名馬の記憶を、
再生する。

年表ICHINEN-ISSO — 2400m

BOKUJŌ-CHŌ — HOKKAIDO

牧場帖

一年ずつ、顔ぶれをたどる。引退した名馬たちの繋養・在籍と映像を綴る帳面。
HORSES

名馬録

この世代(生まれ年)

スライダーを動かすと、その世代に生まれた馬を獲得賞金の多い順で表示します。

名馬録
◀ 名馬録へ
ヤマニンゼファーのイメージビジュアル
ヤマニンゼファーYamanin Zephyr
Yamanin Zephyr

ヤマニンゼファー

通算成績20戦8勝

獲得賞金58,080万円

生年月日 1988.05.27(昭和63年)毛色 鹿毛

全成績

主要戦績(抜粋)・新しい順
ヤマニンゼファーの成績一覧
年月日着順レースコース人気騎手タイム上り3F映像
2 GIスプリンターズS 中山 芝1200 1人気 柴田善臣 1:08.3 上り34.8映像
1 GI天皇賞(秋) 東京 芝2000 5人気 柴田善臣 1:58.9 上り36.4映像
6 GII毎日王冠 東京 芝1800 2人気 柴田善臣 1:46.4 上り35.7
1 GI安田記念 東京 芝1600 2人気 柴田善臣 1:33.5 上り35.6映像
1 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 2人気 柴田善臣 1:21.0 上り34.3
4 GII中山記念 中山 芝1800 2人気 田原成貴 1:47.3 上り35.3
2 GII読売マイラーズカップ 阪神 芝1600 2人気 田原成貴 1:37.0 上り48.2
2 GIスプリンターズS 中山 芝1200 4人気 田中勝春 1:07.8 上り34.6映像
5 GIマイルチャンピオンS 京都 芝1600 3人気 田中勝春 1:34.0 上り47.1映像
2 GIIIセントウルS 阪神 芝1400 2人気 田中勝春 1:23.2 上り48.4
1 GI安田記念 東京 芝1600 11人気 田中勝春 1:33.8 上り36.5映像
3 GII京王杯スプリングカップ 東京 芝1400 8人気 田中勝春 1:21.7 上り35.2
1 羅生門S 京都 ダ1200 2人気 田原成貴 1:10.8 上り47.3
2 サンライズS 中山 ダ1200 1人気 蛯沢誠治 1:10.9 上り37.0
7 GIスプリンターズS 中山 芝1200 10人気 蛯沢誠治 1:08.6 上り35.8映像
1 4歳以上900万下 中山 ダ1200 2人気 蛯沢誠治 1:11.8 上り37.5
7 4歳以上900万下 東京 ダ1200 3人気 横山典弘 1:12.0 上り37.5
3 GIIIクリスタルC 中山 芝1200 4人気 横山典弘 1:09.0 上り35.4
1 4歳500万下 中山 ダ1200 2人気 横田雅博 1:12.0 上り37.0
1 4歳新馬 中山 ダ1200 12人気 横田雅博 1:11.9 上り36.8

血統

金色の名は 名馬ジャーニー に掲載 — その馬のページへ
ヤマニンゼファーの血統表(左から親・祖父母・曽祖父母)
ニホンピロウイナースティールハートHabitat
A. 1.
ニホンピロエバートチャイナロックChina Rock
ライトフレーム
ヤマニンポリシーBlushing GroomRed God
Runaway Bride
ヤマホウユウガーサント
ミスタルマエ
STORY

