシンボリ牧場で種牡馬になった、あの皇帝である。 母スィートシエロはアメリカ産だった。その姉フォールアスペンは米GIメイトロンステークスを勝った名牝で、産駒には1994年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬ティンバーカントリーや、のちにドバイミレニアムを産むコロラドダンサーがいる。血の上では、どこに出しても見劣りしない一頭だった。 馬主は宮崎県三股町の鶴田任男。冠名は「ツルマル」、勝負服は紫地に黄の山形二本輪、袖だけが桃色という配色である。鶴田は所有馬の命名を、はじめは自分でしていたが、のちには調教師や担当厩務員に任せるようになったという。この馬に付いたのは、ツヨシという、人の名前のような四文字だった。預けられたのは栗東の二分久男厩舎。日々この馬の世話をしたのは、中西繁夫という厩務員である。 競走馬としての登録は1997年10月。ところが、初めてゲートに入ったのは年が明けた1998年5月2日だった。新馬戦を一度も使えないまま、京都のダート1400メートルの未勝利戦に遅れて出てきて、5番人気でそれを勝った。鞍上は藤田伸二。以後この馬の背には、ほとんど一人しか乗らない。

出ては、休んだ

体は、血ほど強くなかった。 1998年の秋、京都の逢坂山特別で8番人気の5着。三週間後、中京の犬山特別を勝つ。この一戦だけ手綱を取ったのは佐藤哲三だった。年が明けて京都の稲荷特別に名を連ねたが、この馬はゲートに入らないまま出走を取り消している。体質が弱く、使っては休みに戻るローテーションが続いた。デビューからの一年で、実際に走れたのは三戦しかない。 順調に使えるようになったのは1999年の夏からである。6月、中京の三河特別を1番人気で勝った。7月の北九州記念ではハンデが51キロ。小倉の芝1800メートルを九番手あたりで折り合い、四コーナーで四、五番手まで押し上げて3着に届いた。勝ったエイシンビンセンスはこの日、コースレコードを出している。重賞でも足りる——それだけが手土産だった。 9月12日、阪神の朝日チャレンジカップ。斤量は54キロ、5番人気。四コーナーを回ってもまだ十二頭の八、九番手にいた。そこから追い出されると、直線だけで先頭に立った。1馬身半差の1着、重賞初制覇である。 この日、同じ紫の勝負服がもう一頭走っていた。鶴田のツルマルガイセンが6着。そして同じ二分厩舎のテイエムオオアラシが12着だった。鶴田が馬主として初めて重賞を勝ったのも、五年前のこのレースである。 父にとっても久しぶりの報せだった。二世代目のアイルトンシンボリたちが走ったあと、シンボリルドルフは中央の重賞勝ち馬を出せずにいる。その空白を破ったのが、この馬だった。

一九九九年十月十日、動かない四番手

京都の芝2400メートルに十頭が並んだ。晴れ、馬場は良。 先手を取ったのはミスズシャルダン、二番手にブリリアントロード。ツルマルツヨシは三番手から五番手の一団のなかにいて、武豊のスペシャルウィークも同じ塊にいた。藤田伸二は、そこから一度も動かない。 最初の三ハロンは13秒1、12秒0、11秒7。向正面に入ると流れが緩む。12秒8、12秒6。息を入れる時間が、たっぷりとあった。 三コーナーに入るころ、スペシャルウィークが前の二頭に並びかけ、先頭集団が三頭になる。ツルマルツヨシは動かない。四番手のまま、テイエムオペラオーステイゴールドを従えて、そのまま四コーナーを回った。 残り800メートルの標識のあたりで、一ハロンが11秒2に速くなる。そこからゴールまで、ラップは11秒台のまま落ちなかった。11秒5、11秒2、11秒8。最後の800メートルを45秒7で駆ける、長い追い比べになる。 坂を下って直線を向き、藤田がようやく追い出した。前にいたスペシャルウィークは、そこから後退していく。ツルマルツヨシは上がり三ハロン——最後の600メートル——を34秒3でまとめ、2分24秒3で先頭のままゴール板を通った。 後方の一団から、一頭だけ脚色の違う馬が迫っていた。メジロブライトである。届いた差は四分の三馬身。そのクビ差の内で、テイエムオペラオーが三着に入っている。ステイゴールドは六着、スペシャルウィークは七着だった。

