名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

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ツインターボのイメージビジュアル
ツインターボTwin Turbo
Twin Turbo

ツインターボ

通算成績33戦6勝

獲得賞金18,398万円

生年月日 1988.04.13(昭和63年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ツインターボの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
11 クラスターカップ 盛岡 ダ1200 4人気 海方栄二 1:13.3
9 水無月特別 上山 ダ1700 3人気 徳留五月 1:55.6
9 A1級 上山 ダ1800 3人気 海方栄二 2:04.7
9 A1級 上山 ダ1800 3人気 海方栄二 2:05.2
A2級 上山 ダ1700 山中初
9 A1級 上山 ダ1800 6人気 鈴木義久 2:02.3
9 神無月特別 上山 ダ1700 2人気 鈴木義久 1:55.2
10 長月特別 上山 ダ1800 3人気 鈴木義久 2:00.0
7 A2級 上山 ダ1700 2人気 海方栄二 1:54.5
9 A2級 上山 ダ1700 2人気 海方栄二 1:55.1
1 文月特別 上山 ダ1700 1人気 海方栄二 1:52.5
11 GIII新潟大賞典 福島 芝2000 5人気 宗像徹 2:06.2 上り40.8
15 帝王賞 大井 ダ2000 3人気 武豊 2:10.9
10 GIIアメリカジョッキークラブカップ 中山 芝2200 4人気 中舘英二 2:17.4 上り39.7
13 GI有馬記念 中山 芝2500 10人気 田中勝春 2:37.2 上り41.7映像
8 GIII福島記念 福島 芝2000 3人気 宗像徹 2:02.7 上り38.9
11 GIII函館記念 札幌 芝2000 4人気 田面木博公 2:03.8 上り39.5
6 GII日経賞 中山 芝2500 3人気 中舘英二 2:34.4 上り39.3
6 GIIアメリカジョッキークラブカップ 中山 芝2200 3人気 中舘英二 2:14.7 上り36.8
17 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 3人気 中舘英二 2:01.7 上り39.2映像
1 GIII産經賞オールカマー 中山 芝2200 3人気 中舘英二 2:12.6 上り37.8
1 GIII七夕賞 福島 芝2000 3人気 中舘英二 1:59.5 上り37.7
8 GIII新潟大賞典 新潟 芝2200 2人気 大崎昭一 2:14.4 上り38.1
6 GII中山記念 中山 芝1800 8人気 柴田善臣 1:47.5 上り36.8
6 GIII日刊スポーツ賞金杯 中山 芝2000 5人気 柴田善臣 2:00.9 上り37.7
10 OP福島民友カップ 福島 芝1800 1人気 柴田善臣 1:52.0 上り40.2
14 GI有馬記念 中山 芝2500 11人気 大崎昭一 2:34.4 上り39.9映像
2 GIII福島記念 福島 芝2000 2人気 大崎昭一 2:01.4 上り38.2
2 GIIセントライト記念 中山 芝2200 3人気 大崎昭一 2:12.8 上り36.9
1 GIIIラジオたんぱ賞 福島 芝1800 5人気 大崎昭一 1:48.5 上り37.3
5 駒草賞 東京 芝2000 5人気 柴田政人 2:02.0 上り38.7
9 OP青葉賞 東京 芝2400 11人気 大崎昭一 2:28.9 上り36.9
1 もくれん賞 中山 芝2000 7人気 石塚信広 2:03.4 上り37.6
1 4歳新馬 中山 ダ1800 3人気 石塚信広 1:57.2 上り40.4

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ツインターボの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ライラリッジLyra RidgeLyphardNorthern Dancer
Goofed
RiversideSheshoon
Renounce
レーシングジイーンサンシーSanctus
Wordys
マウタジョウオーファバージFaberge
ハードホープ
STORY

旅程 — この馬の物語

1988年生まれの鹿毛の牡馬。父ライラリッジ、母レーシングジイーン。主な勝ち鞍はラジオたんぱ賞・七夕賞・産經賞オールカマー。

舵をとればいい

1988年4月13日、北海道静内町の福岡牧場に生まれた。幼駒のころから身体のバネは強かったという。ただし食が細く、馬体はひどく小さかった。日高ケンタッキーファームで育成を積み、1990年の春、茨城県の美浦トレーニングセンターにある笹倉武久の厩舎へ入る。 馬房ではおとなしい馬だった。ところが人が跨ると、徹底的に反抗した。調教は進まない。デビューに必要なゲート試験を通るまでに、四か月かかった。初戦は年をまたいだ。 笹倉は、騎手として重賞をひとつも勝てなかった人である。中央で千百八十二回騎乗して、百二十一勝。1974年の東京優駿では、デビューから引退まで自分が乗り続けたインターグッドで、ゴール板の寸前まで先頭にいた。そこをコーネルランサーに差し返され、鼻の差で二着に終わっている。負けたのは自分の未熟さだと、笹倉は後年に振り返っている。 1991年3月2日、中山のダート1800メートル、新馬戦。笹倉が鞍上の石塚信広に伝えたのは、好きに走らせて先頭に立て、あとは舵をとればいい、という一事だけだったという。 石塚はそのとおりに乗った。スタートから先頭に立ち、二着に三馬身をつけて勝つ。三週間後のもくれん賞も、同じ形で逃げ切った。

福島の千八百

ダービーへの出走権を懸けて、四月の青葉賞へ向かう。鞍上は大崎昭一に替わった。笹倉とは馬事公苑の養成課程で同期だった男である。だがレースは直線の半ばで失速し、レオダーバンの勝った一戦で9着。初めての敗戦だった。続く駒草賞も5着に終わる。 六月三十日、福島の芝1800メートル、ラジオたんぱ賞。重賞は初挑戦で、5番人気。向正面で後続との差をぐいと広げ、そのまま並ばれずに勝った。笹倉にとっては、サラブレッド系の重賞で初めての勝利である。 血の巡り合わせがあった。母レーシングジイーンの従兄弟にアキビンゴという馬がいる。1982年、同じ福島の1800メートルで、同じラジオたんぱ賞を勝った馬だった。輸入牝馬オーイエーを祖とするこの牝系からは、天皇賞を勝ったメジロムサシも出ている。父ライラリッジのほうはアメリカで下級条件を二つ勝っただけの馬で、種牡馬としても目立った産駒はこの一頭しか出していない。血の格は、母の側から届いていた。 秋はセントライト記念から始動する。逃げ粘ってストロングカイザーにクビ差の2着。青葉賞で先着を許していたレオダーバンを、今度はクビだけ抑えた。この馬は東京優駿の二着馬で、次走の菊花賞を勝つことになる。ツインターボは菊花賞を使わず、福島記念でヤグラステラの2着に入った。 十二月二十二日、有馬記念。GIは初めてだった。11番人気で14着、勝ったのはダイユウサク。レースのあと、鼻出血が判明した。

もう一人の、ハナへ行け

年が明けると体調を崩し、秋まで戻れなかった。1992年に走ったのは十一月の福島民友カップ一戦きりで、1番人気に推されて10着。1993年に入っても復調の気配はない。金杯6着、中山記念6着、新潟大賞典8着。 厩舎が気にしていたのはスタートだった。この馬は発馬が遅い。後続を大きく引き離して逃げる馬——いわゆる大逃げの馬にとって、それは致命傷に近い。 中舘英二という騎手がいた。1984年に美浦の加藤修甫厩舎からデビューし、三年目に四か月勝てない時期がある。そのとき師匠は、追い込み馬でも構わない、どのレースでもハナ(先頭)へ行ってみろ、と言った。中舘はそこから逃げを覚えた騎手である。本人は新馬戦のころからツインターボの走りに目を留めていて、一度乗ってみたいと思っていたという。 七月十一日、福島。この日の入場人員は四万七千三百九十一人。福島競馬場の記録になった。七夕賞、3番人気。 中舘は前半の1000メートルを57秒4で通過する。芝2000メートルの重賞としては無謀な速さだ。それでも直線で脚色は鈍らなかった。二着のアイルトンシンボリに四馬身。二年ぶりの勝利である。自分は掴まっていただけで、馬が勝手に勝ってしまった——中舘はそう振り返っている。

脚音

1993年9月19日、中山競馬場、芝2200メートル。オールカマー。相手はその年の天皇賞(春)を勝ったライスシャワーと、桜花賞馬シスタートウショウ。ツインターボはその二頭に次ぐ三番人気だった。 ゲートが開く。中舘は迷わずハナを取った。場内から歓声が上がり、一コーナーを回るあいだに一度おさまる。二コーナーで、その歓声が戻ってきた。差が開き始めたからだ。 二番手を進んだのはホワイトストーンだった。鞍上の柴田政人は動かなかった。無理に追えば自分の馬が先に潰れる、という判断である。 数字は奇妙なことを告げている。この日の前半1000メートルの通過は59秒5。七夕賞のときより、むしろ遅い。飛ばしていたのではなかった。後ろが来なかったのだ。 最後の直線に向いたとき、差は五十メートルほどあった。中舘はそこで初めて追い出しにかかる。 ゴール板で、二着のハシルショウグンとの差は五馬身。ライスシャワーは追い込んだが届かず、三着に敗れた。 レースのあと、中舘はこう振り返っている。「後ろの脚音が聞こえないなとは思ったけど、別に気にはなりませんでしたね」[^1]

出典:日刊スポーツ「【復刻】韋駄天ツインターボ大逃走劇!ライスシャワーを完封/オールカマー」2023年2月24日配信(1993年9月20日付紙面より)、https://www.nikkansports.com/keiba/news/202109220000435.html、閲覧日:2026年8月3日。

警戒された秋

十月三十一日、天皇賞(秋)。前日の発売では1番人気だった。当日は3番人気。今度は各馬がこの馬の大逃げを警戒していた。マークされ、絡まれ、逃げ潰れた。勝ったヤマニンゼファーから2.8秒差の17着。最下位だった。 この日を境に、中央では二度と勝てなかった。年明けのアメリカジョッキークラブカップ6着、日経賞6着。夏は札幌で行われた函館記念で11着、秋の福島記念は8着。1994年の有馬記念では、三冠を達成したばかりのナリタブライアンが勝った一戦で13着に沈んだ。翌年のアメリカジョッキークラブカップも10着。中舘は後に、あの馬はオールカマーで燃え尽きたのかもしれない、と語っている。 それでも人は、この馬が出走する日に来た。前へ行き、大きく離し、そして止まる。止まるかもしれないと分かっていて、わざわざ見に来る客がいた。 2000年、JRAがファン投票で行った名馬選定「Dream Horses 2000」で、ツインターボは848票を集めて九十一位に入っている。GI——グレード制導入前の八大競走を含めて——を勝っていない馬で百位以内に残ったのは、ほかにステイゴールドナイスネイチャだけだった。

逃げなかった一日

1995年4月13日、大井競馬場の帝王賞。ダート2000メートル、3番人気。鞍上は武豊だった。 この日、ツインターボはスタートで出遅れた。行きっぷりが戻らないまま馬群についていくのがやっとで、15着に終わる。生涯でただ一度、逃げなかったレースである。 落胆の声は大きかった。この一戦でツインターボの経歴に傷が付いた、とまで書いた書き手もいる。裏返せば、それだけ多くの人が大逃げを待って足を運んでいたということでもある。 五月、福島で行われた新潟大賞典で11着。これが中央での最後の一戦になった。六月一日付でJRAの登録を抹消され、山形の上山競馬へ移る。管理は秋葉清一に替わった。デビューから四年、笹倉の手を離れたのはこのときが初めてだった。 七月二十三日、上山の文月特別を1番人気で勝つ。1分52秒5。これが最後の勝ち鞍になった。以後は勝てないまま、1996年8月13日、盛岡のクラスターカップで11着。それが最後の一戦だった。

離れていく背中

1997年、宮城県の齊藤牧場で種牡馬になった。翌1998年1月15日、心不全で死んだ。残した産駒は一世代、五頭だけである。その五頭はみな、父が死んだあとの春に生まれている。 笹倉武久は、騎手として重賞を勝てなかった。ダービーではゴールの寸前まで先頭にいて、差し返された。勝ったと思う位置からでも届いてしまう脚があることを、この人は身体で知っていたはずだ。だから新馬戦の朝、先頭に立てとしか言わなかったのかもしれない。届かれない場所まで行ってしまえばいい、と。オールカマーのツインターボは、そこまで行っていた。笹倉は2008年に厩舎を畳み、2021年に世を去っている。 中舘英二は2015年に騎手を引退した。通算1869勝。うち425勝を福島競馬場で挙げ、この競馬場の歴代二位に名を残している。同じ年、調教師になった。そして2026年7月12日、福島の七夕賞を、管理馬アスクナイスショーで勝つ。三十三年前、自分が跨って勝ったレースである。 後ろの脚音は、あの日、とうとう聞こえてこなかった。観客席は遠ざかっていく背中から目を離さず、いつ止まるのだろうと笑っていた。その背中は、止まらなかった。

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