旅程 — この馬の物語

1988年生まれの鹿毛の牡馬。父ニホンピロウイナー、母ヤマニンポリシー。主な勝ち鞍は安田記念・天皇賞(秋)・京王杯スプリングカップ。

西風という名の、短距離馬

1988年5月27日、北海道・新冠の錦岡牧場に鹿毛の牡馬が生まれた。生産者の土井睦秋は、はっきりとスプリンターを狙ってこの仔を設計している。父に据えたニホンピロウイナーは、マイルチャンピオンシップを連覇し安田記念も勝った、日本の短距離路線そのものを切り開いた馬。母ヤマニンポリシーの父には、欧州で名を上げたブラッシンググルームがいた。 この配合には、笑い話がひとつ付いている。土井は祖母ヤマホウユウをわざわざアメリカへ送って種付けした。当時のブラッシンググルームはまだ産駒が走っておらず、日本には兄のベイラーンが種牡馬として立っている。わざわざベイラーンの弟を付けに行ったのか——周囲はそう言って笑ったという。 生まれた仔は、胴が詰まって前後の躯が張った、絵に描いたような短距離馬の体つきをしていた。狙いどおりだった。 名は、ギリシャ神話の西風の神ゼピュロスの英語読みから採られている。ヤマニンは馬主一族の冠名で、ゼファーのほうは、生産者の妻が自宅にあった化粧品の名前から借りてきたものだという。西からそよぐ、やわらかい風。 美浦の栗田博憲厩舎に入ったのは1990年の夏である。栗田はこの母の仔をすでに二頭あずかっていて、どちらも気性が荒く手を焼いていた。ポリシーの仔を引き受けるのはこれきりにしてほしい——栗田はそう釘を刺していた。それでも回ってきたのが、この馬である。ところが入厩してすぐ骨膜炎を起こして放牧に戻り、暮れに戻ってきても調整は滞る。デビューは、年を越した。

ダートの千二百から

1991年3月9日、中山のダート1200メートル。十六頭立ての十二番人気という値踏みで、ヤマニンゼファーは競走馬になった。二週間後にはその世代の新馬戦が終わってしまう。調整不足を承知の、押しての出走である。芝を使わずダートを選んだのも、脚元への負担を考えてのことだった。 後方から進み、短い直線で前をまとめて捉えた。三週間後の条件戦も勝った。二連勝を見た栗田はこの馬の能力を認め、次に芝の重賞クリスタルカップを選ぶ。三着。悪くない内容だった。 だが初夏の次走を前に、骨膜炎がまた出た。復帰は秋になり、十月の東京では七着に沈む。十二月の中山でようやく三勝目を挙げ、その二週間後、準オープンの身のままスプリンターズステークスへ放り込まれた。ダイイチルビーが勝った一戦で、ヤマニンゼファーは十番人気の七着。勝ち馬から一秒差である。 栗田は、この内容にむしろ自信を得た。翌年の目標は安田記念に定まる。準オープンの馬が掲げる目標としては、ずいぶん高いところにあった。

大外十八番

1992年5月17日、東京。安田記念。 前走の京王杯スプリングカップは八番人気の三着だったが、それはまぐれと見なされた。加えて枠は、十八頭立ての大外である。単勝は十一番人気。鞍上には田中勝春がいた。二十一歳、デビュー四年目。重賞は二年前に初めて勝ったばかりだった。 レースは速かった。最初の600メートルが34秒を切る流れで、1000メートルの通過は56秒9。前がやり合う消耗戦になる。ゼファーは中団で我慢し、三コーナーを回っても集団の中にいた。動いたのは最終コーナーの手前からで、四角では先頭から三、四番手まで押し上がっている。直線の半ばで先頭。追い込んできたカミノクレッセを四分の三馬身抑えて、押し切った。 田中はゴールの瞬間、鞍の上で大きくガッツポーズをつくった。初めてのGIだった。 ヤマニンゼファーにとっても、これが重賞の初勝利である。そのうえ、芝で挙げた最初の勝利でもあった。それまでの四勝はすべてダートで拾ったもので、芝で初めて勝った日が、そのままGIを勝った日になった。 もうひとつ。父ニホンピロウイナーは1985年の安田記念を勝っている。七年を隔てて、父と子が同じ府中のマイルを獲った。

首ひとつ、遠い

その年の秋は、うまく回らなかった。マイルチャンピオンシップを目標に関西へ送られたものの、輸送で食欲を落とす。前哨戦のセントウルステークスは二着。京都のマイルチャンピオンシップは、ダイタクヘリオスがレコードで駆け抜けた後ろの五着だった。 関東へ戻して立て直し、暮れの中山へ向かう。スプリンターズステークスの1200メートルは、この馬が生まれる前から用意されていた条件のはずだった。父が切り開いた距離であり、生産者が狙った距離であり、デビューからの四つの勝ち星をすべて拾ってきた距離でもある。 直線で、ゼファーは先頭に立った。そこへ後方から一頭が伸びてくる。その春に桜花賞を勝ったニシノフラワーだった。ゴールの直前で並ばれ、かわされる。クビ差。 一年のうちに二つ目のGIが、首ひとつぶん遠かった。

二千を測る

1993年、栗田はこの馬の先を考えていた。種牡馬として送り出すのなら、マイルより長いところでの実績が要る。秋の天皇賞、東京の2000メートル。そこを目標に据えるには、まず距離が持つかどうかを測らねばならなかった。 春の二戦、栗田は鞍上に田原成貴を呼んだ。馬を見る目の確かさで知られた男である。阪神のマイラーズカップは二着。中山記念は、初めて経験する1800メートルを速い流れで先行して四着、勝ち馬とは0.3秒差だった。田原は、2000メートルは持つ、という見立てを置いていった。目標が決まる。 四月の京王杯スプリングカップは、田中勝春の騎乗停止の期間にあたった。代わりに乗ったのが柴田善臣である。ゼファーはシンコウラブリイを一馬身半退けて勝った。柴田の騎乗はこの一戦だけの約束だったが、そこへ田中の所属厩舎からセキテイリュウオーという馬が台頭してくる。自厩舎の馬を優先するのは当然の筋で、五月の安田記念も柴田が乗ることになった。 その安田記念は、この年から国際競走になっている。フランスとアメリカから一頭ずつ来ていた。一番人気はニシノフラワー、ゼファーは二番人気。 逃げたのはマイネルヨースで、ゼファーはその直後、二番手につけた。四コーナーまで隊列はほとんど動かない。直線を向いて先頭に立ち、後続に脚を使わせないまま押し切った。二着イクノディクタスとの差は一馬身と四分の一。前年とは正反対の、正面からの勝ち方だった。柴田善臣にとっても、これが初めてのGIである。田中が二十一歳でつかんだ最初の大レースと、柴田が二十六歳でつかんだ最初の大レースは、同じ馬の背にあった。 秋の始動戦、毎日王冠は六着だった。先行して、直線で止まった。その五日前に馬主の土井宏二が世を去り、長男の肇が引き継いだばかりでもある。距離を延ばすのかと周囲は首をかしげたが、栗田は目標を動かさなかった。当日までスタミナを付けるための厳しい調教を課し続けた。天皇賞の週には、大本命と目されていたメジロマックイーンが故障して競走生活を終える。混戦になった。ヤマニンゼファーの評価は、上から数えて五番目だった。