五十八キロの秋

京都で4番人気だった馬は、三週間後の東京で2番人気に推された。天皇賞・秋。GIは、これが初めてである。 京都大賞典でのツルマルツヨシの斤量は57キロだった。メジロブライトスペシャルウィークは59キロを背負っていた。天皇賞は定量で、その2キロの差が消える。おまけに枠は十七頭立ての大外、十七番だった。 道中は十番手前後。直線で35秒6の脚を使って追い上げたが、前とは0秒6の差が残った。8着。勝ったスペシャルウィークは1分58秒0のレコードだった。同じ相手に、同じ重さで、逆の答えが返ってきたことになる。 12月26日、中山。有馬記念に6番人気で出走した。 三コーナーまでは中団の八番手前後。四コーナーで藤田が一気に押し上げた。曲がり終えたとき、ツルマルツヨシは三、四番手にいた。すぐ隣を回っていたのがグラスワンダーである。 直線、グラスワンダースペシャルウィークがハナ差でもつれ、そこへテイエムオペラオーがクビ差で加わった。三頭の時計は2分37秒2。その半馬身後ろ、2分37秒3で四番目にゴール板を通ったのがツルマルツヨシだった。いまも語り継がれるあの決着の、すぐ後ろにこの馬はいた。 だが代償があった。このあと骨瘤を発症し、長い休養に入る。ターフに戻れたのは翌年の秋である。

最後の直線

2000年10月8日、京都大賞典。一年ぶりの実戦を3番人気で迎えた。位置取りは前年とほぼ同じ四、五番手。上がりは34秒0で、決して見劣りする脚ではない。それでも6着だった。勝ったテイエムオペラオーとは0秒7。一年のあいだに、あの日すぐ後ろで回っていた馬は、その年を一度も負けずに走り切る馬になっていた。 12月24日、中山。二年続けての有馬記念に4番人気で臨む。三コーナーではまだ十二番手あたりにいたが、四コーナーを回るときには隊列の最後尾に下がっていた。 直線に入って、藤田は追うのをやめた。左前脚の繋靭帯が断裂していた。競走能力喪失。11戦5勝で、この馬の競走生活は終わる。種牡馬入りは見送られた。

走らない馬の仕事

宮崎の保養センターで静養したあと、ツルマルツヨシは去勢手術を受け、誘導馬になるための訓練を始めた。2002年の第5回京都開催から、京都競馬場の誘導馬として本馬場に立つ。 自分が四番手で回った同じ芝を、今度は先頭を歩き、これから走る馬たちを従えて入場する。走れなくなった馬に残された、走る馬の隣にいる仕事だった。その仕事も脚の状態が悪化して、2007年の第4回京都開催を最後に終わる。 次に向かったのは宮崎である。引退名馬繋養展示事業の助成を受け、宮崎市の乗馬クラブで暮らした。宮崎は、馬主・鶴田任男が生まれ育った土地でもあった。 2011年10月17日、その鶴田が八十歳で死去する。馬主を失った引退馬の余生は、そこで途切れてもおかしくない。 途切れなかったのは、厩舎にいた男が動いたからだった。翌2012年、現役時代にこの馬を担当していた厩務員・中西繁夫らが「ツルマルツヨシの会」を立ち上げる。引退馬協会の支援を受け、会員たちが飼葉代と世話を引き受けた。馬房を掃除していた人間が、十年余りを経て、もう一度その馬の生活を背負ったことになる。 2017年11月、宮崎県綾町の吉野牧場へ移った。そこが終の住処になる。

八月二日

2026年8月2日の朝、ツルマルツヨシはいつもどおり放牧場に出た。一時間後、横になったまま起き上がれなくなった。獣医師が駆けつけたが、治療は効かなかった。吉野牧場の家族に見守られ、午前十時十五分に息を引き取る。三十一歳だった。 会のブログはその日のうちに、「静かにねむりにつきました」[^1]と書いた。前日まで、放牧場の青草を食べていたという。 同じ日、鹿児島の乗馬クラブでもう一頭が旅を終えていた。テイエムオオアラシ、三十三歳。栗東・二分久男厩舎の管理馬で、JRAの平地重賞を勝った馬のなかでは最年長の存命馬だった。1999年9月12日の朝日チャレンジカップを、二頭は同じレースで走っている。ツルマルツヨシが一着、テイエムオオアラシが十二着。同じ厩舎から世に出た二頭が、二十七年後の同じ日に、別々の県で生を終えた。 ツルマルツヨシが競走馬としてゲートに入ったのは十一回だけである。京都で誘導馬を務めた五年あまりのほうが長く、宮崎で草を食べた歳月は、そのどちらよりもはるかに長い。名を残したのは1999年の秋の二つの重賞、なかでも十月十日の午後の、四分の三馬身だった。 それでも、走り終えたあとの二十五年余りを支えたのは、あの午後を憶えていた人たちである。馬房を掃除していた厩務員が会の代表になり、会員が飼葉代を出し、牧場の家族が毎朝この馬を放牧場へ出した。呼び名は最後まで「ツヨシ」のままだった。厩舎でその名を呼んでいた男は、二十年以上たっても、まだその名を呼ぶ側にいる。 八月二日の朝も、ツヨシはいつもどおり放牧場へ歩いていった。

出典:日刊スポーツ『重賞2勝ツルマルツヨシ死す、31歳「静かにねむりにつきました」担当厩務員らが余生を支援』2026年8月3日配信、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202608020001973.html、閲覧日:2026年8月3日。

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース