名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
ウインバリアシオンのイメージビジュアル
ウインバリアシオンWin Variation
Win Variation

ウインバリアシオン

通算成績23戦4勝

獲得賞金57,994万円

生年月日 2008.04.10(平成20年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ウインバリアシオンの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
12 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 6人気 福永祐一 3:15.8 上り35.6映像
2 GII日経賞 中山 芝2500 5人気 福永祐一 2:30.5 上り34.7映像
12 GI有馬記念 中山 芝2500 10人気 藤岡康太 2:35.9 上り34.1映像
15 GII金鯱賞 中京 芝2000 3人気 藤岡康太 2:00.9 上り36.1
7 GI宝塚記念 阪神 芝2200 2人気 岩田康誠 2:14.8 上り35.6映像
2 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 3人気 武幸四郎 3:15.1 上り34.1映像
1 GII日経賞 中山 芝2500 1人気 岩田康誠 2:34.4 上り33.9
2 GI有馬記念 中山 芝2500 4人気 岩田康誠 2:33.6 上り37.3映像
3 GII金鯱賞 中京 芝2000 8人気 藤岡康太 2:00.1 上り34.6
4 GI宝塚記念 阪神 芝2200 3人気 岩田康誠 2:11.7 上り35.8映像
3 GI天皇賞(春) 京都 芝3200 2人気 武豊 3:14.8 上り33.5映像
2 GII日経賞 中山 芝2500 2人気 武豊 2:38.0 上り35.7
6 GII京都記念 京都 芝2200 2人気 安藤勝己 2:13.4 上り35.4
5 GIジャパンカップ 東京 芝2400 7人気 安藤勝己 2:24.7 上り35.0映像
2 GI菊花賞 京都 芝3000 2人気 安藤勝己 3:03.2 上り34.3映像
2 GII神戸新聞杯 阪神 芝2400 2人気 安藤勝己 2:28.7 上り33.2映像
2 GI東京優駿 東京 芝2400 10人気 安藤勝己 2:30.8 上り34.7映像
1 GIIテレビ東京杯青葉賞 東京 芝2400 6人気 安藤勝己 2:28.8 上り33.6
7 GII報知杯弥生賞 中山 芝2000 6人気 福永祐一 2:01.3 上り34.3
4 GIIIきさらぎ賞 京都 芝1800 1人気 福永祐一 1:48.0 上り33.6
4 GIIIラジオNIKKEI杯 阪神 芝2000 3人気 福永祐一 2:02.3 上り35.5
1 OP野路菊S 阪神 芝1800 2人気 福永祐一 1:47.7 上り33.9
1 2歳新馬 小倉 芝1800 1人気 福永祐一 1:49.3 上り34.4

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ウインバリアシオンの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ハーツクライHeart's CryサンデーサイレンスSunday SilenceHalo
Wishing Well
アイリッシュダンストニービンTony Bin
ビューパーダンスBuper Dance
スーパーバレリーナStorm BirdNorthern Dancer
South Ocean
カウントオンアチェンジCount On a ChangeTime for a Change
Count On Kathy
STORY

旅程 — この馬の物語

2008年生まれの鹿毛の牡馬。父ハーツクライ、母スーパーバレリーナ。主な勝ち鞍はテレビ東京杯青葉賞・日経賞。

踊りの名 ― 二〇〇八年、安平

2008年4月10日、北海道安平町のノーザンファームに、一頭の鹿毛の牡馬が生まれた。父はハーツクライ、母はスーパーバレリーナ。 名は、馬主である(株)ウインの冠名に、バレエの用語を継いで作られた。ヴァリアシオン――バレエで、ソリストがひとりで踊る踊りのことである。母の名がすでに「バレリーナ」だったのだから、その仔に独舞の名を与えるのは、ごく自然な手つきだった。母の産駒には、プルミエダンスール(主役を張る男性舞踊手)、スペクタクルダンス、ダンスールクレール、ガーランドワルツと、踊りの語が並ぶ。この一族はみな、舞台の名を背負って生まれてくる。 もっとも母スーパーバレリーナ自身は、日本で4戦して勝ち鞍のないまま繁殖に上がったカナダ産馬である。血の物語は、母の戦績の延長線上に引かれるとは限らない。 栗東・松永昌博厩舎に入り、2010年8月1日、小倉の芝1800mの新馬戦でデビュー。鞍上は福永祐一。1番人気に応え、2着に3馬身の差をつけて危なげなく勝ち上がった。9月の阪神・野路菊ステークスも2馬身半差で連勝。年末のラジオNIKKEI杯2歳ステークスこそ直線で伸びを欠いて4着に終わったが、ここまでの手綱はすべて福永が握っていた。この男がもう一度この馬の背に戻ってくるのは、まだずっと先のことになる。

六番人気の追い込み ― 青葉賞

明けて2011年。きさらぎ賞は1番人気に推されながら直線で伸びを欠いて4着。勝ったのはトーセンラーだった。続く弥生賞も7着、サダムパテックの前に沈む。皐月賞への扉は、開かなかった。 陣営は目標をダービー一本に切り替える。4月30日、東京の青葉賞。18頭立ての6番人気、単勝14.5倍。この日から手綱は安藤勝己に替わっていた。後方に構えた馬は直線で上がり3ハロン33秒6の脚を使い、前をまとめて飲み込んで重賞初制覇。ダービーへの優先出走権を、同じ一本の脚でもぎ取った。 1800mと2000mの重賞では足りなかったものが、2400mで初めて形になる。この馬の輪郭を最初に描き出したのは、距離だった。

不良馬場の府中 ― 一度だけ、先頭にいた

2011年5月29日、東京優駿。台風2号が府中の芝を不良馬場に変えていた。 トライアルを勝った馬としては異例なことに、ウインバリアシオンは10番人気だった。単勝24.4倍。1番人気は、皐月賞を3馬身突き放したオルフェーヴル。 そして、その人気薄が先に動いた。泥を跳ね上げながら直線で伸び、一度は先頭に立つ。ゴールまで残りわずかの時間、日本ダービーの先頭にいたのは確かにこの馬だった。 だが、後ろから栗毛が来た。直線入口でナカヤマナイトと接触して鞍上がバランスを崩しながら、それでも狭い隙間をこじ開けたオルフェーヴルが、1馬身4分の3差をつけて先にゴール板を通過する。ウインバリアシオンは2着。3着ベルシャザールには、7馬身の差をつけていた。 荒れた馬場の府中で、抜けていたのは二頭だけだった。順番が、そうなったというだけのことである。

蓋をしに行く ― 秋の三戦、そして六戦目

秋、ウインバリアシオンは仕掛ける側に回った。9月25日の神戸新聞杯、スローに流れた3コーナーで、外からオルフェーヴルに蓋をしに行く。だが、その動きに呼応するように三冠候補が一気に捲り、上がり32秒8で抜け出した。2馬身半差の2着。挑発は、相手の最良の一手を引き出しただけだった。 10月23日、菊花賞。今度は最後方に控える奇襲を選ぶ。京都の3000mを、後ろから一頭だけ違う脚で追い上げた。それでも届かず、またも2馬身半差の2着。三冠の完成を、いちばん近い場所で見届ける役回りになった。 レースのあと、厩務員の竹邑行生は、オルフェーヴルと同じ世代でなければ、と慰められることが多かったという。彼はそれを否定している。あの馬がいるからこそまた頑張ろうと思えるのだ、いつかもう一度戦って負かしたいのだ、と。 11月のジャパンカップでは初めて古馬の一線級に交じり、後方から3コーナーで2番手まで押し上げ、4コーナーでは一度先頭に立った。しかし直線で脚が上がり、ブエナビスタの5着。年が明けた2月の京都記念は最後方のまま6着に終わる。これが安藤勝己とのコンビ6戦目、最後の一戦になった。 のちに安藤は、この馬は3歳の頃からすでに歩様がおかしかったと明かしている。重賞を勝ち、三度続けて2着に来たあの脚は、はじめから薄い氷の上で踏まれていた。

唯一の先着 ― 二〇一二年春、そして左前

3月の日経賞は武豊を背に2着。重馬場を逃げ切ったのはネコパンチで、最後まで捕まえられなかった。 4月29日、天皇賞(春)。18頭立ての2番人気で臨んだ京都の3200mは、14番人気のビートブラックが2番手から3コーナーの下り坂で一気に押し上げ、そのまま押し切るという、およそ筋書きにない形で決着する。ウインバリアシオンは中団から上がり3ハロン33秒5の脚で追い上げ、3着まで押し上げた。 このレース、オルフェーヴルは11着に沈んでいる。二頭が同じレースを走ったのは生涯で6回。ウインバリアシオンが前でゴールしたのは、この一度きりだった。 6月の宝塚記念はオルフェーヴルの4着。そしてこの年の秋、左前脚に浅屈腱炎を発症していることが公表される。屈腱炎――競走馬の脚を、最も静かに、最も確実に終わらせる故障である。ターフに戻るまで、1年半近くを要した。