三百メートル

東京は晴れて、芝は乾いていた。 ゲートが開くと、ツインターボが出ていった。誰も競りかけない。二つ目、三つ目のハロンで、その逃げはむしろ加速する。後続との空白が、みるみる広がった。 ゼファーは追いかけなかった。追いかけた馬の、そのまた後ろ。向正面では三番手にいる。三コーナーを回るころ、前にいた一頭が下がって、ゼファーが二番手になった。ターボの背中とのあいだには、まだ大きな空白がある。 四コーナー。柴田は待たなかった。空白を一息で詰め、ターボと馬体を並べる。ここで先頭に立てば、坂を含めて直線をまるごと自分で作らなければならない。それでも仕掛けた。 先頭に立った直後、レースの脚色はいったん緩んだ。息が入る。そこから、もう一度上がった。 直線。外から一頭が並びかけてくる。セキテイリュウオー。中団から抜け出してきたその馬の鞍上は、田中勝春だった。 残り三百メートル。二頭は完全に並んだ。そこから先、どちらも下がらない。一度、セキテイリュウオーが前に出る。普通ならここで決まる。ゼファーは決めさせなかった。柴田によれば、前に出られたその瞬間、この馬は自分から差し返しに行ったのだという。外へ馬体を併せ直し、相手の隣へ戻った。 残り二十メートル。田中の手から、鞭が落ちた。 二頭は体を接したまま、ゴール板を通過した。 写真判定。ハナ差。ヤマニンゼファー。 柴田は後年、あれは自分の勝利というよりこの馬の完璧な勝利で、あんなレースがもう一度できるかは分からない、と振り返っている。 東京の2000メートルは、父ニホンピロウイナーが挑んで三着に終わった舞台でもあった。短距離の血が、父の届かなかった場所へ届いた。

そよ風と呼ぶには

年末の中山。ヤマニンゼファーは、GIでは初めて一番人気に推されてスプリンターズステークスのゲートに入った。1200、1600、2000。三つの距離のGIをすべて自分のものにできる位置に、この馬は立っていた。 勝ったのはサクラバクシンオーだった。二着、二馬身半。生まれる前から用意されていたはずの距離だけが、最後まで手に入らない。これが引退レースになった。 年が明けて、表彰では三つの部門で名前が呼ばれた。最優秀の五歳以上牡馬、最優秀短距離馬、そして最優秀父内国産馬——父が日本で生まれた種牡馬である馬に贈られる賞である。大レースになるほど輸入種牡馬の仔が並ぶ時代だった。年度代表馬には菊花賞を勝ったビワハヤヒデが選ばれ、この結果には異論も出た。 一月末に東京競馬場で引退式を行い、北海道へ帰った。日高で種牡馬になり、初年度産駒からサンフォードシチーが出て武蔵野ステークスを勝ち、第一回のジャパンカップダートで二着に走る。その馬は引退後、馬事公苑の乗馬になって連続テレビ小説にタロウの名で出演した。 やがて、産駒や孫が走る日のパドックには「ゼファー魂」と書かれた横断幕が掲げられるようになる。西風の神の名を借りた馬は、そよ風と呼ぶにはあまりに強い走りをした馬として、覚えられていった。 2009年に種牡馬を退き、生まれ故郷の錦岡牧場で功労馬として過ごした。2017年5月16日の朝、老衰で息を引き取った。前の日まで、変わった様子はなかったという。

縁と言えば縁

田中勝春は、あの天皇賞のあとに涙を流した。のちに最も悔しい敗戦を訊かれて挙げたのも、このレースである。二十一歳で初めてのGIをくれた馬に、二十二歳の秋、ハナ差で先着された。しかも自分の鞭は、最後の二十メートルで手を離れていた。 その日から、次のGIまでに十五年かかった。連敗は三桁を数える。有力馬の依頼が回ってこない時期が長く続き、それでも田中は乗り続け、2007年の皐月賞でようやく二つ目を手にした。2025年には鞍を降りて厩舎を構え、開業一年目に重賞を勝つ。翌年の六月、その馬を連れて東京のマイルへ帰ってきた。調教師として初めてのGI出走は、安田記念だった。「(騎手時代に)初めてG1を勝ったレースだし、縁と言えば縁だね」[^1] 二人の若い騎手に最初の大レースを渡し、片方からはハナ差でひとつを取り返して、西風の名を持つ馬は府中を去った。その片方はいま、同じ直線を、鞍の上ではなく柵の外から見ている。縁というのは、たぶんそれくらいの長さのことをいう。

出典:スポーツ報知「【安田記念】騎手時代にヤマニンゼファーとVの田中勝春調教師 シリウスコルトでG1初出走」2026年6月4日配信(Yahoo!ニュース配信で本文確認)、閲覧日:2026年8月3日。

ABOUT

このサイトについて

名馬ジャーニーとは

名馬ジャーニーは、競馬の名レースと、引退した馬たちのその後を記録する、個人運営のアーカイブサイトです。数分のレースだけでなく、馬がターフを去ってからの時間まで辿れることを大切にしています。JRAなどの競馬主催者・関連団体とは関係のない、一人の競馬好きが続けている場所です。

情報について

本サイトの競走馬プロフィールやレース記録は、報道記事やWikipediaなど、一般に公開されている情報をもとに、当サイトの言葉で整理・編集しています。各馬の歩みをたどる読み物には、参考にした記事の出典を末尾に記載し、引用は必要な範囲にとどめています。

競走成績などのデータは、Wikipediaを主として一般に公開されている情報を参考に、当サイトが独自に整理・編集したものです。JRAの公式サイトやJRA-VAN、netkeibaといった競馬情報サービスのデータベースを転載・複製したものではありません。個人が公開情報をもとにまとめたものであり、内容の正確性を保証するものではありません。

文章の制作には生成AIを活用し、運営者が確認のうえ公開しています。ただし個人による運営で、一部は自動的に更新されるため、誤りや古くなった情報が含まれている場合があります。誤りにお気づきの際は、お知らせいただけると幸いです。馬券の購入その他の判断は、JRA・各主催者の公式発表にもとづき、ご自身の責任で行ってください。

画像について

本サイトに掲載している競走馬のイラストなどの画像は、AIで生成したオリジナルのものです。実在する写真を複製・加工したものではありません。競走馬の毛色や特徴を完全に再現できるものではない点は、あらかじめご了承ください。なお、映像のサムネイルは、YouTube上の各動画のサムネイル画像を表示しています。

映像について

本サイトのレース映像は、競馬主催者などの公式チャンネルが公開し、埋め込みを許可している動画だけを、YouTubeの標準的な埋め込み機能でご紹介しています。権利者に無断で転載された映像は扱いません。牧場の映像も同じ仕組みで、牧場や、牧場を訪ねた方々が自身のチャンネルで公開している動画をご紹介しています。

動画は埋め込み先でもYouTube上で再生され、再生数・広告収益はすべて各チャンネルに帰属します。あわせて各チャンネルの登録ボタンを設け、ご覧になった方が配信元のチャンネルへ辿り着けるようにしています。本サイトが動画ファイルを保存・配信することはありません。

名レースの記憶を残し、馬たちの引退後まで辿るこのサイトが、その映像を遺してくださった各チャンネルと、新しい競馬ファンとの出会いに少しでも役立てば幸いです。

広告について

本サイトは、運営を続けるための費用にあてるため、競走馬プロフィールや成績表など、当サイトが制作したコンテンツが主体のページに広告を掲載することがあります。動画の視聴が主となる場面には広告を置きません。アフィリエイトリンクなどを掲載する場合は、広告であることがわかる表示を行います。

アクセス解析について

本サイトは、閲覧状況の把握と改善のため、Googleアナリティクスを利用しています。GoogleアナリティクスはCookieを用いてアクセス情報を収集しますが、個人を特定する情報は含まれません。仕組みの詳細はGoogleのポリシーと規約をご確認ください。Cookieは、お使いのブラウザの設定で無効にすることもできます。

免責事項

掲載内容には正確を期していますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。本サイトの利用、およびリンク先の外部サイトの利用によって生じた損害について、運営者は責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせ・権利者の方へ

掲載内容についてのお問い合わせ、誤りのご指摘、掲載をご希望されない場合の削除・修正のご依頼を承ります。権利者やご関係者の方からのお申し出には、内容を確認のうえ、速やかに対応いたします。お問い合わせ先は、準備が整い次第このページに掲載いたします。映像については、各チャンネル側の設定でも表示を停止いただけます。

DREAM

ドリームレース

歴代名馬のオールスターを、選んだ舞台で走らせる夢想レース