八馬身 ― 二〇一三年十二月二十二日

2013年11月30日、中京の金鯱賞。1年半ぶりの実戦で8番人気まで評価を落としていた馬は、それでもカレンミロティックの3着まで押し上げ、脚がまだ残っていることを示した。鞍上は藤岡康太。 そして12月22日、中山。オルフェーヴルの引退レースとなる有馬記念に、ウインバリアシオンは4番人気で臨む。手綱は岩田康誠。松永昌博にとっては、これが初めての有馬記念だった。 向正面で、ウインバリアシオンは自ら位置を下げていく。そこにいたのは、後方4番手で折り合っていたオルフェーヴルだった。二頭は並んで走った。三冠馬とその同期が、最後の直線を前にして、同じ場所で息をしていた。 3コーナーから栗毛が外を上がり、直線を向いたときにはもう先頭にいた。そこから先は独走で、差は開く一方だった。8馬身。2003年のシンボリクリスエスがつけた9馬身に次ぐ、有馬記念史上二番目に大きな着差である。そしてその記録のすぐ後ろにいたのが、ウインバリアシオンだった。 調教助手の中山義一は、このレースのあと、オルフェがいてくれての競馬でよかったと語っている。勝てなかった、届かなかった。それでも、あの馬のいない場所で勝っていたら、どこか納得がいかなかったかもしれない、と。二着という位置は、この厩舎にとって、屈辱の同義語ではなかった。

一〇六四日と、クビ差 ― 二〇一四年

2014年3月29日、中山の日経賞。1番人気。岩田康誠を背に上がり33秒9で抜け出し、2着ホッコーブレーヴを退けた。2011年の青葉賞以来、1064日ぶりの勝利である。屈腱炎を挟んで、この馬はまだ勝てた。 5月4日、天皇賞(春)。鞍上は直前まで二転三転した。予定していた岩田が騎乗停止となり、代役に決まったアンドレアシュ・シュタルケが当日の第5レースで落馬して負傷。急遽、武幸四郎に手綱が回ってきた。 京都の坂を下って直線。先に抜け出したのは、連覇を狙うフェノーメノだった。ウインバリアシオンが外から追う。差は詰まる。それでも、クビ差だけ届かなかった。GIでの2着は、これで四度目になる。 6月の宝塚記念はゴールドシップの7着。そのあと、左前脚の屈腱炎が再発した。二度目だった。12月の金鯱賞は15着、暮れの有馬記念は12着。前年の暮れに中山で見せた粘りは、もうどこにも見当たらなかった。

下馬 ― 二〇一五年五月三日

2015年3月28日、中山の日経賞。鞍上に福永祐一が戻ってきた。弥生賞以来、4年ぶりである。7歳になった馬は内から伸び、アドマイヤデウスに1馬身3/4差の2着に食い下がった。まだ走れる、と思わせるだけの内容だった。 5月3日、天皇賞(春)。6番人気。中団で手応えよく直線を向く――そこまでは、いつもの姿だった。だが直線の半ばで急に失速し、惰性のまま12着でゴール板を過ぎる。ゴール後、福永は下馬した。 診断は、左前浅屈腱不全断裂。競走能力喪失。5月7日付で、競走馬登録は抹消された。 通算23戦4勝。GIでの2着4回。獲得賞金5億7994万6000円。最も多く手綱を取ったのも、デビュー戦で勝たせたのも、そして最後に鞍から降りたのも、福永祐一だった。始まりと終わりに同じ男がいて、あいだの十六戦を、五人の男たちが分け合っていた。

青森へ ― 三千メートルの続き

引退後の行き先は、しばらく定まらなかった。JRAは種牡馬入りを発表し、馬主のサイトはノーザンファームしがらきで乗馬になると告げた。落ち着いた先は、北海道でも韓国でもオーストラリアでもなかった。交渉を制したのは青森県十和田市のスプリングファームで、繋養先は東北町の荒谷牧場である。 到着した直後、断たれた腱がまた彼を苦しめた。半年におよぶ治療の末、2016年、ようやく種牡馬として立つ。初年度は35頭の牝馬に種付けし、翌2017年2月20日の深夜、最初の仔が生まれた。2020年3月7日、中京でドスハーツが産駒のJRA初勝利を挙げる。2021年にはバリコノユメがチューリップ賞に出走し、産駒として初めて重賞のゲートに入った。 そして2024年10月20日、京都。青森県階上町のワールドファームが生産した青森県産馬ハヤテノフクノスケが、菊花賞の3000mを走った。結果は8着。父が2馬身半届かなかった、あの距離である。翌2025年の5月には、天皇賞(春)にも出走した。京都の3200m――父の腱が断たれた、その舞台に。 ひとりで踊るための名を与えられながら、この馬はいつも二頭で踊っていた。相手がいたから、その踊りは踊りになった。いま彼は本州の北の端の牧場に立っている。その血を継いだ仔が、父の届かなかった距離を代わりに走った。

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース